シーツを噛んで声を殺す。
カラダはもう、自分自身の支配から外れている。さっきまで辛うじて指先は自分のものだったが、もう力を失くして敷布の上に落ちた。それもオトコに捕まえられて指先まで絡まれて、骨が鳴りそうに軋む。
気持ちがいいとか悪いとか、そんなのを感じる余裕もない。圧倒的な熱に焼かれて、手足がどうなってるかも分からない。生殖器と粘膜だけじゃなく全身を支配されている。歯噛みして声を漏らすことだけは耐えた。
本当は、本番は、外でしたくて、いつもならばらばらに屯所を出てホテルで落ち合う。でも今夜は近藤勲が警視庁に緊急用件で呼び出され屯所に居ない。その状況でサブの沖田が屯所を開けるのはまずく、予約していたホテルはキャンセルした。
風呂が広くて夜景が見下ろせるシティホテルの、更に高層階のクラブルーム。こじゃれたカップルがクリスマスデートに使いそうなそこに、しかしこの『カップル』はムードを求めているワケではない。必要としているのは警備。クラブルーム専用のフロントを通さなければフロア自体に踏み込めない、名門ホテルの面目を賭けたガードの内側でなれば揃って服は脱げない。
もちろん、警備は、真撰組屯所の最奥、幹部たちが起居するこの棟の方が完璧で安心だが、でも。
「……、ふ……、ぅ」
人目がある。一般隊士の往来は禁止されているが、監察は巡回するし非常時となれば従卒も踏み込む。扱いはあくまでも仮眠室で、ドアには鍵もかからない。
「……、あぁ……」
声を漏らすのは若い男。正直な快感に震える高い声音。全身にぐっと力が入る。ダイレクトにそれがオンナにも伝わる。熱が零れる。やきつく、される。マグマに骨まで、融かされて同化する。
「ん……、っ」
おかしい。
抱かれているのに抱いている男の快感が伝わる。じんじんしながら擦り上げて吐き出してまだ痺れてて、身動きがとれないでいるのが分かる。強張ったままの男は呼吸を幾度か繰り返して、ようやく息を吐き崩れ落ちて来る。抱きとめてやった。
「……ン」
快感が長引く。カラダを重ねたままじっとしていると、肌ごしにまだ、何かが繋がって流れあっている気がする。甘くて優しい時間だった。春の夜明けみたいに心地よい。でも、良すぎて、いつまでも、それに浸っていることに年上のオンナは怖れを抱く。
やっとドコにあるか分かってきた手足を蠢かして、オトコに重いと訴えた。オトコは応じてだるそうに左肘をつき上体を起こす。ガキの頃から天才の名を冠されてきたこの剣士が、こんなに自分の体を重そうに扱う事は珍しい。抱いていたオンナの手に絡めていた右手を解いて、ぐいっと額を拭った。汗がぼたぼた、まだ仰向けに敷かれているオンナの喉から棟に落ちる。
「……」
オンナが驚いて瞬く。いつも涼しげで、大人数相手の立ち回りを終えても息ひとつ乱さないこの若い男が自分を抱いて、汗だくになっているのを改めて思い知る。無我夢中で興奮しきっていた証拠をつきつられた気がした。
昔は、こんなセックスじゃなかった。
わりと即物的で、服さえ脱がないことが多くて、粘膜と生殖器だけの、自分の欲望を処理するため、食事で言えば空腹を満たすべく流し込むゼリー飲料みたいに、不味いけどガマンしてイヤイヤ口にされる、みたいな、そんなカンジを受けることもあった、のに。
今は戦場の、最後にとっておいたチョコの欠片みたいに、大切に唇に含まれて、全身で味わわれて。
「……、ぶ?」
声がまだ掠れている。奥歯を噛み締め過ぎて顎が痺れているのは自分だけではなかったらしい。オンナがなんとなく笑う。なんとなくだから普段と違って柔らかな笑い方になった。それがオトコの気持ちの、どこかをつついたらしい。口元を撫でながら噛み締めていたシーツの端をそっと引き抜いて、くちづけ。
「……、ん……」
応じてやりたくても舌まで痺れてうまく動かせない。熱心なキスに唾液はすぐに溢れて、唇の端から喉を伝い落ちる。
「ダイジョーブ?痛いトコとかない?」
「……」
大丈夫だと言いたくて血を開いたが、まだ越えは出なかった。代わりに笑う。今度ははっきりと。そうして敷布に投げ出していた手を上げて、王子様のやわらかな後ろ髪を撫でた。細くて柔らかい、指どおりのいい猫ッ毛。
「怒ってない?」
少しも。気持ちよかったさ。命がけみたいにくらいつかれるのは苦しくないこともないけど、情熱に灼かれて麻痺して、痛みにはならない。
そういうのは初体験ではなかった。男にも女にも騒がれる方だったから。初夜に緊張して過呼吸起こしかけた馬鹿も中には居た。あれは誰だったっけ。
「あんたの負担に、ならないよーに、って、最初はちゃんと思ってンですけど、夢中でになると自分のカラダがどーなってるのかもわかんねぇから」
あぁ、ザキだ。
深呼吸しろとか今度にするかとかザキの分際で俺に気を使わせといて、いざ本番ではミョーに床上手で、馴れてさえやがったから腹が立って殴った。
でもこの、生意気なガキからこんな風にされるのにはまだ慣れない。どうしたんだろう、という気持ちになる。
騙されているとか、演技だとかは思わなかったけれど。
「あんたにムリさせてない?」
楔は抜かれて、体が戻ってきて、力の抜けた手足をゆっくり引き寄せる。抱き竦められてたせいで軋む関節に血が流れるのを野待っていると、先に動けるようになったオトコが枕もとのタオルを水差しで濡らして絞って、顔を拭いてくれた。
気持ちがいい。
「昔ね、アンタに優しくしたり、キモチよくしてやるのを、負けだと思っていやした」
知ってる。男にはそういう時期がある。女に優しくするのを男が廃るみたいに思い込んじまう時期が。
「アンタに触れなくなってからすっげー反省しやしたよ。もっとさぁ、あんたにちゃんとしてりゃよかったって何回思ったか。逆にあんたが優しくしてくれたことばっか思い出したりしてね。……聞いてますかぃ?」
「……ねむい……」
「ヒトがせっかく口説いてんのに甲斐がないヒトだねぃ」
若い男の声はそれでも優しかった。オンナが楽な姿勢を探して身動きする間、腕を緩めて待っていてくれた。シーツにうつ伏せに、顔を埋めるような寝姿に、
「苦しくないですかぃ?」
心配しながら声をかける。そして。
「契約更新、しないって山崎に言ったんですって?」
委託業者との契約、業者の審査は監察の責任者、山崎退の管轄。以前は土方十四郎という副長自らが目を光らせていたが、総悟にはまだそこまではムリで、山崎が引き継いだ。
「なんで?」
若い男の声は柔らかい。けれど裸の肩に触れてくる指先には緊張感が漂う。
「……おめぇが退院してきたんだから、もー前任者の緊急呼び出しは必要ねーだろーが」
「俺が泣き止むまで撫でてくれるんじゃなかったの?」
「話をビミョーにずらすな。まぁでも、そっちの件は、もちろん継続するぜ」
先に結論を言って、無防備な背中にそっと重なってくる男を牽制。繋がって死ぬほど揺れあってお互いを絞りつくした筈湯なのに、男の息は、また熱くなっている。
「こういうことは、あんまりナカでは、するもんじゃねぇダロ」
「職場だから?でもここ、俺の部屋ですぜ?」
「外に借りろ。オンナひとり、囲っとく甲斐性ぐらいあるだろ」
「なに、囲われてくれる気なの、アンタ」
「やるからちょっと、背中揉め。肩甲骨の下あたり。こってて、いてぇンだ」
寝苦しそうに肩を揺らすオンナの、傷が幾つかある背中を若い男は言われるまま掌で揉む。背中の傷だが逃げてついた訳ではない。一対一ではなく集団で切り結べば乱戦になって、めぼしい人間は複数に襲われることも多い。
「へい。うわ、ホントだよ。……ごめんね」
「違う。おめぇじゃねぇ。シゴトだ」
外に出ない事務仕事ばかりしていたる決算時期で、電卓を叩くことも多く、ガリガリといかにも筆圧が高そうな音をさせながらペンを走らせ、一年分の帳簿を〆た。
「運動不足なんじゃないですか。道場に出てくりゃいーのに。みんな待ってますぜ?」
昔は事務処理で方が凝るとすぐ道場で素振りをやっていた。刀は一年、握っていない筈だが筋肉はそう落ちていない。出家とはいえ見習いで、寺というより農場で、天気がよければ朝から晩まで野良仕事。実家は土地では知られた豪農だったけれど、野良仕事が嫌いで道場ばかりに通っていた。のに、ハウスで花卉類を栽培するのに妙な才能があって、特に菊は、大輪の花を長く咲かせた。
肩甲骨の下から腰骨にかけて背中を揉んでやる。気持ちよさそうに、オンナの目尻がとろんとする。ねぇ、と、男がそっと、そんなオンナに、重大なことを言い出す。
「副長には戻ってくれねぇの?真撰組には帰ってきてくれねぇんですね、アンタ」
それは分かっていたことだ。
「でも俺ぁ、アンタにここに居て欲しいですぜ。だってオレ、あんまり外泊できねぇし、休みもよく潰れるし、非番の日も待機で屯所に居なきゃなんねぇことが多いし。エッチすんのは外でだけでもガマンしやすけど、あんたがそばをウロウロしてくれてないと、さみしぃ……」
「ありがとうよ。もういいぜ」
「世間のフーフとかってよくガマンできるなぁ。きっとホントは愛し合ってねーんですよ。それか世間の勤め人は俺らほど忙しくねーのか。……、ねぇヒジカタさん。オレが真撰組辞めるって言ったら怒る?」
「怒る」
「自分は辞めやがったくせに勝手だぜ、土方ァ」
「俺とおめぇじゃ立場が違うだろ。おめぇは近藤さんの跡取りだろうが」
子供の頃から近藤勲の道場の先代に才能を見込まれて道場に引き取られ、勲の『次』として大事に育てられた。なのに真撰組で勲の次席が土方十四郎になって、それがどうしても気に食わなかった様子だったのに。
「それが最近、風向きが変わってきてまして。志村新八、覚えてられますかぃ、近藤さんがストーカーしてた女の弟」
「あぁ、万事屋のガキだな?」
「けっこういい腕になってきてましてね」
「……おめぇほどじゃあるまい」
「そりゃモチロン」
に、っと、若手では江戸でも指折りに名の知れた天才剣士は悪びれず笑う。
「でもねぇ、やっぱり養子より、自分のオンナのオトートの方が可愛いんじゃないかって。俺に跡目を譲るよりそっちの方が、近藤さんは都合がいいんじゃないかって」
「都合って、ナンだよ」
「自分の息子に継がせる時の都合ですよ。俺し他人だけど志村新八から近藤さんの子供にとっても叔父さんで、継承がスムーズに流れそうでやんしょう?」
「……そんな……」
「身を引くべきなのかな、って、最近おもうんですぜ」
「そ、のはなし、近藤さんとは、したか」
動揺して、裸のまま体の姿勢を変えて若い男の方を向いたオンナの、懐に。
「いいえ」
真撰組の王子さまは懐きながら、答える。
「おれが一人で考えてることでさぁ。でもいーですぜ、そーなってもおれぁ近藤さんを恨みませんよ。むしろ真っ赤な他人なのに今まで、育ててもらって感謝していやす。土方さんが帰ってきてくれたし、これから一緒に居てくれるんなら、廃嫡ってぇより婿入りだし。貰ってくりやすか?」
「ふざけてる場合じゃねぇだろ」
「一緒に万事屋しましょう。探偵でもいいなぁ」
「総悟ッ」
「おこらねぇでくだせぇよ。ホントにオレ、アンタが帰ってきてくれてうれしぃんですぜ。もーナンにも怖いもんないし誰もうらまねぇよ。なにがどうなってもサ、あんたが居てくれりゃそれでなにもかも」
いいんだ、と呟く王子様が本気に見えて、オンナは怯む。
「……とりあえずその話、少し待て。近藤さんがどうするつもりなのか確かめて、それからだ」
「あんた契約、更新してくれる?」
「する」
「わかった」
王子さまは無邪気な顔をして、目を閉じる。疲れていたのかすぐに寝息をたてた。時刻は午後十時。まだ眠る時間ではない。
オンナは寝付けず、ごそごそと布団から這い出して夜着を羽織って、袂に入れていた煙草に火をつける。部屋の明かりは消したがリモコンや非常灯の光が薄く、室内を浮かび上がらせる。
眠る王子様を呆然と眺めていたら、足音が聞こえた。誰のものかはすぐに分かった。長年聞き続けてきた、昔からの仲間。
「総悟、休みなのにすまん。ちょっといいか、話が……」
オンナは動かなかった。落ち着いて煙草の煙を吸いこみ、灰皿で火を消した。
「総悟、起きろ」
優しく声を掛けた。