晩秋釣り話・1
我慢のきかない強引な男と、したたかな計画性のある男。
本来ならば反発しあう性癖が、妙な具合に噛みあうと、素晴らしいコンビネーションを見せる。
その噛み具合の、中心には一人のオンナが居る。
優しくて性悪で脆くて強欲で、寂しがりの、美しいオンナ。
「……、そっち、もちっと、ナンとかならねぇか」
「物理的にムリだ」
「しょーがねぇ。縁に運べ、そっからだ」
「生垣、通れるか?」
「踏み倒しちまえばいい」
オンナの眠りは深い。安心しきったやすらなか表情で、かさ高な冬の布団の中で寝息をたてている。
敷布団ごと、抱え上げられたとも知らないで。
そのまま、庭に停められた大型のバン後部、12人乗りの座席のうち後部三列をとっぱらって後部を広い平面にした、中に運び込まれたとも知らず。
「よし……、行くぞ」
静かに車は走り出す。早朝というよりヨルに近い、午前五時。
左右にくねる山道も、インター合流のムリなカーブでも、後からはコソとも音がしなかった。が、薄暗がりに浮かぶ車内のデジタル時計が六時半を示した、途端。
「……」
身じろぎの、気配。
運転席していた京一と、助手席で『週間釣り新聞・磯魚特集』を熱心に読んでいた啓介の二人は、ぎくっと、カラダを強張らせる。二人とも表情には出さなかったが、肩が、揺れた。
「…………」
後部の気配は目覚めている。でもまだ静かだ。事態を把握しきっていないらしい。やがてゆっくり、夜明け前とはいいながら日の出近い、うすく青みを帯びた空の色を車窓から眺めて。
「なんの真似だ……」
低く掠れた声を出す。
「答えろ」
京一は助手席の啓介をつついた。つつかれて、啓介は俺かよと目で問い掛ける。お前だと、京一も目線で答えた。低い声を漏らす不機嫌なオンナを、宥めるのはオンナに『甘やかされて』きたこっちの方がいい。
「……だって……」
唇を突き出すように、オンナより先に正直に、拗ねて。
「だってさぁ、アニキ、つめてーんだもん。せっかく釣りに行こう、って言ってるのに、疲れてて眠いからお前たち二人で行って来い、なんてさぁ」
ひでぇよと、ぼやく。
それは昨夜の出来事。食後にコタツで山芋の実の塩茹でを肴にかるく、どぶろくのお湯割りを飲みながら、最近起こった薬品中毒のニュースが終わって、釣り番組が始まった。それは磯釣りで、大きなアジがたくさん、釣れていた。番組の中では次々に型のいいアジがあがって入れ食い状態、のように見せかけてあったが京一の目には作為がミエミエだった。
上手で投げてすぐに食いつく、あのタイミングがアジの筈がない。あれはサバだ。多分、アジは二三匹しか釣れていないのを、編集で見せかけてあるだけだと京一が言って、啓介は、ナンで分かるんダヨと軽く絡んだ。そりゃ分かるさと京一は、酔いのまわってきた上機嫌でうんちくを傾ける。
教えたがりな男は、率直な疑問をつきつけてくる啓介と、話をするのが、けっこう楽しいらしい。
サバとアジは漁場も生息域も殆ど重なっているが、ただ、回遊する深さが違う。アジは深度40メートルを越える海底近くを泳ぐが、サバは海面に近い浅い場所に群れをなしている。だから、大アジ釣りの場合は仕掛けの投入を手早くしないと、途中でサバの猛攻にあってしまう。もっとも。
「今の季節なら、俺ならいっそ、サバを狙うがな。海の水が冷たくなってきた後のサバは、真っ白にきゅん締まって脂がのってて、味はそっちがイイ」
「なら、なんでサバが釣れたって(と、テレビを指差しながら)こいつら正直に喜ばないんだ?」
「サバは誰にでも釣れるからな。喰う以外の目的で釣りする奴にとっては邪魔なのさ」
「……勿体ねーの」
本当にもったいなさそうに言った啓介に。
「……行くか?」
とうとう、京一が折れた。
「サバでいいなら、こっから二時間も走ればすむ」
豊かな海なら、ドコにでも泳いでいる。
「行く」
即答して啓介は呑んでいたどぶろくの、陶器のコップをぐびっと呷る。そして皿の中の、山芋の実を口に放り込む。これは、とろろにして食べるあの山芋の、根ではなく秋に実る実だ。自然署の蔓の左右に、木の実のように実を結ぶ。大きさは親指の爪くらい。一つの蔓に、100個くらい、たわわに実る。
味は殆ど、根の山芋と同じ。ただ、こっちの方が地から遠ざかって育つ分、水分がなくてふっくらしている。すりおろすには小さすぎるそれは塩茹でにして薄い皮ごと、口に放り込むようにして食べる。都会の料亭で大騒ぎする秋の珍味も、山ふかく豊かなこの地では農家のご隠居が、散歩ついでにとってむらの診療所の医師に進呈する程度の、気楽なタベモノだ。
「俺は行かないぞ」
アニキも、と、誘おうとする啓介の機先を制して涼介は言った。
最近、そうやって、よく拗ねる。
「明日は一日、眠るんだ」
確かに寝不足ではあったろう。頬の肉付きが少し削がれてる。けれども肌は瑞々しく艶を増し、旬の魚のようにふっくらと柔らかく、豊かに実っている。
真っ白に締まってあぶらがほどよくのっていて。
腹いっぱいに、かぶりつきたい風情だ。
「えぇーッ」
啓介は不満の声をあげる。そんなのつまんねーよだの、アニキが居ないとサバ釣る甲斐がねーよ、だのとひとしきり騒ぐ。それを京一は手酌しながら、静かに聞いていた。頭の中で段取りを考えながら。
「引き返せ。俺は、眠る」
「寝てていいよ。いいから、一緒に行こう。もーすぐ着くから。な?」
「お前たちがドコでナニをしようが勝手だが、俺は家で眠るんだ」
「そんなこと言わないでサぁ」
「引き返せ」
「弟」
アニキに甘ったれているところに、そう呼ばれ。
「お、おぅ、ナンだよ」
切り替えにどもりながら、啓介は反問。
「本格的にぐずり出す前に、飴でもしゃぶらせてろ」
言って、車を待避線に停める。道は既に海にそった、海岸道路に入っていた。
「……」
察しのいい啓介は、ワゴンが速度を落とした時点でシートベルトを外し、停まると同時にさっと助手席から降りて後部のドアを開け。
「……なに……」
事態をまだ、把握しきれないオンナの。
「なに、す……ッ」
温まった、褥の中に強引に、直裁的に頭を突っ込んで。
「……ッ」
寝起きの、蜜を蓄えた。
「や、……馬鹿、なに考えて……ッ」
甘い実を、なぶる。それこそ子供がキャンディーをそうするように。
オンナハは暫く暴れて抵抗していたが、やがて。
「……、い、ヤ……」
浅く、高く、澄んだ声で、喘ぐ。
「……、あ、ァ」
釣り上げられた旬の魚みたいに。
「う……、ぅ、アァ……、ンッ」
京一は手を伸ばし、バックミラーの向きを脩正した。