晩秋釣り話・2

 

 

 海辺の待避線に停められた、大きなバン。

 その後部座席のスライドドアを引き開けて、左右同時に、男が降り立った。ワークパンツとジーンズの前やベルトをさりげなく直しながら。

二人とも背が高く、二人ともなかなかいい男だ。が、二人ともに、共通の欠点がある。

顔が。

しまりなく、ニヤケきっていた。

向き合っていれば互いに対する見栄で少しは表情を作るかもしれないが、車高二メートルを越えるバンの車体が邪魔して、互いに死角になっている。

だから、運転席と助手席に置いていた荷物を取り出すまでの数秒間、二人は二人して、見事に鼻の下を伸ばしていた。

申し合わせたように、前方のドアを同時に開けて、釣竿やクーラー、防寒着にカセット式のつり用の携帯ストーブ、などを二人はそれぞれに取り出して、ドアを閉める。

寸前。

「……、っ、え……、ぅ、えっ……ッ」

 すすり泣きに近い泣きじゃくる声が聞こえて。

「……」

 男たちは目を、そらす。照れ、含羞、そんな感じだった。

 朝っぱらから、少し苛めすぎたかもしれない。

 朝っぱらから、瑞々しい旨みを滴らせたオンナが悪いのかも、しれなかった。

 

 後部座席のドアが再び、開いたのは四時間後。

 既に陽は昇り、冬の海の寒々しさも、多少は薄れている。

 人気のない岩礁地帯。小潮だが、明るさのおかげでまぁまあ、喰いはいいらしい。

 椅子に座って竿を持つ、男の足元には型のいいサバが、こぼれるほど突っ込まれている。

 その隙間には何匹かのアジも。

 潮騒を聞きながら煙草を吸っていた男は、そっと近づく気配に気づかなかった。

「……啓介は?」

 背後から背中に頬を寄せられて囁かれ、初めて振り向く。驚き、そして眉を寄せた。

「馬鹿。風邪ひくぞ」

 バンから降りて来たオンナは、素足だった。

 それも当然。寝巻き姿のまま、布団ごと拉致したのだから。

 辛うじてコートは羽織っている。天候の変化に備えて持って来ていたレインコート兼用の、足元まで隠れるトレンチを。その下はパジャマのまま。

「バンの中、入ってろ。起きてるんならエンジンかけて、暖房いれてな」

「……」

 オンナは言うことをきかなかった。男の背中に寄り添ったまま動かない。男は二度、同じことは言わなかった。

 代わりに、オンナの腕を引いて身体の前に、来らせる。

 内側が起毛の防寒コートの、前を開いて、オンナを中に包んだ。コートと、そして腕の中に。

「ゆっくり眠ったか?」

「……あぁ」

「そりゃよかったな」

 膝の上に座らせる格好で、男はオンナの冷えた素足を、足元に置いていた湯たんぽの上に乗せる。暖かさにほっとしたのか、オンナは表情を緩め、

「啓介は?」

 もう一度、尋ねた。

「岸壁の方でまだ、サバを頑張ってる」

 寒サバはけっこう引きがいいから、ぐいぐいやりあうのが楽しいらしい。帰ったら、開いて塩を当てて一夜干しでも作らなきゃ食べきれないぜ。そう答える男の手には、先調子の細い竿。

「こっちはハゼ釣ってんだ。今の時期のは、美味いぜ」

 そう言う間にも竿先にかすかな魚信があって、男はさっと手首を返す。ピッと海面を弾いて海底から、跳ねる姿で飛び上がったのは、ゲタハゼ、オチハゼと呼ばれる大型の、それ。

 尺ハゼ、とも呼ぶ。その名の通り一尺、約30センチ近くある。頭部と尾の占める割合が高い魚だが、それでも十分、食べ応えのある大きさ。

「今夜は、海魚で晩酌だ」

「……」

 オンナは答えず、目を閉じる。

「干しておきゃ、いいダシが出る。雑煮に使える。……昔、江戸城の雑煮は、元旦が鴨で二日目はハゼだったんだぜ。知ってるか?」

 ゆるく、頭を左右に振って。

「……京一」

 名前を呼ばれた男は、ひどく優しい顔をして、

「ん?」

 なんだと、尋ねたが。

「……なんでもない」

 オンナは、先を言わなかった。

 

 

 ハゼは薄味で、あっさり煮付けられた。

 姿ごと、丸のまま。

真子や白子を腹中に、はちきれるほど持ったハゼの腹中には汚物は殆どなく、頭も中骨も、驚くほど柔らかい。骨というよりゼラチン質の、コリコリした味わいで、尾さきまでそのまま、食べられる。

「アニキ、ほらこっちも」

 俺が釣ったんだぜ、と差し出されるのはサバの焼き物。

 真っ白な身には青魚の臭みなど少しもなく、ぷりぷりに脂がのって、身が締まっていて、美味い。

 しこしこの歯ざわり。

 その夜の男たちは、あまり酒を呑まなかった。魚があんまり美味かったからだ。

 釣り魚は編み漁のとは、鮮度も身崩れも、比べ物にならない。

 海中で泳いでいたピチピチを、ヒュッと引き揚げて食べることは、釣りをする人間とその食卓しか、味わえない贅沢。

 冬の夜が、更けていく。

 静かに。