初冠(ういかぶり)

 

 冬は、辛い。
 冬は、辛い。
 外でたむろするのがキツイから。
 学校にも家にも居場所がなくって、否応なく吐き出され流れ着く夜の街。金がないから店にも入れず路上や公園に群れる。同じ状況の寂しいガキの集まり。身体は十分すぎるほど育って、抱き締め庇護する側に立たされるのに、気持ちはまだ、抱かれて護られたがる落差の中で、苦しみのたうち、すさんで荒れ狂う。
 もちろん俺もその一人。だけど俺には一つだけ救いがあった。既に家とはいえないくらい広い、冷たい場所でそれでも、待っててくれるヒトがいるってこと。優しく絡むそのヒトの腕が俺を、寒い寂しい場所から引き戻した。仲間を置いて、俺だけが、ゆっくり救われて回遊を止めて掬い取られる。暖かなリビングに。
「……どうした?」
 夕食を終えて、なんとなくつけてたTVの画面ではなく彼を、じっと眺める俺に、彼はゆっくり笑いかけた。
「外、寒そうだなって思って」
 それは、彼にみとれていた理由にはならなかったけど。
「そうだな、冷えてる。風が強そうだ」
 追求せずに頷いた後で、彼はふっと、不安そうな顔。
「……どこか、行くのか?」
「まさか、なんで?」
「そんな顔してたから」
「行かねぇよ」
 言って、彼に腕を、伸ばす。
「……」
 大人しく彼は俺に引き寄せられて目を閉じた。きれいなこの人の、優しさにつけこんで、抱いた。実のアニキを、犯した。俺を棄てきれない愛情を利用して俺のものにした。以来、俺は居場所に不自由しなくなった。俺のオンナが居るこの家をようやく、俺は自分の居場所だと思えた。
「上、行こう」
 言うと少しだけ、腕の中で戸惑う。嫌がってるんじゃないのが分かったから待った。外が暗くて吹雪いてるから深夜みたいだけど、時計の針はまだ七時を過ぎたばかり。両親のどちらかが帰って来ることを彼は恐れてる。こんな時間では、寝たふりをすることも出来ない。
「行こうぜ。寒いから。……な?」
 鼻先を、彼の肩に擦り付けてねだる。後ろ頭を優しく撫でてくれて、彼は立ち上がる。抱いた腕を、俺は離さなかった。身体をぴったり合わせたままで、俺たちは二階の、完全に俺たちだけの世界に篭る。彼の部屋、彼のベッドの上。セントラルヒーティングで快適に調整された室温。それでもキスを交わしながら服を脱がせると、彼はふるっとみじろいだ。
「寒い?」
 尋ねて、抱き締める。少しと笑ってその後は、自分で脱いでくれた。
「どしたの。積極的じゃん」
 嬉しくなって抱き締める。きゅうきゅうに抱きながらベッドの上を左右に転がった。ガキの頃、そうやってじゃれていたみたいに。
「お前が」
「ん?」
「外に行かないように」
 長い睫を間近で瞬かれ、ずきっと、下腹に走る衝動。
「家に居ろよ。……寒いから」
「なに言ってんの、当たり前だろ。朝まで抱くよ、あんたを」
「……なら、いい」
 ぎゅっと、彼からも抱いてくれて。
「冬、嫌いなんだ。寒いから」
「そう?あんたってどっちかってーと、暑い方が苦手じゃん」
「お前が」
「俺?」
「寒いの嫌いな、くせに」
「うん。だいっきらい」
「帰ってこないたびに……」
 心配だったとか、そんなうざったいことを言葉にはしない人。けど言葉にしなくっても伝わる。俺には、よく分かる。優しい、俺にだけ底なしに甘くって優しい、俺の……。
「行かねぇよ」
 安心させるために俺も、さっさと服を脱ぐ。待ってる彼の、上に重なる。可愛い、いとしい、俺の、あんたが、大好き。
「……ん、ン……」
 ゆっくり愛した。丁寧に。髪をすいて唇を重ねて。喉を撫で胸元は、特に長く。唇と膝を震わせて、赤い実を齧られることに耐えていた彼がとうとう待ちきれず、自分から俺に、腰を擦り付けてくるまで。
 少しだけ焦らすと、彼は自分で下を慰めようとする。それはさせなかった。手指をはがして俺の背中にまわさせる。包まれる感触を半端に与えられた彼の、ソレが。
「けい、すけ……」
 震えて、透明な雫をこぼす。
「……して、なぁ。意地悪するなよ。……シテ」
 珍しく、あんまり可愛く、素直に強請るから。
「んー」
 ますます可愛がってやりたくなる。ちょっと苛めてやった方が、この人は、実は、イイ。
 生返事を返すだけで、胸から離れない俺の頭を、彼はとうとう、力ずくではがした。わざと剥がされながら俺は、タイミングをきちんと計って、こりこりに固まった実を歯で、挟んだから。
「あ……ッ」
 しごかれる刺激に彼が身体を竦めた瞬間を。
「ひ……、ん」
 逃さずナカに、指をいれた。
「あ……、んっ、く……、ん、んーッ」
 焦らした代償に、たっぷり舐めてやる。こぼれる唾液と粘液で後ろのナカもかき回しながら。
「けぇ……、す、け」
「もういい?」
「ん……」
「力、ぬいてろよ?」
 言って腰を引き寄せる。性急な動きになって、言葉ほど余裕がないのが彼にばれなかったかと、少し不安だった。
「ん、……ッ、あ、ッ……」
「あっ……、たけー」
「っあ、……、っふ」
「あんたんナカ、すげー、あったけぇの。……キモチイー」
 挿入は一気に。宥めるのはその後。ぎゅうっと抱き締めて、
「……スキ」
 囁く。正直な告白。
「やらかくってさぁ、……、ダイスキ。すっげーイイの。うっそみて……」
 のたうつ身体は抱き締めているのが難しかった。のけぞった胸元がまるで、差し出されたみたいに見えたから。
「ヒ、く……、うぁ……」
 頬を寄せて愛してやると、ひくひく、なかが蠢いて、悦ぶ。
「どったの?ナンか……」
「……言う、な」
「すっげー今日、あんた」
「言うな……、分かってるから」
「うん……」
 抱き締める。抱き締められる。
 俺がこの人を離したくないように、この人も。
 決して俺を離さないことを、心の中で、ちゃんと知っていた。

 翌朝、物音で目覚める。
「……アニキ?」
 冬の朝は暗い。とくに天気が悪い日は。うすぐらい部屋で彼が、そっと着替えている。
「ごめん。起したか」
「ナニやってんだよ。来いよ……」
 布団の片端を捲って上げてやる。彼は大人しく近づいたが、俺にキスしてくれただけで離れた。
「……あれ」
 俺が間抜けな声を上げたのは、離れ際に触れた生地が。
「着物……、あ、そっか。今日、成人式かよ……。行くの?」
「一応な。けじめだから」
「真面目だよな、あんた。俺なんかたぶん、出ないぜ」
「俺も、本当は面倒くさいけどな」
「明り、つけていーぜ。着にくいだろ」
「……悪いな」
 天井のライトが点くと、薄暗かった部屋にいきなり色彩が蘇る。機能的を通り越して無愛想なほど片付けられた部屋の中央で、羽織袴に袖を通す人。ガキの頃は厳しい祖父母が生きていて、問答無用で正月には着せられていた。動きにくい着慣れない衣装に苦しめられたのがトラウマになってて、俺はもう、一生、着物は着ないと決めてる。けど。
 彼が着るのを見るのはスキだった。小袖に細帯、その上から袴。袴の紐を結んで、その格好で、ベッドに腰かける。
「今夜、遅くなるかもしれない」
「……早く帰って来いよ、なるべく」
「分かった。なるべくな」
 俺の言葉に彼は逆らわない。
「なんか集まりがあるわけ?」
「結婚するんだそうだ。高校の時の担任が。それで、クラスでな」
「お坊ちゃん学校だねぇ。センセェ結婚オメデトゥってか」
 イヤミを言ってみたが、
「……なるべく早く、帰るよ」
 寂しがっていることが、彼にはお見通しだった。
「何時から、行くの」
 羽織をまだ着ないから、時間があるのだろうと思った。
「八時」
「誰か迎えに来んの?それじゃ車、運転できねぇだろ」
「いや。タクシーを頼んでる」
「ふぅん」
 そこへ。
 いつもそうだが唐突に、鳴り響く電話の音。
 携帯じゃない家の方。咄嗟に立ち上がった彼の動きが不自然で、おれはピンと、きた。
 おれにまずい、隠し事をしている動きだった。
 電話をとろうとする人を押さえ込む。無理な力に、掌の下で絹が鳴く。裸のまんま、机の横の外線を手に取る。
「啓介ッ」
 マジで慌てる彼の声を聞きながら、
「はい……、高橋です」
 せいぜい、真面目に聞こえるように、受話器に向かって声を出す。
『あたしよ……』
 女の声だった。そんなこったろうと思った。顔色を変えた彼を眺めながら、
『ホントに着物、きてくれた……?』
 絡み付くような、キモチ悪ィ女の舌に耳元を嘗め回されるみたいな、声音。
「……」
『約束よ。あのホテルネェ……。絶対に、着てヨ……』
「……誰が」
 お前に渡すかよ。そんな気分で言うと、
『ナァニ、いいのぉ?言うわよぉ、ご両親にィ……』
 女が酔っているらしいことにその時、ようやく気がついた。
『高橋君がぁ、アタシとぉ……、ガッコのセンセーとぉ、エッチ……、してたって』
「好きにしろ。淫行罪はそっちだ」
『……ひどぉいぃー』
 女が泣き出す。泣き声は、悪くはなかった。
『会いたいだけよぉ、最後にぃー、結婚、してとかぁ、言ってないじゃないぃ……』
「あばよ」
 言って、電話を切って向き直る。俯いて目をそらしていた彼が、
「ナニ、今の」
 俺に追及されてようやく、覚悟を決めた顔で視線を戻す。
「……助かった」
「今のなにかって聞いてんの」
「マリッジブルーらしくってな。大学の前で待ち伏せ、されたり」
「結婚するっていう、担任の女かよ」
「困ってたんだ。助かった」
「俺をだまして、女と寝に行くつもりだったわけ」
「最後にって、言われたから」
「バカか、あんた」
「……少しな」
 苦笑する彼は、覚悟ついでの自棄じみて、
「頼みがある」
 いきなりそんなことを言い出す。
「取り戻してきてくれないか、写真」
「写真?なんの」
「俺の、裸」
「……あ?」
「撮られていた、らしい。俺も知らなかった」
 着ろよ寒いだろう、と、差し出される銀白色の羽織。乱暴に受け取り袖を通しながら、ベッドに腰かけたかれをそのまま、シーツにおしたおす。
 抵抗はされなかった。
「高校の頃の話だ。……ガキだったさ、俺も」
「寝たんだよな、その、担任と」
「彼女の部屋で眠っちまって、その時に」
「ほんっとーに、バカだな、あんた」
 噛み付く。愚かな言葉をつむぐ唇に。
「会ってくれないと撒くって言われたんだ。その、写真」
「脅迫じゃネェか。なんで訴えなかった」
「……」
「なに大人しく脅されてたのさ。あんたらしくもない」
「……」
「未練でもあったの、その女に」
「まさか。そんなことはない」
「言う事きいてやるつもりだったんだろ。俺をだまして」
「悪い人じゃないんだ。俺に優しくしてくれたよ。……昔」
「もしかしてそいつが、あんたの初めて?」
「そう」
「……ふぅん。幾つんとき」
「十六」
 平静でいられたのは、そこまでだった。
 袴の細紐を解いて剥ぎ取る。女にこうさせる為に、着たのかと思うとむちゃくちゃにムカついた。細帯で腕ごとしばって裾をまくり、下着をつけていなかった狭間に、つきたてる。途中、彼が予約していたタクシーが呼び鈴を鳴らしたが、俺も彼も、それどころではなかった。
「昨夜、優しかったのはだからかよ。……罪悪感?」
「……、ち、がう」
「俺がこんなに愛してんのに、足りない?」
「、がう……、お前、に」
「俺に、ナニ」
 知られたくなかったのだと、泣き声で訴える。それを嘘とは思わなかったけど。
「ひらけよ。脚、もっと」
 言うと不自由な格好で、言うとおりにいる人が、憎い。
「取り戻してやるさ、写真。……したら、あんた」
「……ッ、」
「同じカッコウで撮らせろよ、俺に。いいな?」
 頷いたのを、確かめてぶちぬく。
 嫉妬している自覚はあった。彼の素肌に、初めて触れた女に。

 それから。
 三日もたたない日。
「アニキ、これ」
 差し出した写真を見て、彼は表情を凍らせた。
「脅しだったよ、あんたの写真は、なかった」
「……啓介」
「そうとう無茶して聞いたから、ホントだと思うぜ」
「お前、こんな真似をして」
「いーザマだろ?あんたのこと、脅したりする女には似合いさ」
「訴えられたらどうする」
「だからラブホで撮ったんだ。尋常に部屋入った後で強姦罪にはなんねーの」
「よくまぁ……、お前も、彼女も……」
 結婚を前にした女。不安定なのは本当だったらしい。さほど手間もかけずに、オチタ。
 最後の言葉を彼は言わなかった。褒め言葉じゃないのは分かっていたけど、俺は構わなかった。これで彼の心から、初めての女の影を消せた自信があったから。ごく簡単に初対面の俺とラブホに入るような女。そんな女をいい思い出しとくほど、彼も甘ったるくはないから。
「聞いたぜ。あんたのはじめての時の話。女の身体に初めて触るって言いながらキスしたって?色が白くてほそくって、すっげー美少年だったって、言ってた」
「……」
 無言で写真を俺に戻して、彼は部屋を出て行く。ドアが閉まって、足音が聞こえなくなった後で。
「……羨ましかったよ、あの女」
 彼にはいえなかった言葉を呟く。
「十六の、あんたの裸を知ってると思ったら、脳みそかきまわしてぐちゃぐちゃにしてやりたかったよ」
 代わりに身体を、むちゃくちゃにして写真をとったけど。
「中坊の頃かよ、俺が。……ふらふらしてんじゃなかった。ずーっとあんたに張り付いてりゃよかった」
 いまさらもう、取り戻しようのない後悔。
「……チクショウ」
 喉が疼くほど深刻な嫉妬。胸が酸っぱく妬きつくそれは、俺がはじめて、知った味。