うさうさ物語・28 早番だった俺はその日、夕飯食わせてもらうなり、布団部屋に潜り込んで、寝た。 ただでさえ朝の早い旅館、それも繁忙期の早番の、起床は午前四時だ。はっきり言って、眠かった。 ここのバイトたちは殆ど、普段は大学に行ってる学生ばっかりで泊り込みは、俺ともう一人しか居ない。 学生達は遅番が多く、その夜、寝部屋にはまだ、俺しか居なかった。 こき使われて疲れ果て、枕抱えてぐーぐー寝ていたが。 「……啓介」  バチッと暗闇で、俺は目を開く。死んだみたいに眠っていても、この声は間違えない。 0.01秒で目覚めた俺は、0.5秒で飛び起きて、次の瞬間、襖を開けていた。 「なに、アニキ、どったの?」  どうしても何もない。はっきり言って、俺は踊ってた。これは夜這いだ。やったぜ、俺!  この部屋はヤバイから、彼の離れに行かなきゃ。早手間にそう算段する。 明日は遅番で、餅つきの時間に起きればいいって言われてたから、時間はたっぷりある。  でも、そんな不埒な考えは。 「……啓介……」  襖の向うに立ってた人の表情を見るなり消えうせる。  旅館の冬用の着物を着て、丹前を羽織った人は。 「ど……、ったの、アニキ」  泣きそうに、悲しい顔を、してた。 「うさぎが」 「あいつが、ナニ。ビョウキ?」  だとしたら、忌々しいが須藤に車を借りて、ふもとの市街地の獣医をたたき起こさなきゃ。 「帰ってこないんだ……」  この世の終わりみたいに、彼は言って。  俺の胸に、顔を寄せる仕草をした。  もちろん、ぎゅーっと抱き締めて。 「……、迷子?」  布団部屋に引き込む。後ろ手に襖を閉めて、俺はともかく、彼を、俺が寝ていた布団の上に座らせた。 明りはつけないままで。そして手探りで押入れの、積み上げられた布団の隙間からスノコを引っ張り出して、襖の桟に挟んだ。 ちょうどよく収まった。これでもう、襖はあかない。おし、準備完了。  彼が、頭をヨコに振る。 「うさぎ小屋の昔の仲間に会いに行ったんだろ?それから、居ないの?」  準備完了して落ち着いてみると、俺もうさぎが心配になってきた。  昼間、昼飯の給仕をしながら、聞いた話だった。  うん、と彼が頷いて。 「暗くなったからさっき、迎えに行ったんだけど……」 「うさぎ居なかったのかよ。脱走か?」 「居たよ。眠ってた。仲間のうさぎに埋もれるみたいに。 俺が電気つけたら仲間のうさぎたちが、庇うみたいに、うちのうさぎを囲んだんだ……」  それが悲しくて、あんたそんな、泣きそうな顔、してんの? 「やっぱり、仲間と一緒がいいのかな……?」 「絶対違うと思うぜ、それ。うちのうさぎは寝てたんだろ?起きなかったんだろ?」 「あぁ」 「起きてたら、あんたが迎えに行きゃ飛びついたさ。……立てよ」  俺はさっき、仕掛けたすのこのつっかい棒を桟から取り出して襖をあける。 「ほら、上着」  とりあえず俺のコートを着せて、俺は違うジャケットを、寝巻きの上に、羽織る。 「うさぎだって今ごろ、目覚めて泣いてんじゃねーの?あいつのことだからさ、 『どーちて迎えに来てくれないんでしかぁ〜』とかって」  俺の口真似に、彼がくすっと笑う。 「ほら、行こう」  裏庭に面した縁に、置かれた下駄を突っかけて、彼の手を引いて俺は、闇の中を歩く。  暫く、進むと。  軽い足音が、聞こえてきた。 「……うさぎ?」  道の向こう側から聞こえる音がなんとなく、そんな感じがして声をかけた。 「うさぎじゃないか?」  闇をすかすと、やっぱりそうだ。白い毛の塊がこっちに駆けて来る。 「ほら、アニキ、うさだって、やっぱ……」  やっぱり、あんたの膝がいいんだよ。俺と同じで。  そんな風に、言うつもりだったのだが。 「……アイテッ」  それどころじゃなかった。  うさぎを抱きとめようとして、屈んだ俺の、膝から肩に、一気に駆け上がったうさぎは。 「てめ……、よくも……ッ」  俺の頭の上に乗るなり、後ろに居る彼の胸元めがけて、跳ねた。  駆け上がる台にされた俺は当然、蹴りつけられたも同然で。 「いてぇだろーが、オイッ」  苦情を言う俺を無視して。 「お帰り、うさぎ」  うさぎは、彼の胸元に顔を、耳を、擦り付けている。  うさぎは何かを謝るように、一生懸命、彼の口元を嘗め回した。 「違うよ。怒ってるもんか。うさぎがあんまりよく眠ってたから、一度かえっただけさ。 そろそろ起きたかと思ってもう一度、迎えに行く途中だったんだ」  寒いだろうからお入り。着物の胸を開いて、彼が優しくうさぎに言う。 うさぎは喜んで飛び込む。勢い余って逆さになったそれを、彼がくりんと、もとに戻してやる。 「よしよし。一緒に帰ろうな。夜ご飯は、食べたか?」  ううん、と、うさぎは首を横に振る。 多分目覚めて、仲間のうさぎたちから彼が迎えに来たのに帰ったことを聞いて、一目散に駆けてきたのだろう。 「お腹すいただろう、それじゃ。夜食を頼んであげよう」 「はい」  片手を上げて、俺もと強請る。 「お腹すきました。夜食、食べたいです」 「……厨房で、なにか食べさせてもらえばいいだろ」  あ。  可愛くない。  さっきまで、泣きそうな顔ですがりついてきたくせに。  んでも。  泣きそうに不安で縋られるより、強気にうそぶく美貌の方が。  スキなのだから、俺は終わってる。 「下働きにそんな贅沢、許されません」  ウソだった。  ここの旅館の厨房は、客用と従業員用と別になっていて、従業員の食事は早番・遅番があるから五食、 係りのオバサンが作ってくれる。 簡単な惣菜料理だが材料が、客に出した刺身の残りのアラの煮つけだったり、 さくどりした後の白身の塩焼きだったりして、実に美味い。  鍋の中には、いつも煮物が残ってて、漬物、ふりかけなんかは常備してある。  腹が減ったら喰い放題、マンプクするまで、お櫃をあけて勝手に喰っていい。 「漬物とお茶漬けだけでフラフラになるまで、働かされてます」  大嘘のハッタリをかますと、彼が少し、不安な顔をして。 「……身体に悪いぞ?」 「だから、夜食」 「分かった。離れに来い」  よし、やった!  そう、俺は握りこぶしをぎゅっとして、彼の後からついていく。  途中、抱かれたうさぎと、彼の肩越しに目ガあった。  俺は、指を三本、突き出した。  賄賂の額だ。300ドル。  うさぎがふいっとヨコを向く。  そのまま、彼の耳元に、何か告げようとしたから。 「……札幌行かねぇ?」  俺はとっさに口にした。彼ではなくて、うさぎに向けて。  なにをいきなり、という表情で彼が振り向く。 「いや、そいつが丸耳うさぎに会いたいんじゃないかと思って」  北海道の札幌で飼われてる、うちのうさぎの婚約者。  なきうさぎ、って種類らしい、丸耳のかわいいの、だった。 「連れて行ってやろーかな、って。ついでに俺達も、魚くおーぜ、サカナ!」 「……考えておく」  彼が答えて。  うさぎは鷹揚に耳を揺らした。よろちぃ、黙っててあげまし。そんな風に、見えた。  足もと見られよーが、部屋に入ったらこっちのもんだぜ。  夜食のついでに、彼にも飲ませて。もちろんうさぎにも。  酔わせちまえば、こっちのもんだ。  薄闇の中、前を歩く彼の、白い襟足や、裾からチラチラ見える足首。  そんなのに、目眩に似た、餓えを感じながら、俺はヒツジの素振りで大人しくついて、歩いた。  翌日。  竈のある、くどと呼ばれる土間ので。 「ほらよ」  須藤京一が俺に、そう言って渡したのは木作りの、大きな四角い蒸し器。ばかでかい蒸篭。 それを、指示されるままに大釜の上に乗せる。 竈には昨日の大掃除で集められた枯れ枝や枯れ竹がぼぅぼうに燃えている。 蒸し器の中にさらし木綿を敷いて吸水させたもち米を均して置き、そしてまた、蒸篭を重ねていく。 「ふらつくな。怪我するぜ。……ま、茶漬けと漬物しか食わせてねぇからしょーがねぇ、か?」  須藤の言葉を俺は黙殺する。うさぎめ、喋りやがったな。  それでもまぁ、アニキじゃないのは助かったが。  ふらつくなって言われたって、スキでフラフラしてる訳じゃねぇ。 頑張った翌朝、腰が落ち着かないのは男ならしょーがない事だ。回数こなそーが年とろーが、こればっかりは、しょーがねぇ。 「しっかりしろ。お前が居るから今年は、客に持って帰ってもらう小餅まで搗くって、姉貴が張り切ってんだ」  須藤は蔵から転がしてきた石臼を、ホースの水で洗い出す。 一応は被用者として、水樽に浸けられた杵を洗って手伝うフリを、していたら。 「ほら、志帆ちゃん、うさぎ。餅搗きが始まるよ」  ら……。 「わぁーい。志保ねぇ、黄な粉餅がダイスキ。センセにも、作って食べさせてあげるね?」  十歳くらいのカワイイコが、丸盆に箸と、黄な粉とか砂糖とか醤油とか海苔とか、 小皿とか箸とかを持って彼に、手を引かれてくる。彼の肩には、うさぎも乗っていた。 そいつが丸いシッポをふりふりと、揺らす。 「うさぎさんにも、ちゃんと作ってあげる。センセとうさぎさん、餅つき、初めて?」 「うん。見るのも初めてだ」 「搗きたてのお餅、とっても美味しいんだよ。餅つき機でつくったのはゼンゼン、違うの。 機械でついたのはしょうけに取るとだらーん、って流れちゃうけど、杵でついたのは丸まま、ぷりんってなってるの」 「それは楽しみだな」  ……しょうけ、って、ナンだ……?  無言のまま須藤を見ると、須藤も無言のままで縁側の一角を指差す。 竹で細かく編まれた平べったい、丸盆のオバケみたいなのが積み重ねてある。 薄く粉が拡げてあるのは餅がくっつかないようにだろう。  それはいいんだが。  何だよ、その、数。  ざっと数えて、一抱えあるのが二十以上、積んである。 「京ちゃんね、お餅つくの、とっても上手なの! 近所の人も、うちのが一番、キメが細かくて美味しいって、わざわざ分けてもらいに来るくらいだもん。 センセに、すっごく美味しいの食べさせてあげる」  力があって丁寧だから、ホントに美味しいの、と、須藤にとっては姪に当たる女の子は叔父さんを褒めあげて。 「だろうね。でも、うちの啓介も、けっこう力は強いよ。勘もいいし」  ……ちょ、待って。  いやあの、嬉しいんだけどさ、そー言ってくれるのは。  いつもなら、あんたがそう言うなら、こいつに負けないようにナンでも踏ん張るけど。  ちょっと、今日、腰使って踏ん張るのは……、ちょっと……。 「えー、でも絶対、京ちゃんの方が上手いよぉ!」 「上手いだろうけど、啓介だって負けないよ」  ちょ……、ま……。 「じゃあ競争!どっちが美味しいか」 「いいよ」 「わぁーい!」  ビジンのオンナと、カワイイ女の子と、食い意地の張ったうさぎに縁から見学、されながら。 「おい……、はじめるぞ」  蒸されたもち米が、くどから運ばれる。 手を洗って用意されてた杯の酒を、パッと頭から被って清めて、須藤は杵を、握って臼の前に立つ。  俺も仕草を真似ながら。  人生最大の、窮地にたった気がした。  横目で見ると、彼はにこにこ、笑ってこっちを見てる。  目は、でも、笑っていなかった。  ……夕べ。  泣き出しても離さなかったのを、怒ってる目だった。 うさうさ物語番外編・啓介の12/28