うさうさ物語・秋の訪れ
シーズンも終了、まったりとした一日。
冬には新マシンとシステム開発の本拠地となる古城、の、従業員用宿舎の建物のほぼ真ん中。寒気を防ぐためにぶあつい石の壁に囲われた空間の中、和風にいえば二十畳はありそうなリビングに、F1チームの首脳スタッフたちは終結していた。
「涼介、すまない。そこのMOとってくれるか」
開発責任者にして古城の持ち主、フランツ・ハイネルはまだ到着しておらず、器材をセットしたりパソコンの中に今年のデータを移したりしている状態。室内にはパチパチという音がリズミカルに響く。響きは三重奏。その部屋でキーボードを叩いているのは、高橋涼介とその補佐役の史裕、そして須藤京一。
「ほら」
「ありがとう」
パソコンの中にシステムを移していた涼介は、手元の棚からMOを取って史裕に手渡す。記憶媒体はもっとコンパクトなものもあるが、チームにの内規としデータの記憶にはMOを使っている。コンパクトでないこと、読み取りに別機器が必要なことがその理由だ。情報漏えいを防ぐためである・
カタカタ、隣のプリンターが動いて、図面の印刷された紙が吐き出される。
「……」
京一は言われる前に数枚のコピー用紙を手にとり、立って史裕のもとへ持っていく。
「ありがとう、須藤」
礼儀正しく礼を言い史裕はそれを受け取った。パチパチ、また暫く、キーを打つ音だけが響く。やがて。
「こんちゃーす、コーヒーお持ちしゃっしたー」
ノックとともに開かれるドア。返事を待たなかったことを責めるべきか、ノックしたことをほめるべきか。動きやすいポケットの多いズボンをはき、長袖の、少し古びたセーターを着ている男は今年のF1準優勝のレーサー。年収は億のもうじき二桁。CMの申し込みはひきもきらないが、系列会社に契約を絞っている。
去年はチャンピオンだった。今年は表彰台の一番上を逃した。実力のある中堅に中盤かに勝負運がツキまくり、その勢いに遅れをとってしまった。天候に恵まれず不運も多かったが、去年『より』悪かった事実は変わらない。皆が集まる居間には居づらいらしく地下の酒蔵けん食糧庫の片づけをしている。三時のおやつの時間にはお湯も沸かしてコーヒーを煎れてきた。つまりここでは、そういう身分である。
世間に出れば視線を動かすだけで意を迎えられる立場でも。
「ほら、うさぎ、おまえにも……、って、あれ、うさぎは?」
史裕にトアルコトラジャのブラックを渡しながら、前年度チャンピオンはぐるりと室内を見回す。さっきまで『みんなと一緒でうれちぃな踊り』と称する全力疾走をしていた白くてふわふわの物体が見当たらない。
「ここだ」
史裕が手を上げる。須藤京一にブルーマウンテンとともにガンをつけ無視されていた啓介がそっちを見る。椅子ごとくるり、振り向いた史裕の膝の上には、くるんと丸くなった物体。『寝床』が動いたのにぴくりともせず、寝息をたてている。
「あれ、うさぎ寝てんの?」
「あぁ。疲れたんだろう、きっと」
最後に啓介は兄にコーヒーを渡した。『ブレンド』と言われて悩んだが、キッチンにあった豆を全部まぜて挽いたからブレンドである。兄の注文に懸命に応える男だった。
「つまんねぇの。せっかくケーキ買いに行ったのにさ。ほーら、うさ、起きろよー」
「はは、寝せてやれ啓介」
「秋だ、っていう気がするな」
啓介が麓の街まで買いに行ったベイクドチーズケーキを食べながら、涼介はうさぎをそっと撫でる。うさぎは、眠りながらも、なんとなく嬉しそうな表情。
「うさが丸くなっていると、秋が来た気がする」
「あー、そーいや夏の間は謎のゲル状物体Uだったっけ」
「うさぎが聞いたら怒るぞ、啓介。でも実は俺も、うさがどういう風に伸びであんなに床にペッタンコになれるのか謎だったよ」
夏の間、住んでいた石畳のマンションやホテルのフローリングの上で、うさぎは平べったく伸びて涼んでいた。ゲル状だったという啓介の表現は遠慮をしらないが的確でもある。
「ペッタンコも可愛かったが、丸いのもかわいいな」
ピクン。その言葉にうさぎの背中に伏せられていた耳の先端が反応した。そうして、ひくひく、鼻先が震える。
「あ、起きるか?起きたか?うさぁ、おやつだぞぉー」
啓介がミルクと砂糖を溶かした甘いカフェオレが満たされたデミダスカップをうさぎの鼻先に持っていく。涼介は食べていたチーズケーキを指先に掬って立ち上がりうさぎの口元へ。うさぎは目を閉じたまま、でも顔はそちらへ向けて、口をあける。
「倉庫の片付け終わったから、これ食ったらワインとオリーブの買い付けに行くぜ。うさ、一緒に来るだろ?」
うさぎは片耳を斜めにすることでうなづいた。
口はケーキを食べ、食べ終わった後は涼介の指先を舐めることに忙しかったから。