うさうさの、函館・ひーちゃんを慕う旅行・その2
ホテルを出たのは午後八時ごろ。ぱらぱら降ってくる雨にもメゲず、向かった先はベイサイドの『美食倶楽部』、お目当ては朝市で有名な『きくよ食堂』でし!
この食堂、朝市店は午後の二時くりゃいまでなの。凪しゃんたち、明日は早朝から江差へ出かけるので、朝市には行けないの。よって、函館名物の丼を、ここで食べる、のーっ!
お昼時には待ちが出るという有名店でしが、時間がズレていたおかげですぐに入れまちた。おしぼりでオテテを、フキフキ。凪しゃんは函館巴丼。ウニ・ホタテ・イクラが載っていまし。ウニはお隣のBしゃまに半分あげまちた。
「えっ?ええぇえっ?」
凪しゃんはウニを好きでしが、しょんなに量は食べられないのでし。代わりに紅鮭のハラミの塩焼きを頼みまちた。シーズンだけあって沢山、ちかも、生に塩振って焼いてあるから、
「おいしぃいぃぃー!」
サッポロビールの道内限定、サッポロクラッシックをごくごく、ちながら感涙にむせぶ凪しゃん。同じくBしゃまとFしゃま。やっぱり北国はおいちぃね!
函館といえばイカでしが、イカしゃんはあんまり、うさたちは食べましぇんでちた。だって呼子のイカが獲れるしゅぐそばに住んでるもん。(佐賀の呼子で観光客が食べるイカの殆どは、福岡の神湊沖で獲れたもの)でもでも、鮭やホタテは、南国では高級品だからね!活きの殻つきホタテなんて南国のスーパーで買ったら、二枚で980円は確実にしゅるからね!(でも活けは殆ど見ない)
おいちぃよぉ〜!
うさたちがあまりにも感動にうち震えていたからか、お店のオバチャンが声をかけてくれりまちた。んで、びぃるの肴に、とゆって、鮭の中オチと大根の煮物、枝豆を、うさたちにくれまちた。こりってみんなにサービスなのかなぁ?うさがカワイイからかなぁ?中瓶一本のビィルにこんなおつまみがついてくるなんて、極北は本当に豊かな大地でしぃ〜!
本当に新鮮な魚介は甘いのでし。そりが極北の、きりっとちたお味のお醤油によく合いまし。釜炊きの白いマンマとお口の中で、とろけてゆきましの。おいちぃ〜。
「あぁ、おなかいっぱい!」
Fしゃまがゆいまちた。お昼が残り物のお弁当だったFしゃまは、Bしゃまと凪しいゃんがミニ丼(ご飯の量が少なくて200円引き)を頼んだのに、一人、頑張って普通盛を頼んだのでし。一行の中で一番体重は軽いのに、頑張り屋さんでしい〜。
ぽてぽて、ホテルへ帰りまし。途中、地元で有名な洋食屋しゃんを通りまちた。今上陛下が函館ご来訪のとき、「カレーはないのか」と尋ねられ、急遽、メニューが変更になったというあのお店、でし。陛下ってカレーをお好きなのか、のりぴーから話を聞いて楽しみにちておらりたのか。「○○はないのか」というのは、お立場上ご不自由な方の意思表示としては便利な言葉でし。しょーいえば、昭和天皇の得意技は、「お代わりはあるか」だったしょーでしが。ふきゅ〜。
朝が早かったので、うさと凪しゃんは枕を抱いて、12時ごろ、ねむねむ。んでも、BしゃまとFしゃまはお話しが弾んでまし。う、うさも参加ちたいなぁ。でも明日が早いしなぁ。
「明日、起きないと江差に連れて行かないよ」
はっ!ねむねむと思ってた凪しゃんが、厳しいおかーしゃんのよーな言葉を!お二人はしぶしぶ、明かりを消してネンネしゃれまちた。ご、ごめんね。でも本当に、明日早いから、ね!
おやしゅみ、なしゃーい。すぴ、すぴ。
翌朝、朝食は午前7時から。うさうさ一行は7時ジャストに降りて行きまちた。お寝坊な三人組+一羽でしが、目標があるから頑張りまし。しょう、うさたちの目標、そりは!
『江差の開陽丸に行って土方さんの蝋人形を激写!』
江差、というのは、昔、鰊漁がさかんだった港町、でし。函館からは、JRで三時間ちかく(!)バスで二時間半(!)もかかりまし。ちかも、バスは江差ターミナルにちか止まらないから、しょこから開陽丸までは、タクシーで2000円もかかるって。(!!!!)
ちかも、バスは片道、オトナで1830円!(うさ、シッシン寸前)
しょんなの、うさ、いやいやー!(うさは貧乏でケチンボでし)
なきうさしゃま(うさの婚約者・札幌在住のらぶりぃうさしゃま)、たしけてー!
調べまくって、結論は、「三人居るからレンタカーなら安上がり・時間も短縮」というモノでちた。道路マップによりましと、函館・江差は約80キロ。福岡から玉名までくらいの距離でし。山道とはいえ、一本道の田舎道。ちょろいものでしの。問題は、ドライバーが凪しゃんだという、しょの一点だけ、でし。でも、そりが最大の問題!
ホテルのブッフェの朝食は、まぁ普通でちた。ただ、トーモロコシが甘くて美味しかったデシ。しょちて、うさが我が目を疑ったのは、無造作に並べてある夕張メロン。な。なになに?!極北のシトたちは朝から、メロンを食べてるの?
「皮に筋がありますよー」
「わぁー、本当のメロンだぁー」
南国人たちは感動ちぅ。きっとこの感動は南国人にしか分かってもらえない、でし。相変わらず雨混じりのお天気でしが、うさ一行はメゲずに、マーチ君に乗り込みまし!
「あっち?」
「こっち?」
「どっち?」
「……」
仕方ないでしよ凪しゃん。普段、運転をちない・地図を見慣れないシトにいきなり、市街地地図を与えてナビしろとユってもムリムリでし。
凪しゃんは頑張りまちた。極北の道路は信号が少なく、ちかも青信号ばかりなので地図を開く隙も与えられましぇん。時々見える道路案内図と、方角と、記憶を頼りに頑張りまちた。
「混んでる駅前を通り越したあたりから五号線に合流して、五稜郭公園を右手に通り過ぎたら左・左で、288号線から287に乗り換えて、江差に着いたら海岸ぞいに左折、288に戻って……」
ぶつぶつ、必死にルートを確認しゅる凪しゃんの、背中に決死隊のよーに炎が見えまちた。ふぅ、たかが100キロに満たないドライブで、ちかも極北の走りやすい道なのに、ナニをしょんなに、キアイ入れているんだかぁ〜。
「な、凪さん、がんばって!」
「そうだ、歌います!」
眠気ざましにサムライとルーパーの歌をアカペラで歌いながら、江差へ向かって、ゴゥゴゥ!イナカモノの凪しゃんの前頭葉には方位磁石が埋め込まれていて、なんとか、車は無事に、『江差まで75キロ』の227号線にのりまちた。ヨカッタ!ちかち、前を走るでかい貨物トラックが邪魔でしねぇ〜。ん?『環境に優しい、JRコンテナ輸送』って書いてある。でも、しょのコンテナを、トラックで運んでるヨ?こりが環境に優しいの?ホントに?
「ナンでトラックがJRコンテナ運んでるんでしょう」
「たぶん、函館過ぎたらJRの線路が、すんごいことになるからじゃ。海岸ぞいの遠回りだし」
「ディーゼルで海沿いの線路を走るより山越えした方が速くて確実でしょうね」
「でも嘘つきだー!」
なんて騒いでいたら、うきゅん!
ちょっと、まって!ナニ、重そうなコンテナ積んでるくせに、ナンでこんなに早いのー!
マーチしゃんはよいお車でし。特に新型はいにしえのミニクーペにも似て、羊の外見にオオカミの心臓、三人乗っているのに山道を、素晴らしくスムーズに加速していきまし。登坂車線のあるのぼり道もすーいすい!が、ちかち!
「……すいません、後ろパスします……」
凪しゃんがナキゴトをユったのは、山中に入って20分後、くらいでちた。
「わたしチキン(臆病者)だから、一般道で80キロ以上は出せません……」
30キロ以上オーバーは、青切符じゃなくて赤切符でしの。ちかも山道、路面は濡れていまし。う、うさうさも、生きてにぃにぃのお胸に帰らなきゃならないから、そりでいいでしよ!
サクランボ色のマーチは退避線に拠りまちた。横をしゅびーん!と、大型や軽が走り抜けて行きまし。待避線から出た凪しゃんは、あっという間においていかれまちた。でも。
「75キロは出してるんですけど……」
「あの車たち、いったい?!」
「こ、高速道路並み!」
「まあ北海道だから……?!」
などとゆいつつ、それでも頑張って、江差の開陽丸にたどり着いたのは9時20分ごろ。ぼんやりちていたら通り過ぎちゃって、戻ってきたので20分はタイムロスしていまし。そりを考えると、片道約、一時間と20分。凪しゃんにちてはまぁまぁ頑張りまちた。
「わぁーい、ひーちゃんの船だぁーっ!」
みんなで開陽丸に向かいまし。途中の通路に開陽丸関係者のお写真がずらーっと並べてありまし。ひーちゃんがズバ抜けて色男なのは言うまでもありましぇん。そもそもひーちゃんがこんなにハンサムでなければ、南国・福岡からこんな北国まで、わざわざ会いには来ていないでしのー!
本物の開陽丸は江差の沖合いで座礁ちて沈んでまし。このお船はバブルの時代、オランダに残っていた設計図をモトに再建さりたモノ、でし。正式名称は『開陽丸青少年センター』どこが青少年なのかは分かりませんが、たぶん、税金を突っ込んだからでしょう。血税をムダに使った言い訳がほの見えまし。
お船の中は、博物館みたい。入場チケットを買って、窓口のシトにこんにちは、ちて、突撃ぃ!いきかなりハンモックでネンネしゅる兵卒しゃんたち。蝋人形が、ナンかリアルなんでしが。
「あれ、これ、寝ていいのかな?」
「靴を脱いで、って書いてあるから、いいんじゃ?」
開陽丸は面白かったでし。体験型というか、展示の多くに、ぺたぺた触れまちた。「触らないで」と唯一、書いてあった、海中から陸揚げされた砲弾には、「手が汚れます」という添え書き。しょ、しょうでしか。危険だからではなく、手が汚れるから触らないで、でしか……。(うさうさ、感心)
小雨にめげず、甲板にも出て舵に触りまちた。きっとひーちゃんはお船には素人だから触らせてもらえなかった筈でし。水中から引き揚げられた遺物がいっぱい展示ちてありました。
「確かS&Wがあるハズ……」
凪しゃんがリボルバーの前で立ち止まりまし。海中に長年、沈んでいたにもかかわらず、ちゃんとありまちた。刀の象嵌のうさ飾りもあったよ!
台風が近づく強風の雨模様の中、船内は殆ど、うさたちの貸切でちた。撮影も自由でホントに楽しかったなぁ。ジオラマ人形で、開陽丸が沈んだとき、ひーちゃんが口惜しさにパンチちたという松の模型もちゃんとありまちた。釜しゃん、無念じゃのぉ、ってユったという、ひーちゃん。
この時は、もう、近藤しゃんも沖田しゃんも、齋藤しゃんも山崎しゃんも、そばには居なかったけど。
新撰組の生き残りを最後まで率いて、自分の一本を通すためにまっすぐ、こんなトコロまで、頑張っていたんでしのネ……。
ちょっとしんみりとちた、うさ。見るところがいっぱいで、たっぷり一時間以上、楽しみまくりまちた。しょんでシメは、入り口の横にあった、コスプレ衣装、でし。
『一着200円』
という表示に、やっすーい、と、BしゃまFしゃまは感動ちておらりまちた。う、うさうさはお洒落と縁遠く暮らしてるからよく分からないんだけど、しょうなの?
「普通1000円くらいするんですよ」
「あのっ、お金、ここでいいんですかッ?」
お二人は元気よく、入り口のおじしゃまにお尋ね。おじしゃまは、優しく笑って、
「着てみたいの?お金はいいよ。外には出ないでね」
優しくユってくりまちた。えっ、ホント?!うさがカワイイから?!
きゃうきゃう、お着替え、お着替え〜。新撰組の衣装がありまちたよ!
「袴は穿けないですから、とりあえず着流しにして、羽織を……」
誰も信じてくりましぇんが、凪しゃんはかつて、アパレル業界で店長を何年もちてまちた。関連会社の和服も展示会で売ってまちた。
Bしゃまに着流しでだんだら羽織を着せていたら、入り口のおじしゃまが、
「コレも使いなさい」
とユって、刀を貸してくりまちた。お、重いでしぃ〜!刃びきだから銃刀法違反じゃないけど、ちゃんと、二尺三寸五分の金属の刀身がありまちた!
「掌はこう、刃を上に持って」
おしゃれはよく分からないけど、武器には妙に詳しい凪しゃんが刀のもち方を指示ちて、はい、撮影タイムでしぃ〜。Bしゃま、凛々しい!市村鉄之助しゃん(ひーちゃんのお小姓・実在の人物・エッチはちなかったらしい)みたいでしぃ〜!Fしゃまは愛らしいでしの〜。
撮影ちたお写真は、まだBしゃまのカメラの中に眠ってまし。しょのうち、目線隠しでアップできるとよいな♪
「楽しかったねー!」
言い交わしつつ、お車へ。11時過ぎ、くりゃいでごじゃいまちた。おぅ、予定ぴったぁり!よかったぁ〜!即座にお車で函館へ向かって、ごぅごぅ、このために、お車を借りたんてしの〜!
「あぁ、この道は、あちこち古戦場ですね」
「松前城を落としてから五稜郭に向かったんでしたっけ。こっちの山道とおったのは大鳥圭介で、ひーちゃんはたしか、海岸沿いのルートだったと思いますが」
「でも開陽丸の座礁を聞いて駆けつけたのはこっちだったかもしれない」
「きっとはらわた煮えくり返ってましたよ〜。なにしてやがる釜!とかってぇ〜」
「あぁ、二股口だぁー!ひーちゃーん!」
「ひーちゃんの最後の晴れ舞台ですぅ〜!」
う、うさにはナンのことだか分かりません。が、マーチの車内には真っ黄色の妄想渦巻いてまし。ふ、フタマタかけたの?ひーちゃんが?誰とダレ?
「違うよ、うさ。ここは函館戦争の激戦地なんだよ」
「圧倒的多数の政府軍に対して、土方歳三の率いる旧幕府軍は樫の一枚板のように堅牢な防衛線を敷いて連戦連勝だったのだ」
「新政府軍は鈴の音を鳴らして包囲したと思わせる罠をはったけど、ひーちゃんが、「本当に包囲しようとするなら気づかれないようにする」ってお見通しして、騙されなかったんだ」
「松前口の方が破られなきゃねぇ、あっち指揮してたヌケサクはダレでしたっけ?」
「もーちょっと粘れたら、降伏じゃなくって講和条件つけれたかもしれないよ」
「歴史にかもは厳禁だけど」
「たぶん私たち、二枚目に贔屓目入ってるケド」
「でも現地の方にはすっごいメーワクだよねぇ、どっちも地元勢力じゃないのにあっちこっちを戦場にして」
「まぁ、お詫びに、取り得の面の皮で観光客ひきつけてご迷惑かけた市民のご子孫に貢献してるし」
「私たちも来てるしねー」
「ホントにねぇー」
ふきゅん、しょーでしの?
「次は五稜郭、ゴゥゴゥ!。……ごめん、わたしチキンだから……」
途中で二度ほど待避線で後ろをスルーちて、凪しゃんたちが函館郊外に、帰ってきたのは、お昼の12時過ぎ、くらいでちた。
途中、「舟盛り定食1000円」という魅惑的な看板もあったのでしが、夕張メロンの食べすぎで、まだおなかすいてましぇんでちたの。じゃんねーな。
「マダオが再建したコンビニ、ハセガワストアで、焼き鳥弁当だーっ!」
やけにテンションの上がった一行は、一路、五稜郭を目指しまし。ゴゥゴゥ!