うさの京都旅行記・しょのサン

 

 

 てくてく、うさ一行は小路を歩きまし。壬生寺はひーちゃんたちが訓練をちたり沖田しゃんが隠れん坊ちたりちたところで、屯所は八木邸と前川邸だったんでしよネ。前川邸は非公開だけど近藤しゃんの書いた屏風が残っているしょーデシ。

「あ、そう。一応、門まで廻ってみる?」

 Kらいしゃまの提案で、塗り塀に添って正門にまわりこ……!!!

「!「!「!」!」!」

 声にならない衝撃!ナンと、門が開いてまし!壬生寺前の小路とは別の筋に面しているから、普通に通っていたら気づきましぇんちたヨ!

「う、うそぉ」

「あいてんじゃん」

「入れるみたいですね」

 ボケの凪しゃん、ツッコミのKらいしゃま、総括のいこまん。なかなかバランスのとれた三人組でし。あ、「いこまん」という愛称の中には「さま」の敬意を含みまし。呼び捨てちてるんじゃないでしヨ。(うさ・注)

 うさと凪しゃんはびっくりちながらご門内へ。説明書きを、ふむふむ。邸内自体は未公開でちたが、土日は門を開けて、ガレージを改装したお土産売り場や井戸を見せてくりるみたいでちた。てくてく。凪しゃんが喜んでスタンプを押していまし。ひーちゃんのハンサムな、『あの』写真のスタンプと前川邸遠景のがありマチタ。こりはタダでちた。いこまんが50円のご芳志を入れてくりて、前川邸見取り図をもらってくりまちた!

 うさうさは喜び勇んで、ふむふむ。おお、土蔵がありまし。枡屋しゃんが逆さづりさりた土蔵でし。新撰組は現代でゆえば対テロリストの機動隊みたいなモノ。キレイゴトではやっていられない部分もあったでちょう。

 今でも警察の取調べはねぇ〜。殴る蹴るはそりほどないみたいだけど、取調室の時計が止まったりしゅるしょうでしからねぇ〜。脱税とか選挙違反とか、いわゆる知能犯にちてしょの扱いでしから。しょうゆう容疑者は政治家との関係があって、釈放後に警察の足もとを掬いかねないから比較的丁重と聞きましが、そりでさえ色々ねぇ〜。あっ、うさは取調べさりたことないよ!こりは噂話、聞いたお話し、でしッ!

 見取り図で見ると、前川邸の通用口が八木邸の筋向いに位置ちていたモヨウ。ひーちゃんたちはこっちから出入りちてたしょうでし。前川邸のシトたちは屋敷を明け渡して自分たちは他所に行っていたから、世間に漏れない方がいい拷問・尋問・取調べなんかはこっちでやっていたんでちょうネ。

 前川邸のお土産売り場には、近藤しゃんが屏風だか襖だかに書いた文字の写しのハッピが売ってありまちた。買わなかったけど。『努力』とか『勤勉』とかって書いてあったヨ。面白くないラクガキ(?)でし。もっと気の利いたことを書き残しておけば壬生寺周辺の観光に貢献できたかもしりないのに。字はまぁまぁキレイでちた。少なくともうさよりは遥かに達筆でし。ひーちゃんほどの個性はないけどネ。ひーちゃんは細い線で女の人みたいな優しい字を書くからなぁ。今に残っているひーちゃんのお手紙は身内に送ったプライベートなものが多くて、読んでて内容はしゅごく面白いんだけど、かな混じりの草書体はうさには、上手かどうか、よく分からないなぁ。

 でも、色紙に俳句を書き散らして故郷に送ってるところをみると、きっと達筆なのでちょう。俳句の出来はともかく……。

 お身内にもと将軍家乗馬指南役だったお家があって、しょちらが習字の先生もちていたから、ひーちゃんと近藤しゃんは一緒に習いに行ってマシ。けっこうマメに通ってたみたい。近藤しゃんはきっと嫁姑問題に挟まれキューキュー言わされていた息抜き気分転換、現実逃避でしネ。ひーちゃんは今でゆったらイイトコのボンの家業手伝いだから、習い事は好きしょうだもんなぁ。ひーちゃんの一番上のおにーちゃんは、三味線と俳諧では知られたシトだったし。

 三味線といえば。

 長州のお杉ちゃんは三味線が上手で小唄を歌ってもてまくっていたらしいでし。久坂しゃんの詩吟は声がいいことで有名でちた。久坂しゃんが歌い出せば芸妓しゃんたちもぼぉっと聞き惚れていたとか。宴会で、土佐藩のお殿様が聞かせろよ、ってゴネたこともありまし。現代でゆったらゴスペルみたいなものかな。本人作の、「世はカリコメに乱れつつ、茜さす陽もいと暗く」は、どっちかというと幕府派ひいきのうさでしゃえ、お胸がきゅーっとなっちゃう名作デシぃ〜。

 禁門の変にヨって長州の俊英たちがたくさん散ったトキ、お杉ちゃんは故郷で謹慎中。過激派に混ざって暴れないように閉じ込められていた、とも考えらりまし。お杉ちゃんって家禄は大したことないけど親戚に実力派の政治家が揃ってましからねぇ。現代でゆえば、ひぃおじーちゃんがタナカカクエイ、おじーちゃんがタケシタ、オトーサンがフクダ、お嫁しゃんのおとーしゃんがコイズミ、というあたりでしか。大叔父しゃんや叔父しゃんらにも、今で言う閣僚経験者がずらりと揃ってまし。

 謹慎中のお杉ちゃん、仲間たちを心配しゅるあまり夢を見たようでし。お手紙が残ってまし。『久坂が死んだ夢みたー!あいつどーなったんだーッ!?』って。

 お杉ちゃんと久坂しゃんは、ライバルにちて旧友、松陰塾で双璧ともユわりた仲。しょの悪夢が正夢だと知ったお杉ちゃん、どりほど悲しかったでちょう。

 親鳥が雛の後を心配してつけまわすように、うるさくも可愛がって庇いぬいてくりた桂しゃんまでもが行方不明。自分も追われるし、頼ってた長井しゃんはハラキリさしぇられるし。

 甘やかされて育った(でも超・気の強い)お坊ちゃんに襲い掛かる、想像を絶する逆風〜!逆境〜!ふつうならハラヲキルー!でもお杉ちゃんはきりましぇんでちた。立派と思いマシ。

 長州男児の肝っ玉というより、追い詰められて半泣きのヒステリー・お杉ちゃん。

 自分が創設した奇兵隊にも味方になってもらえず、ヒスって会議室(?)を泣き喚きながら飛び出したり、喚き回ったり。ギリギリの政権奪取の過程で、かつて仲間だった三代目奇兵隊の隊長・赤根武人しゃんを斬首さしぇたりの非道もいたちまちた。お坊ちゃんだったから、身分意識は、かなり保守的、封建的でし。

 んでもお杉ちゃんが、桂しゃんも居ない窮地で一人ぼっちで、がんばったことは確かなの。

 一藩の政権を獲り、ひいては日本の政治を動かした、ヒステリー・パワァ。

 げに恐ろしき、お坊ちゃんのヒス、でし。

 

 ……銀魂の高杉しゃまにも、ちっとしょのケがある気がしましぃネ。

 そりにお顔までよいから、最強〜。

 現代ニッポンにおいても、ヒスの美女ほど、困った存在はないとうさ思いまし。

 ヨはカリコメにミダレつつぅ、アカネさすヒもいと暗くぅ〜。

 

 あっ、でもココは壬生。おっきぃ声で久坂しゃんのお歌はやめとかなきゃ。うさが蔵で逆さづりさりちゃう。ぷらーん、って。きゃー、こわぁーい!

 しゃて、そりでは次に、八木邸へ。という途中でいこまんが立ち止まりまちた。

「いい匂い」

 きんつばを焼くお店の前で動かないいこまん。たちかにおいししょうなんだけど。きんつば、ぎんつば、栗にサツマイモ、お抹茶などなど、いろんな種類のきんつばがあるでし。お店に入っていこまんがお買い物。けっこう日持ちしゅるみたいで、お土産も買ってまちた。後日、教えてもらったところによると。

「すごく美味しかった。機会があれば、また買いに行きたい」

 みなしゃま、壬生寺周辺の観光をちたトキは、きんつばのお土産をお忘れなくー!

 場所はえっと、えっと……。ええっとぉ……。

 ……おいちぃ匂いがしゅるトコロ。

 壬生寺→八木邸(菓子店併設)→お土産屋さん→きんつば屋さん。

 という順番だった、よーな気が、いたちしましまし。

 

 しゃ、では気を取り直して、八木邸に行くでし。八木しゃんちぃのご子孫もお菓子屋しゃんをちていまし。お菓子はあとで買うとちて、まじゅは八木邸の中を見せてもらおぅね。

 お抹茶・和菓子セットつきとはいえ、入場・説明料金は1000円。よいお値段でし。でもしょの前のつくばいで、うさたちは立ち止まりまちた。井戸水がひいてあったから。この邸にはよい井戸があったしょーでし。ひーちゃんたちも、ここのお水を飲んでいたんでし。お菓子屋しゃんの入り口横に見学の受付がありまちた。1000円ずつ払って、お抹茶つきの入場券を買いまし。こりいいシステムでしね。順番を待つ間、お客様たちは和菓子のお店の中の緋毛氈に腰掛けて、まったり。しょの間にお土産も買わせる気でしね。商売上手でしぃ〜。

「説明がもうすぐ始まります。真っ直ぐ門をくぐられて右手の玄関からどうぞ」

 言われてうさたちはテクテク。ひーちゃんがくぐった門、そのまんまかどうかは分からないけれど、前庭を通ってなかなか立派な門を通り、旧八木邸の母屋へ行きまし。玄関から細廊下があって、しゅぐに細長い控え座敷、そりから八畳くりゃいの床の間つきの本座敷。

 この座敷こしょ、芹沢鴨しょのシトがひーちゃんに夜這いされた(←マチガイ)座敷。

 いきなりクライマックスでし!

 案内のおじしゃんは優しそうなシトでちた。どうぞ、ってうさたちを奥に入れてくりて、畳の上にお座りちて、おじしゃんを囲むようにみんなで説明を聞きマシ。

「こちらと斜め向かいの前川邸は……」

 って、しぇっかく説明が始まったのに、凪しゃんが、寝たーッ!

「新撰組みの挿話をお話しする前に、そもそもなぜ、新撰組という集団が出来上がったのかを……」

 江戸での清川八郎発案によるの浪士募集のお話から始まりまちた。凪しゃんは目を閉じて聞きつつ、ココロの中でツッコミを入れ続けたよーでし。うーん、礼儀を守っているのかいないのか。歴史の解釈はラーメンの味とおんなじくらい、個人的なものでしから。失礼のないよう目を閉じていたようでしが、どっちが失礼かなぁ。

 清川八郎はねぇ、幕府に捕らえられていた仲間と恋人を助けたくて、恩赦条件の浪士隊とかを考えついたんでしよねぇ。なのに一足違いで恋人しゃんは獄死しちゃって、かわいしょうでちた。ふぅ〜。

 おじしゃんのお話は、観光地の説明にちては、ちゃんと情報更新、アップデートさりていたでしヨ。浪士隊を呼び戻したのが幕命だったことを教えてくりていたのは珍しいでし。でも山南しゃんのことはヤマナミしゃんってユってたなぁ。『参南』って当て字を書かれているお手紙が残っているから、サンナンしゃんだと、うさは思うんだけどなぁ〜。壬生寺の説明には「サンナン」って書いてあったけどなぁ〜。

 浪士隊が上洛した理由の説明が終った後は、お写真を見せてもらいまちた。八木しゃんちでやったお葬式にやって来た、永倉(戸籍上は長倉)の新八しゃんや山南しゃまの署名があったし、山南しゃんが書いたとウワサの「会津藩御預新撰組」っていう看板の写真もあったよ。こっちは見事な達筆でちぃたの。(たぶん)

 しゃて、そりでは立ち上がって。うぅっ、アンヨの先っぽが痺れちゃったぁ〜。

「これから、各所をご案内いたします」

 今回の旅の本番、はじまりはじまり、でしッ!