新年である。新春である。北イタリアにあるヴァリアーの本拠地には年の初めから、どかんと雪が降り積もった。
「スクちゃん、ムリよ、諦めましょう」
新年早々の隊員たちはシャンパンで喉を潤わせることもご馳走で腹を膨らませることも出来なかった。肉体労働が苦手な者は居ないが、それにしても一晩で40cmを越える積雪は難航した。
砦のある山頂から麓までの道は遠い。風が強いせいでせっかく車一台が通れるように除雪をしてもそこが吹き溜まりになって四方八方から降り積もった雪がたまり、すぐに道幅が狭くなってしまう。
それでも必死の働きで、人間重機のような頑張りで武闘派のオカマが1キロほど掘った。が、やれやれと振り向いたら背後は既に半ば以上が雪で埋まっていて、戻るのに苦労するほど。そこでさすがのオカマの心も折れてしまった。
「ボスに運があったのよ。今年のボスはきっと当たり年よ。ねぇ、もう、そう思って諦めましょう。自然には誰もかなわないわ」
ハピー・オレンジの地色にカスティール・ゴールドとシグナル・グリーンで細かい模様を描いた、実に派手なスキーウェア姿のオカマはスコップを放り出し地面によよと泣き伏して、ヴァリアーのサブ、長い銀髪が黒いダウンジャケットのフードから覗くスペルピ・スクアーロに直訴した。
「どうせボンゴレ本邸の新年パーティーも中止よ。幹線道路も埋もれて、飛行機も列車も動いていないもの集まれる訳が無いわ」
「……」
「雪をかいても、かいた雪を棄てる場所がもうないもの。積めば崩れてまた埋まるのはいったいなんの拷問なの。ねぇ、冗談じゃなくて遭難しちゃうわよ。あぁぁぁああぁぁー」
最後は悲しみの鳴き声。早朝というより昨夜の真夜中からもう六時間以上、必死に頑張ったことが全く無駄だったという悲嘆がオカマにいつもより半オクターブ高い声を上げさせる。
「王子もカマに賛成ー」
こちらは銀色のダウンを着て、手にしたカップから寒さ凌ぎのホットウィスキーを啜りつつティアラの王子様が、らしくない肉体労働にうんざり顔で言った。
「だいたいさぁ、センパイがボスにポーカーで勝つなんて、ありっこない奇跡だったもん。こーゆーオチだったんだよ。きっと、最初っから」
「……」
フードと降りしきる雪に隠れて銀色の鮫の表情はよく見えない。けれど肉付きの薄い形のいい唇が、キュッと噛みしめられたことだけは分かった。
「そうね。あのボスがカードで負けたのを初めて見たけれど、つまりこういうコトだったワケね」
ヴァリアーのボスはボンゴレ九代目の養子。十代目には日本人が就くことになったけれど親子関係は解消されていない。なのにもう七年、ザンザスはボンゴレ本邸で行われるパーティーに顔を出していなかった。いいかげん来年は行けよと、この銀色は秋の終わりごろから口やかましく言い募った。
言われるボスは無視を通していた。けれど叱責が懇願に変わる頃、必死な部下を持て余しているように見えた。ただの部下ではなく片腕を兼ねた情人。プライベートでは殆ど『同棲』して妻のように暮している相手が一生懸命なのを痛々しく思っているのが幹部たちにもなんとなく伝わっていた。
ちょうどその頃、カジノ関係者が標的の『仕事』が入り、任務を請け負った王子様は夕食後の居間で『バレるイカサマ』の練習をしていた。いつものようにやってしまうと、手つきがあまりにも器用すぎて誰にも看破されず、処罰の為に奥に連れ込まれることもなく勝ちまくって帰ってくることになってしまう。
やがて幹部たちのポーカー遊びが始まり、レヴィの余りの弱さにみなが大笑いになって、イカサマなしで楽々と勝ち抜いた王子様がボスに久しぶりに勝負してよとねだった。
王子様が子供の頃、イカサマを含めたカードの扱いかたを教えたのはザンザス。暇つぶしの手ほどきを思い出して懐かしくなった王子様は、三戦三敗のストレート負けで師匠の絶対的な強さを思い知る。
イカサマをしているようには見えない。チェンジもろくにせず、仕掛けをする技量がないだろうという人選でレヴィによって配られた札をそのまま出せば最低でもフルハウスという、悪魔のような勝負運。
感心を通り越して呆れた表情の銀色に、賭けを言い出したのは男だった。向かいに座れ、そして負けたらもう新年のパーティーのことを煩く言うな、と。
言い出した、男は本当に辛くなっていた。銀色の口から小言を言われることがでなく、だんだん銀色が必死になっていくのが。
おぅ、と。
答えて銀色が男の向かいに座ったのは、つまり男の、望みを叶えたのだった。分かった、ンなにイヤならもう言わねぇよ、と、男の要求を受け入れるつもりだった。自分が勝つなど思いもしなかった。
カードが配られる。真剣勝負は、そのままの運命。カードを双方、無造作に開いた。結果は銀色の鮫がクラブトハートの2のワンペア。男はハートの3と5、クラブの6と7、スペードの10.。要するに役なし。
「……」
何が起こったのか、咄嗟には誰も理解できなかった。
「……」
男自身も驚きで、しばらく身動きをしなかった。イカサマで負けてやったというわけでもなかったらしい。
「……」
何度見直しても、カードはそのままで、テーブルの上に五枚ずつ並んでいる。
「ふ」
しばらくしてから銀色の唇から笑みがこぼれる。
「ふ、ふふふふ、ふ。ふ、は。は、は、は」
ゆっくり、じわじわ、喜びが湧き上がってきて。
「はーっはっは。あーっはっはぁーっ」
物心ついて以来おそらく初めての、ポーカーでの負けにまだ呆然としている男になんの遠慮もなく、館全体が揺れるほどの大きな声で笑い出す。
「センパイ、ウルサイ」
「ちょっと、やめて。ガラスが振動してるわ」
「スクアーロ、ボスに失礼だぞ」
「ナンか、テュールに勝った時より嬉しそうじゃね?」
「まぁテュールに勝つより珍しいことではあるね」
幹部たちは両手で耳をふさぎつつ、唇の動きだけで勝手なことを言い合う。
「はぁーっははははははーっ」
喉の奥まで見えるほど大口を開けて、二代目剣帝は心の底から笑った。
笑った、のに。
「スクちゃん、そんなに悲しい顔をしないで」
男も自分から挑んだ勝負を反故にするほど卑怯者ではなくて、スーツを新調するための採寸も仮縫いも拒まなかったのに。
「そだよ、センパイ、とりあえずさぁ、ボスちゃんと、センパイとの約束守ろうとしてくれたじゃん」
朝風呂に入ってスーツを着て、あれほど嫌がっていたパーティーに出席する為の準備を整えていたのに。
「天災だよ、しょーがねーじゃん」
「中止になったパーティーには誰も出席できないわ。仕方ないわよ」
左右から代わる代わる、慰めの言葉を掛けられるのもかえって辛く虚しい。
「スクちゃん」
「センパイ、ちょっと、おい、おぉーい」
「しっかりしてっ!気を失ったら凍死よ!」
がっくり、と、先ほどのルッスーリアのように、雪の上に膝をつく。その肩にもフードにも容赦なく、降りしきる雪は積もり、絶望を深くしていく。
「帰ろうよセンパイ。マジ凍死するって」
「立って、スクちゃん、戻るわよ、ほら、ほらっ」
左右から仲間たちに揺すぶられても、落胆のあまり返事も出来なかった。
その懐で通信機が鳴る。反応しない銀色に代わって、オカマが自分の通信機の通話ボタンを押す。一対一の相互通信ではなく子機の全てで交わされる会話が聞ける無線機。
「もしもし。ええ、居ます。はい、スクちゃん、ボスからよ」
俯き嘆くフードの耳元に無線を押し付ける。
『カフェが入った』
厚い石壁によって外気から守られた部屋の中、暖炉の上部でロシア式サモワールが沸騰するかすかな音が男の声に混ざる。
『冷える前に戻れ』
らしくなく、優しくそう言われて。
「……、うぇ……」
銀色は、泣き出してしまった。