『その、わけは』

 

 

 理由というか、原因は分かっている。

「豚足はお肌にいいのよぉ。圧力鍋で20分スープ煮して、圧力弁が自然に下がるまでほうってから、冷やして脂を固まらせて除けてあるからへるしぃよぉ〜。今日はそのスープで野菜と一緒に塩コショウで煮たの。とろとろぷりん、よぉ。うふふ」

 ルッスーリアの口上は誰も聞いていなかったが、そのスープを底まで飲み干さなかった者も居なかった。骨が外されたサックリした皮とゼラチン状の身だけになった豚足は、フカヒレや鮑の類と同列の美味。大きめに切られた人参、ジャガイモ、カリフラワー、芽キャベツといった野菜と煮られた、少し濃い目のコンソメ塩コショウ味。野菜には豚足の旨みが染みて、豚足には野菜の甘さが染みていて美味い。スープは冷やせばゼリー状に固まるだろう。日本でいえば煮凝り、こちらではアスピックまたはテリーヌと呼ばれる料理になるほど、上等のコラーゲンが濃く溶け出している。

「今日は手羽先よぉ。日本のダーリンが送ってくれたシャパポネのライムを搾ってどうぞぉ。了平って見かけによらず、けっこうマメな男なのよねぇ。うふふ」

 カボス、というレモンより濃い味の、柑橘系の酸っぱい汁を掛けて食べる、手羽先の揚げ物からも骨は抜かれている。スパイスの効いたオリーブオイルに丸一日、漬け込まれた後でオイルを拭われ骨を抜かれて粉をふりかけられ、からりと揚がった手羽先を黒ずくめの男たちは一口でぱくばく食べていく。こちらも皮のパリッとした食感と地鶏の手羽肉の甘い弾力とがクチの中に広がった。

「ヒラメもあぶらが乗ってきたわぁ。見て頂戴、このプリンとした身の弾力。アラでとったスープを煮込んだソースをかけて召し上がれ。お野菜も残しちゃだめよん」

 日本なら刺身で食べるほど新鮮なヒラメは五枚におろされた、上身の部分だけが炭火焼きでウァリアー幹部たちの皿に乗った。ステーキでいえばハーフポンド、227グラムはありそう。Xの形に切れ目を入れられた黒い皮を中心にして焼かれてプリンと反り返った身は極上の白身魚にしかないさくむちっ、とした歯ざわり。砂地で育ったヒラメには臭みが泣く、いい匂いのあぶらがのっていて白ワインがすすむ。

「ふかひれのスープヌードルよ、牛テールのシチューよ、仔羊のあばら肉の煮込みよ、すね肉のカレーよ、タンステーキよぉ、すね肉のミラノ風リゾットよぉ」

 という料理ばかりを、日々、飽食している殺人部隊のトップ数人がその結果として、どうなるかというと。

「お歳を召さないな、レヴィ隊長は」

「ああ。十年前と、全くお変わりない」

 それはそれは凄いことになる。似合わない唇ピアスをした男さえ、もともと持っていない美貌はどうしようもないが、髪や肌はツヤツヤ、衰えどころか艶に磨きがかかっている。

 ましてや、それを作り続ける本人は。

「俺は人を容姿で判断したりはせん。だがルッスーリアにほっぺですりっと挨拶されるのは、極限に気持ちがいい!」

「まあ、可愛いこと言ってくれちゃって。ほれるわよぉ〜」

 肌の美しさを褒められて、年下のジャポネの男にベタ惚れの格闘家、ムキムキのオカマは身体を捩って悦んだ。差し出される若い男の顔にすりすりと、このために磨きこんできた自分の頬をすりつける仕草は挨拶の範囲を超えているが、される笹川了平が幸せそうなので辛うじてセクハラではない。

仲間たちはき見て見ぬふり。深い関係があるのかないのかは分からない。ルッスーリアには常時恋人が複数居て、何年かに一度はそのうちの誰かが『行方不明』になる。それさえ仲間たちは見てみぬふり。てめぇが死んだ後に始末するのはゴメンだからわかんねぇところに隠せよ、と、口うるさい銀色の鮫が時々、そんな釘をさす程度。

「スクアーロ、あんたはあの挨拶してくんねーの?」

 首を傾げて、同じように若いもう一人の、ジャポネの十代目からの使者が首を傾げて可愛らしくおねだりの、結果は後頭部をどつかれだけだった。

「いってぇ。言ってみただけじゃん」

「ふざけてんじゃねぇぞ、ガキィ」

「いいよ。あんたがしてくんねーんなら、アネゴにしてもらうのな」

 そう言って、まだじゃれあつている了平とルッスーリアに近づく。俺にも挨拶してくださいとお行儀よくお願いされルッスーリアは上機嫌。このために生きているのよと言わんばかりの歓喜のオーラを漂わせながら頬を寄せ擦りつけた。

「よくやるなぁ、てめぇはぁー」

 使者来訪の用件が終わった後で、ゴハン食べて行きなさいよとルッスーリアは二人を誘った。九代目に挨拶してから戻ってきてもいいかと二人は尋ね、ルッスーリアは更に上機嫌になった。

「だって嬉しいじゃない。ほっぺスリスリは犬でも猫でも愛の基本よぉ、キホンッ。それよりすくちゃんベルちゃん、そこに居るならジャガイモの皮を剥いてちょうだい」

「いやだよ、オレ王子だもん」

「あなたたちが居ると助手が呼べないのよ」

「てめぇが居間に出やがらないからだぁ」

十代目からの使者二人が、九代目へ挨拶に行くより先にヴァリアーにそっと寄って持ってきた案件についての話し合いを、するぞと言ってもルッスーリアの耳には入らなかった。厨房へ引きこもり、二人の使者を接待する料理作りに余念がない。

「日本人なら魚がいいかしら。スズキの香草焼きにしましょうか。でも美味しいベイビィチョップ(生ラムの骨付き胸肉)があるのよねぇ。いいわ、両方作りましょう。了平と山本君ならメインを二皿でも食べてくれるでしょう」

 呼んでも呼んでもこないから仕方なく、他の幹部たちが厨房へ出向いて来たのだ。

「あんなガキどもに擦り付けて悦ぶなよぉ、変態ぃ」

籠に山盛りのジャガ芋の皮むきを、わりと素直に手伝うのは銀色の鮫。右手にぺティナイフを持ち左手でジャガイモを廻し、義手とは思えない見事な手つきで皮を一定の幅で、切れ目なく剥いていく。

「スクちゃんありがとう。剥いたおイモはボウルのお水につけてね。それに嬉しいわよぉ。凄く喜んでくれるものぉ。ワタシが楽しいだけじゃないのがまた素敵なのよねぇ。うふふ」

「ヘンタイヤロー」

「スクちゃんもボスにしてみなさいよ」

「……」

 全員が沈黙した。さらっと言ったルッスーリアに悪意はなかったが、ボスと(一応)サブとの情交は(一応)秘密である。公然の、という形容詞がついても秘密は秘密だ。

「ボスもきっと喜ぶわよぉ。スクちゃんのほっぺはねぇ、暗いところだと光って見えるもの、時々。ベルちゃんもね」

「関係ないよ。オレ王子だもん」

 ザンザスはそこに居ない。二人の使者は『公式の訪問』ではないからボスは会わなかった。それでも九代目より先にこちらに顔を見せたのは十代目がザンザス率いるヴァリアーに示した、敬意に近い好意。ルッスーリアの上機嫌も根拠のないものではない。

「ボスが喜んでくれたらスクちゃんもワタシの気持ちを分かってくれるわぁ、きっと」

「……」

 俯き無言で、銀色の鮫はジャガイモを剥き続ける。

 

 

 夕食も正式な招待ではなかった。九代目の招きを二人は、時差でふらふらで失礼があってはいけないのでという理由で断っていたから。大広間ではなく幹部たちが集まる居間に椅子を二つ、余分に持ち込んでの晩餐。上等のワインがあけられ、二人のグラスが乾かないようルッスーリアが気を配りつつ、健啖な食べっぷりに感動する。

「やっぱイタリア、メシが美味いっスね、センパイ」

「うむ。イタリアの食べ物は素晴らしい。中でもルッスーリアが作るイタリア料理は極限に素晴らしい!」

「同感ッス」

「喜んでもらえて嬉しいわ。たくさん食べてね。うふ」

「……」

 夕食にはボスも同席した。殆ど喋りはしなかったが、最後に席についた後でワインを注ぐ腹心から客が来てるぜぇと言われて視線を向け、頭を下げられ軽く頷いた。それだけでもこの男にしては歓待のうち。やがて食事が終わり、酔った山本がスクアーロに絡む。ホテルに送ってくれという誘いは露骨な『お願い』ポーズだったが、鈍い美形には通じず、運転手を呼ばれてしまう。

「了平、おやすみなさい。ワタシの夢を見てね」

「極限にたのしかった!チャオだ!」

「ああん、素敵ぃ」

 二人の漫才を楽しそうに眺めながら山本も手を振り、車に乗り込んだ。

「センパイ」

「なんだぁ」

「気ぃつけろよ。ありゃマジだぜ」

「なんのことだぁー」

「ダメだこりゃ」

「いいじゃない。刺激があった方がボスも張り合いがあるでしょうよ」

「……?」

 その名前を出されては話題を無視もできず、何のことだともう一度、銀色の鮫は尋ねたが。

「スクちゃんのほっぺがツヤツヤっていうお話しよぉ。さ、明日のランチは何にしましょうかねぇ」

「王子ポレンタが食べたい」

 トウモロコシ粉を練って煮込む、北イタリアでよく食べられる料理だ。穀物の粉を湯で練るというのは世界中で見られる料理であり、日本ではそばがきや麦こがしがそれに当たる。

「ああ、そんな郷土料理も悪くないわねぇ。了平は好き嫌いがないし」

「ハムとトマトとパセリ入れて、硬めに作って冷やして固めてチーズかけて焼いてよ」

「はいはい。ベルちゃんあれ好きよねぇ」

「王子様らしくねぇなぁ」

「庶民の味にも理解があるんだよ。だってオレ王子だもん」

 そんなことを話しながら部屋へ引き上げる途中、車寄せが見えるボスの私室の窓のカーテンが開いているのにスクアーロは気づいた。が、敢えて顔は上げなかった。スクアーロだけでなく全員が。なんとなく背中が冷たかったから。

「ほっぺでご機嫌、とっておきなさいね」

「てめぇにゃ関係ねぇだろぉ」

「スクちゃんの身のためよ」

「うるせぇ」

 聞こえる筈のない、交わす会話さえ小声になってしまう。