高い声が天井の高い部屋に響く。快楽よりも苦痛に近い衝撃の悲鳴。

「……」

 男は怯まない。いつものことだから。欲しがってすれた口を利いて発情期の雌猫のように腰を擦り付けるくせに繋がる最初はどうしても痛がる。カラダを重ねてきた長い年月の途中、なんとかしようとしてみたこともあったが、正気をなくすほど弄りぬいてやっても同じことで長すぎる前戯は無駄に疲れさせるだけだったから、やめた。苦しがりはするが、怪我をする訳でもなかったから。

 容赦なく捻じ込む男は自分の表情が、だらしなく緩んでいくのを自覚する。本人の意思とは関係なく窄んで自分を拒もうとする粘膜を蹂躙する快感は支配欲の満足。獲物の骨を噛み砕く肉食獣の凶暴な本能を満たす。

「あ、あぁぁあぁ、あ、ぁ……ッ」

 なんて声をあげやがる。その感嘆は言葉にはならないが、耳朶に響いた鳴き声の心地よさに感じたことは隠しようがない。ただでさえ体躯に似つかわしく逞しい男の大蛇が鱗を硬く膨らませる。

「ヒ、あぁ、ぁひ、ひゅ……、ヒン、ン、ぁ、……、ン」

 絡みつく粘膜かキュンと音をたてそう。細めた目のせいで狭い視界いっぱいに銀色の鮫が眉根を寄せ狂おしくかぶりを振るのが見える。けれど乱暴に組み敷いたせいで背中にも肩にも敷きこまれた髪が邪魔になって動きの幅は狭い。

「……」

 脚を、更に、男はなんの遠慮もなく開かせる。結合が深くなる。呑み込んだ狭間がぐちゃぐちゅ淫猥な音をたてる。いい音色だった。更に聞きたくて捏ねる。一度、二度、三度で一旦、止めてやり白い脚を肩に担ぐ。そのままのしかかると白い身体を繋がった場所から二つに折るような姿勢になる。悲鳴がまた上がる。さっきより少し甘い。

 背中に腕を差し入れる。その下に敷かれていた髪を引き抜いて枕元へ纏めて流してやる。浅い呼吸を繰り返しながら苦しそうにボロボロ、目を閉じて泣いていた銀色の鮫が、うすく、そっと、長い睫を開いた。開いたところで涙の膜が邪魔して何も見えはしない。見えなくとも、自分が優しく扱われていることは分かる。

「……、ザ……、」

 驚きに何か言おうとした唇を男が狙って首を伸ばす。素直に、銀色の鮫は言葉を諦めて唇を薄く開いた。が。

「息を、しろ」

 呼吸のあまりの浅さに眉を寄せた男がそう言って、くちづけは止めて抱えた足を掴み、馴染ませるように腰を緩くまわす。あ、あ、あ、と、犯されなかった唇からまた声が上がる。透明で高い。何度か同じ場所を誘うように突かれて白い腰が揺れる。義手の左手と生身の右手がシーツにつかれて、仰向けのまま肘から下で、カラダを支えて、腰を浮かそうと努力。

「あ……、ンッ」

「てめぇには」

「あ、も、……、ザンザ、す、ボス……。も、う……」

「手間がかかってる」

 時間もかかっている。最初に手をつけたのは十四の時。それから倍の歳になって、途中で八年間の空白を挟みつつ、この銀色の鮫はずっと男のお気に入りだった。無論、ファミリーのボスが一人だけに操をたてる筈がなく、気分や仕事の都合で使う、情婦は何人か居て、数週間から数ヶ月単位で入れ替わる。ベッドの相手だけでなく、パーティーの同伴や来客への『接待』もそんな女たちの仕事だ。『ポスの女』を分け与えられることは賓客への礼儀を尽くしたもてなし、そんな習慣がマフィアには存在する。

「裏切りやがったら、罰は……」

 女どもの比ではないぞと唸り声と突き上げる腰で威嚇した。酸っぱいだけの子供の頃から知っていて、間が空いた二十二の歳は開花寸前。花弁の綻びに顔を突っ込み香りも蜜も花弁のしなやかさも独り占めして思うままに堪能してきた。でもまだ、まだこれからが本番。やがて花びらの色が褪せる頃、めしべの根元が膨らみ出すだろう。花が散ったら石榴の実が熟れる。割れた果肉に歯をたてる瞬間を、男は楽しみにしている。

「分かったか、カス。……、メスネコ」

 罵り文句は口惜しさの裏返し。男の息が荒い。絡みつかれて絞られる。抱いている筈の銀色の鮫に、逆に抱かれているような錯覚。殺されそうな悲鳴を上げのたうちまわりながら呑み込んださっきの初心さはどうしたと尋ねたくても、下腹が痺れてそれどころではない。

「か、……、は……ッ」

「答えろ、クソザメ」

「わか、……、から……、ぁ、ざ、ん……」

「何が分かった。言ってみろ」

「……、ぜんぶ……」

「ハッ」

 男は嘲笑した。心から馬鹿馬鹿しいと思った。何も分かっているという顔をこの銀色は昔からしていて、それにムカついたこともあった。今も愉快ではない。昔とは種類の違う不快さだ。もしかしたらそれが本当かもしれないという恐怖。

「ん、あ、ぁ……、は……。ッ」

 いつもの、蹂躙を始める。わざとひどくしてやった。イタイと悲鳴を上げる口を掌で塞ぐ。悲鳴の代わりに涙がまた溢れる。愛撫というにはキツイ勢いで揉んでも自分に懐いてくることを、離れていかないことを証明させたかった。背中を向けたら即座に焼き殺してやると、本気で囁く男も既に正気ではない。

「ん……ッ」

 男の固い腹に潰されそうなほど、擦られていた銀色の鮫が蜜を垂らす。

「……、てめぇ……」

 突き上げを緩めながら、銀色の鮫の唇を覆っていた掌を両目に移して、視界を塞ぎながら男が唸る。腕の中で銀色の鮫が竦む。こいつはバカだから見せなければ分からない。苛められてイった自分に男がどれだけ満足しているか、男の顔を、見せて貰えなかった銀色の鮫は気づけなかった。ごめん、ごめんと小娘のように頼りなく鳴き声で詫びる。ごめん、許してくれ、ごめん。

「、やめ、ねぇで、くれぇ……、ゴメン……」

 興が削がれた止める、と、男がカラダを引くことを恐れて銀色の鮫が目の前の肩に縋りつく。支えを失った腰が落ちるのを男の腕が支える。その仕草で気がついてもよさそうなものだが、申し訳なさでいっぱいの鮫は何もわからない。ただ泣きじゃくって、呆れて棄てられ手放されることを畏れている。

何度かそんな脅し文句を使ったことがある。実行したことはない。これだけ深く繋がっているのだ。出来もしないだろう。情婦は何度か、嘘声を出すなといういいつけを守らなかったのを、途中でベッドから蹴りだしたことがある。ヨガる演技で男を興奮させ、さっさとイかせて楽な商売にしようと目論む玄人女が鳥肌だつほど嫌いだ。

それをこの鮫が誤解しているらしいことに男は気づいていたが、都合がいいので誤解を解こうとはしない。枕の数で稼ぐ娼婦には不感症になっているのが多い。そこからのし上がって高級娼婦と呼ばれるようになった女と、もともと肌を見込まれて安売りされなかった女では明らかに味が違う。ただし違いは、口の中に入れて舌に乗せてみなければ分からない。

乗せた後で不味くて吐き出した女が何人か居たのを銀色の鮫は誤解していた。こいつは本当にバカだと、男はつくづくと思う。どうして気づかないのだろう。自分の男の、感度が良くて本気でイって後半は力が抜けて商売にならないくらいのカラダが好きだという嗜好に。どうして分からないのだろう。歳経るごとに味の深さと艶を増していく、自分のカラダをどれほど気に入られているのかを。

「……、イ……、ッ」

 男がにやけた表情を収めて、自分に縋りつく腕を払う。払われて、止められると本気で思ったらしい傷ついた表情は、冬の道端に棄てられる寸前の子猫のよう。

「動きにくい」

 男は言った。王権を持つ男の当然の権利として、侍るオンナを好きなように抱く。言葉を理解するより先にもう一度、動き出されて鮫はまた泣き出す。安心し過ぎたらしい。吐精の倦怠がよくやく訪れてカラタが少しだけ緩む。

「……、」

 腕の中の身体が緊張と弛緩を繰り返すたびに、どれだけの心地よさを自分に与えているかを男は口にしない。黙って、一人で、心から堪能する。

いつか、は。

本当のことを言って、長く満足してきたことを伝えなければならないと、男は一応、思っている。多分、それは別れの時だろう。いつかは訪れるその瞬間が、言葉を交わせる状況とは限らないのだけど、今はまだ伝える気持ちにはならない。実りの最後まで独り占めしてからと勝手に一人で決めている。

 気づかないこいつが悪いのだと、いい訳でなく心から男は思っていた。

 

 

 

 

 冷たい水が唇に零される。

「……、つまんねぇなぁ……」

 形がよすぎて肉付きの薄い唇が動いた。機嫌がこの上なくいい男は尋ねてやった。何がだ、と。

「ペットボトル、とか、できて、つまんねぇ……」

「……」

 男はのどの奥で笑う。愉快だ。基本的に嫌なことばかり、苦難の多い苦い出来事ばにかりが押し寄せる男の人生の中で、楽しいという時間がほんの少しでも、存在するのはこの鮫が居る時だけ。

「口は達者じゃねぇか。腰が抜けていやがるくせに」

「ぬけも、するぜぇ……、オマエ、ちょっとは手加減、しろよぉ……」

「夜這いしといて優しくしてはありえねぇ」

 男が冷淡なのも口だけ。証拠に男は隣で寝そべる銀色の相手の、今は真っ赤に色づいて少し腫れて、ふだんよりは色っぽい唇へペットボトルから零すのをやめた。自分の口に含み屈んで口移しで飲ませてやる。指一本動かせませんという風情でうち伏す銀色の鮫の姿は、普段のビンビンと跳ねる態度との落差で男の目に物凄く可愛らしく映る。唇を重ねながら頬を撫でてやると、銀色の鮫はだるそうな腕を一生懸命に上げて男の頭を抱いた。腕の内側、幾つかキスマークの散った真っ白な肌が男の頬にも顎にも口元にもすいつく。心地よさの褒美に抱きしめ姿勢を変えてやる。強張り硬直した筋肉へ負荷のかかり方が変わって、与えられた水分もゆっくり指先まで染みて、銀色の鮫はようやく身動きが出来るように、なった。

「……、あぁあー」

 寝返りを打つ背中に腕を伸ばして。

「寝ろ」

 引き寄せ胸に抱きながら男が、ここで眠れ部屋には帰るなと、言っているのに銀色の鮫は気づかない。

「あぁ。……、なぁ、ザンザスぅ」

「なんだ。眠るぞ」

 長い話はするなと釘を刺した男は。

「明日も来ていいかぁ?」

 単刀直入に尋ねられ、闇の中で目を開ける。

「連続イヤなら、ソファで練るからよぉ。だめ、かぁ?」

「好きにしろ。どうした。珍しいじゃねぇか」

「ん……」

「おい、寝るな。理由を言え、カスザメ」

「……、ん……」

「答えろ。引き抜くぞ」

 長い髪を手に巻き付けて威嚇する。

「いて、イテぇ、ザンザス、離せぇ」

「理由を言え。じゃねぇとこのまま、バックでヤる」

「元気だなぁオマエ……。っが、……、ってさ……」

「聞こえねぇ」

「ヤマモトが」

「刀のガキだな?」

「オレをスキなんだとよぉ。笑っちまうだろぉ?」

「……」