「オレをスキなんだとよぉ。笑っちまうだろぉ?」
「……」
男は笑わない。笑うどころかそれは焔の龍の逆鱗の場所。
「だから、どうした」
低い、凄みのあるものに、男の声が変わったが、銀色の鮫は気づかない。
「……わかんねぇ」
「てめぇ」
「アッ、イテ、ちがう、ホントに、イタ、……、やめ、……、マジかよ……ッ」
眠りかけていた銀色の鮫は乱暴に肩を掴まれ、男の掌が熱いのに気づいて少し慌てた。
「キサマ、よくも、ぬけぬけと……」
「ちが、怒る、なよ……。分からなかったんだぁ……。ナンかよぉ、おかしーカンジはぁ、してたんだけどなぁ……」
もと刀のガキ。真剣勝負で、自分の傲慢が原因とはいえ敗れたことのある相手。生意気で怖れを知らないふてぶてしさがかえって愛嬌で、その才能を随分と見込んで。
「てめぇが可愛がりやがるから懐く」
「ん、なつもりじゃぁ、なかったんだぁ。怒る、なぁ……」
男の指摘は完全に正しい。銀色の鮫はもともとガキには懐かれるタイプだ。精神構造がガキより単純で手玉に取られることも時々ある。ベルフェゴールにからかわれ弄られては毎回毎回、律儀に反応する素直さが子供には魅力なのだろう。
「今日、ルッスーリアに、言われて意味がぁ、なんか、分かったんだぁ……」
子犬のような子供が見上げてくる視線が妙に強い訳に気がついた。凛々しい巻き尾を振って、要求してもいないのに前足を上げてお手のポーズ。可愛いけれど何処かうすら寒い気がした、理由がやっと分かった。
「なぁ、ザンザス。どーすんだこんな時。どーすりゃいいんだぁ、教えてくれぇ」
「知るか。好きにしやがれ」
男の台詞は表情とも内心とも裏腹。目を閉じている銀色の鮫は相変わらず、そのことに気づかない。
「……、つめてぇ……」
カラダを重ねたばかりの情人に突き放されて傷ついた様子さえ見せる、処置なしの愚か者。
「カスが、ようやく気づいたか。で、どうする心算なんだてめぇは。拡げてやんのか、あんなガキ相手に?」
「……ジョーダン、だろ。想像もできねぇぜぇ。ただ、ちょっと、なんてぇか、なぁ」
「なぁじゃねぇ。ナンだ」
気持ちを上手く表現できないで居る銀色の鮫に男がイラつく。
「こえぇの、かもなぁ……」
「……」
似合わない台詞だった。全く持ってらしくない。恐怖というモノを何処かに忘れてきたような気性で、知恵が足りないから物怖じしないと、ずっと思っていたのに。
「誘われたら、どうする?」
男の声もおかしい。嘲笑では隠し切れない真剣さが語尾に掠れ気味に響く。
「……わかんねぇ」
「ついていくかもしれないってことか?」
男の声が、喫水線ギリギリ、焔がちらりと見えるほど激昂しかけていることに、目を閉じている銀色の鮫は気づかない。
「断り方が、わかんねぇんだぁ。どー言やいいんだぁ?」
「……三枚にオロセ」
「ジャポネからの使いだぜぇ?」
「そうやって、てめぇが、甘やかすから、ガキがつけあがりやがるんだッ」
「怒るなよぉ。初めてなんだぁ、こーゆーの……。あんな、風に……、ったこたぁ、一遍も……」
「悪い気はしてねぇのかキサマ」
「好きとか言われたことねぇから、どーすりゃ断われんのか分かんねぇ」
「……あ?」
腕の中でいつもより小さな声で一生懸命、どうしたらいいかを尋ねる相手に男はゆっくり怒りを納めていく。告白の途中で少し気になった。
好きだと言われたことがないだって?誰がだ?こいつがか?
「ヤりてぇって言われてねぇのにヤらせねぇって言うのもバカみてぇじゃねぇかぁ……」
「……、言ってやれはっきり」
腰を捕らえていた掌を外す。代わりに背中から腹に腕を回して引き寄せ、銀色の髪に顔を埋める。暗殺稼業らしく無香料のシャンプーを使っている髪には匂いがない。けれど男が深く息を吸えば、本人の甘い香りが薄く漂う気がする。錯覚かもしれない。
「テメェに手ぇ出しやがったら、ガキでもかっ消すぞ」
「だよなぁ。オマエの、面目潰れるもんなぁ……」
違う。問題は面子とか面目とかではない。もっと単純で正直な本能。自分のメスに、他の男の種は植えさせない。
「わかんねーよ。好きとかマジ、いっぺんも言われたことねぇから。逆には慣れてンだけどよぉ。殺気とか嫌悪とかなら……」
「まんざらでも、ねぇんじゃねぇか、本音は」
「違う。でもよぉ、メーワクってーか、特に実害もねぇのに、ヤメロとか言っていいのかぁ?どんなふーに言えばいいんだぁ……?」
「……」
言っていい。言えばいい。そう思いながら男は昔を思い出そうとした。好きだといったことはなかっただろうか自分は。大昔過ぎて、途中に色々ありすぎて思い出せなかった。
「たぶん、なんか……。アイツは勘違い、してんだぁ……」
「……」
勘違い。
してやがるのははてめぇの方だと男は心の中で思う。ほんのガキの頃、ちょっと小奇麗だったけれど悪童の印象の方が強かった十四で自分のモノにした。ボンゴレ次期首領と目されていた男の持ち物に手を出すバカが居なかっただけで、決して。
「……」
好きになられたことがない訳ではない。腕の中の銀色の姿は超が幾つもつく上玉、床に転がる男女の求愛者を踏みながら生きていて当然の見目をしている。ガラと頭の中身以外に欠点はかけらもない。綻び咲き誇る花弁は実は八重かもしれないと、艶やかさを増すばかりの情人に、男は内心、感嘆さえしている。
今でも比類なく麗しい姿なのに、更に内側に七重の花弁が隠れているとしたらいったい、いつ色あせて実を結ぶのだろうかと、試すような舌なめずりするような気持ちで、時の流れを楽しみにしている。
「オレとなんかぁ、遊んでも楽しいことねぇぜ、って、どー、言えばいいんだぁ?」
「……とりあえず眠れ」
「ん……」
「明日は一日中、寝てろ。ここで」
「……?」
「何を教えたっててめぇが、まとめに出来るたぁ思えねぇ。いい加減に、オレがあしらって追い返しておく」
「……、マジかぁ?」
眠そうな様子で、それでも、嬉しそうな声で銀の鮫が呟く。ああ、と男は答え、銀の頭の後ろにくちづけた。
「面倒、かけんなぁ、ザンザ、すぅ……」
「構わねぇ。てめぇはオレのオンナだって、事実をはっきり、言ってやるだけだ」
「……、すぅ」
「てめぇ……」
告白というほどではなかったが、それを受けたことがないという相手に、準じる言葉を与えたつもりだったのに返事は寝息で。
「……、マジ寝か?タヌキか?」
掌で頬に触れて尋ねてみても返事はない。
「……」
諦め、自分も目を閉じながら男は眉を寄せる。これはカタチのいい頭の中にスカスカの脳みそが詰まっている鈍感で何も分かっていないバカだ。でも時々、ほんの時たまだが、まさかと思うが、もしかしたら万一だが。
本当は何もかも、全てを分かっているのかもしれないと思う。今もそうだ。男の心の中に生じたもやもやは消えた。銀色の鮫の馬鹿さ加減にあきれ果て、悶々としているのが阿呆らしくなったから。偶然だろうと思う、けれども時々、そうではなくて、気づかれているのかもしれないと。
思うとゾッとする。ゾクッと、する。それは愛情ではないかと考えて。足りない頭でも自分のことだけ考えていれば少しは知恵もわくだろう。
「カスザメ。……オレを好きか?」
尋ねる。答えはない。なくても知っている。よく、分かっている。男は銀色の鮫と違って愚かではなかったから。
「てめえは、どうして……」
分からないのだろう。気づかないのだろう。こんな大切なことだけを。
少しも隠していないのに。
翌日。昼というより、朝が終わったばかりの時刻。
「ボンジョルノだ、ルッスーリア!と、その仲間たち!」
やってきた客は二人とも黒服を着込み濃いグレイのネクタイを締め、シャンデリアが映りこむほどピカビカに光きこまれた革靴を履いていた。
「いらっしゃい、了平。お茶にする?格闘にする?」
「まずお茶をいただこう。それから極限バトルだ!」
「オッケーよ、賛成だわぁ〜」
晴れの二人の、能天気なのかシュールなのか第三者には理解しがたい会話が終わるか、終わらないかのうちに。
「ボス」
来客を視線だけで迎えたザンザスへレヴィが近づき耳打で門外顧問の来訪を告げた。
「……」
ザンザスは露骨に嫌な顔をする。養父である九代目と並んで門外顧問の沢田家光はこの男にとって不倶戴天の仇敵といっていい。なのに命の恩人でもあるという、矛盾に舌打ちした。
「……通せ」
会いたくはない。けれど来訪を拒むことは出来ない。高々と組んでいた脚を仕方なく解くかとかないか、というタイミングで。
「不遜だ、ザンザス。お前たちも」
案内も乞わず、九代目の懐刀はネクタイも締めずスーツも着込まず、ツナギの作業服のまま、安全靴のまま、ボスの好みで17世紀後半の、フランス風に洗練された後期バロック調の家具や絨毯に統一された部屋へ踏み込む。
「九代目の招待も受けず、こんなところに入り浸って、今度は何を企んでいる」
「……」
てめぇをかっ消す算段を、と。
言えたらどんなにすっとするだろう。