「あ、ツナの親父さんだ、こんちゃー!」
「沢田の父上ではないか。こんなところでお会いするとは、チャオだ!」
ザンザスが何も言わないうちに、沢田綱吉からの使者二人はボンゴレの門外顧問へ向き直る。ボンゴレ内で九代目以外に遠慮する者を持たず、次代の使者と九代目の養子とを叱り付けに来た家光は『友人の父親』扱いで挨拶されて表情を曇らせる。
「久しぶりだな。だが今はツナの父親としてではなく、」
「俺たちが無礼を働いたのなら極限に申し訳ない!モンゴルファミリーの礼儀を心得ていないことは心から詫びる!しかし男には時として、礼節より優先せざるを得ないものがある!任務の合間にはルッスーリアに会いに行っていいと、沢田の許可はもらっている!」
「まぁ、了平ステキよ、男らしいワァ」
「褒めてくれるのかルッスーリア。嬉しいぞ!」
「だって本当にステキなんですものぉ〜」
「ルッス!」
「了平!」
がし、っと。
鍛え上げられた二つの肉体が腕を廻しあい、固く抱き合う。背中にも脚にも相当の力が篭っている。ギシギシと筋肉の軋む音が聞こえてきそうだった。それがどういう行為なのか周囲の人間にはよく分からない。恋愛感情の抱擁にしては容赦なく、男同士の友情にしては暑苦しすぎる。
ギシッと厚い床板が軋む。その下は石畳なので床が抜ける心配はないが、どうやら二人は相撲で言えばがぶり四つ、がっくり組み合って押し合い、格闘のトレーニングに入ったよう。
「センパイ、ルッスーリアさんと仲いいのな。いいなー」
にこにこ、山本は邪気なく笑いながら家光の方を向いて。
「怒んねーでくれよ親父さん。俺らが悪かったなら謝っから。ごめんな、これから気ぃつける。えっと、九代目とかいう人んとこに毎日、挨拶に行けばいいのか?」
「ああ、いや……」
見上げる視線で真っ直ぐに問われ家光は珍しく言葉に詰まる。ボンゴレファミリーの統率上、無礼を許せなくて一言、苦言を呈しに来たのだが、しかし。
「でもホントにツナが言ったんだぜ。いっぺん挨拶に行ったらあとは好きにしていいって。オレもスクアーロに鍛えてもらおーと思って来たんだけど、アイツ居ねぇの?」
ぐるり、と室内を見回す山本に。
「寝ている」
答えたのは滅多に声を出さないザンザスだった。この男が部外者に声を聞かせること自体、レアなことだったが。
「もー昼近いじゃん。起こしに行っていいか?」
泣く子も黙る、どころか同盟ファミリーのボス連中でさえ畏れてまともに口が利けないザンザスに、タメすれすれの口を利く山本に家光が顔をひきつらせる。
「オレの部屋で寝ている」
「あんたの部屋、何処?」
「入室は許可しない」
「残念なのなぁー」
会えないなんてつまらない。そんな風に、山本は拗ねた感じで革靴の先でトントンと床を突く。その態度に驚き声も出ない門外顧問の横顔に向かって。
「家光」
ザンザスは今日、珍しいくらい喋った。
「オマエの息子の、使者たちの」
オレのコト?
と、山本は自らを指差し小首を傾げ、目じりを細めにっこりと笑う。天真爛漫と傍若無人とはどれほどの差があるか、測ってみたい気になる笑みだった。
「行儀の悪さに文句を言いたいのはオレの方だ」
天気が良くて風が心地よい。昼食は中庭でとろうという話になった。了平に山本、それにレヴィが居間のテーブルを庭に運び出す間に、ルッスーリアはワゴンに載せた二人分のランチをザンザスの部屋にもって行った。部屋にはザンザスも居て、外へ出てくる様子は見せない。
「ワタシはお邪魔してもいいかしらぁん?」
「入れ」
「しっつれぇいしまぁす。あら、スクちゃんってば、まだおネムなのね?」
二人は寝室ではなく手前の居間に居た。ザンザスは一応、机に向かって足を上げ何やら書簡を読んでいる。手前の三人がけのソファでくーすか、寝息をたてているのは銀色の鮫。制服ではなくシャツにスラックスというラフな格好で、ベルトの前を外して。
「お人形みたいねぇ。お行儀は悪いけど」
ザンザスが出て行った部屋で銀色の鮫は、朝っぱらから飲んでいたらしい。大好きな銘柄の赤ワインをつくりつけのバーのキャビネットから取り出し、冷蔵庫からはキャビアの瓶を出して。テーブルの上に置かれていた空き瓶はどちらも空だ。
眠る銀色の鮫の表情は安らか。四肢を広げた仰向けの寝姿で、これが猫なら、可愛がられて甘やかされて飼われている態度だ。でかいソファから更にはみだす片足と左腕は床に落ちて、こんな格好でよく眠れるものだとルッスーリアは感心した。髪の毛が纏められ背もたれにかられているのは多分、ボスの心遣い。
「スクちゃんが熟睡してうたた寝なんて珍しいわぁ。最近、忙しかったものねぇ。よっぽど安心してるのねぇ。目を閉じてるとマネキンみたいねぇ。うふ」
ルッスーリアがじっと銀色の鮫を眺める。ザンザスは不愉快そうな顔を見せなかった。長い付き合いで、ルッスのことを『オンナ』の一種だと思っているからだ。カンナが花を愛でるのを泊めるほど狭量でもなく、害もなかったから。
「お部屋で寝せてもらって、スクちゃん今日はいいお休みねぇ。普段、苦労してる甲斐があったわねぇ」
「……正妻だからな」
苦労もするだろうさ、と、いう風にザンザスが言った。ごくさりげなく素っ気無く、なんでもないことのように。
「さ、お昼はポレンタのチーズ焼きと、ブルスケッタと、鯛と浅利のアクアパッツァよぉ〜。……、って、ボス、い、今、なんておっしゃったのぉ?!」
一瞬聞き流したルッスーリアだったが驚いて顔を上げる。ザンザスハ相変わらず面白くもなさそうに書簡を読み続ける。照れや恥じらいはその表情にはなかった。
「きゃー、って、もう、どうしてそういうコトは本人が起きてる時に言ってあげないのボスぅ。きゃぁーん」
「身悶えるな」
「お食事置いて行くわね、ボス。あの子たちもこれからランチを食べて、それから九代目にご挨拶しに行って、そのままジャポネに帰るそうよ。なにか伝言はある?」
「土産を持たせておけ」
「……あら、まぁ」
テーブルの上にランチを置いて空き瓶を下げていたルッスーリアが目を見張る。その手が動きを止めるほど、ボスの言葉は珍しいものだった。
「二人ともに?」
「ああ」
「あの子達、ボスのお気に召したの?」
「いや、気にいらねぇ」
ジャポネの小癪なガキからの使者として来たガキども。持ってきた用件はともかく使者の態度は、とくに片方は、死ぬほどザンザスの気に障った。だが。
「家光に、煮え湯を飲ませてくれた礼だ」
その愉快さが腹立ちを上回る。
「わかりました、ボス」
命令に対してはふざけた様子を見せず恭しく承り、ルッスーリアは部屋を出て行った。もっとも扉を閉じた瞬間にスキップで、階段を文字通り踊り場へ飛び降りて、ジャポネからの来客たちが待つ中庭へ駆け出す。
ボスの私室のモニターには屋敷の主な監視カメラの映像が常時流れている、中庭も例外ではなく、嬉しそうなルッスーリアの姿を、よくやるぜという顔でザンザス眺めていた。やがて。
「……、メシかぁ?」
ソファでスカーッと眠っていた銀色の鮫が目を覚ます。テーブルに置かれた食べ物の匂いの刺激で、むっくりと。
「あー、寝てたか、俺ぇ」
「涎たらしてたぜ」
「嘘だぁ」
寝起きのいい鮫は立ち上がり素足で絨毯を踏んでキャビネットへ。戸棚の手前に、ラベルをこちらへ向けて横向きに並んだ中からお気に入りの赤、ヴェネトのアマローネの瓶を取り出そうとする。が。
「白にしろ」
ボスに言われて素直に従った。赤ワインをキャビネットに戻して、作り付けのワインクーラーのガラス戸を開けてシチリアのシャルドネを取り出す。舌にずしんとくる重厚な辛口で、赤好きな鮫もこの白は時々飲む。
「なに読んでんだぁ、ダンザス。メシ食わねぇのかぁ?」
「食う」
決まっているだろうという顔でザンザスは書簡を置き立ち上がった。銀色の鮫は冷蔵庫から冷えたグラスを二つ、取り出した。