やくそく

 

 弟が居なくなったと乳母に聞いて、騒がないでくれと言った。ここは国許でも母の実家でもない。京には違いないけれど、藩の藩邸。藩主の正妻とその嫡子が滞在中で、藩邸の人間はみなぴりぴりと神経を尖らせて、立居振舞にも気をつけ振舞っている。それは藩主の、妾腹とはいえ実子の俺と、弟も同様だった。
 特に今回、俺と弟が京藩邸に居ることは秘密だ。本当は弟だけが来るはずだったけど、どうしても一人じゃ嫌と言い張って俺も一緒にきた。
おかしいと、思うべきだった。
この屋敷に着てからの弟はやけに大人しかった。おとなたちの言うことをきいていい子だった。だからつい、俺も油断して、母親の滞在する須藤邸に着替えを取りに行ったり、した。
人目につかないように、子供が隠れられそうな場所を探す。早く見つけなければならない。弟の出立は明日に迫っている。
「……啓介」
小さい声で、呼ぶ。納屋の中、今は使われていない炭小屋、納戸の中。そして、裏庭の蔵の中。以前は藩特産の生糸を収めていたけれど、近年、生糸のままでなく反物に織り上げて売るようになったから、使われることがなくなった建物。
「啓介」
 呼ぶ。返事はない。でも、奥で空気が揺れたのが分かった。俺の可愛い弟は、俺に呼ばれて反応を、気配を隠すことなど、できない。
「どうしたんだ?心配するじゃないか」
 そっと扉を閉めて蔵の奥に行く。床は土間で、窪みに白く埃がたまっていた。かつて生糸が積み上げられていたのだろう空っぽの棚の間に、
「……啓介?」
 弟は涙目で、でも、きらきらさせながら責めるように、俺を見ていた。
「嘘つき」
きつい目が、言葉以上に俺を責めていて、あぁ、と俺は思った。何を言われるか、分かった。
「江戸に一緒に来てくれるって、嘘だろ。藩士たちが話してるの聞いたんだ。子供用の駕籠は一つだけって」
「啓介、違うよ」
「俺の目を見てそう言える?」
きびしい追及に目を伏せた途端、啓介は俊敏に動いた。俺に飛び掛り、圧し掛かり、棚の間の細い通路に俺を仰向けに押し倒す。俺は、抵抗はしなかった。この弟を殴ることなんて出来なかったし、それに。
「……ん」

 唇が重なる。乱暴に、でも情熱的に。

 いけないことだと分かってる。これは、してはいけないこと。着物の襟が乱される。帯に手を掛けられて、俺は……、腰を浮かして、しやすい姿勢を、した。

 これはいけないこと。でも止められない。どうしても拒めない。だってこの弟を俺は、とても好きだったから。悪戯を二人で覚えたのは半年くらい前。仕掛けてきたのは、弟。

最初は胸に触りたがった。おかしいと思ったけど好きにさせた。母親が心労からの病で寝込んでいて、寂しいのだと思った。毎晩胸を撫でられて、突起を吸われて、それが固くなることも膨れることも、じりじりするような気持ちよさも崖っぷちの快楽も、二人ともはじめて、知った。

それからキス。そして下帯まで外して一緒に擦り付けあう。そこまでくればいけないことだと、分かったけれども止めはしなかった。興奮してむしやぶりついてくる弟が可愛かったから。嫌がって横向けば泣き声で縋りつき、ゆるく膝をひらいて待ってやれば耳たぶまで真っ赤に染めて興奮する弟が可愛かった。

仕掛けてきたのは弟。誘い込んだのは俺。嫌がるそぶりも突き放す仕草も全部、深みに引き込むための演技。たぶん俺は弟を……、愛している、のだ。

「あ、ん……」

 胸元をもまれる。弱い先端を舐められて悲鳴のような高い声が漏れる。腰が揺れるのを止められない。かってに体が、揺らぎだす。

「……なんで?」

 語尾の掠れた弟の、声。愛しい、可愛い、俺の……。

「なんで俺だけ遠くにやろうとすんの?こんなこと、してるから?でもアニキだって嫌じゃないだろ?」

 うん……。少しも。

 いっそ二人でずっと一緒に、居たいほど。

「俺、本当は嫌なんだぜ江戸なんか行くの。愉しいわけないじゃんあんな、継母のところなんて。でもアニキが行けっていうから、俺が跡取になればあんたとお袋んこと守れるって思ったから、我慢したんだ。……あんたが一緒と思ってたから」

 うん、俺も。

 本当はお前を、他所になんか、少しもやりたくない。

 でも……、仕方ないんだよ、啓介。

 だからこそ俺は、お前から離れて。

 お前はお前の道を行くんだ。

 嫡子と庶子の違いを、差別を。

 俺は誰よりも知っているから。庶子の長子で、いちばん、いろいろ、キツイことばかりだったから。

 お前にはそれを味合わせたくない。お前は明るい場所に出ておいき。俺はいいから、俺を置いて、せめてお前だけ。

「……するよ」

 裸に剥かれた自分の脚を、折られるのが見えた。何をされるのかということより先に……、恥かしい。白すぎるその脚を抱えられて、しかも拡げて、膝を曲げられて。どんな風に弟に見えているんだろう。格好悪くて、みっともなくないと、いいけど。

「……ンッ」

 ぴくっ、と。

 そこは、弄られた事が、あった。

 弟はまだ、固くはなるけど弾けはしないから、指とか、他の、代わりのものを挿れてかきまわされて……、探られて、遊ばれたことはあったけど。

 指で広げられる。無理に。無茶に。

「いた、痛い、け、すけ……ッ」

 左右に裂かれるようにして、間に入ってくる。……啓介が。

「いや、ダメ。……、ダメって、いやぁッ」

「俺、だって」

「ひ……、ん、ふっ……、ヤ、め……」

「嫌だよ、俺だってさ。あんたと、離れんの」

「やめ、なぁ啓介……、し、死んじゃう、よ」

「……一緒に死んで」

 痛みと苦しさにのたうつ意識が、一瞬、醒めた。

 なに、言った、お前……。

「そうな、ったら後、追ってあげるよ。一緒に、死んでよ」

こんな子供の、弟が。

まさかそんなこと、言い出すなんて思わなかった。

いつも明るくて真っ直ぐだった、この子が。

「離れるぐらいなら……」

 泣き出した弟に俺は、痛みも苦しさも忘れた。

 悲しみだけ胸に満ちて、涙になって、溢れる。……お前に。

 そんなこと言わせてしまうなんて。

 やっぱり、俺はダメなんだ。間違ってた。お前のことこんなに愛しているけど。

 お前にそばに、居たらだめなんだよ、俺は。

 

 それから、記憶が少し、とんでる。

 たぶん失神するか何かしたんだと、思う。

 俺にねじ込んだ弟がどうしてどうなったのか、よく覚えてない。

 気がついたときはしっかり抱き締められていて。

 体の芯が、ずきずき、痛んだ。

「……啓介」

 ぎゅっと抱き締めるだけの弟に声をかけると、ますますきつく抱き締められて。

「放して」

「絶対、やだ」

「水……、汲んでくるよ。咽喉渇いただろう?」

 そうだ、それに食べ物も。

「だめ。行っちゃだめ。明日まで」

「うん……。明日まで、隠れていよう」

 俺が言うと弟は、信じられないというふうに目を見開く。その目にやさしく唇をつけながら、

「俺だって、お前をやりたいわけじゃないんだ……」

 囁くと、嬉しそうに笑った。明るい笑顔が胸に痛かった。

「用意、してくるから」

「篭城だな」

「うん、篭城。……待ってろよ」

「早くな」

「うん」

 

 俺が持ってきた握り飯を食べて、俺がそそいだ水を飲む。

 何の疑いもなく。

 なんか眠いと弟は言って。

 お休みと、俺は答えた。膝、貸してやろうか?

「あ……、うん。なんでだろ」

「安心したのさ。お休み」

「……うん、おやす……」

 み、と最後まで言えずに俺の膝で眠った。可愛い大事な、俺のお前。

「愛してるよ」

 膝に乗せた頭を撫でる。髪をすく。愛しているから、お前は俺を、安心して忘れな。俺はずっと、お前を愛してるから。

「俺を忘れるんだ……。分かった?」

 耳元で囁く。眠り薬を飲まされて、ぴくりとも動かずいしきを静めた弟に、暗示をかけるような気持ちで。

 辛かったけれど。

「忘れて、新しい母上に可愛がってもらうんだ。……幸せに」

 もう会えないけれど。

 大名の後継ぎは、江戸での居住が定められているから。

「……元気で」

 手放したくはなかった。

 なんどもキスして、そして蔵の扉を、開ける。京留守居役と他に二人の藩士たち。

「お手数おかけしました。眠っています、どうぞ」

 大人たちが蔵に入り、弟の身体を運び出す。

 人影がやみに紛れるのを俺は、見えなくなった後もずっと、見ていた。

 

 そして。

 乳母の行方不明。

 弟が最初から、正妻腹の嫡出の、身代わりに死ぬ予定だったこと。

 江戸藩邸に弟の姿は、ないことを。

 知った俺の掌に感触が蘇る。

 弟に飲ませた眠り薬の、茶碗の感触が。

 俺が地獄に突き落とした。

 あいつは、あんなに嫌がっていたのに。

 ごめんとか、許してとさえ、いえなくて。

 待ち続ける。地獄にやがて、落ちる日を。