椰子の実

 

煙草で霞んだような室内。

 部屋は天井の高い造りで、家具もこの館の客間に置いてあるものと大して違わない。照明も同様。なのに何処となくうすぐらい感じが漂うのは、蛍光灯がヤニで黒ずんでいるからか、それとも。

部屋の男たちの皮膚に染み付いた気配が発散し、光を駆逐しているのか。広い農場の治安のために雇ってある連中。通常の荒事ではなく、先住者たちとの本格的な抗争の場合、何百人も居る小作人たちを率いて指揮官として働くこ予定で飼われている軍隊出身の、それもかなりイイ線をいったプロたち。

農園で働く現地人とは桁の違う給与を、それも米ドルで支払われ、それぞれ、別の国の別人の名義でパスポートまで用意されている。プロたちは、優遇してくれる雇い主と職務には忠実だ。

「……臨時の仕事だ」

「報酬は?」

 欲深い性質自体は変化しようがないけれど。

「一万ドル」

 口笛をふきかけたリーダーらしいのが、

「ただし、全額、成功報酬で」

 吹きかけた形のままで唇を止める。室内を幾つもの視線が交差して、やがて。

「全額ってのは、ひでぇんじゃねぇかい?」

「そうでもしておかないとお前たち、勝手に殺しちまうだろうが」

「って事ぁ、殺しの仕事じゃないのかい」

「生かして連れ戻せ。無傷でだ」

「……ふぅん」

 何かを、察した顔をして、リーダーは口元でうすく笑う。やがて。

「……一万二千」

 緩んだ口元から、出たのは皮肉ではなく、金額。

「逃げたのはアレだろ?お気に入りのオンナだろ?今夜も抱いて眠りたいんだろう?密林に戻したら、たった一人をもう一度捜し出すことは不可能だぜ?……ボス」

「そうだ」

 文句があるかというしたたかな表情で、雇い主は短く肯定する。口調に真剣さを悟って、

「金額と条件はそういうことで、逃走の方向は?」

「分からない」

「あ?見た奴ぐらい、居るだろうがよ」

「目撃情報は一つも入ってない」

「……ふん……」

 リーダーが掌で口元を覆った。考え事をする時の癖だ。背後では音もなく、仲間たちがそれぞれに身支度。あきらかな武器を携帯するのを見て雇い主は眉を顰めたが、やめろとは言わなかった。言えなかった。海外資本を背景に政府の補助を得て開発が進む奥地のパーム農園。先住者たちが住む密林を刈り払い焼き払っての開発に、揉め事はつきもの。

 周囲の治安は、よくはない。

「この館のまわりは一帯、見晴らしのいいパーム園だ。パームには人が隠れれるほどの樹冠はない。密林に一番近い方向は南東だが、それでも歩きじゃ二日はかかっちまう。園には収穫の作業人らが大勢居る。人目につかない事は絶対に有り得ない。……ということは、だ」

ブツブツ、掌で囲った中に、声に出して男は推測をしてゆく。フランスの占領地時代、政府高官だった叔父の推薦で米軍の士官学校に留学、前線指揮官にまで出世した頭と腕のいい男。

母国が独立運動によって自主政権を打ち立てたことによって、叔父は粛清という名の死刑にされた。その時に米国は新政権と結託し、結果、男は米軍を追い出された。独立運動当時から、背後では米国が煽り援助し、亡命者を匿っていたのだ。

新政権は米国の利権に協力し、既に隠しようもなく腐敗し尽くしている。国連が正当と認め加盟を許可したこの国の『独立運動』は、支配する白人の国籍が変わっただけの結末で完結した。

そして男は一族を養うために帰国し、今、政変にびくともしなかった政商の手先を務めている。

「出てない。多分、外には。館の、この敷地の中に居るはずだ」

 その推測に背後の部下たちから笑みがもれる。楽な仕事になるだろう、と。

「居ない」

「居るさ。日暮れを待って、それから抜け出す気だ。頭がいいらしいな、あんたのオンナは」

「居ない。館じゅう、全部捜させた」

「……あ?」

「中には居ない。絶対だ。天井裏から床下まで捜した」

「ちょっと待てよ。逃げ出したなぁ、何時だよ」

「昨日の夜」

「……なんで、もっと早く、俺らに知らせねぇッ」

 窓の外では、陽が西の地平線に沈みかけている。数年前までは鬱蒼とした密林だったのが、見渡す限りのヤシ園に変わってしまった平原。

 リーダーは壁にかけていた皮ベストを羽織った。密林に暮す部族たちの毒矢に対抗する為に、とくに獣油を塗りこめて十分に滑した、この男自身が考案した軽量で、身動きを妨げない衣服。

「お前たちにだけは頼みたくなかったからだ」

 雇い主は正直な男らしい。それとも、歳に似合わず老練な傭兵に対等で居るためには、得意な直球の一本勝負しかないことを知っているのか。

「怪我をさせるなよ。絶対だ。無事で連れ戻せ」

「最大の努力はする。一つだけ答えろ。怪我させても連れ戻すか、無事で逃がすか、どっちがいい」

 部下の差し出す皮手袋を嵌めながら、こちらも真っ直ぐに問い掛ける。雇い主は男がフタツの手袋を嵌める時間だけ悩み。

「……逃がすな」

 苦しそうに、だがはっきりと。

「絶対、逃がすな」

 言った。

 ふんと男は鼻先で笑う。その勢いで、何かを言いかけたが。

「京一さん」

 スコープ付きの麻酔銃を背後から部下に差し出され、タイミングを外した。

「人手を使うぞ。用心棒たちを」

「好きにしろ」

「集荷場か、製油工場か。故障して部品待ちのブルの下かもしれねぇな……。どっちみち、どっかで日暮れを待ってんのは間違いない。お日さんが沈みきるまでが勝負だ。……行くぜ」

 十人ほどの部下たちを顎をしゃくって促して。

「キアイを入れてかかれよ。相手は、かなり、切れやがる」

 黙って聞いていた雇い主が、耐え切れなくなったのか。

「なるべく怪我、させんな」

 命令というより依頼、たのむような口調で言った言葉は。

「だったら逃がすなよ」

 カツンと冷たく、投げ返されて床に転がった。