欲望・4
旧大国の女王にして新興国の王妃。三代の王に仕えることになった女は、さすがに少し、頬が削げていた。
「風邪くらいひいていてよ。助けた甲斐がないから」
疲れた顔で無理をして笑う、表情はどこがあやうく、それがまた絶妙な艶になっている。否、色香を言うなら頬のあたりより、緩く着付けたバスローブの胸元と、裾から伸びる、やわらかそうな曲線の脚がより、男の視線を捕らえて離さない磁場を作っている。その磁場からは、湯気のように甘い気配が漂ってきて、
「お前は馬鹿だ、ロイ」
年をまたいで一週間、寒い地下牢に繋がれていたくせに風邪ひとつひかなかった、強壮な幼馴染の、目を細めさせる。手首を縛らた
鎖の端は、体の大きな宦官が握っていた。
王宮の最奥、国王の起居する一角。贅沢な調度品が溢れる天井の高い居間。なかでも一番、見事に美しいのは、バスローブごしにも素肌と分かる女の肢体と濡れた瞳。
「家臣の分際でいいかげん失礼だね、ヒューズ」
「王様のつもりならなんで帰ってきた」
「馬鹿な家臣を人質にされたから。なんでのこのこ、ここまで来たんだか」
「……」
「身代わりを届ける為だよね」
黙りこんだ眼鏡の宰相の、代わりに口を開いたのは若い新王。バスを使ってきたらしく髪が濡れている。『王妃』は籐の椅子から立ち上がり、棚の上に置かれていたふかふかのタオルを手に新王に近づく。新王は王妃様が腰掛けていた籐椅子の向かいに腰を下ろして脚を組む。王妃が背後へ回ろうとしたのを、腕を掴んで前面に引き寄せ膝に乗せる。
「……」
無抵抗のまま、細腰を若い男の膝に載せ斜めに向き合いながら、タオルで濡れた髪を拭う。バスローブの袖が落ち、腕が肘近くまで見えた。透明感のある白い腕は形よく膏がのっていて、食欲をそそる色艶。
「この女が逃げても代わりの『女王』が居ればうちの体面は保たれる。そう思ったんだよね?」
年があけ二十歳になった新王の流し目は鋭い。骨太の剛直では兄に一歩譲るが、切れ味は匹敵するか凌ぐと評判の、頭のいい、弟。
「舐められたものさ。若い女を送り込めばあなたの逃亡を誤魔化せると、思ったんなら大勘違いだ。綺麗な女ならうちにも山盛りで居る。欲しいのはカラダじゃなくって背景。コレとアレとじゃ、比べ物にならない」
若い王様は言いながら、膝の上に載せた『コレ』の背中に腕を這わせ、撫でる。
「あれが女王さまなんて僭称もいいところだ。前王の従兄弟の外孫なんか、いったい何親等さ。氏も育ちも、比べものにならない。ねぇあなたからも言ってよ。身代わりなら、もっとマシなタマ持って来い、って」
若い王様は『王妃』に発言を求める。
「よく分からないな。可愛いい子だったと思うけど」
旧大国を半植民地化した新興国側は新女王を承認せず、相変わらず故郷の女王様として、臣下を引見した『王妃』は静かに答える」
「ほら、嫉妬どころか、ライバル意識も持ってない。相手にならないんだよ」
女に目利きの新王は、旧大国から連れてこられた新しい女王のことを価値がないように罵る。それは兄嫁であり前王妃であり、戴冠された自身の『妃』でもある年上の『コレ』を擁護するため。
だけでは、なかった。
年若い新王は、本気で腹を、立てている。
「あんなのに僕が食いつくと思われていたんなら心外だ」
本当に憎そうに、若々しい頬の右側が歪む。
「あんなのが代わりじゃ、ウィンリィまで馬鹿にされてる」
「あぁ、君がそんなに怒っているのは、だからか」
愛していながら離婚せざるを得なかった妻のことを、この若い王様は今でも大切にしている。
「ヒューズ、謝罪しろ」
すらりと王妃は自国の宰相に言った。自然な命令はさすがに育ちだった。前王の直系、生まれたときからの王女。母親も歴史の長い大貴族の娘で、血統からいえば女官あがりの後妻が産んだ死んだ義弟よりもさらに一段と、尊い。
「申し訳ありませんでした」
手首を縛ら繋がれたれた姿で、旧大国の宰相は膝をつき、新興国の国王に失礼をわびた。しかし。
「……誠意が篭ってないな」
「仕方ないでしょう。悪いと思っていない」
糾弾の、フリをして。
「こんな年増より遥かにいい子を連れてきてやったのに、って、きっと思ってる。納得していない……」
王妃は母国の宰相を庇っている。だから悪気はなかった、のだと。
「どうだか」
新王は信じていない表情で、異国の宰相に一瞥をくれた。そして。
「寝室の、天蓋に繋げ」
細い鎖を持つ宦官に命じる。
「……やっぱりそれ?」
「立会いに、あなたの母国の人間が居なかったからね」
実質的な婚姻が確かに成立したことを証拠だてるための証人。
「そんなのいまさら」
「おいで」
籐椅子から立ち上がった新王は王妃の手を取り、奥の寝室へ向かう。の眼鏡の宰相は、天蓋つきの寝台の天蓋に手を上げる形で繋がれているところだったが。
「ところでヒューズの罪名は?」
それを見て王妃の表情が硬くなる。
「そいつは君じゃなくわたしの家臣だ。罰するというのなら罪名を聞かせてくれ」
「言うようになったじゃない。母国のことなんかもう、どうでもいいんじゃなかったの。それともそいつだけは例外?」
「罪名は?」
「男の嫉妬」
「……なにそれ」
「あぁ、そーやって軽蔑って顔があなた、一番きれいだよ」
言いながら新王は王妃の腕を取り、かなり乱暴な力でシーツの上に転がした。驚いた彼女が起き上がるよりも早く、仰向けの腰にまたがり、胸の下で結ばれていた細い帯を無造作に解く。