銀色の鮫はボンゴレ十代目の屋敷から出た。

「仕方ないじゃない。他に方法がないよ」

 雨の守護者はぶつくさ文句を言ったが、ボスにそういわれてしまえば反論は出来ない。実際、他に手段がなかった。ボンゴレ最強の特殊暗殺部隊であるヴァリアーを空中分解させない為には、長年、ボス代行を務めてきた銀色を戻すしかない。

「山本がやってくれる、っていうならそれでもいいけどさ」

 そう言われて山本武は両手をあげて降参。あれは特殊な、ヴァリアーという『生き物』たちの群れ。別種の存在がアタマを張れるわけがないことは分かりきっている。

 ボンゴレ所有の『匣生物』である銀色を自由にすることに関しては沢田綱吉の父親、門外顧問である沢田家光からも異論が出た。けれど。

「じゃあ父さんのCEDEF、チェデフで引き取ってくれるの?」

と、一言いわれて、返事をしなかった。出来るわけが、ない。

 ボス代行の選定は即座に行われ、迅速にヴァリアーへ伝えられる。身の回りの荷物だけまとめた銀色が『転勤』の挨拶を沢田綱吉にしに来て、そして。

 

 

 

 

 

「色々、感謝してる」

 自分自身と、ボスであるザンザスと、自分の家族であるヴァリアーに対する配慮に対して礼を言う。くすくす、言われた沢田綱吉は明るく笑い出す。

「なんだぁ?」

「スクアーロさんって実は、けっこう礼儀正しいですよね」

「あぁー?」

「お礼を言ってもらう必要はないですよ。オレがあなたを自由にしたんじゃない」

 顔立ちだけは優しいけれど実は相当したたかな、未来のボンゴレ十代目は薄く笑う。

「オレはずっとザンザスが羨ましかった。あなたみたいな人にあんなに愛されて、いいなぁって心から思ってた。オレの奥さんは薄情で、あんまりオレに優しくしてくれないから」

「……」

 その代わり超別嬪の極上玉じゃねぇかと、私的な場所なら銀色は口にしただろう。この屋敷のボスは独身だが、雲の守護者を昔から愛して、九代目の前でも来客の前でも構わずに妻のように扱う。

「今は逆にあなたのことが羨ましい。あんな、ザンザスみたいな人にこんなに愛されて、いいね」

じっと見られて、笑われる。表情には出さなかったが銀色は少しゾクリとした。本気の凄みを感じて。

「彼の全部と引き換えに手に入れた、あなたの自由だ。大事にしてね」

 頭を下げて唯々諾々と、銀色の鮫はその場を下がるべきだった。

「全部じゃねぇ」

 けれどもそれが出来なかったのは、目の前の若い十代目への対抗心。

「いつでも、オレは残ってる」

 若しくは牽制。アイツはオレが居るんだと、この見かけによらず性悪で気の多い相手に釘をさしておく必要を感じた。

「アイツはナンにも、なくしちゃいねぇ」

 妻のことは棄てた。ボンゴレ一族の一員からは外れた。けれどもそれが何程のことだ。もともとそれらは、とっくの昔にやめていたこと。ヴァリアーのボスであること、そしてザンザスという名を持つ男であること以上に価値のあることは、ない。

「そう。そうですね」

 沢田綱吉が微笑む。頷く。

「お元気で。と言っても、すぐまた会うと思いますけど。時々は九代目のところにも顔を出してあげてください」

 その言葉には深々と頭を下げ、銀色の鮫はボンゴレ十代目の執務室を出た。同席していた側近の獄寺隼人がドアを開けてくれる。

立ち去り際に横顔に軽くキスをされて、それには濃く首を返して唇の先端をかすめることで応じた。

「目の前で仲良くされちやうと妬けちゃうね」

 ヴァリアーのボス補佐を送り出した部屋の中、机に肘をついて若い十代目が呟く。

「アイツが居なくなって寂しいんですか、十代目?」

 柔らかく優しく鋭く、獄寺隼人がドアを閉め部屋の中央に戻りながら尋ねる。

「寂しいよ。ザンザスもスクアーロさんも居なくなっちゃって、ヴァリアーの人たちも帰っちゃって。ヒバリさんはまた行方不明だし、山本は野球しに日本に戻るって言うしさ。オレのそばにはまた獄寺クンだけになっちゃったよ」

 一時はこの屋敷にヴァリアーの幹部たちがあつまり、朝夕、賑やかだったのに。

「すぐもとに戻りますよ」

 机上に置いていた読書用の眼鏡を掛けて、書類を整理しながら獄寺は言った。口先だけの慰めとも思えない、確信のこもった声で。

「何かが起これば、またすぐに集まります」

 普段はそれぞれ好き勝手、思い思いの場所でそれぞれの望むことをしているとしても。

「俺らは、ファミリーですから」

「まぁね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幹部の集まる食堂の扉を、ノックもせずにバン、と右手で開けて。

「……ただいま」

 他に言いようがなかったからそう言った。

「お帰りー」

「お帰りなさい」

「帰ってきたのか」

「お帰り、スクアーロ」

 王子様にオカマにムッツリ、守銭奴の赤子は立ち上がりもせずに挨拶を返す。

「ごはんは、どうするの?」

 ピンクのふりふりエプロンを身につけ、食卓を守るオカマが尋ねる。

「飲み物だけでいい。自分で煎れる」

と、銀色は答えて荷物をソファの横に置いた。キッチンに踏み込みいつもの場所に置いてあるコーヒー豆を手にする。

「あれ、センパイ飲み食い出来んの?錆るんじゃね?」

「ひとを機械人形みてぇに言うなぁ」

「ああ、そうね。水の波動のものなら大丈夫なのね?」

「おぅ」

「えー、じゃあこれから先輩だけ自炊生活?マジで?」

「ヒマがある時は一緒に作りましょう。そうしたら一緒に食べられるんでしょう?」

「おぅ。たまにゃあ手伝うぜ」

「タノシミにしているわ」

 カフェの入ったカップを手に、銀色の鮫がどかりと、食卓のイスに腰を下ろす。一年たってもその椅子は以前通りの位置で持ち主が戻って来るのを待っていた。

「……」

 ちらり、湯気の奥から銀色が上座を見る。ボスの椅子はボスの位置に置かれたまま。

「あんた、お部屋はどうするの?」

「オレの部屋、ねぇのか?」

「まさか」

 ヴァリアーのボスは亡くしてしまった情婦を取り戻したがっていた。銀色の部屋はそのまま二階の一番奥、ボスの起居する三階にもっとも近いサブの位置に何もかもそのまま、置いてある。

「ボスのお部屋で眠るのかって聞いているのよ」

「バカ言うなぁ。オレぁ代行だぜ。話は聞いてるダロ?」

「そう。じゃ、カフェを飲み終わったら、お夕食を持って行ってね」

「……あ?」

 ナニを言われているのか、分からない、という訳ではなかったけれど。

「時々ね。今日はあんたが来るって分かっていたから、お昼過ぎから」

 含みのある声でルッスーリアが言って。

「……アイツ」

 銀色は、絶句。熱いカフェを無理してごくごくと飲んで、ルッスーリアが用意してくれたトレーを片手に早足でスタスタ食堂を出て行く。

「ナンか、オージ、ビミョー」

 子牛の煮込みを黄色いポレンタと交互に口に運びながらティアラの王子様が、呟く。

「あらナニが不満なのベルちゃん。いいことばかりじゃない」

 るんるん、自家製のバニラのジェラードを冷やした皿に盛りつけながらルッスーリアは言った。ミントとシロップで煮て覚ました梨も添えられて、白いジェラードとミントで緑に染まった洋梨の彩が鮮やか、食欲をそそる。

「スクちゃんは帰ってきたし、ボスも戻ってきてくれたし、いうことなしじゃない」

「別に文句があるんじゃないけどさー」

 戻ってきてくれたことが嬉しくない訳ではないけれど。

「わがまま言わないのよ」

 ティアラの王子様の気持ちがオカマには少し分かる。自分たちをあっさり棄ててボンゴレを出て行ったボスが、銀色の鮫が帰るのにあわせて戻ってきたのがなんとなく引っ掛かるのだろう。

もう少し自分たちのことも気遣ってくれればいいのにと、そう思っている。ボスに出て行かれて暫くは、王子様なりにしょんぼり、しゅんと落ち込んでいた。

「センパイも、さぁ……」

 懐かしそうに最初は笑ってくれた。けれど男が自分を待っていると知った瞬間、なにもかもどうでもいいという風にさっさと、上階へ向かった。二人にあっさり棄てられたような気持ちで王子様はさみしくなってしまう。

「スクちゃんもボスも、ちゃんとアンタのことをスキよ?」

「別に、そーゆーんじゃなくってさぁ」

 寂しさを素直に認めきれない王子様だった。

「溶けてしまう前にお食べなさい」

 ルッスーリアに促され、ジェラードにスプーンを入れた王子様は、

「マーモン、ほら、あーん」

 寂しさに拗ねかけた気持ちのまま、隣の席に座った赤ん坊に自分のジェラードを掬って差し出す。

「寂しがりの殺し屋っていうものも面倒だね」

 と、言いながら、珍しくマーモンは素直に口を開き、スプーンの先に載せられたジェラードを食べた。

「ししっ、マーモン、美味いだろ?」

「ルッスーリアのジェラードはいつでも美味しいよ」