所有権・10

 

 

 

 

 逃亡を発見されて身柄を拘束、という『設定』からは信じられない、甘いほど優しい監禁だった。

「オマエ、なに考えてンだぁ?」

 ゲスト滞在用の離れが丸ごと与えられ、面会も外出さえ基本的に自由。ただしヴァリアーの幹部たちはボンゴレ本邸から沢田綱吉のもとへ移され外出時には全員が残されて、人質のようになっている。

「とくに、なにも」

 男がドライブに行きたいと言い出した時、沢田綱吉は少し心配そうだった。けれども許可を出し、案内役に、銀色の鮫をつけた。ナニをいまさらどう案内するんだと銀色の鮫はブツクサ文句を言ったけれど、山本武が嫌そうな顔をしているのを承知しつつ、男が運転する車の助手席に乗り込んだ。

 逃げるなよ、と、いわでもの言葉に送られながら。逃げたところで食事ぬきなら三日ももちはしない。弱りきれば世界の何処からでも自動的に匣へ戻ることになる。そう言いながら手渡してくれてペットボトルの水に、助手席で口をつけながら。

「ヤルかぁ?」

 銀色の鮫はまっすぐに尋ねる。ハンドルを握った男が苦笑する。天気のいい昼下がり、サングラスの下で、ややコワモテだがハンサムな男の目じりに薄く笑い皺が出来るのを、銀色は惚れ惚れと眺めた。

「いいぜぇオレは。オマエがヤリてぇなら」

 至近で眺めるこの横顔を、世界一、いいオトコだと思いながら生きてきた。

「許可でてねぇだろ」

「かまやしねぇ」

「後でテメェが怒られるンじゃねぇか?」

 勝手に外で遊んでくれば今の持ち主は怒るだろう。

「知ったこっちゃねぇよ」

 イタリア都市の郊外には日本のようにラブホが林立する場所はない。ただし、ローマ時代からの歴史を誇るバイバスぞいに休息を取れる施設は点在している。

一階に車の駐車スペースがあり、二階若しくは向かいが宿泊する部屋になっているというのは、日本ではもう建てるのが難しくなった昔のモーテル・ホテルにそっくり。その一つに入れば昼間からのお愉しみも不可能ではない。

「寄りたいなら、いいぜ、行っても。泊まりは無理だけどなぁ」

 す、っと。

 オトコの左手がギアから離れる。銀色は思わず体を引いた。殴られるかと思って。

「……」

 沢田綱吉が所有するセルシオの助手席は広く、窓に頭が触れるほど遠ざかられると、オトコの左手でも届かない。

「撫でたかった、だけだ」

 殴ろうとしたのではないと男は珍しい言い訳。それから左手をギアに戻して真っ直ぐに前を見る。

「ごめん」

 男の手から逃げてしまったことを銀色の鮫は謝る。意思ではなく反射だった。だからそこ性質が悪い。

「ごめん、なぁ」

「べつに」

 銀色に怯えられていることに男はいまさらのように傷つき、傷つけてしまったことに気づいた銀色はしょんぼり。

「……ごめん……」

 あんまり露骨に、落ち込んで居るから。

「べつにって言ってっだろ」

 オトコが言葉を補う羽目になる。少年時代のような口をきく。銀色がほっとしたのか、また少しだけ笑った。

「どっか入ろうぜ」

 そうしてもう一度、今度は自分の意思ではっきりとした、言葉。

「無理すんな」

「してねぇよ」

「後で怒られるんだろうが」

「かまわねぇ」

「こっちが構う」

「揉めたくねぇってか?ならナンでツナヨシんとこに乗り込んで居座ってんだぁ?なに考えてンだよ?」

「ツラを眺めたくて」

「……はぁ?」

 思い切り馬鹿にした声で銀色が眉を寄せる。正気かと男に真剣な目を向ける。

「ンな馬鹿なこと正気で言ってんのかオマエ?」

「正気だ」

「なんか、よっぽど、ヤなことあったのか?ジジィとまた揉めたのかぁ?」

「うんざりすることならあったぞ。聞かせてやっただろう」

「ああ……」

 あれかと、思い当たることは確かにあった。

「見舞い行ってっか?」

 と、素で、尋ねる銀色に。

「行くわきゃねぇだろ」

 男が少し、腹立たしそうに答える。

「オマエの気持ちも、すっげぇ分かるけどよぉ」

 妻に不貞をされ、自分のではない種子を孕まれて。

「女房だって寂しかったんだと思うぜ。可愛がってやんなかったオマエも悪いんだぜ。まだ十代だろ?許してやれよ」

「正気で言ってんのか」

「今どーしてんだぁ?」

「知るか」

「見舞いに行ってやれよ。オマエんチに一人で居るなら可哀想じゃねぇか。誰も味方になってくれてねぇだろ?」

「なんで、テメェは」

「それとも、もしかしてもう実家に帰ってるとかかぁ?なぁ、なら余計だぞ。さっさと迎えに行った方がいいぜぇ」

「オレをあの女に突き出そうとするんだ?」

「アレがオマエのそばに居るか居ないかで、ボンゴレの中のオマエの立場、全然違うんだぞぉ?」

 男が分かっていない筈はないと、知っていながら銀色は、真面目に真剣に言った。

「ジジイが生きてるうちはいいけど、死んじまった後でボンゴレの中に、オマエの居場所がなくなんのが心配で、ジジイはアレをオマエに嫁がせたんだろ?」

 現存する中では最も正当な血統を保持しているとされる若い女。

「腹はたつかもしんねぇけどよ、そのガキ、オマエの、ってことにしちまぇよぉ」

 その女が産む子供はボンゴレの内部で珍重される貴種となる。男子であれば十一代目に選出される可能性が、現時点では一番、高いともいえる。その『皇太子』の父親であることは男の立場を強化する。

「じゃねぇとオマエ、ジジイが逝っちまったら、ボンゴレの中から弾き出されるぜ」

「かまわねぇ」

「わるぇワキャねぇだほろぉがぁ!ガキじゃあるまいし、ノリでキメんなぁ!」

「喚くな。ボンゴレからは近々出て行く」

「はぁ?」

「呪いはうんざりだ」

「マジで言ってんのか、オマエ」

「一緒に来い。匣だけでいい。死ぬまで抱いていてやる」

「だから、そういうのノリでキメんなって」

「テメェがイヤなら一人で行く」

「……まじかぁ?」

 銀色の鮫は尋ねた。けれど答えを聞くまでもなく、男がマジだということは分かっていた。わざわざ自分を連れ出して誘うのだ。この車に盗聴器が仕掛けられていないと思うほどこの男は無用心ではなく、愚かでもない。

 このままここからとぶつもりだと、銀色には分かった。

「なぁ、ザンザス」

「オレが結婚して家庭を持てば、テメェをヴァリアーに戻すって言われた」

「怒らねぇで聞いてくれっかぁ?」

「だから結婚した。テメェを戻せとジジイに言ったら、家庭というものには子供が必要だと、例の口調でほざきやがった」

「あー」

 一つ譲歩すればまたひとつ。そうやって要求を重ねて条件を積み上げて、身動きできないようにする遣り方は九代目の得意技。日本人のボンゴレ十代目も、その遣り方にハメられてドツボに落ち、最終的にはしがらみに絡め取られて拒否権も奪われ、よんどころなくその地位を継承した。

「努力はしたが、無理だった」

「おっ勃たなかったってかぁ?」

「そっちはクスリでなんとでもなるが、オンナがな」

「あー?」

「膣痙攣で挟まれんのは痛ぇぞ」

「……お?」

「こんなのが嫌な気持ちは、分からねえでもないが」

 最後の言葉はやや自嘲的。ボンゴレの血を引く女は頭が良く物事に聡い。同性の情婦を取り戻すために、嫌々ながら自分を抱こうとする夫に、まだ十代の新妻が拒絶反応を起こしても一概には責められない。

「あんまり埒があかねぇんで、一度、つい、殴った」

 告げられた告白に。

「オマエ……、女房をかよ……」

 銀色が非難の声を上げる。バイセクシャルでも男同士ではネコでもイタリア人に生まれた以上、女に手を上げる男は最低だという確固とした倫理は持っている。

「オマエが、悪ぃぞ、そりゃ」

 浮気をされても、と、言った銀色は。

「そうだな。焦っていた」

 オトコにあっさり認められ言葉を失う。自分を取り戻したくて焦っていたのだと、告げられてなお男を責めるには、銀色自身も男を愛していた。

 でも。

「ボンゴレから出て行けると、本気で思ってんのかぁ?」

「一緒に来い」

「行かねぇし、行くのに賛成もデキねぇよ」

「せっかくオレが、誘ってやってんのに」

「怒らねぇで聞けよ。オマエ、自分が、ボンゴレから離れて生きていけると思ってンのかぁ?」

「生きていけないとオマエは思ってるな」

「安い酒とか、メシとかオマエ、無理だろ。ジャグジーついてねぇ風呂とかも想像できねぇだろ」

「ガキの頃は共同シャワーしかなかった」

 母親と一緒に住んでいた下町のアパート。

「そんなの、大昔の話じゃねぇか」

「貧乏暮らしのことならてめぇより知ってるぞ」

 この銀色の前でさえ滅多に口にしない過去を。

「チキンのゆで汁に塩を入れて、次の日はそのスープが夕飯だ。豆が入ってた」

 喋る男の意図は。

「フレンドウイスキーを飲む気はねぇし、熱処理した赤ワイン飲ませる気もねぇ」

 一緒に来ないかともう一度、誘っている。

「ボンゴレの一員じゃねぇオレはイヤか」

 そんな風に尋ねられると銀色は動揺する。違うと言いたい。でも、言えばきっと、断れなくなるだろう。

「らしく、ねぇよ」

 やっとの思いで絞り出したのはそんな言葉。

「ンなのは、オマエ、らしくねぇ」

「そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大破した車が見つかったのは、夕暮れ。

 焼かれた内部に死体は見つからなかった。

その車で出て行った二人のうち、一人が見つかったのは、深夜。

 主人が留守のヴァリアーの砦の中。居ない主人の部屋のベッドの中、100ドル紙幣の束に埋められるようにして眠っていた。