ボンゴレ十代目からの使者を。
「なんだよ、センパイ。めかしこんじゃってぇー」
出迎えた王子様はケラケラと笑う。笑われて銀色はムッとしたが反論はしなかった。マフィアの正装ともいうべき黒のスーツを着込んで、中のシャツは髪の色と合わせたブルーグレイ。
「チョーお洒落じゃん。なんか似合わないぐらい似合っててワラエルー」
上から下まで、見立てはボンゴレの若い嵐の守護者。自他共に認める『格好つけ』である獄寺隼人は若い十代目周辺の人物の衣装の殆どをコーディネイトしている。例外は雲の守護者・雲雀恭弥だけ。アレは独特、特別な生き物だから。
「ボスはまだ帰ってないんだけど、ルッスが夜食作ってっから。コッチ」
王子様が先に立って案内するのには理由がある。ここは銀色が馴染んだヴァリアーの本拠地、中世の砦を改装したあの場所ではない。現在、ボスのザンザスがボンゴレ本邸に居を移しているのに同行して、一緒に、そこで過ごしている。
「アイツ何処に行ってんだぁ?」
「んー。ジジイんとこ。最近毎日だよ。ジジイが離さなくてさー」
「ふーん」
老いた九代目が養子を身近に置きたがるのは昔からだ。けれどザンザスが素直にそれに従っていることは珍しい。
「仲良くなったんじゃないぜ?」
銀色の考えを読んだように王子様が言って笑う。
「それなら俺らまでここに連れて来られてるワケないし?」
「人質ってガラかぁ、オマエらがぁー」
銀色の怒鳴り声にも負けず。
「んー。じゃあ、保険?」
王子様はケタケタと笑う。
「すっげぇ待遇いいんだよ笑っちゃうぐらい。最初はフツーのお供部屋に入れられてさぁ、ジャグジーついてないとイヤって言ったらすぐ、こっちに移されたし」
そこはボンゴレの賓客が滞在するための館。時には外国の王族や閣僚クラスの政治家が滞在する豪邸。かつてボンゴレ御曹司の側近として本邸に出入りしていた銀色も足を踏み入れたことのない、最深部の一角。
「センパイも暫く居れば?イロイロ面白いよ?」
最後の言葉を王子様はさり気なく言おうとして失敗する。語尾に一生懸命なお願い感が滲み出してしまう。ええい、と、王子様は度胸をきめて手を伸ばした。銀色の右側の腕を組み、歩きながら、肩に頭を押し付ける。
「なぁ、まだ怒ってんの?」
「……さぁなぁー」
「ごめん」
「てめーが謝ることじゃあねぇだろぉ」
「ボスの代わり。ボスも謝りたくてしょーがないと思うからさぁ。ごめん」
「……」
「許してよ」
「……」
「ンだよ、黙り込んじゃってさー。ナンかセンパイらしくなくね?」
「愛しるぜ」
「それボスんこと?それともオレに言ってんの?」
「どっちも。全部だぁ」
「じゃあさぁ、なんで?」
「……」
「教えてよ」
子供の頃のような言葉遣いに戻ってしまった王子様が、頭をぐいぐい、銀色に押し付ける。寂しい思いをした後の猫が飼い主にするような仕草。銀色は応えずに歩き続ける。やがて二人が、着いた部屋の中では。
「いらっしゃい、スクちゃん。お出迎えしなくてごめんなさいね。ちょうど練りのクライマックスだったのよぉー」
相変わらずピンクのフリルエプロンを身につけたルッスーリアが、テーブルに皿を置きながらそんなことを言う。皿の中身はひき肉とベーコン入りのトマトシュー。その中に、固めに練ったボレンタ、黄色いトウモロコシを練って作る蕎麦掻に似たものが団子状に浮かんでいる。
赤いシチューと黄色のポレンタの彩がとても鮮やか。トマトとベーコンの匂いが混ざって、じつに食欲をそそる香り。
「さぁ。早く座って、すわって」
ポレンタはティアラの王子様の大好物。ただしトマトシチューとの組み合わせは銀色の鮫が好きだったもの。
「ボスはもうすぐ帰って来られるわ。今。本邸から連絡が入ったの。あんたが来たから急いで……」
うきうきと喋っているルッスーリアの言葉が中断、されたのは。
「ごめんな」
近づいてきた銀色がピンクのエプロンに腕を廻して、オカマの格闘家をぎゅっと抱きしめたから。
「ごめん、食えねぇ。……すっげぇ愛してるぜ」
自分の好物を作って待ってくれていた、コレは仲間というよりも家族。王子様もそうで、長い時間を一緒に過ごしてきた戦友。
「まだ怒ってるの?」
このま銀色の、こんな愛情表現は珍しい。王子様は黙って眺めているけれど、オレにはしてくんなかったなぁと思っているのが不満そうな口元に浮かんでいる。
「んなんじゃねぇけどよぉ」
身長はルッスーリアの方がかすかに高い。抱きしめられて抱き返しながら、オカマは悲しい声を出す。
「まだ怒っているのね。ごめんなさい」
「オマエが、謝んなぁ」
「アタシも悪かったの。ごめんなさい。ボスだけが悪いんじゃないのよ。ごめんなさい。許して」
銀色がそれに応えようとした、時。
壁かけの内線が鳴った。ぱ、っと、銀色がルッスーリアから離れる。その反射的な動作は素早く、はやすぎて、怯えているように見えなくはなかった。
電話の音にではない。その向こう側に居るだろう、男に。
「あ、うん。ここに居る。ううん、もう食い終わった」
王子様が喋る。呼び出しだ、と察した銀色がオカマから離れて出て行こうとする。その背をルッスーリアは引きとめ、振り向く頬に、そっとキスをした。
「行きたくないなら、行かなくていいのよ?」
そうしておいて、自分たちのボスの意思に逆らうようなことを口にする。
「本当はボスだって、あんたを傷つけたい訳じゃないと思うの。あの人だって、本当は、アンタを」
「うん。分かった。はーい、リョーカーイ」
王子様が受話器を本体に置いて。
「ボスがこ……、おいで、って」
来い、というのを言い直す王子様はらしくない気配り。
「ボスもさぁ、最近オレらに、ちょっと優しいよ?」
だからそんなに心配するなと、そんな風に言う。
「ボスの部屋こっちだけど……、どする?」
「行くぜ。案内しやがれ」
銀色はさらりとそう言った。ルッスに笑いかけて部屋を出て行く。銀色をボスの部屋の前まで連れて行った王子様が戻ってくると、ルッスーリアは椅子に座り、テーブルクロスの端を目に押し当てて泣いていた。
「なに、テレビトラマの主婦みたいだぜ、ルッス」
王子様は言って自分の椅子を引き、好物の夜食のポレンタにスプーンを入れる。真っ赤なトマトシチューにはベーコンの風味がきいて濃厚な仕上がり。それに素朴な味わいのポレンタが混ざると実に美味い。
「オレらが泣いてもしょーがねーじゃん。元気だせよ。オレが二皿、食ってやっからさ」
何かを飲むかと尋ねられた。要らないと、銀色は答えた。座れと勧められたソファに腰を下ろし、立ったままの男がサイドボードの中の酒瓶を選ぶ背中を眺めながら。
「ってーか、オマエどーすんだぁ?オレが見舞いの品なんだけどよぉ、粗品で受け取りキョヒるンなら別のを見繕うぜぇ?」
義色のオンナはいつでも凛々しく男らしい。ポンポン、そんなことを言われて、繊細でウエットなところのある男は微苦笑。
「貰っておくさ、ありがたく」
「あーそーかよ。だったらさっさと済ませようぜ。おら来い」
「乾杯くらい付き合え」
「なにをカンパイすんだぁ?オマエとジジイが仲直りした記念かぁ?んなこたぁ、オレにはナンの関係もねぇぜ」
「ガキが出来た」
その、たった一言だけで。
「……」
銀色はイロイロなことに気づく。大雑把な性質だが頭は悪くなくて、長年ボンゴレ御曹司の側近をやっていれば、事態をよむ勘も訓練される。
子供が出来たというのはこの男の妻にだ。なのに養父である九代目が別居を認め、さらに昔の情婦まで招いてやるというのはおかしなこと。推測される結論は一つだけ。できた子供の父親はこの男ではない。
「そりゃあ、めでてぇなぁ」
男が差し出すグレンフィディックのグラスを受け取り、縁に口をつける。バカラのグラスは重く、底に沈んだ酒精はむせ返るほど濃い。唇の中で香る液体を飲み込む。美味い酒だが、銀色の好みではなかった。
「呪いが、しつこい」
男も飲みながらそんなことを言う。この強壮で周囲に弱みを見せない男がほんの微かにでも、愚痴めいたことを口にするのは銀色のオンナにだけ。
「あぁー……」
自身がかつて養父を実の父親だと信じ、それを裏切られた結果、味合わされた絶望を、今度は父親の立場で繰り返すのだ、と。
そんなことを男が嘆いているのだと銀色は察した。が。
「生まれてくるガキをよぉ、オマエがちゃんと可愛がってやれりゃあ、とけるのかもしれねぇぜぇ?」
この男の妻はボンゴレの血を濃く引く女。その父親が誰であったとしても堕胎などという『勿体無い』ことはしないだろう。第一、それはカトリックにとって重罪。九代目が許さない。
そうして生まれればこの男の子供になる。法律上は強制的にそうなる。認知拒否の裁判を起こして血液検査による判定でもすれば別だが、そんな恥はボンゴレも九代目も、この男自身も望むまい。
「ジジイと同じコトを言うな」
銀色の台詞に男が眉を寄せる。銀色は苦笑いしてグラスにもう一度口をつける。真面目な慰め文句を考えたらそれしか思いつかなかった。あの年寄りもそうだったのかと思う。愛は確かにあるのだと、思った。
「こういうところが、的外れなんだなぁ。オレも、ジジイも」
「そういう意味じゃねぇ」
「だからオマエに、最後は嫌われちまうんだぁ」
「嫌ってねぇ」
「正解は何だったんだぁ?お前がイヤなら腹の中のガキ、潰して来てやるぜって、言えたら褒めてくれたのかぁ?」
「そんなこと誰も言ってねぇだろ」
「ごめんなぁ。オレやっぱ、役立たずだなぁ」
「てめぇは」
「セックス、しようぜぇ。オマエがイヤじゃなきゃ」
他に慰める方法を知らなかった。