アイツは『ファミリー』じゃねぇ、と、冷淡なことを言っていた銀色のオンナだったが。
「すくあー……、ろ……」
目の前で子供のように泣きじゃくられては、そう冷たくすることも出来ずに。
「……よぉ」
尋常な挨拶をした。目の前で金髪の跳ね馬は胸を喘がせる。何かを言おうとしているのだけれど涙が邪魔をして喋れない様子。キスで泣き止ませることの出来ない銀色はスラックスのポケットからハンカチを取り出して渡してやる。ぎゅ、っと、握り締められる。
「よかった……」
涙と嗚咽の隙間から金髪の二枚目が、そんな言葉を絞り出したのはかなりの時間がたってから。
「もう、会えないと……、おも……」
「あー。イロイロあってよぉ。悪かったなぁ」
沢田綱吉には自分を騙したのかとかなり厳しい態度だったらしいドン・キャバッローネは、銀色の鮫には責める気配の欠片も見せない。その使い分けは見事。
「よか……」
うう、と、また跳ね馬が泣き出す。いーかげんにしろよと言いつつ銀色は背中を撫でてやる。縋りつかれる。支えてやるうちにいつの間にか、刺青の這う腕の中に入る姿勢に、なってしまっていた。
「イロイロの」
「おい、離せ」
「事情は、話してもらえないんだろうな……」
「てめーはファミリーじゃねぇからなぁ」
「スクアーロ」
「おぉい、ツラ押し付けンなぁ、シャツが濡れるだろーがぁ」
「……あいしてる」
泣きじゃくりは収まったがまだ涙の気配の残る震え声でそんなことばを告げられて。
「とっくに終わったコト蒸し返すんじゃねぇよ」
銀色は眉を寄せる。それはいまさらの告白。そうして銀色の断り文句も慣れたものだった。うん、と、ドン・キャバッローネは頷く。
「そうだな。オレはふられた。お前に棄てられたよ」
「ガキの頃の話だろ」
「でもまだ愛してる。お前にし……、居なくなられて悲しかった。すごく悲しかった」
「しつけぇなぁ、てめーは」
「オマエともう会えないんだって思うと息する力もなくしそうだったぜ。自分が本当に愛してるのが誰なのか、オレはよく分かった」
ぐいぐいと胸元に押し付けられる顔と、切ない声で紡がれる声に気をとられた銀色は、金髪のオトコの腕が自身の腰に廻されるのに気づかない。ファミリーではない、と口では言いつつ気持ちはかなり距離が近い。真剣な警戒心は持っていない。
「愛してる」
「ありがてぇけど、メーワクだなぁ」
「なんでも、するから」
「騙してたことは謝るからよぉ、離れろ」
「オレを愛してくれ」
「うぜぇ」
押し付けられる肩に手を掛けぐっと力を入れて、引き剥がそうとしたところで悲鳴を上げられイヤイヤをされて、その仕草の幼さに銀色はつい力を抜いてしまう。
これ以上泣かれたら面倒だからだったが、オンナに甘い顔をされた男が調子に乗ってしまうのは当然のこと。
「昔は、優しくしてくれたじゃないか、むかしは……」
「いつのむかしの話ししてんだテメェ。むかしは今じゃねぇんだよ。あぁうぜぇ。もーオレぁ行くぜ」
「なんで生きているのかは、聞かないでおいてやるよ」
離れようとした銀色の足がぎくりと、止まる言葉を、したたかなドン・キャバッローネは口にする。
「聞かなくたって分かってるから、だろ」
ショックは一瞬。すぐに立ち直ったフンと銀色は鼻先で笑う。この相手の力量については油断ならないという評価をしている。自分に満ちている自分ではない雨の波動に気づかない筈がない。
「オレのものに、したいな」
露骨な欲望を隠そうともせずに金髪の跳ね馬が銀色の鮫を撫でる。背から尻までを撫で下ろす。手の空はそのまま腰の、微妙な位置に添えられた。
「雨の匣はオレも開けられる。オレが開けたらオレの言うことをきくか?」
ドン・キャバッローネの焔も沢田綱吉並みに純度の高いきれいなオレンジの大空。全属性の匣を開くことが出来る。嵐が強く混じっていることで幾つかの匣を開けられないヴァリアーのボスとは違って。
「されてたまるかよ。ばぁか」
「大事にするぜ、宝物みたいに」
「うぜぇってんだろ」
「ボンゴレってのは、本当に酷いところだ」
菌の跳ね馬が言った口調はイヤミだったが感嘆も混じっていた。
「オマエにまた会えたのは嬉しいし、どんな風でも生きていてくれて良かった。けどこれは酷いことだ。結局あれだろ?人体実験、だろう?」
「……」
「役に立つ間は自由になんかなれないで、骨の髄までしゃぶられる。オマエがボンゴレを家族と思ってても、アッチにとっちゃ家畜だ。飼い犬でさえない」
「……」
「否定しないのは分かってるからか?それでも愛してるのか。純っていうより意固地な愛情だな」
「……うるせぇ」
「ザンザスは」
「うるせぇよ」
「承知の筈だよな。お前の所有権はアイツにあった。直属のボスの許可なしにはいくらツナでも、こんな真似は出来ない」
「かんけーねぇだろ、てめぇには」
「オマエが死にたくなかったのは当たり前だと思うぜ?」
実験動物のようにされても、それによって思いがけない相手の『持ち物』にされてしまっても。
「オマエを自由に、してやるよ」
くどき文句の口調で囁きながら金の跳ね馬は銀色の肢体を抱きしめる。口では真剣に喋りながら手足でにオンナを包み込むやりかたは見事だった。抱きしめられて銀色は本来、拒む筈だがそれが出来ないのは、かなり動揺しているから。
「生きていてくれて嬉しいぜ。感謝の証拠にお前に自由を獲ってやる」
白い耳朶に跳ね馬の唇が触れる。偶然を装ったキスは巧妙だった。囁かれる言葉の内容に気をとられた銀色はそれがキスだということも分かっていない。
「放してやるから、俺のものにして」
厳格な鎖で思わぬ場所に繋がれている身の上には、ひどく魅力的な誘惑。金色の悪魔は獲物の背中に廻した掌を蠢かせて、相手のカラダの感触を服の上から存分に愉しむ。
「オマエが戻りたい場所にもどしてやるよ」
と、告げる跳ね馬の脳裏には、ここには居ない別の男のことがあったのだが。
「いらねぇよ」
反射的な拒否を受けて。
「ってことは、オマエをこ……、加害したのは、ザンザス、なんだな?」
聡い跳ね馬は新しいことを悟る。というよりも、疑いの確証を得る。
「戦争があった訳じゃないのに、オマエがあんなに突然、し……、なんておかしい。急性硬膜下血腫っていうのはつまり、頭を殴られたんだろう?」
そうしてこの銀色に日常の中で、そんな真似を出来るだろう人間はこの世に一人しか居ない。
「……」
「アイツにはオマエが邪魔になったんだろうな。結婚を控えた身じゃ、それも仕方がないことだ。花嫁を娶る前に身辺をきれいにする、あいつは全く見事なマフィアーソだ」
「うるせぇ」
「でもいくらマフィアでも、普通はもっと、違う始末の仕方をするぜ。金をやって、家か新しい愛人かをやって手を切る。殴り殺す、なんて野蛮人はあいつくらいじゃないか?」
「……」
「悲しかっただろう」
「……別に」
「絶望したのか。だからお前、そんなにどうでもよさそうな顔をしているのか?かわいそうに」
顔に傷のある男のことは銀色の鮫の、ほぼ唯一の弱点。そこをガンガンと責められて、殆ど息が止まりそう。
「勝手に、ほざいてろ」
細い声で言い返すだけがせいぜい。
「あんなに尽くしてたのに棄てられてかわいそうだな。でも生きていてくれて嬉しいぜ。それよりもいいことはこの世にない」
耳元へのくちづけに続いて頬を寄せられて、避ける気力さえなかった。
「あいして……」
繰り返される告白と、それに乗じて唇を狙う舌を。
止めたのは、顔の真横に撃ち込まれた弾丸と銃声。銃声の方が遅れたのは弾丸が発されたのが、至近距離だったから。
「……、ッ!」
金色の鮫が振り向く。全身を緊張させながら。ザンザスかと思った。咄嗟にそう思った。けれど振り向く視界の中で、マグナム弾を詰めたコルトのパイソンを構えている、のは。
「ヒトんちの庭先で、てめぇナニしてやがるんだ」
ボンゴレ十代目が暮らす館で、武器の携帯を許された人間は数人しか居ない。跳ね馬自身、来訪時に自己申告でだがムチを預けている。その一人である嵐の守護者、獄寺隼人がアッシュグレイの髪の下から、ハシバミ色の目で跳ね馬を睨んでいた。
「そいつに触るな。離れろ」
厳しい声で要求する、態度は友好ファミリーのボスと幹部ではない。男同士の、一対一の、ドマジな厳粛、果し合い。
「獄寺」
背後に腕を廻し、曖昧に笑いかけながら銀色の鮫を庇おうとする跳ね馬の対応に。
「触るな、って言ってんだ。聞こえねぇのかよ」
獄寺隼人は落ち着きながら、最後通牒を出す。