ねぇ、と、ボンゴレ十代目は年上の『親族』に話しかけた。

「オレはスクアーロさんに、キミと寝ろって命令は出来ないよ」

 言われた男は少し笑う。アッシュグレイの髪の美貌の側近は、賓客の前にモヒートのグラスを置いた。

 ラムをソーダ水で割り、ライムとミントを使って作るカクテルは夏のこの男の好物。獄寺隼人はそれを実に上手く作った。

シロップはほんの一滴、ライムは飾りでなくジュースをたっぷりと絞ってミントは粗く潰し、グラスのほんの一角だけ、縁をライムの葉で擦って塩に押し付けたスノースタイルは物憂いイタリアの昼下がりにはよく似合っているが、世間では珍しい。

「……」

 顔に火傷の痕のある男が笑う。それがあまりにも好みどおりだったから。不自然な作為が誰のアドバイスなのかは分かりきっている。ここにはこの男の好みを知り尽くした『オンナ』が棲んでいる。

「あの人は山本のだから、オレには命令をする権利がないんだ。山本とオレは友達で、主従じゃないからね」

 九代目と違って、という続きの言葉を沢田綱吉は省略する。あの老人は自分の言葉の重さを承知の上で、それでいて分からないフリをする名人。逆らわせない命令をお願いの皮で包むのがひどく上手い。

「スクアーロさんをキミに会わせたがらない山本の気持ちもよく分かるし。キミのこと酷いなって思うし」

 この日本人にまで糾弾されて、ヴァリアーのボスは苦笑を劣りすぎ、少し困った顔をした。コワモテだがハンサムな男にそんな表情をされて沢田綱吉が戸惑う。リング戦から数年、『一族』として対面したことは数多いが、こんな風にナマな気持ちを伝えられたことは一度もなかった。

「いまさらこんな風に会いに来るぐらいなら、どうして最後の時に来なかったの?」

 相手の素直さにつられて沢田綱吉は気になって仕方がなかったことを尋ねる。銀色はボンゴレ系列の病院で息を引き取った。連絡を受けた山本武は息のあるうちに駆けつけ、当時、婚約者ととともに九代目の夕食招かれ食事中だったこの男に、連絡のメモを届けてやったのに。

「マジで死ぬとは思わなかったからだ」

「死んじゃうよってオレの名前で知らせたのに信じなかったの?」

 九代目と会食中の席にメモを捻じ込ませるには沢田綱吉の名前が必要だった。当時、日本支部に居たボスに、その許可を取ってまで山本が知らせてやったのは、男自身の為ではなかった。

「……そうだ」

 銀色が最後にこの男に会いたいと思ったから。意識はもうなかったけれど、手くらい握って、やって欲しかったから。

「オレを信じてくらなかったんだ。ひどいよ」

 苦情を言われて男はまた苦笑。

「お葬式に来てくれなかったのはどうして?」

「そもそもなんで、てめぇが葬式を出したんだ?」

「ファミリーの一員だったから。スクアーロさんはヴァリアーに入った時に実家とは縁を切ってたし、彼のボスは彼の遺体を引き取りにも来なかったし」

「……」

「どうして来なかったの?」

「……」

「キミが色々ちゃんとしてくれれば、スクアーロさんがゆりかごの罰に人体実験の、材料にされることもになかったのに」

「……」

 そうならなければ、そのままもう、二度と会えなかった。

「自分が殺した死体を見たくなかった?」

「……そうだな」

 自分自身の臆病と卑怯を男は認めた。部下の死と葬儀に関わらなかったのはマフィアのボスとしては有り得ない不義理行為。相手はただの部下ではなく、十何年も一途に仕えてくれた側近で腹心、そして情人でもあった。なのに葬儀に、花も供えなかった。

「山本やディーノさんに会うのがイヤだったんじゃないの。二人とも今もキミのこと許してないよ。仕方ないよね、二人とも、スクアーロさんを大好きだったんだから」

「……」

 動物実験で成功した技術は次に、人体への応用を模索する。人間を匣兵器に使うことはマフィアの裏社会でも隠密に模索されていた。その実用に供された銀色はめでたく『生き返った』。

「返してあげられないよ。理由はキミも分かってるとおり」

「……」

 人体実験はうまくいった。行き過ぎて科学者たちが驚く程だった。知識及び身体能力は『生前』と同じように保持され、肉体にも精神にも破綻はなくて、まるで本当の『甦り』のよう。

 それがどんなことか、というと。

「不老不死とか、オレは信じてないけどね……」

 けれどそうなっている可能性は、現在、ゼロではない、のだ。

「でもね、キミが遊びに来てくれたのは嬉しいな。凄く」

 沢田綱吉の台詞はウソではない。ヴァリアーのザンザス、かつてボンゴレの最有力後継者だった九代目の養子は滅多に外へ出ない。結婚生活がゴタゴタして以後はボンゴレのごく内輪にさえ姿を見せることがなくなってしまった。暗殺説さえ、世間では流れるほど。

「最近のウチには困ったお客さんばかりなんだ。キミの奥さんの子供が生まれることになって、血統的にはその子がオレよりずっとボンゴレの血が濃いから、後継者に入れ替わりがあるのかないのか、とか」

「……」

 ザンザスはボンゴレの血を引いていない。が、世間はまだこの男を九代目の私生児と思っている。部外者たちの勘ぐりも理由のないことではない。

「キミとの面会は難しいし、九代目はボロを出すはずがない。っていう訳で、オレに会いに来るお客さんばっかりで、遠まわしにキミに子供が出来ることをどう思ってるか探られてうんざり」

「……」

「どうなの?」

 妻の胎内に宿った命をどう思っているのかと沢田綱吉が問う。その表情には疑いが浮かんでいた。

「カスザメに聞いたか」

「なにを?彼はキミのことなにも喋らないよ。恨み言も悪口も、誰も一言も聞いてない。健気だよね。かわいそうなくらい」

聞いては居ない。けれど、超直感を状況証拠が補完して、なんとなくの予想がついている。生まれる子供はこの見事なマフィアの子供ではないのだろう、と。でなければ九代目が夫婦の別居を許すはずはなく、男の昔の情人に頭を下げんばかりに優しさを乞うはずがない。

この、男は。

「出て行くの?」

 今にも消えそう。ボンゴレのボスの座に着くことが出来なくなって、それでもボンゴレを愛し続けていたのにその愛情は何度も裏切られた。虚無を心に飼ってしまっても当然というくらいには、何度も。

「スクアーロさんに最後に会って、ここからこのまま、姿を消すつもりなの?」

 この男は失踪を危惧した九代目によって本邸に軟禁状態だった。沢田綱吉に会いに行く、と、告げたことによって今日は珍しく外出が許されたのだ、見張りというか、お供はいるが、本邸の使用人たちでヴァリアーのメンバーではない。本気でまこうと思ったら簡単に出来るだろう。

「させないよ」

 静かで強い声。

「キミを自由にはさせない。手放すにはキミは大物過ぎるし、九代目とオレに近すぎる。何処にも行かせない」

 沢田綱吉の立場とすれば、それも仕方がない。最大のライバルであった男を組織の外に出すことは、虎に翼を生やして野に放つようなもの。

「九代目はキミを愛しておられるし、俺も……」

沢田綱吉は声をとぎらせ言葉を探す。

「キミを頼りにしてる。居なくなられると、困る。そばにいて欲しいと思ってる」

「匣生物みてぇにか?」

「……そんなつもりはないけど……」

 数々の裏切りを味わっても尚、ボンゴレに仕えろと、言っている自分の言葉が残酷なのは、若い十代目も分かっていた。

「でも許さない」

「茶ぐらい、持って来させろ」

「許さないよ。キミがボンゴレから出て行くというなら力づくで止める」

「それぐらいはいいだろう。ツラぐらい見させろ。ケチケチすんじゃねぇ」

「一緒には行かせないよ?」

「力づくって言ったな?」

「言ったよ」

 自分の言葉を確認されて沢田綱吉は頷く。

「キミを繋ぐよ、行かせない」

「……」

 男が芽を閉じる。唇が笑う。そんな静かな、でもはっきりとした笑みを沢田綱吉は初めて見た。銀色の鮫が居れば警戒を発したかもしれない。これはこの男が、相手をハメたと確信したときの、満悦の表情。

「……なに?」

 だということを知らない沢田綱吉も、腹に一物、という様子は察した。察したけれど、警戒するよりつられて一緒に、なんとなく笑ってしまう。嬉しそうな笑い顔を見たのは初めてだった。

「いいぜ」

「なにが?」

「てめぇの好きにしろ」

「なにを?」

「オレを」

「……え?」

 ゆっくり瞳が開かれる。ルビーのように真っ赤なそれがあんまり美しくて、沢田綱吉は思わず息を飲む。

「足抜けしようとするオレをてめぇが取り押さえた」

「やっぱり、したいの。気持ちは分かるよ。でも」

「無駄に疲れることもねぇ。過程はとばして、オレを監禁しろ」

「……」

 目の前の男がなにを言っているのか、沢田綱吉にもよくやく分かってきて。

「そんなにそばに、居たいの?」

「メシはカスザメに持ってこさせろよ」

「それが大人しくしておく条件?スクアーロさんのことそんなに恋しいの?ならなんで、殴り殺したりしたの?」

「間違って割っちまったくらいテメェもあるだろう」

「グラスはあるよ。恋人はないけど」

「喉が、渇いた」