指先の行方             

 

 

「って、……、よね」

 ぼうっとしながら外を見ていた啓介は、いきなり告げられた言葉をうまく聞き取れなかった。

「……ア?」

 視線を窓から引き戻し、向かいに座るケンタを見る。待ち人が遅れているせいでやや苛ついた目つきの悪ささえ、精悍な若盛りの雄には一種の、魅力になってしまう。

「いえ、あの……」

 ケンタはどぎまぎして、俯く。

「つまんねぇコトっス」

「いーから言えよ、さっさと。気になるだろうが」

「あの、だから、啓介さんって、器用だなって思って」

「あぁ?」

「今、左手で煙草に火、点けたじゃないっすか、それで」

 そう思っただけっスと、言われて自分がそうしたことに気づいた。深夜近い時刻、ファミレスの二階の広い窓。けれど鏡のようになっていて、駐車場の入り口はみにくかった。自分の影を映してガラスの透明度を上げて、必死に外を眺めていた。

 待っている、白い車が滑り込んでくるのを。

 胸ポケットから煙草を取り出したのもライターで火を点けたのも、本当に無意識。言われてみれば左手の、指の間に細い煙を揺らめかす煙草が握られていて、あぁ、と気づくほどの。

「やっば、アレっすか?将来レーサーになるために右手は使わないとか、そんなんッスか?」

 憧れを全面に出して尋ねるケンタに、

「アホウ」

 思わず苦笑がもれてしまう。待ち続けてる苛つきが消える。ついでに煙草をもみ消した。煙草をキライな人を、待っていることを思い出して。

「ごめん、灰皿、替えてくれるかな」

 通りがかりのウェイトレスに声をかける。はい、と彼女は微笑みとともに頷く。

「ついでにコーヒー、もう一杯」

「あ、俺もお願いしまっス」

 ケンタが微妙な語尾で言った。行きつけの店や他所の峠で礼儀正しく振舞えと、それはリーダーの涼介が重々、メンバーたちに申し渡していること。集団で店の一角を占拠し、ゲラゲラ大声で笑うような真似は、レッドサンズのメンバーたちには許されない。そういう品格というか、格好つけっぷりというか、すかしたところも含めて高橋涼介という男の統率力。

 届いた新しい灰皿に啓介は煙草を置かなかった。カップに注がれた苦いコーヒーを飲み干す。それも、無意識に左手だけの動作。

「指、格好いいっスよね、啓介さん」

「俺か?」

 言われて自分の指を見る。関節の太い、歪んでさえ居る指だ。

「男らしいッすよ。俺もそういう、指になりたいッす」

「喧嘩やってりゃ、嫌でもこうなるぜ」

 散々人を殴って傷つけてきた手だ。証拠のように関節は太く、硬い。

 伸ばした自分の指を眺めているうちに、ふと。

「知ってっか、ケンタ。オンナはこういう、指がスキなんだぜ?」

「そりゃそうッすよ。すっげぇ、強そうッス」

「そういう意味じゃなくってさ。鳴き方が違うんだよ」

「……エ?」

 ケンタは目をぱちくりさせて戸惑う。

 自分の手指を眺めながら、啓介は真摯とさえいえる表情で、

「ナカ入れたとき、アジが違うらしい」

 ひどく淫蕩なことを言う。

 意味を理解したケンタが赤面したのは、会話の言葉の、内容自体にではなかった。呟く啓介の表情が、あまりにも優しくうっとりとしていたから。

 その指で、鳴かせた記憶を、シアワセに辿って、いたから。伏せた目元の意外な睫毛の長さ。オンナの中に埋めてナカセタ記憶を辿りながら、自分の指先にキス、してもおかしくないような雰囲気は。

「悪い、遅くなった」

 やって来た涼介の声に中断される。

「あ、どーもッす」

「史浩は?まだか?」

「ナンか用が出来て、今日は直接、峠に行くってってたぜ」

「そうか。……メシは?喰ったか、お前たち」

「あ、はい、食べました」

「俺はまだなんだ。済ませていって、いいか」

「はい、勿論ッす」

「ナンにする?」

 閉じられ片寄せられていたメニュー表を啓介は兄に渡す。隣に座ったいとおしい、人に。

 左手だけで、渡す。

 右手はテーブルの下で、兄の膝に伸びている。

 膝頭の丸みを撫でて、そっと上に辿る。腿の外側までは黙認していた兄は、

「鳥の照り焼きセット。食後にコーヒーを」

 オーダーを告げながら、そっと内側を、撫でる悪戯な指を止める。

 左手の、自分の指を絡めることで。

 しなやかな白い指を、啓介はキュッと握りこんだ。

 このためだけにとっていた右手で。