『唯一・3』
第一幕・面影
偏見がなかった理由は、出身地が薩摩だということもある。けど本人と写真の人の容姿が抜群で、つるんでるとこ生で見たかったな、って思うくらい凄かったのが大きい。
沖田副長は顔写真がファッション誌の表紙飾っても全然おかしくない人だ。頭がちっせぇから遠目だと小柄に見えるけど近づけば案外な長身。経歴も戦歴もけっこう長いけどまだ二十歳そこそこ。そんで、腕は、この若さで幕府講武所の殿堂入りしちまうくらい、笑っちまうほどに。強い。
警察学校卒業して現場配置されてた新人は暫くの間、幹部のした働きを勤めながら仕事を見習う。昔なら側小姓って役割になるだろう。
どの幹部につくかはは三ヵ月ごとのローション。梅雨が明けた頃、沖田副長づきになった俺はちょっと嬉しかった。眺めてるだけで楽しい、立ってるだけで芸術点が取れる人がこの世には稀に存在する。そんな人を思う存分、眺められるのはシアワセなことだ。
真撰組屯所で副長の執務室は個室。その机の上には写真が乗ってる。写真は普段は伏せてあるけど、沖田副長は時々手にとって眺めてる。別に隠す気はないらしく枠に入ってる写真が俺にも何度か見えたことがあった。写ってるのは黒髪の、男だってことは、チラ見でも分かった。
ちょっとびっくり、しなかったこともない。でも、こういう怖い人でも若い頃には『彼氏』が居たんだなあっていう感慨の方が大きかった。
俺の故郷じゃ若い衆が男同士、一対一でつるむのはよくある話。男と女よりもっと情熱的に弟分が元服するまでの数年を過ごす。大体の男には『兄貴分』と『弟分』が一人ずつ居て、セックスは止めてもつながりっていうか、他人じゃない関係は死ぬまで。
そんな『相手』を大事にするのは、俺の故郷では女房を大事にするのと同じくらい武士らしい美徳で『いいこと』だ。だから。
伏せられた写真の前に花瓶が置いてあって、花がよく活けてあるのを見た俺の感想は、健気で可愛い人だなあってのが正直なところ。若い頃の『相手』を大人になってもまだ慕ってるなんていじらしくって、可愛い。
写真には触ったことはなかった。でも副長執務室の掃除は俺の仕事だ。沖田さんは腕を見込まれて大阪や京都での捕り物に招かれることが多い。出張すると一週間から十日、かかるのも珍しくない。
つまり、花が枯れる。
机の上で干からびていく花が無残だった。見ていられないくらいに。余計な世話だろうなってのは分かってたけど、そのまま放置、するのはなんか、出来なかった。
沖田さんの机は片付いてるとは言い難い。積み上がった書類の一番上に、重しみたいに写真立てが伏せて置かれてることもある。今回の出張前はそのパターンだった。で、花が、枯れた。
季節は初夏、花屋に行かなくても屯所の庭やら道端やらにけっこう綺麗なのが咲いてる。寮から通勤の途中に見かけた黄色いのを切り取って、枯れた赤いのと交換して机の上に置くと部屋が明るくなった。俺の気も晴れて、写真が伏せられた書類の山を避け郵便物を置いた。
そんなことを何度しただろうか。
その日、けっこう長い期間、京都に行ってた沖田副長が屯所に帰ってきて、そして。
「ほら」
差し出されたでかい包みの、意味がよく分からない。
「食え」
沖田さんは相変わらず表情がなくて内心が分かりにくい。とりあえず自分に向かって差し出された風呂敷に包まれた箱を受け取る。掌に伝わるのは木箱のずっしりした感触。風呂敷の結び目に差し込んである栞が老舗の和菓子屋、鶴屋八幡のモノってことに気がつく。これ、すげぇ高いんじゃない?
「いつも、どうもな」
緊張してガチガチの俺にそう言って、沖田さんは執務室に入る。んで、机の上の写真立てを手にして持ち上げて、ちょっと笑った。それでようやく俺はお土産の意味が分かった。花を替えていたことは不快がられなかったらしい。
「あ、りがとうございます」
緊張しつつ礼を言う。頭を下げてあげた瞬間、自分の目を疑う。沖田さんが優しい顔をしてる。アーモンド形の、お人形みたいにぱっちりした、けど冷たく光る目尻が弛んで唇まで綻んでる。
俺が今朝、活けた花の何倍も華やか。
「見たか?」
「いっ、いいえッ!」
「見ろ」
沖田さんは言葉が短い。言われるまま、差し出された写真立てを両手で受け取った。指が震えた。写真は男の人だ。正面は向いてない。横顔っていうか斜め、隠し撮りって感じでもないけど、別の大きな写真からその人のところだけ切り取ったようなカンジ。
「いいオトコだろ」
「は、はいっ」
カックンカックン、俺は頷いた。嘘をついた訳じゃない。咥え煙草の写真の中の人は髪が艶々で、切れ長の目尻が平面にプリントされて尚、艶っぽい。
「すげぇ、イーオトコだろォ?」
重ねて尋ねられる。コメントを求められているのだと理解して背中に汗が流れる。下手なことを言ったら、腰の刀で斬り殺されるかもしれない。
「そ、うで、すね。凄く」
語尾が震えた。写真の二枚目の表情は凛々しい。咥え煙草の強面だがよく見れば顔立ちは綺麗系。
「優しかったんだぜ」
「あ、そうなんですか。えっと……」
「最後の二年、一緒に暮らしてた」
「は、はぁ……」
俺から写真を受け取る沖田さんの表情が優しかった。でも悲しそうで切なそうだった。可哀想、な風にもちょっと見えた。痛いのを我慢するみたいな。
俺には個人的に、そっちの傾向も、ない訳じゃない。でも沖田さんは上司だしちょっと年上だ。ああでも、なんて可愛い顔してんだろう、この人。
「い、まもお好きなんですか?」
そんなことを、つい尋ねてしまった。だって沖田さんの顔が可愛かった。そうしてなんだか、話したそうな様子をしてた。
「そうだな。愛してる」
しらっと言われて思わず息を呑む。沖田副長は抜群の容姿をしてる。なのに浮いた噂は一つもない。腕を見込んだ幕府の偉いさんから見合いの話が持ち込まれるたびに、不能だから結婚できません、って言って断ってるのは聞いたことがある。
嘘か本当か、俺らはコソコソ、裏で噂してる。女が居ないのは女嫌いなのか好みがうるさいのか、それとも本当に役に立たないのか。出張中に接待で勧めれられる女は隣に座らせて酒を作ってやって、優しくした挙句に指先にキスして、置いていくらしい。お供したことある先輩が言ってた。やることクールで、すげぇ格好いい、って。
「いつか俺が、行きっぱなしで帰って来れなかったら」
俺が返した写真立てを机の上に戻しながら、沖田さんはそんなことを言い出す。
「写真は焼いて捨ててくれ」
言われて緊張した。危険が多い仕事をしてる。警視庁内でも特殊警察は殉職率が高い。俺は下っ端で、『出張』に連れて行ってもらえたことはないけど、出張手当のバカ高さをみれば出先でどんな仕事してるのが大体の見当はつく。
「……はい」
恭しく厳粛な気持ちで俺は沖田副長の頼みに頷いた。そして。
「亡くなられたんですか?」
俺の人生で多分一番の、余計な一言だった。
「そうだ。殺した」
しんみりした俺の気持ちを刺し殺す一言を、沖田副長はその形のいい唇からつるんと吐いた。
「俺が殺したんだ」
意味が分からなくてぽかんとする俺がおかしかったらしい。無邪気に笑いながら言葉を重ねられる。
「女房にして大事にしてやってたのに、俺を捨てようとしやがったから絞め殺した」
「……ッ」
殺したと、三度言って笑う沖田副長が物凄く怖くて。
「沖田さん。新人をからかわないで下さい」
縁に面した廊下から別の声がしなきゃ、泣き顔で部屋を飛び出していたかもしれない。
「嘘はついてない」
「あなたの露悪趣味に他人を付き合わせるなと言っているんです」
中庭に面した明るい縁側に立っていたのは監察の責任者、山崎さんだった。こっちも幹部だけど雰囲気が柔和で優しそうで、下っ端にも威張らない。そうして沖田副長に対する態度にはちょっと棘がある。
出世競争とか、派閥で敵対してるとかいう感じではないけど。そうして単純に仲が悪い、訳でもなさそうだったけど。
「驚かせたね、ごめんな。沖田さんは性格が悪い人で、事故だったのをこんな風に人に話すのが好きなんだ。気にしなくていいから」
山崎さんに優しく言われる。はい、って返事しながら内心では、そりゃ嘘だろうって思ってた。あれは冗談言っている顔じゃなかった。
「もう行っていいよ、お疲れ様」
山崎さんに進路を譲られて俺は部屋を出ようとした。けど、木箱の菓子の菓子包みを忘れてたのに気づいて取りに戻った。
「あ、の……」
山崎さんが持ってきた書類を、うんざりした表情で受け取る沖田さんにぺこっと頭を下げて。
「お菓子いただきます。ありがとうございました」
菓子箱の重みに、俺は改めて衝撃を受けてた。沖田副長が出張先のお土産を買って来たのは俺が知る限り初めて。写真に供えてた花を喜んでくれていた結果がこれなら写真の人を、愛してたのは、嘘じゃない気がした。
「おう」
短い返事を貰い、詰め所へ引き上げる。仲間に披露するとどよめきが走った。重いのも道理で、箱は二段だった。ゼリーと竿菓子の詰め合わせで、練り物も蒸し物もあった。
貰った特権で最初に選ばせてもらえたから、巨峰のゼリーを手に取った。種抜きの果肉が洋酒の匂いがするゼリー生地に包まれて、甘いわ、美味いわ。すげぇ。人生で一番うまいゼリーだった。そうして多分、一番の高価なゼリー。
「これ多分、値段、万いくぞ」
「軽く超えるんじゃねーか?」
「なんでオマエだけこんなの貰えんだよ。俺が沖田副長当番だった頃は空気扱いだったぜ」
「お気に入りかぁ、どーやって取り入ったんだ。寝たかぁ?」
「誘われたけど、断った」
同期のイヤミにしらっとそう答える。そいつは嫌な顔をしたが周囲には大うけでどっと笑い声があがる。二個目をほら、って差し出され遠慮なく桃を手に取りながら、俺はさっきの沖田副長の顔を思い出してた。
俺をからかう表情じゃなかった。
写真の人は凛々しかったけど、女房にしてたっていうのはそういうことだろう。俺はてっきり沖田さんがネコだと思ってた。そこがちょっとだけ意外だった。
観察の山崎さんは事情を知っていそうだった。事故だったって言ったけど、どんな事故だったのかな。それとも本当は本当に絞め殺したけど、バレたらヤバイから事故に偽装したのかな。それなら山崎さんが事情を知っている理由も態度がきついのも、沖田副長がその態度を許してるのも、よく分かる。偽装を手伝ったんだろう。
とんでもない事だ。けどもっととんでもない事件を日常、見聞きしてるからそれほど驚かない。いやでも、そんな真相なら沖田さんが俺なんかにべらべら喋る筈がない。やっぱり本当に事故だったのかな?それとも自殺だったのか。それを自分の『せい』だと沖田さんは思い込んでるのか。
切ないなぁ。
なんてことを考えて、しんみりしていた俺の感傷は。
「トシいぃー」
次についた近藤局長のお供で行った、警視庁で裏切られる。
「おう、近藤さん、おはよう。オヤッサン来客中なんだ。茶でも飲んで、ちょっと待っててくれ」
「お前、昼はヒマか?昼メシ一緒に食えねぇか?」
何ヶ月も、沖田副長を可哀想だって思い続けてた、俺が一番、かわいそうだった。