懺悔
黒髪に、くちづける。
こんな北では珍しいほど漆黒の。ギリシア人だった母親によく似て、艶やかなその感触が唇の先に当たって気持ちがいい。惹かれて抱き寄せ、両手で形のいい頭を包み込むように撫でた。……愛しい。
「姦淫を、しました」
つぶやき目を閉じる。それは長いこと、俺が心に封じ込めていた、本心。
「俺は、許されない恋を長年、続けて、きました」
そう、同性愛というだけでも、教会には許されない罪悪。その上に、異母とはいえ兄弟。母親を早くになくした俺は、彼と一緒に彼の母親の手元で引き取られた。戦乱の中、留守がちな父親の処置は賢明だったと思う。俺は動乱のギリシアから逃れてきた美貌の優しい女のもとで、幸福に育った。
たった、一つ。
彼と兄弟だと。あの女が、父親の妾だと。
知らないまま、知らされないままで、育った。
知ったのは14歳の誕生日。俺が彼を好きだと告白した、夜。彼は戸惑い、ダメだと苦しそうに、俺に理由を教えてくれた。……その時の。
天が落ちてくるような、絶望。
そして十八歳で家督を継ぐなり、俺が行ったことは、親父の女の幽閉と、彼を僧院へ叩き込むこと。女は幽閉には大人しく応じたが、彼と引き離されると知って半狂乱になった。決して迷惑をかけないからと、泣いて縋られてちょっと心が痛かったけれど、俺は彼を力ずくで僧侶にした。
……結婚、出来ないように。
永遠に、永久に。
誰のものにも、なれないように。
彼も大人しかった。泣き嘆く母親を、命があるだけ温情なのですよと諭して、おれに微笑みさえして教会に入った。最も戒律の厳しいベネティクト。姦淫どころか、微笑むことさえさせない禁欲の生活。
面会は、親兄弟といえど許されない。
あんたは一人きり、永遠にそこで寂しく、暮すんだ。
教会の門が閉じる寸前、振り向いて俺を見た、彼に向かって心の中でつぶやく。俺同様に、あんたもずっと
一人で、寂しく。あんた以外を愛せそうにない俺は、あんたに拒まれて永遠に独りなのだから。
……ガキだった。
あの頃は、俺も可愛かったさ。
罪を信じていた。罰が怖かったのではなく、罪を、犯してはいけないと、許されない、ことだと。
思い込んで、いたよ。
主君・ヘンリー八世は、兄嫁だったスペインのキャサリン王女と結婚した。
若くして寡婦となった王女の、莫大な結納金を返還しないための措置。けれどもそれは、レヴィ記に違反すること。『人もしその兄弟の妻を娶らば汚らわしきことなり』。明言してあるのに婚姻は成立した。ローマ法皇結婚の特免状が下付されて。
そうやってまで娶った妻を、主君は去年、離別した。本来、キリスト教徒に離婚は許されて居ない。ましてや特免状を受けてまでムリに娶った妻を、跡取りの男子を産まないからという理由だけで離縁することは許されない。許されない、背後にはやはり、政治情勢があった。現在の法皇の庇護者である神聖ローマ帝国の皇帝カール五世は王妃キャサリンの甥・カルロスなのだ。伯母キャサリンの苦境に無関心な筈はなく、法皇に圧力をかけつづけ、とうとう法皇は、『いかなる理由があろうとも二人の離婚を許さない』宣言を、発した。
それを、受けた主君は。
見事なしっぺがえしをして、のけた。
決裂したのだ、ローマと。
かつてドイツの宗教改革者・マルティン・ルターの所論に対して反論を執筆し、時の法皇レオ十世からDefender of the Faith、『信仰の擁護者』の称号を贈られたことのある男が、今度は後嗣を得るためとはいえ、若く美しいアン・ブリンと結婚するために、このイングランドとローマとを切り離した。
素晴らしい、男だと俺は思ったよ。
口には出さなかったけど。
政変に荒れる王宮の中で、俺が国王の『英断』に好意を持っていることは王にも伝わって、もともとの名門と戦場での手柄もあって、俺はアムプティル地方の総督を命じられた。そこに集中するカトリック教会の、殲滅が俺に与えられた仕事だった。
俺は、職務を要領よくこなした。
無駄な血は流さなかった。
坊主相手に、剣を振り上げるまでもなかった。たとえそれが、十字軍遠征以来、兵団に等しい組織であったとしても。
領地を没収して、各宗派の本拠地、主にローマ地方にあるそこからの、援助を断ってしまえば。
僧侶たちは飢えるしかない。飢えて、俺に降伏を申し入れた。俺は改宗を条件に降伏を受け入れた。降伏すれば、領地は返してやった。勿論、全部ではなく八割程度。二割は俺の、役得というか、手数料。
そうやって、俺は追い詰めていくのを愉しんだ。高尚な教義を厳しい戒律を。禁欲を価値とする気風を。
姦淫を、許させない、罪の意識を。
俺の心にあった、畏怖を。
それでもさすがに最後まで、頑張っていたベネティクト派の真っ黒な僧服が、俺の前に現れたのは冬も押し詰まった、時期。
このままでは一同、飢え死にするしかないと。兄上をお預かりしたご縁にめんじて、どうか、援助を賜りたいと。
俗世を、馬鹿にしきっていた高慢な坊主どもに、頭を下げさせるのは愉しかった。
そして。
「抱きたいんだ」
彼らの、顔色を変えさせるのは、とても。
「預けてたアニキを、俺は抱きたいんだ」
ずっと、ずっと、あの人を。
「方策を考えろ」
罪深い、姦淫の手引きを命じる。
坊主どもの、恐慌が愉しかった。
返事を保留したままで坊主たちは教会に引き上げ。
俺は、鴨猟に出かけた。
たくさん居る沼を見つけて、犬を追い込もうとしたら、犬は冷たい水に入るのを嫌って聞こえないフリをした。頭が良くて、可愛くない犬だった。
「飛び立たせろよ、フィッツ。アニキに持っていく鴨だぜ」
言ったとたんに、犬は沼に飛び込む。もともと彼の、犬だった。とびたった鴨のうち、一番でかいのを俺は打ち落とした。供にも打たせて、けっきょく、二十数の鴨を手に入れたのだが。
「ホンットに可愛くない奴だなお前はッ」
一番、丸々太って美味そうだったのは、フィッツが自分で咥えて来たのだった。
鴨を料理させて、教会に届けさせた。
彼にはちゃんと、一番美味そうなのを、指定して届けた。添えたのは彼が昔、好きだった米料理。オリーブ油で野菜と肉と一緒に炒めた米に鶏のスープを絡め、葡萄の葉に包んで蒸したギリシア料理。このために米と、ギリシアから腕利きの料理人を呼んでいた。
飢えてきっていた、ところに。
甘い汁を吸わされて、我慢できなくなった坊主は翌日、俺を招いた。懺悔に来い、って申し入れには笑ったが、俺は応じた。招き入れられた部屋には確かに仕切りがあって、聴聞僧が座っていた。けれども部屋の隅に置かれたソファーと、不必要なほどの絨毯と、暖炉で燃える薪が懺悔室、らしくなかった。
俺が席につくと、
「御話を……」
仕切りのカーテンの向こうから彼の、声がして。
……それからは。
頭に血がのぼって、何も考えられなくなった。
女のコルセットなら、得意なんだが。
僧衣を着たことも脱がせたこともなかったから、どこをどーすればどーなるか、ぜんぜん分からなくて。
あちこち引っ張り、引き裂いたせいでぐちゃぐちゃに乱れた黒衣の下。
ろくな下着も、つけてはいなかった。可哀相に、さぞ寒かったことだろう。当たり前だが、痩せ細っていた。随分抵抗、されたけど、手首をまとめて床に押さえつければ後は、跳ねる肢体が俺のオスを煽っただけ。愛しているよ。頑なで冷たくて、いとおしい、あんたを。
……犯した。
悲鳴を上げて哀願し、許しを乞う人を、何度も。
「……諦めな。逃げられねぇよ」
用意していた軟膏を、彼の深みに塗りこめ、彼の体温で溶けるのを待ちながら引導を渡す。
怪我?させたくなかったから、待った。
「あんた俺に、差し出されたんだよ」
戒律も、禁忌も。
生存への本能には、叶わない。
俺は、膝まづかせてみたかった。
いとおしい人をでは、なくて。
罪の意識を。俺の心の中にある、それを。
「愛して、いるよ」
その気持ちの前には何も、なにひとつ、障害になりえないことを。
「イヤ……、イヤーッ」
脅えて竦む、人に教えたくて……。
破れた黒衣の裾。はだけられ引き裂かれた胸元。そこから覗く肌は白い。禍々しいほど……、美しい。
誘われてくちづける。冷たい皮膚を、なでていく。足の間にとろとろ、ナマでさんざんブチ撒けた俺のが流れ出す。ちょっとピンクの色が混じって、やっぱ怪我、させちまったかと不本意だった。でもそれは少し。ほんの少しだけ。内部の粘膜が擦れてしまったのだろう。入り口は裂けてない。休ませれば、今夜も、抱ける。
「愛して、いるんだ。……ずっと夢見てた」
あなたをこうして、抱き締めることを。
「あなたが欲しい、んです」
腕に包み、暖める。疲れ果て気を失って閉じた瞳に睫毛の影が濃い。
「あなたに愛して……、欲しい」
これ以上ないほど、正直で真摯な俺の、懺悔が。
「笑ってくれるなら、俺はなんでも、します」
もともと罰を、恐れたわけではなかった。
罪を犯すことが怖かっただけ。
ガキだったんだよ、許して。あんたを一度は手放した、俺の怯みを、一度だけ許して。
「あなたの一生を、俺に、ください」
代わりに俺を、あげるから。
「愛しています」
それがどれほどの罪でも。