懺悔・1

 

 



『それまで仲良くしてたのに』
報告書の束と格闘しながら、頭の中はそのことでいっぱい。
『SEXした途端に冷たくなったんです』
 誰にも言えない、相談出来ないから、自分自身に言ってみるしかない。
(相手が身体目当てだったのか、あなたを身体目当てだと思われたか、二つに一つね)
 答えは俺の内側から返って来る。ちょっと中尉の声に似てる気が、する。今日は休みで司令部には姿が見えない。その声に縋りつくように、俺は男らしくない言い訳を繰り返す。
『でも誘ってくれたの相手の方なんですよ』
『嬉しかったから一生懸命、気持ちよくしたのに』
『そりゃ途中で少し、夢中で強引、だったかもしれなかったど』
『最中は、ちょっとだけだったけど笑ってくれたのに』
 でもそういえば、それこそやってる間中、あの人は何も喋ってくれなかったっけ。笑ってくれた表情は少しおかしかった。俺の機嫌をとるみたいに、見えないことはなかった。
(怖がられているんじゃない?)
 そうです。怖がられてます。近くに寄せてくれません。払いのけられるならまだいい。向こうが逃げるんです。追ったらますます怖がらせそうで出来ない。痛いことなんかしないから、ちょっとだけ、触るだけでもいいのに。
『俺、そんなに乱暴だったかなぁ』
 違うと自分では思う。でも向こうはそう思ってない。せめて糾弾してくれればいいのにそれもなくて、どころか謝られた。
 彼の謝罪の意味はまだ分からない。セックスが合わなかったからこれっきり、って意味だとは思いたくなかったし思えなかった。だってキモチ良かったんだ。……溶けそうに。
 あんなのは知らなかった。外側は柔らかくない代わりに恐ろしくしなった。内側はどこまでも柔らかくて脆そうで、指挿れただけで俺は夢中になった。俺が知ってる同性のカラダはあんな風じゃなかった。でもそういえば、俺は、男にされ慣れた同性を、抱いたの初めてだった。
 彼はもちろん、俺が初めてじゃなかった。途中で翻弄されていたのは俺の方だ。抱き合う姿勢で繋がって、彼が顎を上げて、喉を晒して身動きするたびに、嘘みたいな快楽が走った。光に近かった。一瞬の閃光、気を抜けば持っていかれて、そのまま痺れて動けなくなりそうに。
 女は、それこそ戦場の、百戦錬磨の娼婦でもあんな風じゃない。ねっとり絡みついて来る粘膜と違ってあくまでも柔らかかった。女のはオスを強奪しようと濡れて蠢くけど、彼はただ、包んでくれるだけだった。包み方は、女よりしたたかだった。
『仲良くしてたんです。一緒にメシも喰ったし、休みの日に昼間から、呑んだりしてたんです』
 書庫の絨毯の上で並んで転がって笑いあった、あれはまだ近い時間。あの時は笑ってくれたのに、なんで今、こんなに避けられる?
『あんなに気持ちいいSEXだけしといて、ヤリ逃げなんて酷い』
(……)
 本音に呆れたのか、中尉に似た声が返ってくるのには間があいた。
(寝たいの?)
 もちろん。でもそれ以前に。
『……近づきたい』
 寄せてくれないんです。こんなにそばに行きたいのに。悶々と悩みながらも仕上がった書類を抱えて司令室のドアを叩く。急ぎの案件だから、もちまわりでサインを貰わなければならない。こういう時のサインはまず一番偉い人のを先にもらっちまうと、後は順不同で済むから楽になる。 
 ノックをすると、中から誰何の声がして。
「ハボックです。サイン貰いに来ました」
「入れ」
 入室の許可を貰って、ドアを開けて敬礼。彼はいつも通りの軍服ででかいデスクに座ってる。いつもと違うのは書類の箱が溢れそうなことだが、これもまぁ、中尉が居ない日にはいつものこと。
 案件を差し出して決済のサインを貰う。中をぴらっと捲られたけれど、憲兵の増員は事前協議済みだったから、何も尋ねられやしなかった。俯いた睫毛が長くて、なるほど女にもてるはずだって思った。キレイな顔してる。
 すき、すき、すき。
 頬に触りたい。今日は手袋していない指に触りたい。あの手を握りしめて眠ったなんて嘘みたいだ。もしかしてあれが最後になるのかな。ならもっと、ぎゅーって、掴んどけば良かった。
 俺がそんなこと考えてるって、気付いてるのかいないのか、彼はサインした書類を差し出す。ご苦労、と声まで添えて、尋常の対応。尋常すぎて拒まれてるのが分かる。投げつけてくれればいいのに。
 そのまま敬礼して、部屋を出ようとしたら。
「あ」
 軽い後音が駆けてくる。一目散に、一心に。俺はつい、ドアを支えて隙間を開けた。
「なんだ?」
 どうした、という間もなく、駆け込んで来たのは犬。雑種らしいけどけっこうカワイイ、もう子犬じゃないけど幼い、世界中に好奇心いっぱいの、犬は中尉の飼い犬で、司令部にも出入りしている。
「お……、ブラハか。なんだ、どうした」
 足もとに駆け寄って千切れそうに尾を振る犬に、彼は手を伸ばした。抱き上げて膝に乗せる。中尉がここに居たら、抱き癖がつくから止めてくださいって苦情がでるところだ。
「ご主人は休みだろう?一人で遊びに来たのか?」
 笑ってる。犬には優しく話し掛けてんのに、なんで俺には。
「抱き癖がつくから止めて下さい、大佐」
 暗い気持ちになりかけた俺は、間近の声にびくっとしてドアを離しかけ、すぐに支えなおした。いつのまに来たのか足音も気配もなく、俺のすぐ背後に立っていたのは茶色い瞳の中尉。軍服姿ではなかった。黒のデニムのジーンズに黒いTシャツを着て、羽織った白い麻のシャツが涼しげで、化粧っ気のない顔に似合ってる。
「どうした。今日は休みじゃなかったのかね」
 犬が駆け寄ってきた時点で気付いたのだろう、膝に抱いた犬を惜しそうに離して、大佐は部下に笑い掛けた。……中尉にも笑うのに。
「やっぱりお忘れでしたね。来てよかったです。本日、午後から納入業者との打ち合わせがあります。その前に、いつもの」
「あぁ、あれ今日だったか」
 昨日そう申し上げたじゃありませんかと、キレイな眉を寄せて中尉が苦情を言う。すまないと悪びれずに詫びて大佐は立ち上がる。二人が出て行くのを、俺はドアを支えたまま通した。
「ハボック少尉、あなたもいらっしゃい」
 通り過ぎざま、キレイな人が振り向いて。
「一緒に選びましょう」
 ……何を?

 武器を、だった。
 軍隊というものは必要な物品を何もかも支給される。ベッドも食事も武器も服も、本当に何もかも。品質はそれなりで、画一的な機能重視の面白くない物が多い代わりに頑丈で替えがきく。拳銃やライフル、各種銃弾、ホルスターやガンベルトも例外じゃない。
 そんな支給品とは別に、私費で買った私物の武器も、申請すれば個別装備として認められ身につけることが出来る。申請なしで持ってるやつも多いが、職務熱心の現れだから、あまりうるさくは言われない。
 ホークアイ中尉の場合はショルダーホルスターからして別注の特注品だ。ガンベルトの他に二本、肩から背中に交差させて、わきに吊ったホルダーから愛用の拳銃を抜く、具合を確かめる様子は男の俺が見ても凛々しく格好がいい。女性兵士や事務の女の子たちにもてるのも道理だ。
「いやぁ、相変わらず、やりますなぁ」
 中年の、出入り業者も惚れ惚れと眺める。いやらしい目で見てるんじゃなくて、技量を純粋に褒めてる。
「前より少し柔らかいかしら」
「ヌメ皮を細くしてあります。代わりに裏地に帆布を使って、返らないようにしてありますよ」
「けっこうだわ。銃星のひっかかりもないし、これをいただきます」
「はいはい、毎度あり」
「ライフルは?」
「三十二口径のに、新作が出ました。ちょっと重いのが難点ですが、テブレしなくて、精度は評判がいいですよ」
「何キロ?」
「十六キロ七百グラムです。弾抜きで」
「ふうん」
 大佐は中尉に見えない位置で、また犬を抱き上げて中尉を眺めてる。時々、犬の頭を撫でてるけど主に中尉に見惚れてる。……いいなぁ。
 中尉は薄いTシャツ一枚で、身体の線がよく見えた。女性としては平均身長の彼女は軍隊では小柄だ。でも相当に締まったいいカラダしてる。張り詰めた形には崩れの欠片もなくて、尻は丸いし、胸はけっこうある。あんなカラダしていればよかった。小粒でピチピチして、あんな風ならいくらでも、好きな相手に擦り寄っていけるだろう。
「ハボック少尉」
 呼ばれて俺はぎくっと背中を伸ばした。不埒なことを考えていたのがバレたか。
「持ってみて。……あなた、軽々持つわねぇ……」
 殆ど、後半は溜息に近い。
「えぇと、こちらは?」
「ご紹介します。ジャン・ハボック少尉。うちのエース候補です」
 ……え?
「今は大佐の警護責任者です。以前も私の副官についていたけれど、お会いする機会なかったですね。いいカラダしてるでしょう?」
 ライフルを持った俺の、胸板を中尉が拳で軽く叩く。ぽん、って、弾きかえった感触があった。中尉は苦笑して業者は感心して。
「これはどうも。中尉が仰るなら相当ですな。よろしくお願いします。やはり射撃部隊から?」
「いいえ、どちらかというと格闘系」
「ははぁ。まぁ、射撃は中尉がいらっしゃいますからな。片刃と両刃は、どちらがお好みですか」
 なんだ?
「ナイフのことよ。とりあえずおすすめを四・五本、みつくろってください。ベルトも一緒にね」
「ちょ、中尉、俺、こんなの買えませんよ」
 武器は高い。いい武器はもっと高い。チンピラとプロの差はまず道具だそうだけど、軍人にも同じ事が言えるだろう。人目をひくくらい何か、特別な腕前の連中はみんな、自前の武器を持っている。
中尉が腋につけてる二丁拳銃なんて、部品を五十二個も使ってある最高級品のさらに特注だ。拳銃とは思えない威力で、二十五メートル超の距離でも殺傷能力がある。支給品の拳銃が三十八個の部品で、射程が十五メートル越えると相手の胸ポケットの手帳を貫通できないのに比べると違いがよくわかるだろう。
 ハンマー部は万一折れても丸ごと交換できるし、トリガーは一体型で壊れようがない。右手で打つ、左腋に納めてある方は狙いがより正確なリボルバー、左手で持つのは弾数の多いオートマチック。……以上、東方司令部内、リザ・ホークアイ中尉ファンクラブからの情報。
 腕と道具が吊り合ってあの芸術的な技量になるわけだ。価格は、はっきりしたことは分からないが、たぶん二丁で大尉給与の年棒を超える。その支払いは、もちろん本人ではなく、かといって軍の予算でもなくて。
「買ってくれるわよ。大佐の警護に必要なものですもの」
 中尉が大佐に視線を向ける。笑みを含みながら。それが途中から冷たくなった。大佐が慌てて、抱き締めていた犬を地面に下ろす。犬は名残惜しそうに、大佐の足に背中を当てながら『お座り』の姿勢。
「よろしいでしょう、大佐」
「な、何かな……?」
「武器の購入です。伝票を大佐にまわしても?」
「も、もちろんだ」
 俺のだって分かってんのかどうかも怪しげに、大佐はこくこく頷いた。犬とよっぽど熱心に遊んでたらしい。ともあれ俺は、勧められるままにいくつかを選ぶ。ライフルは私物には大きすぎると思ったが、買ってくれるというから貰っておいた。司令部のガンロッカーに置いて、有事に持ち出して装備することになるだろう。
「私にこんな肩があったらね、銃をもう四丁はつれるのだけれど」
 私服のせいか、中尉は今日、特別に親しげだった。俺の肩に手を伸ばしてぽんぽんと叩く。近くに立たれると中尉は本当に小さくてカワイイ。抱き締めたくなるくらい。
「やめてくれ。こっちの懐がもたない」
 かなり真剣に大佐が言って、みんなで笑った。
 中尉の慰めを感じた。俺はよっぽどしょんぼりとしてただろうか。してただろう、きっと。淋しくて寂しくてすごくさみしかった。

 犬を連れて、中尉は帰っていった。俺は午後からは少し元気が出た。カタカタ、仕事を片付ける。デスクワークは苦手だけど、尉官になっちまった以上、相応の事務能力は求められる。今日はみんな、あんまり進まない様子だった。司令部をまわしてる中尉が居ないからだ。
 大した騒ぎも難題もなくて、定時には明日、中尉に怒られない程度には仕事が片付いて、夕日を見ながら煙草を吸う。西の空は赤くて、明日もいい天気だと俺に教えていた。吸い終えた頃、通信部に行っていたファルマンが戻ってきた。
「おや、まだ残っておられましたか」
 おられましたとも。お前に用があった。
「ファルマン、あのさ」
「はい」
「今日の当番、替わってくれねぇか」
「替わりに何時ですか?」
「いや、俺が宿直したいだけだから」
「はぁ、私の方は構いません」
 机の上を片付けて俺は立ち上がり、壁に掛けられた公用車の鍵を手に取る。
「支障なければ理由を教えていただけますか」
「うん。……、したいだけ」
 正直なことを言ったんが、誤魔化したと思われたらしくて、それ以上の追求は来なかった。公用車を玄関に回して上司の帰宅を待つ。西日が差して、司令部の門が血に濡れたみたいに赤い。やがて現れた人も。
「お疲れ様です」
 後部座席にまわってドアを開ける。彼は一瞬、目を細めて俺を見た。お前の番じゃないだろうってその目は言っていた。俺の番じゃありませんよ。だって俺が当直で送迎当番だと、あんた仮眠室に泊まっちまうじゃないですか。二度も続けてそうされて、俺きずついたんですよ。
「どうぞ」
 招くと、彼は大人しく車に乗った。無言でシートに腰をおろして無言で外を見る。バックミラーで盗み見た横顔は固く、どうして俺をそんなに警戒するのかと思ったら悲しくなる。
「……、出します」
 ギアを入れてアクセルを踏む前に声を掛けるのは習慣。車はゆっくり動き出す。敷地から出るために右折、しようとしてバックミラーを、見てギクリとする。何時の間にか彼が正面に向き直って、あろうことか、鏡の中で、目まであってしまって。
「……、あ、の……」
 話がしたかった。だから密室になれる車の中を狙った。そのことを俺は後悔した、彼は俺と、話をしたくないのだ。だから車の同乗を避けていたのに、無理にこんなことするんじゃなかった。怖いのを無理して前を向いている、そんな風な表情を、してた。
「その、ですね……」
 彼は喋らない。俺が言い出すのを待ってる。どうしよう。話があったのにもう忘れた。なんでそんなに俺を避けるのか聞きたかった。でも今、答えは分かった。俺が怖いからだ。
 司令部と彼の官舎は近い。車じゃどんなにゆっくり走っても十分とかからない。時間は過ぎていく。夕日が落ちて、空に残照だけ残して世界に薄い闇が満ちる。
「……、今夜、部屋来てくれませんか」
 俺が殆ど、私室みたいにしてる宿直室。
「どうして」
「したいんです」
 口をきいてくれるとは思わなかったから、理由を聞かれて驚いた。意識の空白のうちに口は、勝手に動いて、言葉を返していた。
「一回きりで終わりなんて酷いですよ」
「お前には本当に悪いと思っている」
「あの日もそんなこと言ってましたね。それどういう意味ですか」
「どうしたら許してくれるかな」
「許すって?」
「なかったことにしてくれという意味だ」
 ハンドルを、持った指に、ぎゅっと力を篭めた。
「このまんま」
「?」
「街灯に突っ込んで、一緒に死にたいぐらい愛してます」
「錯覚だ。私はあの日、慰めが欲しかった」
 分かってる。そんなことは最初から。あんたが俺を愛してるとか好きだとか、そんなキモチがないことはもう分かってる。
「君が私に何を望んでいるか分からない。身体が気に入ったか?」
「あんたと寝て」
 俺の無礼な呼び方を、彼は咎めなかった。
「クセにならないオトコなんか居なかったでしょ」
 彼は答えなかった。瞳が暗く沈む。何を思い出してる?俺のことじゃないのだけは確か。
「君がどうしても、喰い飽きるまで寄越せというなら、そうしてもいいが」
「……、したいです」
「それにしては憎んでいるような態度だ」
 俺が、あんたを?
「本当は気に入らないのなら、詫びるから、もう許して欲しい」
 俺が……、あんたを……?許すって……?
「申し訳なかった」
 まって。まだ話をすすめないで。俺は今、ちょっと引っかかった。一生懸命考えるから、先に行くのは、ちょっとまって。
「あんなことをしておいて、こんなのは、本当に、すまない」
 なんであんたが謝る。そうじゃなくって、俺は。
「愛しているんじゃ、ないんだ。……、済まない」
 止めろ、やめて。謝るな。謝らないで下さい。
 俺こそごめんなさい。俺が悪かったです。威嚇、していたかもしれない。あんたが顔をあわせたがらないくらい、あんたに不機嫌な顔を向けていたかも。他には分からない、あんただけに、俺は酷い態度を、とっていたかも。
 ……きっと、とってましたね。
 すいません。今、気付きました。俺は。
 俺は、酷い男でした。
 暗くて悪くて、悲惨で悲しいのが、好きです。ぼろぼろに擦れて、疲れた娼婦なんか最高に好きです。だってちょっと優しくすればすぐ懐いて来るから。簡単に騙せて愛してくれるから……、好きです。
 初めて自覚した自分の嗜好に吐き気がした。
 愛してるとか好きだとか、言うと簡単に騙されて靡くから、俺は連中を好きです。
……あんたの、ことも。
 俺は同じように扱おうとしてましたか。俺が最初にあなたの弱ったところを見て、それにそそられて懐いてたのを、あんたは知ってましたか。
『それまで仲良くしてたのにSEXした途端に冷たくなったんです』
(相手が身体目当てだったのか、あなたを身体目当てだと思われたか、二つに一つね)
 身体目当てならまだいい。
 俺は、抱いて懐かせて、辱しめようと、してた。