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   わたしのビートルズファン小史

   (主なものを拾い上げてみました。) 

年 月 日

で  き  ご  と

昭和51年2月14日

 

 この日付をはっきり覚えている。小学6年生のわたしは、土曜日の午後いったん帰宅したあと気の合う仲間で再登校して遊んでいた。私はカセットテープレコーダーを持ってきていて、同じように持っていた友達とテープからテープへといろいろと録音していた。その中にあったのが「Let it be」「Hey Jude」の2曲であった。友達のテープもレコードからの録音、それをマイクごしに再録音したため音質は劣悪であったが、とにもかくにもこれが私の「ビートルズ始め」であった。笑えるのは録音時にそのアーティストの名前を知らず、友達から教えてもらったのは1ヶ月ほどあとであったことである。なお、この友達は鉄道サイト「私の鉄歴」にも登場の旧型国電ファンである。

 

昭和52年9月8日

 

 中学2年生。NHK総合「ビートルズ・その時代」を見る。この時初めて「動くビートルズ」を見たわけだが、当時はビデオやLD・DVDなど全くない時代なのでテレビ番組(まあ、年に2回位かな・・・)を必死にチェックしていたのである。その意味ではこの頃のピンクレディーのファンがうらやましかった。(毎日テレビで見られるから。)

 

昭和52年9月23日

 

 初めてビートルズのレコードを購入、シングル「涙の乗車券/イエス・イット・イズ」であった。いわゆるドーナツ盤で、アップルレーベルがターンテーブルをくるくる回る様を眺めながら聞き入っていた。これ以降、シングル〜アルバム〜海賊盤(bootleg)へと収集はエスカレートしていった。

 

昭和52年12月25日

 クリスマスで親から少しばかりカネをもらい、初めてLP「ラバーソウル」を買う。ビートルズのファンはアルバム(編集盤でなく、英国オリジナル盤)を持ってこそという感じが当時は強かった。中学校でも同好の仲間達とアルバムの購入を競っていたのが懐かしい。

昭和53年10月12日

 

 日本テレビ「木曜スペシャル」で昭和41年の日本公演が放映され、話題となる。内容はステージの模様を中心としたドキュメンタリー番組であった。ビートルズの特番、それも日本公演とあって録音(録画ではない)にいそしんだ。コンサートではアンコールを全くしないビートルズであったが、この番組では最後に「イエスタデイ」のリプレイが番組を締めくくった。

 

昭和55年12月9日

(日本時間)

 

 高校2年生の期末試験のさなか、帰宅後ニュースでニューヨークのジョン・レノンが射殺されたニュースを知りショックを受ける。翌日も学校で同好の仲間とその話題になった。この年の1月には来日のポールが大麻不法所持で逮捕され、コンサートも中止。そして年の瀬にはこの悲報で、さんざんの年であった。

 

昭和59年5月7日

 

 正規盤を集めきったこの時期は海賊盤の収集に熱心で、この日も「アップル・トラックス」という2枚組のLPを入手する。1枚目はリハーサルセッション集であったが、2枚目の方はかねてより関心のあった幻のアルバム「ゲット・バック」の内容そのものであり、何度も何度も繰り返し聞いた。のちにCD「アンソロジー」シリーズでかなりの音源が手軽に入手できるようになったが、この頃はまだコレクターズアイテムで輸入盤取扱店や中古レコード店で運が良ければ入手できるという状況であった。

 

昭和61年6月5日

 

 来日20周年を記念して各種の企画があった年で、モノラルアルバム(カラーレコード)の限定発売もその一つ。そこで2日間かけてLP11枚の購入を強行する。なぜ2回に分けたかは簡単で、LPレコードを一度に全部買うと重たくて大変だったからである。今のCDなら何とかなるだろうが、当時ならではの話である。

 

昭和63年4月26日

 

 ステレオコンポーネントを11万円で購入。この頃本格的に普及し始めたCDプレーヤーと従来からのレコードプレーヤーを両方備える過渡期のモデルである。同日購入のCD「ウィングスUSAライヴ」を聞いてみて、その音質の素晴らしさに感動する。ただレコードからCDへの移行は多くのファンにとって「買い直し出費」を強いられ、複雑な心境でもあった。そこで自分は国内盤の7割程度の価格で買える輸入盤を買い揃えた。輸入盤には解説や歌詞カードがないものの、その点は既にレコードを揃えていたので無用と判断したわけである。

 

平成2年3月7日

 

 昭和55年を境に、もうありえない・・・と思っていた、ポール・マッカートニーの来日コンサート。チケットをやっと入手して東京ドームへ駆けつける。ファンになって丸14年、初めてナマで聞くコンサートにほとんどウルウル状態。東芝EMIがこの頃作成した小冊子(右)やポスターに「やっとあえたね。」のフレーズが盛り込まれており、まさにその通りであった。なおポールは平成5年・14年にも来日、当方もコンサートに行った。

 

平成3年12月1日

 

 ジョージ・ハリスンの日本公演。ポールのワールドツアーと異なるのは、開催地が日本のみであることと、親友エリック・クラプトンとの合同コンサートである点だった。自分は初日の横浜アリーナのチケットが入手でき、I want to tell youのオープニングからしびれまくる。ただ、ジョージ本人にとっては久しぶりのコンサートとあってやや勘が戻っていない感じで、2週間後の東京ドーム(これにも行った)公演の方がずっとノリが良いように感じられた。

 

平成7年6月27日

 

 リンゴ・スターの武道館コンサートに行く。19時開演なので仕事(当時は霞ヶ関が勤務地)が終わってからでも間に合うところ、万全を期して(?)午後半日年休をもらい武道館へ駆けつける。さすがに昭和41年のビートルズ公演のときに比べれば武道館周辺はのんびりしていたが、それでも北の丸公園に入るとダフ屋が結構いた。コンサート自体はリンゴの持ち歌が多くないこともあり、バンドのメンバーも各自の持ち歌を歌っていた。

 

平成8年12月13日

 

 台湾へ旅行する。台北駅近くのCDショップでビートルズのCDを購入する。ビートルズは「披頭合唱団」、アンソロジーは「真跡記念輯」、フリー・アズ・ア・バードは「自由如鳥」などど記されていた。CDには漢訳(中文)の解説書も添付されていた。

 

平成12年3月13日

 

 ジョン・レノンのCD「イマジン」(ミレニアム・エディション)を購入する。先に「イエローサブマリン/ソングトラック」が同様のリマスター盤として発売されており、この頃はちょっとしたリマスター盤発売ラッシュ。音質が良くなることに異論はないが、ビートルズのファンはこのような新譜もどきの旧譜に結構出費を強いられてしまうのだな・・・。

 

 

今後の記事追加をお楽しみに!(いつ英国へ旅行できるのかな??)