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宇宙中継「Our World」から50年
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今では良く知られる「愛こそはすべて」のレコーディング風景だが、当サイトでは50年前の日本に於いてどのように紹介されていたのかを取り上げてみたい。なお当時の中継は白黒放送であり、1990年代のアンソロジー・プロジェクトによって初めてカラー化されたことを申し添えておく。 |
当時の中継は白黒放送だった |
さて今回取り上げるにあたっては今春刊行された「ビートルズと日本・ブラウン管の記録」(右上写真)を参考とした。この書籍は大村亨氏の編集による1964〜1970のテレビ出演番組をほぼ完璧に網羅した大変な労作で、前年刊行の「ビートルズと日本・熱狂の記録」共々頭の下がる思いである。 当日の日本での中継は極東とあってか時間帯が悪く早朝の3:55〜6:05で、視聴率は2.5%だったそうである。もっともこの日は19:30〜21:40に再放送がありこちらは24%の視聴率、再放送が有ることがわかっていればこのような結果はむしろ当然とみて良いだろう。 気になる当時の番組評については衛星放送時代の到来と好意的な内容もあったが総花的でメリハリに欠けたとの指摘もあり、番組の趣旨からは止むを得なかったのかもしれない。 |
アンソロジープロジェクトでカラー化された |
そしてこの放映の目玉とされたビートルズについては「1年前と比べて変わった」と感じたファンが多かったようである。確かににメガネのジョン、ヒゲのジョージ&リンゴ、外見は比較的変わらないポールも手にするベースはリッケンであってヘフナーではない。しかし最も変わったのは(サイト管理人の後知恵ではあるが)その音楽性であろう。当時のベトナム戦争に強い疑問を持った彼らがメッセージ性の強い楽曲を世界に送り出すシーンが中継されたということはビートルズ史における象徴的な出来事であったと言える。 オリンピックやサッカーW杯等の衛星中継が深夜早朝に放映されることは日本では今や日常的となっているが、50年前では異例中の異例たる出来事であり、その主役が「愛こそはすべて」を歌うビートルズであったことを今の世に讃えたいと思う。 |
相変わらずジョージは渋い(後方はリンゴ) |