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  君よ知るや13年前の「10.19」

   このところ書店で近鉄優勝の関連書籍を見かける。その中には回顧調のものも見受けられ、標題の昭和63年の最終戦を扱ったものもある。そう、今日は10月19日。当時の日記をひも解きながら西武ファンからみた「10.19」をリプレイしてみよう。

  簡単に当時の状況を記すと、西武首位だが全日程を終了しており、残り試合の多い近鉄が猛烈に追い上げる。そして近鉄は最終2連戦(対ロッテ10.19のダブルヘッダー/川崎球場)連勝なら悲願の優勝、それ以外は西武のV3という、どちらのファンにも超注目の試合を迎えたわけである。この時私は就職が決まった大学4年生、左官工のアルバイトでセメントモルタルに毎日埋もれかかっていた。ちなみにこの日の現場は桜木町、現在の「みなとみらい21」地区である。

昭和63年、優勝は西武だったが、いろいろあった。

  さてこの日は定時(17時)あがり。普段ならそのまま鎌倉へ帰宅だが、15時から川崎球場でダブルヘッダーがあることは知っていたので、早速駆けつけてみる。川崎球場は昭和54年いらい9年ぶり、そのときはすいていた。いやほとんどの場合、川崎球場イコール「ガラすき球場」であった。ところが何と札止め満員。どこから集まったのか、3万人の近鉄ファンで占領されてしまっているではないか。入場できない、それでも諦めきれない近鉄ファン(多少は西武ファンもいた、最低一人いた。)は近くの駄菓子屋のラジオに群がっていた。私が来たときは第一試合の九回裏2死満塁でロッテサヨナラのチャンス、しかし近鉄阿波野が踏ん張り一点差を守り切った。全ては次の試合で決まることとなり、私は帰宅を急いだ。

第一試合

近 鉄

0

0

0

0

1

0

0

2

1

4

ロッテ

2

0

0

0

0

0

1

0

0

3

驚異的な近鉄の粘り、全ては第二試合へ。

 

 

 


  帰宅後すぐにラジオをつけると第二試合の四回裏であった。ロッテ1点リードであったが六回に同点とされ元気がなくなる。さらに七回表の吹石・真喜志のホームランでぐったり。しかしロッテもすぐさま追いつく。ここで信じられないことが始まった。22時からのテレ朝「ニュースステーション」がコマーシャル抜きで「生中継」しているではないか!! 優勝がかかった試合と言え、ロッテ−近鉄のカードでこの扱い、今でも語り草の緊急生中継であった。すぐラジオから離れテレビにかじりつく。八回またも近鉄リード、しかしロッテ高沢のホームランでまたも同点、凄まじい試合は延長戦に入った。

  当時は4時間を超えて新しいイニングに入らない規定があり、試合経過から十回表の攻防が最後のヤマとなる。先頭のブライアント、エラーで出塁で次はオグリビー、ホームランも打てる打者とあって肝がつぶれる思いだったが三振。次の羽田が二ゴロ併殺であ〜やれやれ西武優勝だ。力が抜けた私はへたり込んでしまった。

  この年の日本シリーズは西武−中日だったが、第五戦であっさり西武が日本一を決めたこともあり印象が薄い。それよりもこのダブルヘッダーの方が今なお記憶に鮮やかである。当時の日記から拾えば「2位のチームが最もドラマチックであった。」

第二試合

近 鉄

0

0

0

0

0

1

2

1

0

0

4

ロッテ

0

1

0

0

0

0

2

1

0

0

4

十回表が「0」の瞬間、西武の優勝が決まった。