(update 2012/07/01)

 

稲尾和久メモリアルイベント

 

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   本日(7月1日)は西鉄ライオンズの鉄腕稲尾(稲尾和久氏)の永久欠番決定のメモリアル試合であった。監督・コーチ・選手全員が稲尾氏の背番号「24」を背負っての試合、出来れば勝ちたかったが試合は西武3−3日本ハムで延長10回引き分けに終わった。

   さて試合後のイベントとしてLビジョンにて「クラシック・シアター」と称する稲尾氏関連の映像が流れるとの告知があったので観てみることにする。自分も含め多くのファンがベンチサイドシート経由で外野グラウンドに降り立ち、人工芝の上に思い思いに座ってイベントの開始を待つ。

  普段の背番号「17」ではなく「24」の先発菊池

 

   時刻が17時になる頃、イベントは始まった。まずチャゲアスのCHAGE(小倉出身)が小倉球場での西鉄の思い出を回想し、彼の曲に乗って当時の西鉄を取り上げたセピア色のフィルムが流れる。まぁこの辺は想定の範囲内の演出であり、特に驚く程でもない。

   ところが意外(?)にも続く野村克也氏の回想が実は今回のメイン映像であり、これには少々驚かされた。野村氏の延々20分以上にわたる回想は時にはONに対しての打席での囁きなど稲尾氏とは無関係の話に逸れることもあったが、全体を通じては面白い内容だった。特に印象に残ったのは下記の3点で、いずれも含蓄ある意見だと感じたので紹介したい。 

ファンはグラウンドへ / 野村克也氏の熱弁に聴き入る

 

   @ 稲尾はスライダー投手とされるが、実はシュートに長けていた。
   強打者への内角直球は被弾の危険が高いため、内角シュートを効果的に使っていた。監督就任後の野村氏もその点を投手に教え込ませた。

   A一流の選手が一流の選手を育てる
   稲尾の時代はまさにそうだった。しかし今の日本球界は一流選手のメジャー流出が甚だしく、この点が機能していない。深刻な問題である。

   B今回の稲尾氏の永久欠番「24」決定について
   決定が遅きに失した感がある。パ・リーグは概してこのような施策に鈍く、今回の永久欠番も彼の存命中に決定してあげるべきだった。