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  update 2009. 1.12

 
東海道補遺集 1

沼田新田一里塚・吉原左富士・江尻(辻)一里塚・駿府公園
 

来訪日:2008/12/23  

  

   2008年も押し迫った晴天の日、平成の旅人はJR東田子の浦駅に降り立った。  

  今までの踏破区間を振り返ると、史跡の見落としや天候不良による写真の不具合、或いは何らかの理由で十分なレポートができていない部分が散見されるようになってきたため、今回を第1回目として今後それらを可能な限り補足してみたい。

   

   

  

  さて東田子の浦駅から西へ歩くと【間宿(あいのしゅく)柏原】の案内板を見つけた。進行方向左手に右写真の案内碑があり、前回は全く見落としていた。間宿の情報は事前調査では掴めないことも多く、今回はこの点幸運であったと言える。

  この付近は旧東海道の宿場町「原」と「吉原」のほぼ中間地点である。両側からいずれも5〜6Km程の地点で、旅人が休息・宿泊に利用しやすい場所であったと考えられる。 

   

  

 【間宿 柏原】からしばらく歩き、川のような昭和放水路を渡ると沼田新田一里塚跡である。前回来訪時は案内の標柱を見つけたものの、この付近にあるとされる石碑を発見できずじまいだった。

  その探していた石碑は標柱の約70m先にあった。(右写真)この付近は地元の駐車スペースになっており石碑を見落としやすい。自分が撮影した時も石碑の前にクルマが有り、ボンネットに身を乗り出してなんとか撮影することができた。(ヤレヤレ)

 

    
 

 東田子の浦駅へ戻り、電車で隣の吉原駅へ。そこから「左富士」の撮影にリトライしようと決心して北へ歩く。今日は晴天なので雲は出ていても僅かばかりだし、要は富士山に掛からなければ良いのだ…と足取りも心なしか軽い。

 

    

    

  そして「名勝・左富士」に着く。旧街道の左手に真白き富士の…と思いきや、なんとその富士山めがけてちぎれ雲が次々と西から流れてくるではないか!  雲が切れて撮影しようとするやまた次の雲が遮る様子はまるで遠来の旅人をからかうが如くで、悔しいやら情けないやらでツイてない。ここで徒に時間を消費するわけにも行かないので、取りあえず右の一枚を撮った。前回よりはましかな?

  ここで会心の一枚が撮れればこのあと薩埵峠へも行く予定であったが、これではさすがに心許ないので今回はパスすることにした。

    
 

   さてこの付近にはもう一箇所、一里塚の見落としが有った。それは清水駅付近にある江尻一里塚(辻一里塚)である。前回に30分近く周辺をウロウロしたあげくギブアップした苦い思い出が頭をよぎる。

  清水駅に降り立ち、ガイドブックの地図を頼りに一里塚跡に再チャレンジ! しかしまたもダメである。そこで今回は思い切って地図に見切りをつけ、自分のこれまでの勘と経験を頼りに少しエリアを広げて探してみた。

    
 

   すると一里塚跡はガイドブック指摘の地点より500mも手前(日本橋寄り)の信号の無い十字路脇にちょこんとあった。看板の文面から平成13年に設置されたと思われ、明らかな見落としである。しかし距離の誤差500mはナシにして欲しいなぁ…。

  念の為正確に記すと、ここは静岡市清水区辻2丁目5番地の地点、「長栄ハイム」の脇にある。道の反対側(右側)には高札場跡の看板もあるので参考とされたい。 

   
 

   そして本日最後の来訪地は静岡の「駿府公園」である。JR静岡駅前から歩いて10分ほどのところにある広い公園で、ここはかつて徳川家康の居城であった駿府城址である。そのためこの付近の旧東海道がジグザグに鍵状の進路であったことは本編で取り上げている。

   公園内には徳川家康の像がある。ここ駿府は今川氏・武田氏の支配を経て家康の領地となったが、今川氏の領地であった時代には家康自身が人質としての生活を送った地でもある。また晩年には「大御所政治」の舞台としてこの駿府城に居城したことでも知られる。

   
 

   駿府城の当時の建物は現存しないが、東御門・巽櫓は近年の復元がなされている(右下写真)のでぜひ見学してみたい。 建物の内部は一部を除き写真撮影も許されており、展示も歴史資料館として十分に楽しめる。(下写真は当時の駿府城の鯱)