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  update 2010. 2. 4

 
東海道補遺集 4

「江の島道」
 

来訪日:2010/1/19  

    

  今回は東海道藤沢宿から分岐する「江の島道」を取り上げてみる。

  江の島は江戸時代に入ると江戸からの手頃な観光地として大山・鎌倉と並んで賑わった。その江の島へ至る道を「江の島道」と呼び、いくつかあった道のひとつがこの藤沢宿から分岐する道である。

  さて旧東海道とは遊行寺(下写真)前からの分岐となるため先ず遊行寺へ向かう。かつて自分が旧東海道踏破の際に訪れてから3年近くが経過しており、久しぶりの来訪に感慨深いものがあった。

 

   

  

  それではスタート、遊行寺から右写真の遊行寺橋を渡る。ここを右折すれば旧藤沢宿の中心を経て京方面へ、左折すれば今回の江の島道となる。

  左折した道は国道467号線として江の島へ南下する道であるが、かつての「江の島道」は少し先を右下写真のように斜め右手へ分岐して藤沢駅方面への道をとる。

  

   

   

 ちょうどその分岐点には下写真の道標が残されており、「ゑのしま道」と刻まれている。これは江戸時代の鍼師・杉山検校が立てたもので、彼が江の島弁財天を厚く信仰していたためとされる。 

 

 

    
 

 そして藤沢駅まで来てみると道はJR東海道本線に寸断されているため、地下道を通り抜けて南口のロータリーへと出る。この先は「ファミリー通り」(右写真)が当時からの道である。

 

    

  

  「ファミリー通り」を進むと暫く商業ビルが続き、やがて住宅街となる。

   

 

 

 

    
 

  しばらく歩くと左手に石上公園があり、付近から集められたと思しき庚申塚群が立っている。この付近にはかつて「石上船渡場」があり、江の島詣での客で賑わったそうである。

    
 

  現在の道は少し先を左にカーブして境川を橋で渡る。境川という名の川は旧東海道を踏破する際にも何度か渡っているように、旧国境をなす川であることが多い。今回の境川もこの付近は相模国であるが、上流では武蔵国と相模国との境をなしていた。

  江の島道はミネベアの工場を左手に見ながら南下する。

  

   
 

   道は住宅街を縫うように続いているが、やがて左手に片瀬小学校が見えてくる。その門の前にまた杉本検校が建てた道標があるので見てみよう。

  一番上の梵字は彼が信仰した弁財天を表し、続いて「ゑのしま道」と刻まれているのがわかる。なお横面には「一切衆生」「二世安楽」とあり、その信仰の厚さが偲ばれる。

  

   
 

   それにしてもこの道には同様の道標が多く、信仰の道としての意味合いが強いと考えられる。

  さて道の正面に龍口寺の山が見えてきた。(かすかに仏舎利塔が建っているのがわかる)ゴールの江の島近しを思わせる。

   
 

   そして江ノ電の踏切を渡る。すぐ左手は江ノ島駅である。なおこの付近には他に湘南モノレール・小田急電鉄と私鉄ばかり3社の駅が存在するが、いずれも下記の異なった駅名となっている。

  「江ノ島」(江ノ島電鉄)
  「湘南江の島」(湘南モノレール)
  「片瀬江ノ島」(小田急電鉄)

   
 

    江ノ電の踏切を渡り、いよいよ江の島が近づいてきた。この江ノ電江ノ島駅から江の島海岸まで約500mの細い道は洲鼻(すばな)通りと呼ばれ、ゑのしま道の石碑はもとより料理店・土産物店やマンション・コンビニ等が並ぶ賑やかな道である。

  この道は今でも江ノ電(または湘南モノレール)を降りて江の島へ行く観光客が必ず通る道であり、観光気分でぶらぶら歩くには楽しい道である。  

   
 

   そしてこの洲鼻通りでもひときわ目を引くのがこの観光客目当ての遊技場で、射的・スマートボール・パチンコ(昔のレバー式)が店内狭しと並んでおり、まるで昭和40年代にタイムスリップしたような貴重な店である。

  ケータイ・パソコンはもちろん、アーケードのTVゲームさえ無かった時代の香り漂う遊技場、江の島来訪の折はぜひお試しあれ。

   
 

   洲鼻通りを抜けると視界が開け、その先に江の島が見えた。そしてこの江の島道も終点である。コンクリートの橋をクルマが飛ばして行く様子を見ながら、今回はここで終わりとしたい。