太平洋に沈んだ楽園、ムー大陸への旅


どんどんと地球の音がするような海と山とがふれあうハワイ   なみゑ



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8^。^8わたしが最初ムーに興味を持ったのは、趣味の考古学で日本人のルーツを調べているとき、「ムー大陸から来た日本人」を読んでからです。著者は雑誌ニュートンの編者、地球物理学者「竹内均」さんでした。数年前、たまたまハワイに行く事ができ、太平洋の風に吹かれ、神々からの最高の贈り物と言われている、美しい虹を見た時、ムー国をより身近に感じ、何かまとめたいなと考えていました。


ムーの記憶。。古代に関心のない人にとって太平洋に沈んだ、ムー大陸と言っても、ピンと来ないし、興味もないだろう。一万2千年という遥か昔、太平洋に沈んだ幻の大陸。。しかし日本人がその民族の血をかなり受け継いでいるのだとしたら、どうだろう。ムー大陸の研究家、ジェームズ・チャーチワードは、50年という歳月をかけてまとめた彼の著書の中で、日本人がそのムーの血を純粋に受け継いでいると書いている。小さな島国の日本のことをはっきりと書いている。ムーはあなたの祖先であり、わたしの祖先なのかもしれない。わたしたちはお彼岸にお墓参りをし、ご先祖に花を添える。それは日本人が、自分たちの血のルーツに、決して無関心でいられないことをも表しているのではないでしょうか。




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最初にムー大陸について本を出したのは英国のJ・チャーチワード。彼は1868年に、英国陸軍のインド駐屯のとき、ヒンドゥー寺院の高層から、門外秘出のムー大陸で書かれたという、聖なる古代粘土板「ナーカル碑文」を見ることができた。彼はそれをきっかけに世界中を廻り、ムー大陸の証を求めることになりました。そしてある日、メキシコにもムーの粘土板を発見した人がいる事を知る。メキシコでは、W.ニーベン氏がムー大陸の聖典と言われる粘土板を発見した。インドとメキシコの古代粘土板、その二つが彼の強力な研究の二つの柱です。メキシコの古代の街造りは、やはり信じられない位の高い文化があり、わたし自身とても興味があるところです。例えばピラミッドのある古代の町、ティオティワカン等です。J・チャーチワードは1931年それをまとめ、ニューヨークで  " The children of Mu " 「失われたムー大陸」を出版し、世の中にセンセーションを巻き起こしました。
以下引用の文、絵(photo3,5,6,8)は「失われたムー大陸」「ムー大陸の子孫」(大陸書房:小泉源一郎訳)からの抜粋です。



「失われたエデンの園」photo3



はるかなる昔、太平洋上にムーという大陸があった。それは太平洋の半分くらいの広大な大陸で、ハワイ諸島、マリアナ群島、フィジーなどの島を含んでいた。最東南端はもう南アメリカに近いイースター島。人口は約6400万人、住民は十種類の民族から成り立っていた。肌の色、髪の色はさまざまだったが人種による差別というものはまったくなく、一人の帝王、一つの政府を中心にまとまっており、国民は等しく、天地をつくり給うた創造神をうやまっていた。ムーの国は特に建築と航海術に優れていた。彼らは世界中に、稙民地を造りに出かけていった。その人々は「マヤ」と呼ばれた。

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文化の中心であった七つの都市を中心に、きっちりと石畳を敷きつめた広々とした道路が網の目のように張りめぐらされていた。大都市には石造りの官長、宮殿、神殿が並んでいた。屋根のない神殿では、降り注ぐ太陽の光を浴びて、信者たちが祈りを捧げていた。港には世界に出て行く船、入って来る船が行きかい、世界中の品物が売買された。まばゆい太陽の光はさんさんと降り注ぎ、海辺のヤシの木ある河口から、内陸にいたるまで川岸を美しい線で縁どりしていた。花、果実、新鮮な食物、肥沃な土地は、ほとんど栽培らしいことをせずとも、自然の恵みをみのらせていた。水辺にはムーの国花である、ハスの花が白い花を咲かせ、色とりどりの大きな蝶が舞い、ハチスズメたちが飛び交い、原始の姿をとどめる森の中には、マストドンの群れが歩いていた。太陽信仰の彼らは 太陽の象徴を旗じるしに、世界を勢力下に置き、神と繋がりを持つ王は「ラ・ムー」と呼ばれ、平和な大帝国として、繁栄していた。

しかしある日、足元が大きく揺れ始め、地が裂けて、巨大な火柱が立ち昇り、天をこがした。群集が天と繋がる王、「ラ・ムー」に助けを求めた時、彼は言った。「お前たちはその召使どもや財宝と共に死ぬであろう。そしてその灰の中から新たなる民族が生まれて来るだろう。だが彼らも、多く得る事よりも、多く与える事こそ立派であるという事を忘れたとき、同じ災は彼らの上に降りかかるであろう」国土とその住民は切れ切れに引き裂かれ、奈落の底にのみこまれた。



文明の極まりゆかむそのときに大地ゆらぎて火を噴き上ぐる   なみゑ

「鳥の歌」片庭珠美さん photo5

火の山の怒りのありてともどもに空へ大地より鳥は羽ばたく  なみゑ



この話しを読んだとき、聖書のソドムとゴモラを思い出した。人間があまりに堕落した時、神が町を滅ぼした話し、そういう事がムーでも起こっていたのだ。また先ほどのムーの話の中には、恐竜の類のマストドンがいた時代、ということがあって不思議と思われるかもしれませんが、メキシコシティの博物館には、かなり昔は人間が恐竜を知っていて、恐竜を粘土で作った土偶がきちんと飾られている。恐竜の類が人間と共存していた時期があったのか?!当然、映画、ジュラシックパークのように遺伝子で作ったのではない、天然ものである。

次にナーカル碑文にムーの最東南とある、太平洋のイースター島について書いてみる。島はポリネシア語で「島々のへそ」「天を見る目」などと呼ばれていて、よく知られる巨石のモアイ像が、今も海を向いて立っています。像は550個以上、高さは5〜6メートルが多く、継ぎ目のない一つの石塊から造られ、未完成だが高さ20メートルというのもあります。現代でも動かすのさえ難しい、何トンもある巨大な塊をどうやって運び、立てられたかは謎となっています。


海仰ぎ何を見つむるモアイ像遠いむかしの夢の楽園  なみゑ

大陸が沈み給ひし海原に誰や奏でる風の波おと   なみゑ




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イースター島には独自のロンゴロンゴ文字があり、それを島でたった一人だけ古代文字を理解できた、老人の助けで、W.J.ワトソンは解読に成功しました。「この島がわれらの祖先に知られたとき、平らな石を美しく敷きつめた道が縦横に走っていた。石には角ばったところがなく、みごとに敷きつめられていた。樹が道路の両側に茂り、その枝々は手足のようにからまっていた」 島の伝説も次ぎのように言います。「この小さな島は、昔、広い大陸の一部であった。平らな石を敷きつめた道路が、何本も何本も交叉しながら走っていた。灰色と黒の斑点のあるクモの巣の形をとって、道路は巧みに組み合わされていたので、誰にもその起点と終点が分らなかった」要するにムーと同じ、石の文化があったというのです。チャーチワードはここは、古代の死火山の頂上だと言います。


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このロンゴロンゴ文字を見たとき、「あれ?」と思いました。わたしが前に某神社で見た日本の古代文字とかなり似ているのです!日本の古代文字は、時代に連れて使う文字が変わったりします。もしも同じだとしたら、その時代、ムー国と繋がりが本当にあったのかもしれません。ところで日本の縄文時代は、一万年以上続いていたのだから、その頃は日本人は、もう日本で生活していたわけなので、日本ではムーの記録はないのかと調べてみたら、なんとあるのです!それは、謎と言われる竹内文献がそうです。その中で古い昔にミヨイとタミアラという国が、洪水で沈んだと書いてあります。ムーはまたミューとも発音されますから、ミヨイはムー国で、タミアラは同じくこの時代にあったという、アトランティス大陸ではないかと言われます。正史ではないので、竹内文献を偽書という人もいますが、その文献を調べてエジプトへ行き、ピラミッドを研究し、日本で誰も想像し得なかった、広島庄原の山の奥に、日本のピラミッドだとする巨石遺構を探した当てた人も、実際にいますから、あながち嘘ばかりではなさそうです。偶然昔知人から手に入れた下の写真がそうです。山の上の大きな巨石、どうやって運んだのでしょう。


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チャーチワードは、日本人は謎の民族で、宗教や習慣などが、ムーの文化に通じるものがかなりあると言います。例えば旗がそうです。戦前は朝日のマークを使っていました。左がムー王国の紋章右が昔の日本の旗、似ていますか。

        

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またナーカルの碑文には、鹿が飛びあがる絵が書いてありますが、日本の古い時代は、鹿の骨で占い政治を行っていた事が思い出されます。国としての占いは、神様の言葉を聞くわけですが、それが鹿を通すという事は、日本の国占いの源流が、ムーの文化にあるのかもしれません。また時代が新しくなって来ると、占いは亀を使って行われました。ハワイでは亀が神様のお使いで大事にされています。そしてまた日本の古い民話、浦島太郎の話しでは、海の底にあるユートピア、竜宮へ案内するのは亀です。これらも隠れたムーの流れを汲んでいるのかもしれません。

そして最近では、日本の沖縄の近くの与那国島に、海底遺跡が発見され、話題を呼んでいます。またムーのシンボルに似た形が書かれた、ロゼッタストーンも発見されたりしています。



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(注・この海底遺跡は、沖縄遺跡らしいのですが未確認、ごめんなさい)


参考/実際の沖縄海底遺跡写真(沖縄インフォメーションIMA)



火の山に夜毎ながれる溶岩はあしき世なげく女神のなみだ   なみゑ


沖縄には平和なユートピア、ニライカナイの伝説が古くからありました。ドイツのシュリーマンは、伝説からトロイの遺跡を発掘しましたけれど、伝説がまるっきり夢ではない事を、やはり沖縄の海底遺跡も教えてくれます。また今回書いてませんが、ムーの女王が登場する南米マヤ古代語の詩があります。ムーを調べていくと、表には出ていませんが強い女性の姿が浮かんできます。それはたびたび出て来る「聖なる母の国ムー」という言葉や、ハワイの女神信仰などからも感じられます。


真黄色のハイビスカスは風にゆれ太陽(ムー)のことば話し始める  なみゑ




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早朝の虹のたちたる海辺には明日の生命が押し寄せてくる   なみゑ




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南太平洋の島では、母系家族型の島もいくつかあるようで、ムー国は女性が強かったのかもしれませんね。日本にも昔、卑弥呼という巫女的女王がいたというのは、周知の事です。日本はやはりムーの流れにつながるのでしょうか。古代を探すことは、自分のルーツを探すようで、そこから未来の自分が見えて来るようで、わくわくしてきます。過去を探すことは現在に、そして未来につながります。
ハワイは今でも、自然と神と人が、混ざってくらしているような島、文明を嫌い、ハワイの女神の声を聞きながら、自然と暮らしている人も実際にいる不思議な島です。太平洋ハワイの風を想い出しながら、幻のムー大陸への旅をしてみました。 (END)