邪馬台国(九州)を探して

吉野ヶ里のぺーじをようやくアップしました。
邪馬台国の書いてある魏志倭人伝に、卑弥呼がウコン染めの衣を
献上したりとあり、人々は海に潜るとあるし、あったかな海の
雰囲気がするわ。だからわたしは邪馬台国は九州だったのではと
思ってます。かの偉大な歌人、北原白秋さんは九州柳川の生まれ。
最近、白秋さんも卑弥呼は九州にいたと詠じていたと分かりました。
強い味方が現れた気がします(^^)
吉野ヶ里は弥生初期、しかし九州縄文の最後の文化も含まれて
いるようです。日本人は今は縄文と弥生の混血、だから吉野ヶ里は
日本人の原点に通じるかもしれません。我々のルーツをご覧になってね。

吉野ヶ里には貝紫で染められた巫女さんの着物が展示されてました。

○古代衣(こだいきぬ)貝むらさきは鮮やかに海の底なる色紡ぎ出す  なみゑ




〈 何年か前の、ベストセラー「まぼろしの邪馬台国」で、盲目の著者宮崎康平さんが夫人と共に足で九州の地を邪馬台国として、調べ上げた。その中で北原白秋を黒潮の詩人、暖流の詩人「うしお」の詩人と語っている。〉

 【北原白秋・山門(やまと)の歌】
山門はもうまし邪馬台(やまと)、いにしへの卑弥乎が国、水清く、野の広らを、稲豊(ゆた)に酒を醸して、菜は多(さは)に油しぼりて、幸(さちは)ふや潟の貢と、珍(うづ)の貝・ま珠・照る鰭(はた)。見さくるや童が眉に、霞み引く女山(ぞやま)・・清水。朝光(あさかげ)よ雲居立ち立ち、夕光(ゆうかげ)よ潮(うしお)満ち満つ。げにここは邪馬台の国、不知火や筑紫潟、我が郷は善しや。

 

                         

吉野ヶ里遺跡訪問



(1)吉野ヶ里遺跡に入ると、まず柵がある、そしてお堀。
これらから吉野ヶ里は何か外敵から村を守るという必要があった事を示している。
その当時戦争をしていた可能性が高い。

(2)中に入って行くと庶民の住宅がある。これはその写真。
ハズカシイので顔には絵を貼ってあります。ごめんなちゃい(^^ゞ
九州でも銅鐸が発見されてます。向かって右の肩のあたりに銅鐸が
つるしてあるんですが、小さいのが見えますか。



(3)ここが高台になっていて卑弥呼が卜占をしていたであろう神所。


○火の山に卑弥呼はゐたりたたなづく煙の中に姿隠して  なみゑ

   ○千人の巫女に守られ蘇の山の火を昇らせて道を占う   なみゑ



(中に入る)復元したものの中に盾のような物もある。榊を使っていたのだろうか。



当時の服装再現(ツアー会社の方)



見に来て下さってありがとう。また増やして行きますので、これからもどうぞよろしく(^^)
吉野ヶ里の体験手づくり勾玉です。