遠くにありて… >  博愛の里 

宮古島諸島:
人口5万人あまりで大小八つの島々から成り、沖縄本島と石垣島(八重山諸島)のほぼ真中に位置する二等辺三角形の島。地形は平坦で山と呼べる山はありません。
一番高い山(丘?)でも114.6m。当然、川はひとつもないので、泥が海へ流出せず海がキレイな理由のひとつかも知れません。


上野村:
私の本籍地ですV(^0^)。上野村(うえのそん)は9つの地区(字)からなっており、一つの小学校と一つの中学校があります。私が子供の頃は、幼稚園もひとつありましたが、今では保育園まで出来たそうです(それも2つも!)。
私は野原(のばる)地区で生まれ育ちました。この地区には、宮古島でイチバン高い山(野原岳・114.6m(-_-;))があり、かつては米軍の駐屯基地となっていましたが、本土復帰(1972年)以降、現在も陸上自衛隊の駐屯基地となっています。

米軍の基地だった頃、基地内はだいぶ開放的で、なぜか基地の中に「そろばん教室」もあったりして、子供たちはそこでそろばんを習っていました(^^ゞ。基地の中は子供たちの遊び場でもあり、私も毎日のように遊びに行きました。
テニスコートがあったり、小さな体育館もありました。リフレッシュルームのような部屋では、ビデオ(もちろん洋画!)が毎日見れました。子供たちのため?ではなかったと思いますが、一週間のビデオ上映スケジュールも張り出されていたような・・・
クリスマスの頃には、軍人さん扮するサンタクロースがお菓子などのクリスマスプレゼントをもって幼稚園に来てくれたり、クリスマス当日の夜には、基地がある野原地区の子供たちを招待して、基地内でクリスマスパーティーをやったりしてスゴク楽しかった記憶が・・・
本土復帰後、自衛隊の駐屯基地となったその場所は、周りに鉄条網が張り巡らされ、子供達の遊び場も無くなってしまいました(T_T)。本土復帰に沸く大人達の世界とは裏腹に、子供達にとっては遊び場がなくなり、大好きだった「アメリカ人」もいなくなって寂しい思いをしたような・・・

上野村の人口は、2002年1月現在で、3,191人。
最近の有名どころでは、宮国(みやぐに)地区にある「ドイツ村」でしょうか?。昭和11年(1936年)、台風のために座礁したドイツ商船の乗組員を宮国の村人達が救助したことから、「独逸商船遭難の地」の碑も建立され、その博愛の精神を受け継ごうと、今では上野村全体が
「博愛の里」をスローガンに頑張っています。
そして、その地に出来たのが「ドイツ文化村」です。これは、遭難事故とその救助を縁にして、ドイツとの友好関係を築くために建設され、ドイツのシュターデ市とも姉妹都市関係にあります。


宮古島の宿泊施設
宮古島へご旅行の際のホテル、ペンションをお探しの方へ。
オフィシャルサイトから詳細をご覧いただけます。

 宮古島東急リゾート
 ブリーズベイマリーナ
 アトールエメラルド宮古島
 宮古島ムーンホテル
 ミヤコセントラルホテル
 ペンションクルー
 セイルイン宮古島

 パイベースリゾート
 比嘉の宿