2005年11月15日(火)


本日はとうとうNAETCでの生活は最終日
すっかりなじんできたタイ式の朝ごはんを食べてから

ちょっと早めに講義室に行って
昨日買ってきた野菜に値段を書いてずらっと
机の上に並べた。
きのうのフリーデイ時に、わたしが行ったところと同じ
どでかショッピングセンターに行った研修生の方も多かったようだが
青果コーナーにたどりつけなかった人も多かったようで
こんなのを、あそこで売っていたか?とびっくりしている人もいた。
この米ナスの値段は高すぎるとみな言っていた。

2つ買ってくれるなら
おまけするぞ!と
デイスカウントショップをやっていると
みな笑ってあきれていた・・・


午前中は、皆と一緒にアフィパン教授の
Concepts and Implementation pf Parming System Reserch and Development
の講義を聴いた。

ちょっと古い写真が多かったが
各国の普及現場の写真など
いろいろ紹介されていた。

お昼を食べて
昼からの講義は予定が変わっていて
スタッフのオリエンテーションになっていた。

40日間の研修全体のあり方や
各チームに分かれて、改善点を発表する話合いをしたり、
明日行われる、Loy Krathong Festival
の紹介や
それから、別の研修コースの研修生らとの
交流スポーツ大会のルール説明なども
行われていた。

たいへんハードな研修だが、こういうレクレーションもいろいろ
企画されていて、40日間も、皆で一緒にトレーニングを続けると
最後にはものすごい深いつながりができていいなあと思った。

みんなが
ToshiはちゃんとJicaに出張を延長してもらうように頼んだか?
と声をかけてくれて、なんともさみしかった。


夕方はまた
バトミントンをした。



風が強かったが
けっこうそれなりに出来て
汗をかいた。


インドネシア、カンボジア、タイ混合ダブルス戦


それから
最後の晩ご飯を食べた。



牛肉と野菜炒め


タイ風オムレツ
ちょっと甘くておいしい


魚のつみれ煮のような料理



鶏の唐揚げ



大根とか野菜たっぷりのちょっとホットなスープ

どれもほんとにおいしかった。
あとデザートに
果物が2種類あった。


ほんとは、朝昼晩毎食いろんな種類の
おいしい料理だったので
ぜんぶ
写真に撮って置きたかったが
そんなことをしている人は誰もいないし・・・

ついつい毎回カメラは持っていって食事に行っていたが
この最後の食事しか撮らなかった。




食事が終わってから
簡単にお別れセレモニーをしてもらった。


マレーシアのリーさんが司会をしてくれて




いろいろお世話になった、アフィパン教授が
英語がとんちんなこのわたしに
とても心温まるメッセージを下さった。


それから
記念のプレゼントまでいただいた。



一方わたしは、なんとも、またとんちん英語で
全然言葉足らずになってしまったと思うが
スタッフの方々、教授の方々、それから8カ国の研修生の方々
それから食堂の方々に、どうもお世話になりましたと
一生懸命ご挨拶をした。


なんか
準備も一生懸命してきたといえば、したのだが
いろんな点で、やり残したことがいっぱいある気がした。

一番大きいのがなんといっても
英語力で言いたいことが表現できない!
というのはとてもつらい・・・



部屋に帰ってから
荷物をしたりして
しばらくしてロビーの方へ行ってみると


Mrダイレクター教授と、アフィパン教授が
談話室で、ギターを弾いたりしていた。

いろいろ歌を聴いているうちに、だんだんパソコン室で
勉強していたりしているみんなが集まってきてくれて

お酒も何にもないのだが
歌ったり踊ったりのフェアウエルパーテイーになった。


ラオスのtitoさんは
ジミヘンと同じパックハンドでギターを披露


それから
それぞれお国ソング大会となった。


わたしは
何を歌おうかと迷ったが
友たれ長く友たれ〜の
とこしえの幸
を歌った。

それから
だんだん
お祭りソングが多くなってきて

リーさんの太極拳


だんだんお祭りデイスコのようになって
盛り上がり


タイの踊りは
手の動きは沖縄の踊りと同じような
感じだった。

阿波踊りは、とても斬新で受けていた。

ここはやはりなんといっても
と思って

ヨサコイを
歌って踊ったところ

なかなかみな飲み込みが早く
ヨッチョレヨッチョレのところと
よいやさ〜のさ〜のさ〜ののところは
踊りも歌もすぐにあって
9カ国混成踊り子チームがすぐできそうな
雰囲気だった。

それから最後は
カンボジア対ジャパンで
英語版野球拳を紹介して
盛り上がり
夜は更けていった
・・・







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