2006年2月9日(木)



本日は
朝一番で築地へ行った。

高知の野菜や果実を売ってくれている
担当の方二人からチラッと話を聞いた後
仲卸を歩き回ってみたが

うちの独占品目で
かなり他県産が目立ってきていた。
最初見たのは品質が悪くちょっと安心したのだが
その後見たのはどれも十分なものだった。

朝ご飯は
けっこう寒かったので
立ち食いのラーメンにふらふらと引き寄せられ
それからついでに
大トロにぎりを
チラッとだけ食べて
うまかった・・・


それから
急いでいろいろ乗り継ぎ
栃木県におじゃました。

T専技と合流して
お昼は縁起をかついで
カツ丼を食べてそれから農林部へおじゃました。

県庁はちょうど立て替え中で
仮庁舎だということだが
とてもきれいで明るいところで
仕事されていてうらやましかった。
どこへ行っても
高知の西庁舎くらい
光の入らない暗い建物に
行き当たったことはないよ!まったく


それから
日本一のイチゴ
とちおとめ戦略の話を伺った。

昨年お世話になった
あまおう戦略もすごかったが
こちらの本家もまたさすが
イチゴだけで250億を稼ぎ出している
ものすごいまとまった取り組みであった。

その一つの
5−5戦略!
というネーミングもたいへんわかりやすい!
とちおとめで5t目標で
反当たり500マン取ろう!
というたいへん単純で明快な目標で
今までの品種ではどう頑張っても300マン台であったところを
大きく打開しよう!というところで

県内中にあるあちこちのJAの生産者組織と
県連組織と、それから県と
それぞれ一体で力を合わせて
見事4年で達成できていた。

長所ばかりの品種は出来るはずはなく
むつかしい欠点もあるが
尻すぼみな現状のままではもっとダメになっていくだけなので
関係者が一丸となって動いて
千戸を超える産地がまとまって取り組む
そしてその結果・実績がちゃんとついてくる!
というところが
すばらしい。

それから
現地へも案内してもらった。

こちらは
やはりほとんどのイチゴであたり前に使われている
ウオーターカーテン方式の無加温ハウス

・この重油高でもまったく影響なし
・初期投資も豊富な地下水さえあればほとんどなし
・自分で簡単にできる
・ランニングコストは30aで月2マンくらいの電気代のみ
・マイナス10度近い夜でも、まず6度より下がることはない!

というわたしらから見たら目からうろこの省エネ装置だった。

こちら
栃木ではもう20年くら前からあたり前で
技術ということでも何でもない標準なことで
ま、何というかサイドにネットを貼る程度のような感覚で

ハウスは簡単な差し込みパイプで
経費もかけず


井戸を掘って
普通の灌水にも使うポンプがあるだけ

昼間普通の灌水に使っているのを
夕方になってハウスを閉めて
内張を閉めてから
コックを灌水用のパイプから
ウオーターカーテン用のパイプへちょいとひねって
あとは一晩中流すだけ・・・

ウオーターカーテンなどと英語でいうと
かっこいいが
天のフィルムと内張の間に


灌水用の耐熱のパイプ灌水を
設置して、内張の上にジャーと
地下水を流すだけ

地下水は15度くらいはあるので
その温度よりハウス内温度が冷える前に
流しておくと、じわ〜と温度が下がるのを
防いでくれるということで



サイドと内張の間に
075のポリをパッカー止めしながら
樋というか排水というか
水を集めて



ハウスの隅っこで、集まった水をまたパイプで受けて
外に出して

あとは明渠で水路に流しているだけ


連棟のハウスでは
ちょっと水の始末に工夫がいるが
イチゴの場合はほとんど単棟の
簡単な差し込みハウスが主なので
加温機などを入れている人はいないらしい。


見に行った生産者の方は井戸が20mくらいで
すぐ出たそうなので楽だったそうで
50mとかもっと深いところまで掘ると
井戸掘り代が高いといえば高いが
重油のランニングコストからいうと全然楽
のようだ。


ま、地下水がないとこではまねしようもないし
もっと温度がいる品目は
やっぱり加温がいるのだが

高知でも、ちょっとは使える地区、品目があるぞ!


それから



炭酸ガスは
イチゴではみ〜んな必須・基本!
なのだそうだ

温度管理はくるくるの簡単な自動で




センサーはイチゴのふところ



高設は
観光のところはやっているが
まだほとんど入ってないそうで
そのかわりものすごい高畝で
経費をかけてない!
というのは不景気に強い。



ということで

遠くの方に

日光の
男体山と白根山系がきれいに見えた。
ここは、忘れもしない高2の時に
初めて登山のインターハイで登った山なのだ!

その時は、真夏の3泊4日で、残念ながら山の上では
全部雨でガスの中だったのだが・・・
白い雪をかぶってまたいい感じだった。


それから県の方に駅まで送ってもらって
3人でチラッと
名物の餃子でビールなど飲んで反省をしてから

T専技は東京へ
わたしとH氏は、鈍行で小山まで下りて
それから水戸線でえっちらえっちらと
おとなりの茨城の水戸まで移動。
8時近くになってやっと到着した。
けっこうなかなか遠いのであった・・











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