2006年4月11日(火)




夕べから台風
かなりの雨と風だった。

なんとかバイクで通勤した。
今日は、トサカミとコウチ方面へ
みなで出張した。



今日はミエさんは送別会
久しぶりにかっちゃんと二人で話をしながら
ご飯を食べた。

なんでもそうだが
仲間意識がうま〜くつながれば
たのし〜く、ひとりでに進むようになる。
が、逆に仲間意識から対抗心が出てくると否定しあう。
前向きなライバル意識は
うまく働けば、一番のスパイスとなるが
仲間を否定する対抗心は、結局、
己にもマイナスはあってもプラスにはならない。


かっちゃんらのお茶の先生が亡くなって
残った仲間で、仲良く集まってお茶会を
続けている。
その中の数人が、東京の家元まで
定期的にお勉強会に行ったりして、
また他の数人は県内の他の先生の
ところへも行ったりしてお勉強したりしながら
集まりを続けて行っている。
一方、そこまでは望まないが、お茶が好きで
集まって続けている人もいるそうだ。

そういう風に、先生が亡くなっても
残った人で集まって継続して続く
というのはすばらしいなあと思うのだが

時には、やっぱり
家元のところで新しく習ったことや
他の先生から習ったことなどを
みんなで試してみようとすると
『わたしたちは、昔のままでいい』
という人も当然出てくるそうだ。

そこで
新しく何かを習ってきた人は
『まあ、そういわんと、一緒にやってみようや』
という風に前向きに誘っていくか
『そうやねえ、それやったら今のままでいきましょうか』
と他のところに行ってない人に合わせていくのか
悩みができる

他のところに行ってない人は
『じゃあ、わたしらあも教えてもろうてやってみろうか』
と前向きに答えていくのか
『わたしらあは、もうよう覚えんきやめちょく』
となっていくか、悩みができる

そのどっちかでも、いい方にすすんでいく場合は
新しいことを取り入れた形で前向きに集まりが続いていくか
昔のとおりだがお互いが尊重しあって続いていくかとなるようだ。

それが、だんだん悪い方に進んで行く場合は
新しく何かを習ってきた人は
『何で、えいことを習ってきたのに、みんなあでやらんがやろう』
というガッカリ感ができたり
逆に進められる方の人は
『ちょっと習うてきただけで、いらんこと言うて・・・』
というようなアツカマシイ感などが出てきたりしてしまうと

昨日までの仲間意識感は
いつの間にやら、アレッというくらい
すれ違ってくることになってしまう


そのような話をしていて
まったく、どこの世界もそうだなあ
と思った。

生徒と先生の関係もそういうことが言えるし
もちろん子と親の関係もそう
夫婦でもそうだ

お仕事でもそうだし
バンドなんかでもそうだし
部下と上司でもそう

人同士に限らず

ペットと飼い主とか
職人と作品とか
農家と作物でも
そうじゃないか


お互いが相手の立場になって
お互いに尊重しあう気持ちがあれば
いつの間にか
うま〜く
それぞれの居場所ができて
役割分担ができて
楽しく続けていける

そうなると
また、次の仲間が集まってくる
ような雰囲気になる

が、逆になると○○も食わない・・・


本日の結論も
やっぱりそういうところかなあ



人間は社会的な動物である

アリストテレスは
えいことをいうちゅうねえ。






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