2006年5月1日(月)



夕べはすっかり酔ってしまって
肴づくしだったのだが

実はもう一匹大事な魚が食べ残っていた。

昨日は国分川を猟場の一つにしている
S本先生が、
スズキのちっちゃいのをうちまで届けてくれていたのだった。

料理教室でさばいてと思っていたが
あまりにもたくさんの魚があったので

うちの料理人のかっちゃんに
おまかせしていたところ

これまたきれいにお造りにして
くれていた。
新鮮なこともあり
なかなか身がしまってうまかった。
ちょっとクサイのじゃないかと
最初はついついわさび醤油をたっぷりつけて
食べたりしたが、身は上等でくさくなく
おいしかった。

それからアラですまし汁が出来ていて
とてもうまかった。

作り方を聞くと
一旦きれいに焼いてから
湯通しして、それから氷水で冷やして
アクやぬめりなどを完全に取ってから
汁にするのだそうだ。

二日酔いの朝にも
最高の汁なのであった。


ということで
朝からまた豪勢なご飯を食べてから
バイクで仕事に行った。

連休の中日だというのに
誰一人休んでおらず
なんともさみしい日本人の集まりなのであった。

ま、わたしも、子どもも学校だし
家にいても特にやることもないし
机の上はかたずけないといけないし
で出勤しているのだが・・・



火をふいたAVアンプの修理に
1.6万円かかると電話があった・・・
なんと・・・
まだほとんど使ってないのに・・・

レコーダーの方は連休明けになると
連絡があった



夜晩ご飯を食べながら
いろいろ魚の話をしていると

おじいちゃんが子どもの頃は
とにかく南海地震のあった後から
海の魚が国分川を登ってくるように
なったらしい。
それまではほとんどみかけなかったらしい。

それから、その頃はもちろん
飲み水を毎朝汲みに行っている人もいたくらい
きれいだったわけで
おじいちゃんらは潜ってカナツキで
いろんな魚を捕っていて
地震の後から、海の魚が来だした
という感じがよくわかったらしい。

スズキというか
スズキのちっちゃいのはセイゴというらしいが
セイゴやチヌをカナツキでつくときは
潜って、そ〜と川底の砂を
かき混ぜてにごすと
特にそういう海の魚は
どこからともなくす〜とやってくるので
そこをすかさず捕っていたらしい。
あんまりよく捕っていたので
川漁師のおんちゃんの人らに、どうやって捕っているのか
聞かれたらしいが、コツは教えなかったらしい。

そうか
わたしの子どもの頃は
フナとチチコウ釣りだったが
中学校になる頃にはもう
玉砂利も泥にほとんど埋もれてしまい
ナマズくらいしかいなくなって
フナもチチコウもほとんど釣れなくなっていて
それからだんだんとバスやニゴイの
世界になってきていて、
どんどん汽水域が上がってきて
海の魚が来るようになったのか!
と思っていたのだが

けっこう昔のきれいなきれいな
国分川の時代から
そういう魚が登ってきていたとは知らなかった

そういえば
モンゴルでは
川で魚を釣っていると
馬に乗ったおっさん青年がやってきて
馬ごと川の中に入っていき
ジャブジャブと底をかきまぜで

さあ、今だ!おまえ達釣れ〜〜!

とやってくれ
わたしらはあっけにとられてしまっていたのだが
あれはやっぱりホントだったのね・・・



かっこよく決める
サフバートルさん









5月表紙に