妊娠から流産までの日記

にゃんこに 小さな命が宿ってからと
青空に帰っていくまでの日記です。
短い間だったけど にゃんこが感じた
いろいろなことを書きました


不妊治療
妊娠まで
幸せな日々♪
嫌な予感・・・
病院にて



不妊治療


不妊治療

にゃんこは不妊治療で、不妊治療外来に通っていました。
もともとは不妊治療ではなく、膣に静脈瘤があることと、
『双角単頚子宮』ではないか、ということで大学病院に通い始めました。

そんな時、だんなさまに出会い、将来は子供がほしいと真剣に考えはじめました。
8ヶ月、自然にしていても妊娠しませんでした。
そうして私の不妊治療が始まりました。

いろいろな検査の結果、私の『頚管粘液』が少ないことがわかりました。
この『頚管粘液』とは排卵日近くになると分泌され、精子が子宮内に入っていくのを助けたり
酸性に弱い精子のために、普段は酸性の膣内をアルカリ性に保つ働きをします。
したがって私は、頚管粘液が少ないために妊娠しにくいのではないかということになり、
先生には「もう少しタイミング法でだめだったら人工授精しましょう。」と言われていました。

排卵するまでの日数も22日〜24日と普通より長くそれだけ妊娠するチャンスが少ないことに
焦りも感じていました。
次回、生理が来たら5日目から飲み始めるようにと『クロミッド』という排卵誘発剤をもらって帰って来ました。



妊娠まで


2001.1.30〜2.7

1月30日
周期15日目。念のためそろそろ排卵検査薬を始める。
先生曰く『朝イチの濃い尿の方が良い。』 ということで朝起きてすぐ検査。
いきなり薄ーくラインが!!慌てて病院へ行くしたくをする。
右の卵巣に1.9ミリ大の“卵らしきもの”があった。ただ場所が何か変なところにあるらしく
先生も自信が無さそうだった。

2月2日
周期18日目。まだ高温期にならない。排卵していない様子。
排卵検査薬の結果は陰性だったりうっすら陽性だったり。
もう一度病院へ。「今回は排卵しそうな卵がない。」と言われ、次回からクロミッドを飲み始めるように指示される。
女性なのに自分の力で卵も出せないのか・・・と思うとショックで、悔しくて泣けてきた。
ものすごーく落ち込んだ・・・

2月6日
周期22日目。どうしても信じられなくて、まだしつこく排卵検査薬で検査しつづけている。
排卵するまでに24日もかかる時だってあった。こうなったら生理が来るまで検査しつづけてやる〜!!
ちなみにこの日はうっすら陽性でした。

2月7日
周期23日目。朝いつものごとく検査。
なんと!すごい・くっきり陽性!!今まで見たのとは違う一本線が出た。
これが陽性かぁ〜なんて思ったよ(笑)今まで検査してきてよかったぁ〜
病院へ行くが、エコーで卵は見えず・・・。やっぱりだめなのかなぁ・・・不安。
先生と相談して排卵検査薬を信じて、今日、夫婦生活(先生はこう言うのよ〜)をすることに。
もしだめで、今度生理がきたらクロミッドデビューになる。



幸せな日々♪


妊娠!?

2月12日。
周期28日目。高温期になってから5日目。なぜかおなかが痛い・・・

2月17日。
高温期10日目。ここ最近ずーっと下腹部痛がある。
胸も張ってきた。いつもの生理前の感じに近い・・・

2月22日。
高温期15日目。なんか期待しちゃうよー!!
下腹部痛は相変わらず続いているけど、今日の痛みは“チクチク”&張るかんじ。
ドキドキする〜

2月24日。
高温期17日目。
今日はだんなさまの実家へ行く日。(JRで5時間。2泊3日の旅)
まだ夜中の3時。もう待ちきれない。
もし妊娠していたらお義父さんとお義母さんに妊娠報告出来るし・・・
二人ともすごく孫を楽しみにしているから。

買っておいた妊娠検査薬で試そう!使うのは感度が高いと噂の“ク○アブルー”
1分を待たずして、くっきりと青い線が!!!やったー☆
言葉にできない嬉しさ・・・。だんなさまに早く伝えたい。でもまだグーグー寝ている。喜ぶだろうなぁ・・・
がまんできなくて寝ているだんなサマを起こして「お父さんだよ!」って伝えた。
「ん??、うそっ!?」「ホ・ン・ト!」「うそ!」「ほんとだよ〜ん!!」「うびゃ〜!!(言葉になっていない)」
二人とも興奮してもう眠れなかった。うれしかったなぁ・・・

だんな様の実家では、お赤飯作ってくれてお祝いしてくれた。
二人とも大喜びだった。

マタニティー・ライフ

3月1日。5週0日。
計算でいけば、そろそろ5週になるはず。本によると“胎嚢”が見えるかもしれない。
確認のため、病院へ行く。
見えた!ぽっかりと黒い、まーるいまるが浮かんでた♪
クールな先生は、「とりあえずよかったですね。」だって!!
もっと“おめでとうございます”とかなんとか、言ってもらえるもんだと思ってたよ。
不妊治療外来ってこんなものなのかなぁ・・・とちょっとがっかり。

仲のよい先輩にメールでお知らせしたら、彼女も妊娠してるとの返事!12週だって言ってた。
やったー☆同級生だね!一緒に赤ちゃんグッズを買いに行けるし、いろんなこと相談し合えるし、
よかった〜。

3月4日〜10日
つわりが始まって辛い。全然食べられなくなった。
体重も1週間で1.2kg減った。何もする気が起きなく、やたらに眠い。
ほとんど1日中寝ている状態。
でも、幸せな日々♪まだ実感はわかないけど、おなかをさすって話しかけてる。
名付け辞典買ってだんな様と二人でいろいろ考えた。
男の子は決まっているんだけど女の子が決まらない。まだまだ時間はあるのにね♪



嫌な予感・・・



出血
3月11日。
体調は相変わらず悪い。買い物もだんなさまにお願いしてしまった。

夕方、トイレに行ったらおりものに混じって、ピンク色の出血が・・・。
血の気がひいた。だんなさまに伝え、あわててベッドに入り、怖くなって泣いてしまった。
とりあえず、すぐに止まったし、今日は日曜日だから、明日の朝一で病院に行こう。

3月12日。6週4日。
病院へは遠いので、だんなさまが午前休をとってくれた。
出血はしていないが不安・・・。
先生がエコーで見る。
「順調、順調。」と言ってエコーの画面を見せてくれた。
『胎芽』が見えた。ホッとした。
順調って言ってくれたし、胎芽も確認できたのでホッとしてあんまり質問しないで帰ってきちゃった。
今となっては後悔・・・

3月14日。6週6日。
昨日から風邪をひいてしまった。出血はしていない。下腹部は少し痛いけど。
でもなぜか、少し食事ができるようになった。たくさんは食べられないけど
食べられる物の幅が広がったというか・・・。私のつわりも終わりかな?なんて軽く考えていた・・・
おなかが痛いのも、子宮が大きくなっているんだ、なんてのんきに考えていた・・・。

赤ちゃんが
3月22日。8週0日。
今日から8週目。本によれば心拍動だって見えるし、手足も出来てきて
3cmくらいになっているはず。そういえば前回大きさ言ってくれなかったな。

先生がエコーで見ている。ずいぶん長く見ている。無言・・・。嫌な予感。
「よくないお知らせが・・・」と先生。ああ・・・
画像を見せてくれた。姿はあった。5mmって言ってた。
5mmって小さすぎない?8週だよ!?
先生に訊いたら「普通より少し小さいですね・・・」って。
「心臓が動いてないんですよ。普通ならこれだけはっきり赤ちゃんの姿が見えていれば、
心拍が確認できないのはおかしいです。」って。

よくきくと、前回(6週4日)の時に心拍が見えていたらしい。
先生、そんなこと言ってなかったよ・・・。それとも順調って言われて、私が舞い上がって聞き逃したの?
4日後に見てだめだったら流産の処置をすることになった。
「可能性はないですか?」ってきいたら、
「40%より低いです。」と言ってくれた。
ゼロじゃないんだ。でも先生、気を使ってくれたんだね・・・。なんとなく伝わってきたよ・・・

だめだった時のための入院の予約までされてしまった。大きい病院だから仕方がないけどね・・・。
先生の前では泣かないようにと、気を張っていたけど、一人になったら涙があふれてきた。
赤ちゃんがだめかもしれない・・・
この子がだめなら、もう子供なんてつくれないよ!!って思った。

でも、赤ちゃんがだめかもしれない、とわかったとたん、つわりか軽くなった気がした。
そんな冷静な自分に腹が立った。
仕事中のだんなさまにメールして、夜、詳しく話した。できるだけ普通にふるまった。

複雑な日々
まだ体温だって高いし、胸も張っている。つわりもある。(軽くなったけど・・・)
なのに何でなの??まだ希望はある・・・。でもあきらめなくちゃ・・・。その繰り返しで気持ちはごちゃごちゃ。
インターネットで、流産を経験した皆さんのHPの存在を知る。
みんなに励まされた。いろいろなことを教わった。赤ちゃんの大切さを。
泣いてばかりいた私に、短い間でもお母さんになったことに違いはない、と。
だから最後まで赤ちゃんを大切にしなくちゃね、と。
はっとした。そうだ私、お母さんなんだ、って思った。しっかりしなくちゃ。



病院にて




3月26日午前。
朝(夜中かもしれないけど)、流産する夢を見た・・・。
あの、なまなましい感触・・・。怖かった。最後の希望を撃ち砕くかのような嫌な夢。
なぜか、それと一緒に先輩の赤ちゃんが女の子だった夢も見た。

とにかく今日は病院へ行かなくては。
入院のための準備もして、部屋を片付け、だんなさまの晩ご飯にと
カレーライスを用意した。
(今日帰ってこられないかもしれないから・・・) 頭の中では覚悟していた。

待合室に着くと、すぐに名前を呼ばれた。
担当の先生もいたが、今日は違う先生に呼ばれた。きっとこういう時は念のため、
違う先生が見るものなんだろうなと思った。
今日も長い沈黙。やっぱり赤ちゃんの心臓は、もう動いていなかった。
大きさは4mm。先週より1mm小さくなったね・・・。でもお母さんは最後にその姿を見ることができてうれしかったよ。ありがとう・・・。

入院
3月26日午後。
流産の手術のため入院。今まで不妊治療外来だったのに、
出産するわけでもないのに 産科に入院した。
当たり前なんだろうけど、嫌だった。

二人部屋で、隣のベッドには同じ理由で入院している人がいた。
私より先に手術に入るらしい。
その人の手術が終わって部屋に戻ってきた。
カーテン越しに泣いているのがわかった。辛いよね・・・
でも、私には、ただ心の中で(赤ちゃんはきっと帰ってきてくれるよ。)と応援することしか できなかった・・・。
いつかきっと帰ってきてくれる・・・

手術
午後1時。前処置をした。
子宮口を広げるあの痛みより、赤ちゃんを産んであげられない、心の痛みの方が
何百倍も何千倍も痛かった。(ごめんね。産んであげられなくて。ごめんね、ごめんね・・・)
苦しかった。今まで先生や看護婦さんの前では泣かないようにとがんばってきたけど、
もう無理だった。涙が止まらなかった・・・。

点滴と筋肉注射をして、数時間後、私の番になった。
(短い間だったけどありがとう・・・)赤ちゃんに声をかけた。
ところが子宮口の開きが悪いうえ、妊娠しているほうの左側の子宮に器具がどうしても入っていかず、手術は難航。
時間がたち、麻酔が切れてきて痛みが強くなってきた。
助手かなにかの人の声が、「先生、“awake”です!!」と言うのが聞こえた。
麻酔が何度か追加されたのをおぼえている。
どのくらい時間がたったのかはわからないけれど、今度は先生が
「○○病院(有名な産婦人科医のいる病院)に電話して!!」という声が聞こえた。
(ひぇ〜、どうなっちゃうの、私・・・)
結局、その日はあきらめ、明日もう一回チャレンジすることになった。

夕方、だんなさまが来てくれた。
まだ麻酔から覚めたばかりで朦朧としていた。ことのしだいを説明した。
食事が来たが、麻酔を投入しすぎたせいで、気持ちが悪くて食べられない。
喉はすごく渇いて、たくさんお茶を飲んだ。
気持ちが悪いせいか、夜はほとんど眠れずに過ごした。長い夜だった。

再手術
3月28日。入院2日目。
朝から、子宮口を更に広げるための前処置をした。
もう何をされても、昨日感じた心の痛みより痛いものは無いだろうと思った。

いよいよ本当に赤ちゃんとお別れするときが来た。寂しかった・・・。
麻酔もよく効き、あまり覚えていないが、先生が「取れた〜。」と言ったのが聞こえた。
昨日あれだけ苦労してたから“取れた〜”って言うのもわかるけどさ・・・。
器具じゃだめだったのでバキュームみたいので吸引したそうだ。

看護婦さんにお願いして、赤ちゃんを見せてもらった。
「ここが胎盤になるはずのところで・・・」と説明してくれた。
まだ人というには小さすぎるくらいだったけど、「よくがんばったね。」って声をかけた。

午後、だんなさまが来てくれた。会社を休んだらしい。昨日は行くって言っていたのにね。
気分は楽だ。出血も思ったほどひどくない。
晩ご飯も食べられた。つわりも完全に消えていた。
でも、本当に赤ちゃんがもういないのか、実感がまだわかないというのが正直な気持ちだった。