天使ママ・パパの皆さんへ・・・




大切な人が悲しみにくれている時、私は無力でした。
私の悲しみを癒してくれた皆さんに少しでも私が出来ることがあれば・・・
まさに悲しみにくれている天使ママに私の力が役に立てば・・・
そう思ってはじめたこのHPだけれど、私にいったい何が出来るのだろう??

そんなことを考えていた時、ある新聞に掲載されたコラムが目にとまりました。
この話と上手くつながるかどうかわからないけれど、気になって
みんなに聞いてもらいたくて、載せてみようと思いました。
少々長いのですが、もしよかったら読んで下さい。

芥子(けし)の種

 人は必ず死ぬものではあるが、死ぬ順番に逆らって、子供が先に亡くなる場合もある。
今まで病気や事故で我が子を失った何人もの親と出会ってきた。
また、うちの弟が高校を卒業してすぐ、虫垂炎で死んだのだが、そのときの母親の嘆き悲しむ姿は 母親が亡くなった今も脳裏から消えない。

 小学生のたった一人の息子を病気で無くした母親は、
「子どもを死なせた後悔ばかりで・・・」と抜け殻のようになっていた。
          (中略)
そんな時、安易な励ましの言葉など意味が無い。
「ああ、この世は悲しみの海なんだ」と、相手の話にうなずくことしか出来ない。

 仏典には、我が子を失い嘆き悲しむ母親に釈尊が
「死人を出したことのない家から、芥子(けし)の種をもらってきなさい。」
と指導したと説かれている。

彼女は、言われるままに一軒一軒を訪ね回り、種を求めて歩いた。
しかしどこも肉親との死別の悲哀を抱えていない家はなかったのである。
悲しみを訴えて各戸で会話をしているうちに、いつしか体験を共有し
一人で嘆き悲しんでいた自分を克服する。
同苦し、祈り、励ましあい、苦悩を克服する人間共和の世界が
互いの心の中にあることを釈尊は知らせたかったのかもしれない。

〜我が子や肉親を失って悲しみに沈んでいる人へ〜
私は慰めの言葉も、心の傷を癒す方法も知らない。
しかし、この「芥子の種」の話は、『体験を共有できる人に語るのが一番』
と教えているようにも思う。
まず、孤独であってはいけないのだ。

松尾つよし(教育評論家=札幌市在住)
北海道新聞7月9日夕刊より抜粋

特に宗教を信仰しているとかそういうことじゃなくて、
なんとなく心に残ったお話だったので・・・

私たちは大切な人が悲しみに沈んでいる時に
何も出来ないかもしれないけれど、一緒に泣いて、空に向かって
祈るしか出来ないけれど、それでも良いのかもしれないと・・・
そしてその涙は、けっして無駄じゃないだろうと信じています。

私が悲しみの底にいた時、みんなが私の天使ちゃんの為に
一緒に涙してくれたことが何よりも嬉しかったこと、
みんなの存在自体が私の生きる勇気になったことを思い出したから・・・

“孤独であってはいけない”ってそのとおりだと思うの。
一人で背負うには、この悲しみは、あまりに辛すぎるよね・・・
だから、どうか、心に押し寄せてきたたくさんの感情(悲しみ、怒り、悔しさ・・・)を みんなに話したら、少しは楽になれるかも知れない。
一人じゃないんだって、もう一度思い出して・・・

取り留めのないことを長々と書いてしまいました・・・m(__)m
感じ方は人それぞれ。
私には一緒に泣くことと、みんなの幸せを祈ることしか出来ないけれど、
それでも、そうしないではいられなくて・・・

悲しい思いをした、それ以上にみんなに幸せの天使が微笑みかけてくれますように・・・



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