- 〈一人〉歩きは〈独り〉歩きではない――それはそうなんだけど?
- このたび、「視覚障害者の歩行中の交通事故を防ぐための具体的な対策の提言」という長い題の報告書を読みました。これは、(財)国際交通安全学会の
H156プロジェクトの研究成果としてまとめられた物です。この報告書に盛り込まれている提言は、歩行中の人など一般市民だけでなく、教育関係者、視覚障害者にかかわる専門の人たち、自治体、行政当局、メーカーなどに対してもなされており、その多くは、私が実際に一人歩きをしていて、なるほどその通り、とうなずけるものばかりです。
- (念のため、この報告書の問い合わせ先を書いておきます。興味のある方は読んでみてください。)
TEL: 03-3273-7884
FAX: 03-3272-7054
E-mail: takashi_komiya@nh.ysd.hm.honda.co.jp
- まず初めに知っておいていただきたい事は、見えない人の移動手段として、実際に足を使っての歩行がきわめて重要であるにもかかわらず(見えない人は自転者や車を独りでは運転できませんので、それだけ歩行のウエイトが高くなる訳です)、現在の交通事情は歩行者優先でないため、とくに見えない人はいつも危険と隣り合わせで一人歩きしている、ということです。少し誇張し過ぎかもしれませんが、しばしば〈幸運の女神に導かれて〉〈綱渡り芸〉のような危うさでどうにかこうにか一人歩きをしているのです。見えない人たちが《安全に》一人で歩くためには、自分自身の細心の注意力・瞬時の判断力と共に、どうしても周りの人たちの配慮や手助けが欠かせません。
- それでは次に、皆さんに配慮していただきたい事柄について、私の経験をふまえて、思い付くままに書いてみます。(これらはあくまでも私の視点からのものです。他の視覚障害者の場合には異なった要望が色々あると思います。)
- ●電車の駅のホーム上
最近では多くのホームに点字ブロックが敷設されるようになりましたが、ホームから転落して電車に巻き込まれるなどの事故は後を絶ちません。(私自身も、まったく怪我はありませんでしたが、これまで2回ホームから落ちたことがあります。)
- ホーム上は見えない人に取って最も危険な場所の一つです。 見かけたら必ず声をかけてください。そして求めに応じて、電車の乗り口などに案内してください。
- ・点字ブロックについて
点字ブロックというのは、ほとんどの方はご承知でしょうが、点状または線状の突起がついた、あの黄色のブロックのことです。これは、安全交通試験研究センター初代理事長の三宅精一氏(故人)が
1965年に考案したもので、視覚障害のある人の安全な一人歩きを助けるための、わが国独自の設備です。(弱視の方も、一人で歩く時、点字ブロックの黄色を参考にすることもあります。)
- でも、皆さんにぜひ知っておいて頂きたいことは、点字ブロックだけでは視覚障害者はけっして安全には歩行できません。よく考えればおわかりのように、点字ブロックそれじたいは、位置や方向を具体的に教えてくれる訳ではありません。あくまでも一人歩きをしている時の参考になるだけです。数年前までは、しばしばなにも言わずに私を勝手に点字ブロックの上まで連れて行ってそのまま放置する、というような人がいました。その人は親切心からしているかもしれませんが、私はその人の心の貧しさを感じたものです。
- なお最近、繁華街などの点字ブロックでは、〈美観〉という視点から、目立つ黄色ではなく、周囲の道路などと同色系の色が使われたり、突起の高さを低くするなど、突起そのものを目立たなくしていることがあります。これについては視覚障害者からばかりでなく、車椅子使用者や高齢者など、点字ブロックが移動の障害になりうる人たちからも批判がでているようです。街造りはいったいだれのために、何の目的でなされるべきなのか、様々な人たちの意見を取り入れて、充分に調整しなければならないと思います。
- ●道路を横断する時
見えない人は信号の変り目を車の流れ(とくにエンジン音の変化)や人の流れなどで判断しています。でもこの判断は不確実なので、信号の「赤」、「青」をぜひ教えてください。そして、できればいっしょに渡ってください(見えない人単独では横断する方向が取りにくいことがあります)。
- 赤信号の時、見える人が信号を無視して渡ると、その人や自転者の動きにつられて見えない人も渡ってしまい、とても危険なことがあります。少くとも見えない人が近くにいる時は、絶対に信号無視はしないでください。また青から赤に変わる直前では、無理をして渡らせないようにしてください(「いまは青ですが、もうすぐ黄色になりそうです。次にしましょう」などと声をかけてください)。
●騒音の激しい場所
- 騒音が激しくて周囲の音が聞き取れないような状態は、目の見えない人にとって大変危険です。
- 工事現場の大きな機械音、繁華街での大音響の宣伝、大型車などの交通の激しい道路沿い、頭上を通過する飛行機、駅頭などでの選挙演説等に遭遇すると、しばしば立ち往生してしまいます。そんな時はぜひ声をかけて、案内してください。
- ●雨や風の強い時、雪の日
雨がはげしいと、傘にあたる雨音にも邪魔されて、歩行に必要な周りの音がほとんど聴き取れなくなります。また風が強い時には、音源がどこなのか聴き分けにくくなったり、体が風にあおられたりして、歩く方向を正しく取るのがたいへん難しくなります。
- 雪の日は、ふだん参考にしている反響音が吸収されているような感じで、不安になります。また路面に雪が積もっていると、いつもは足から得ている色々な情報がまったく使えなくなります。
このような時も、手引きがあると、とても安心です。
- ●白杖では知ることのできない障害物
杖だけでは、腰の高さよりも上にある障害物はしばしば見逃してしまいます。とくに胸よりも高いと、ほとんど杖では障害物を発見できません。トラックの荷台やその積み荷、看板、道路標識、垂れ下がっている木の枝などにはよくぶつかって、たまに怪我もします。
- そのような障害物に気が付いたら、ぜひ教えてください。ただし、たんに「あぶない!あぶない!」と言うのではなく、どこに何があって危険なのかはっきりと説明してください。(説明しているひまがないほど緊急の場合は、まず「あぶない!」と声をかけると同時に見えない人の肘や肩を抑えて動きを止め、それから危険を回避するように手引きしてください。)
●その他一般的に注意していただきたい事
- 以上、私が一人歩きしていて、皆さんにぜひ知っておいていただきたい事、そして手伝ってほしいと思う事を書いてきましたが、これらに加えて、一般市民として当然守るべきルールも大切です。
- たとえば、違法駐車・駐輪は、私たちの歩行にとってとても困ったものです。とくに、歩道上に車を乗り上げたり、歩道の一部をふさぐように自転車を駐めておくと、それらにぶつかるだけでなく、やむをえず車道を歩かなければならなくなります。
- また、歩道にまではみ出して商品などを置いたり、点字ブロックの上またはそのすぐ近くに物を置いたりするのも、とても迷惑です。
- その他こまかい事を言えばいろいろありますが、どんな事が他の人の歩行の差し支えになるのか、すこし考えればおわかりいただけると思います。
このように見てくると、見えない人が〈一人〉歩きするといっても、そのためには、他の人の見守りや配慮、時には手引きが必要であって、文字通りの意味で〈独り〉で歩いているのではない、ということになります。ここで大切なのは、最低限の歩行技術を身に付けたうえで、一人で外に出て歩こうとする本人の強い意志であり、そしてその意志を実現するための皆様の協力なのです。
さて、これまで書いてきた事は、おそらく多くの見えない人たちにある程度共通の意見として認められるように思います。でも、この文章を書いている私自身は、先ほどのような結論、すなわち、見えない人の〈一人〉歩きは〈独り〉歩きではなくて、他の人の見守りや配慮・援助を必要とする、ということを素直に受け入れることはできません。私の素直な気持ちは、簡単に言えば、「本当に独りで、自由に、周りの目を気にせずに歩きたい」ということです。見えない人たちの中からも「そんなことは贅沢に過ぎる」「どうせ夢物語だ」などと批判されそうですが、私の率直な気持ちはそうなのです。
- 私はふつう(そして、おそらく一人歩きをしている多くの見えない人たちも)、いつも杖を使い(ということは、いつも片手は杖でふさがっています)、足元や周りに細心の注意をはらい、それでも不安な時は援助を求めて周りの人を探したり、適当な人が見つからない時は(最近は車中心になったせいか、大きな道路沿いでも人通りがほとんどないことがあります)、やむなく試行錯誤であちこちうろうろしてみたりして、歩いています。もちろん手引き(ガイド)はとてもありがたいのですが、その時でも、片手は杖、片手は相手の肘と、両手とも自由になりませんし、ある程度は相手の歩調に合せたり、言葉を交わし話を合せたりしなければなりません。さらに、一人であれ手引きの方といっしょであれ、周りから見られているかもしれない、という意識が多少なりともつねに付き纏います。(もちろん、周りから見られていることが、私たちの安全にとても役立っていることは言うまでもありませんが。)この意識は、私たちが周りから見られていることを自分自身で確かめようがないゆえに、しばしばかえって増幅されるように思います。この他者の視線を意識することで、いくらしたいと思っても危険と思われそうな行動にブレーキがかかったり、へんに格好を気にして自分の安全がないがしろになったりします。
- 私の願いは、本当に〈独り〉で歩き回ることです。両手を解放されてのんびり歩いたり、時には気分よく走り回ったり、(危険は承知のうえで)川や山に入り込んで自分の好きな鉱物探しをしてみたり、そんなことができたらなんと幸せでしょう。