5月4日、第1回京都ユニバーサル・ミュージアム『触る学ぶ展覧会−子供を護る守り紙−』に行ってきました。この「守り紙」とはたぶん疱瘡絵の描かれた紙のことでしょう。江戸時代には幾度も疱瘡(天然痘)が流行しますが、その疱瘡が少しでも軽くて済むようにと願って描かれた疱瘡絵をテーマとした展覧会です。
私も参加(オブザーバー参加)しているユニバーサル・ミュージアム研究会のメンバーの寺岡茂樹(中世日本研究所研究員)等が中心に企画し、4月26日から5月5日まで、京都市中京区柳馬場御池にあるTNCビルという小さなビルの3階「3F PROJECT ROOM」で開かれていました。
会場は、たぶん十畳余の小さなスペースで、絨毯が敷かれ、靴を脱いで入るようになっています。周りの壁に沿って50cmくらいの高さの低い机が並べられていて、その上に展示品とその解説文を点字でも書いたパネルが置かれ、私は座って移動しながら、寺岡さんの解説で順に触って行きました。部屋の真ん中には木や紙で作った疱瘡神が立っていて、私が行った日にはその回りででんでん太鼓を作るワークショップが行われていました。すべての展示品に触れられましたし、主要なテーマである疱瘡絵も触って分かるように立体コピーで丁寧に示されて、また展示の配置もとてもシンプルで、私は最後に1人でもう一度ざっと見学しました。見えない人たち、とくに点字を読むことのできる人たちにとっては、本当に良く考えられた展示になっていました。
以下簡単に、順路に従って、どんな展示が行われていたかについて書きます。
まず最初に、立体的に示された大きな円グラフがありました。八丈島のある村の全人工、その中の天然痘感染者、その中の死亡者の割合を示したものです。全人口(約3100人)が直径40cm、厚さ1cmくらいの円盤で示され、その上にその4割余の感染者(1385人)を示す扇形の盤が重ねられ、さらにその上にその4割弱の死亡者(504人)を示す扇形が重ねられています。(たぶん、1795年の大流行の時の数値だと思います。八丈島は離島だったため、また、平安時代末にこの島に流された源為朝の武威で疱瘡神が追い払われているという言説もあって、疱瘡のない島とされていましたが、実際にはこれ以前にも疱瘡の流行はあったようです。参考:
八丈島の天然痘)
次に、疱瘡絵の立体コピー図版です。向って左にだるま、その右にみみずくが描かれています。そして画面上には右から左に「さて かるし ほうそう ふたつみっつの朝」と書かれ、画面右下には作者として上から下に「ささら三八」と書かれています。だるまはすぐに起き上がるので、病がすぐに治って起き上がれるようにと子どもに贈られたそうです。またみみずくは暗闇でも目がよく見えるので、疱瘡で目が見えなくならないようにと、木彫りや張子のみみずく=ふくろうが贈られたそうです。(江戸時代には、失明原因のなんと9割が疱瘡によるものだったとか!疱瘡が治っても、顔中に痘痕が残ったり失明したりすることが恐れられ、疱瘡ができるだけ軽く済んでそのようなことにならないよう切に願われたと思います。なお、ふくろうには「不苦労」の意味合いもあったとか。)
その隣りには、上の疱瘡絵の各部分を拡大して示した立体コピー図版がありました。まず、失明しないようにと丸く大きく描かれていた目がさらに拡大して示されています(2重の輪の中に大きな丸がある)。次に、だるまとみみずくそれぞれについて、目の部分、顔の部分、そして全体の3枚セットで、拡大した図版がありました。また、画面上と画面右下に書かれていた文字についても、1字1字触って読めるくらいの大きさに拡大した図版もありました。
次に、アワビの大きな貝殻(ちょうど手のひらくらいの大きさ)がありました。どうしてアワビなのかと思いましたが、この大きなアワビの貝の内側の面には「ささら三八お宿」と書かれているそうです。ささら三八は、言い伝えでは、戦国時代の武士で、犬に囲まれて困っている男を助けたら、その男が実は疱瘡神で、助けてもらったお礼に「あなたの家には2度と出入りしません」と言ったとかで、「ささら三八の宿」とか「三八の家」と書いた物が疱瘡除けとして使われたらしいです。このアワビの内側の面の模様を立体コピーで示したものもありました。
大きくて殻の分厚いはまぐりも、3個ほどありました。疱瘡絵は濃い赤や薄い赤で描かれているそうですが、その赤には紅が使われているそうです。そしてこのはまぐりの貝殻の内側の面には紅が塗られているとのことでした。
その次には、これまで触ってきたものをまとめて復習するという意味からでしょう、最初に触った疱瘡絵の立体コピーが置かれていました。
最後に、疱瘡本に描かれている疱瘡絵とその解説のセットが数点ありました。今よく覚えているのは、途中にあった1点と最後の1点です。途中にあったものは、疱瘡神の体重をさお秤で測り、軽いほうの疱瘡神を日本に遣わすというものです(体重の軽い疱瘡神のほうが、疱瘡が軽くて済むとか。なんだかほっとしますね)。物語を締めくくる最後の1点は、画面に向って右手前に観客席があり、そこから舞台を示す線が数本斜めに伸びていて、舞台の左では猿が横笛を吹き、中央ではみみずくが扇を持って踊り、右では兎が歌を歌い、さらに上のほうではまさかりを持った金太郎が綱渡りをしているというものです。見ている者の心が浮き立ってくるような、なんとも明るい雰囲気のように感じました。
会場の中央ではでんでん太鼓作りも行われていて、私も少し作ったりしました。おもちゃのでんでん太鼓を鳴らしてみると、軽やかな甲高い音が鳴り続きます。こういう鳴り物や歌や踊りをしている家には、疱瘡神はあえて入って来ないだろうし、たとえ入って来ても、本来の役目は忘れてしまって、一緒になってさわいで楽しんでしまいそうです。
私は疱瘡絵はたぶん魔除けのようなものかと思っていましたが、この展覧会で示されている疱瘡絵の世界は、疱瘡と戦う・敵対するというよりも、疱瘡をそれなりに受け入れ、失明や痘痕といった結果を残さないようになんとか疱瘡とうまく和合して行ければという庶民の心からの願いを示しているように思いました。このような心根は、現代の人たちが病気をはじめ悪いものは何でも完全に根絶しなければと必死になるような、いわば完璧主義的な心情とは大いに異なります。完璧主義も、それがたいして無理しないでもできる程度なら悪くはないとは思いますが、私はどちらかといえば江戸時代の庶民の心根にひかれます。
(2014年5月9日)