遮光器土偶を作る―是川縄文館―

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 8月16日、八戸市の中心街から南東に車で10分余の所にある「八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館」に行きました。
 是川は、私が小・中・高時代を過ごした八戸では当時から有名な遺跡で、三内丸山とともに、一度は行ってみたいと思っていた遺跡です。7月末に是川縄文館に電話してみると、ボランティアの方が作ったレプリカだが、触ることのできる土偶が数点あるとのことでした。また、インターネットで調べてみると、7月末から8月中旬までの土曜・日曜に「夏休み縄文体験コーナー」があり、火起こし、縄文土器の文様拓本、土製耳飾り作り、縄文の布を編む、縄文土偶作りなどの体験が出来ることが分かりました(同様の体験コーナーは、夏休み以外でも、冬期間を除き、日曜日には行われているようです)。この内、土偶作りには、板状土偶、遮光器土偶、合掌土偶の3つがあるということで、私は以前から興味のあった遮光器土偶作りを申し込みました。
 
 12時半ころ縄文館に到着、まずは昼食をということで食堂に入ったら、そこにはショップも併設されており、見本として合掌土偶や遮光器土偶のレプリカが置かれていて、触ることができました。
 合掌土偶は、是川の風張1遺跡(風張遺跡は、新井田川をはさんで是川遺跡の対岸にあるとのこと)出土で、縄文後期後半、約3500年前のものだそうです。ほぼ完全な形の土偶だということで、国宝にも指定されています(合掌土偶について http://www.korekawa-jomon.jp/materials/gassyou-doguu.html)。土偶はどこかの部分が欠けている状態で出土するのが普通で、このように完全な形の土偶が出土することは極めて珍しいようです。(この土偶にも4箇所割れ目があったそうですが、秋田県辺りの物なのでしょうか、天然のアスファルトで接着して修復した痕があり、また顔など一部には赤色顔料の痕もあったそうです。)私が触ったのは、実物とほぼ同じ大きさのようで、高さ20cm弱、奥行15cmほどありました。両膝を曲げて座り(足先・膝頭・お尻がちょうど3角形になっている)、両肘を膝の上に置いて手を合せている姿です。顔は小さく、なにか円錐形のものを被っているようです。胸は小さく、またお腹もとくに膨れたりしていないので、女性を表わしているのかどうかよくは分かりませんでした。
 遮光器土偶は、全身を表わしたものと首から上だけのものの、2点ありました。全身を表わしたもの(実際に出土した物は、腰から上の部分だけだそうです)は、高さ20cm余、幅15cmくらいあるどっしりした感じのもので、両脚・両手と胴体はほぼ十字形で、その上に大きな顔があります。大きな顔の大部分は、これまた大きな真ん円の目2つです。子供たちはこれを見て、宇宙人みたい、というそうです。首から上だけのものは、直径10cm弱、高さ10cm弱の、ちょうどカップのように底と側面だけで上面と中身は空洞になっています。私が体験で作ったのは、こちらの遮光器土偶です。張り出した顎、太い鼻筋と眉毛、その下の大きな楕円形の目が特徴で、細かな髪飾りがあり、また表面は多くの縄目や細かい文様が刻まれています。
 
 午後1時ころ、体験コーナーをしている部屋に行きました。回りにはすでに、20人くらいでしょうか、ボランティアの指導でいろいろな体験をしている人たちがいます。私の遮光器土偶作りを指導してくださった方は、とても経験豊かな方のようで、ゆっくりと各作業過程について、その方がその都度見本品を作って私に触らせ、また言葉でも丁寧に説明してくださいました。
 まず、500gの粘土をもらいました(ちなみに、体験の費用は、この粘土代の200円だけでした)。この粘土を4等分します。そしてその中の3個を使って順次、底(首の部分)の楕円形のすぼまった部分を作り、その上に円い形でやや広がった部分(顔の下半分に当たる)を積み上げ、さらにその上に円い部分(顔の上半分で、一番上は少し内側にすぼめる)を積み上げてゆきます。これで、顔のおおよその外形は出来上がりです。
 この外形に、残りの粘土1個を細かく分けながら、すうっと張出した顎、両の耳たぶ(耳たぶの下のほうには後で竹串で小さな穴を空ける)、鼻筋とそこから左右に伸びる太い眉毛、その眉毛の下に両端が少しとがった楕円形の大きな目を張付けます。それから竹串を使って、大きな目の真ん中に太くて長い凹線を入れ、鼻の下当たりに横幅1.5cmくらいの穴を空けて口とし、また頭の後ろにも直径5mmくらいの穴を空けておきます。(だんだんと作業が細かくなり、難しくなります。(次に、外形の上縁に並ぶ髪飾りを作ります。そのために、直径5mmくらいの粘土紐を作り、それを24等分に竹箆で切り、それを丸めて5、6mmほどの丸を作ります。そのうち22個を外形の上縁に上向きと外向きに交互にくっ付けてゆき、上向きに付けた丸には横の凹線を、外向きに付けた丸には縦の凹線を入れてゆきます。また、残った丸の1個は首の前にくっ付けて首飾りにします(丸は1個余る)。
 最後に、縄目や模様を付けます。まず、直径3mm程の短いロープをゆっくり転がしながら、耳たぶの縁、太い眉毛、さらに顔の大部分に縄文を付けます。また、頭の後ろのほうには、楕円形や角張った円の凹線を付け、それらを繋ぐ線も引きます。さらに、首にも 1周する横線や破線を入れます。
 これでようやく完成です。休みなく作業をして、2時間半余かかりました。それでも最後のほうは時間がなく、また細かい難しい作業だったため、だいぶ手伝ってもらってなんとか仕上げることができました。野焼きをして、9月末ころに手元に届くということです。うまく焼き上がって、見本品ほどの出来栄えではないにしても、それなりに遮光器土偶の雰囲気が感じられるものであればと期待しています。
 
 遮光器土偶作りでだいぶ時間を費やしてしまいましたが、30分余で簡単に常設展示についても解説してもらいました。(当日は、特別展「トーテムポールの人びと―漁労・狩猟採集民のくらし―」も開催中で、興味があったのでこれについてもごく簡単に説明してもらいました。北アメリカの北西海岸の先住民の人たちの暮らしを紹介していて、生業としては縄文の人たちと同様に狩猟・漁猟・採集でしたが、土器の文化は持たなかったそうです。土器を使った煮炊きの代わりに、石を熱くして料理する方法を使い、またとくに木工に優れ、盛大な儀式を行っていたそうです。)
 是川遺跡は、新井田川左岸の河岸段丘上に位置する、縄文時代中期の堀田遺跡、縄文前〜中期の一王寺遺跡、縄文晩期の中居遺跡の総称ですが、亀ヶ岡文化を代表する中居遺跡がもっとも有名で、是川遺跡と言えば普通は縄文晩期(3000〜2300年前)の中居遺跡を指していることが多いようです。是川遺跡の特徴として、@漆製品が豊か(漆液を採取するためにウルシの木の管理もしていたらしい)、A植物質の品が多数出土(低湿地の沢に捨て場があり、トチやクルミなどの木の実の殻、獣骨や魚骨、貝類等多くの食物の残り物をはじめ、いろいろな木製品や漆器等も出土。アク抜きをするための水さらし場も見つかっている)、B美しい土器類(亀ヶ岡式という名前は木造町亀ヶ岡(木造町は2005年に西津軽郡森田村・柏村・稲垣村・車力村と合併し、つがる市となる)に由来するが、是川の出土品は、散逸することなく、泉山岩次療・斐次郎兄弟の尽力により、現地にまとまって多数保存されている)、の 3つが上げられるということです。
 実際に触ることのできる展示物として、次のような漆製品の樹脂製のとても精巧なレプリカ数点を用意してくださいました。
腕輪:直径6cm、太さ6、7mm程で、マタタビの蔓製だそうです。黒漆を下に塗り、その上に赤い漆(弁柄を使っているらしい)を塗っていて、赤漆が剥げ落ちた所が黒く見えているようです。触った感じはさらさらした感じでした。
木製の耳飾:直径3cm、厚さ5、6mmくらいの、ちょうど滑車のような形で、真中に小さな穴が空いています。トチノキ製で、縁が少しだけ欠けていました。
櫛:幅6〜7cm、長さ10cmくらいで、細い櫛の歯が10本近く並んでいます。櫛の歯が長くて、簪にもなりそうです。櫛の歯はムラサキシキブの枝を削って作ったもので、根元のほうで束ねられてきれいな半円の形になっていて、漆で塗り固められているそうです。櫛が出土する場合、普通は根元の部分だけが出土して、木製の櫛の歯までほぼ完全な形で出て来るのは極めて珍しいとのことです。
土製の耳飾:直径7cm、高さ3cmくらいの鉢形をした土器のようなもので、底に直径2.5cmくらいの穴が空いています。漆が塗られているためだと思いますが、素焼きのような感触ではなく、すべすべして硬そうな手触りの部分があります。
木製の鉢の一部:全体では直径40cm弱、深さ10cmくらいになりそうな大きな鉢形の、上のほうの周の3分の1くらいの部分です。表面には細かく文様が彫られています(土器の文様のように見えるとか)。トチノキを刳り貫いて作ったものだとのことで、漆が塗られているためでしょうか、触っても立派な感じがします。ちなみに、トチノキの皮を繋ぎ合せて作ったという蓋付きの容器も展示されているそうです(トチノキは、実ばかりでなく、材木としても、さらに皮までも利用し尽したようです)。
 このように、漆は木製品や土器、さらには籠などの竹製品(それぞれ、木胎、陶胎、籃胎と呼ばれるそうです)など、ほとんど何にでも塗られていたようです。そして、飾りとしてだけでなく、それぞれの材料を強化し長持ちさせる役割をもっていたようです。
 常設展示室は、初めに是川の縄文の人たちの暮らしを再現したシアターがあり、続いて「漆の美」(多くの漆製品を展示)、「是川の美」(中居遺跡の美しい土器類などを展示)、「風張の美」(風張遺跡の土偶などを多数展示)などがあり、また国宝の合掌土偶だけを展示している「国宝展示室」(現在「発掘された日本列島2014」展のため江戸東京博物館で展示、その後堺市博物館、長野市立博物館を巡回して12月末に戻ってくるとか)もありました。
 それらの展示の中で、先ほどのトチノキ製の大きな鉢の製作過程を再現した展示は触ることができました。5段階になっていて、@トチノキの幹に石斧を当てている、A直径40cmくらいの大きなトチノキの内側を小さな石斧で削っている、B大きな木の鉢を左手で押さえ、右手で鉢の外側に小さな鋭い石器を当てて文様を彫っている、C刷毛を持ち漆を塗っている(さらさらした所は黒い漆の部分、すべすべした所はさらに赤漆を塗った部分)、そしてD完成品となっていました。また、多数展示されている土偶の中に、「考える人」風の土偶(右肘を前に張出すようにして右掌を左頬に当て、左手を右肘の下にあてがっている)があるとのことで、興味を持ちました。
 
 今回は、なんといっても、良い指導者の下で遮光器土偶の製作体験が出来たことが、本当に良かったです。機会があればもう1度行って、体験用に作られている縄文土器数点にも触ってみたいですし、また別の土偶や縄文土器も作ってみたいと思っています。
 
 *10月6日、是川縄文館より、待ちに待っていた遮光器土偶が届きました。飾りなどいろいろと張り付けたりしましたので、一部取れたり、ひびが入っていたりなどしているかもと思っていましたが、そういうこともなく、ほぼ私が作ったままの形=是川縄文館で触った遮光器土偶のレプリカと大きさも形もだいたい同じ物に焼き上がっていました。回りの人たちにもとても好評で、何人も「埋め戻しておいて、掘り出してみると…」とか言っていました。
  以下は3方向からの写真です。
  土偶の正面から見た顔
  土偶の右斜め横顔
  土偶の左斜め上から見た顔
 以下は、写真を撮ってくださった方のコメントです。
  色: 薄茶色。
  髪: 丸い髪飾りが、たくさんつけられている。
  眉: 太く、長く、左右の眉が切れ目なくつながっている。
  目: 非常に大きく、木の葉のような形。
  口: 小さく開いている。
  眉、頬、口のまわり:縄目模様がついている。
  顔の表情:微笑んでいるような表情で愛らしい。
  首: チョーカーのような首飾りがついている。
 
(2014年8月26日、2014年10月21日追加)