6月14日、姫路市立美術館に行って、庭に展示されているブロンズの彫刻十数点に触って鑑賞しました。
ロダンやムーアの彫刻はこれまでに何度か触ったことはありますが、ブールデルの作品は、兵庫県立美術館で「風の中のベートーヴェン」を触ったことがあるくらいでした。近くでブールデルの作品を触って鑑賞できる所はないのかと思って調べてみると、伊丹市立美術館と姫路市立美術館にありました。
伊丹市立美術館には、「ドーミエ像」「牧神と山羊 ドビュッシー記念碑」「モントーバン記念碑 剣を持つ兵士」の3点が展示されていて、電話して触って鑑賞できないか問合せてみたところ、それは無理です、ということでした。姫路市立美術館には、「横たわるセレーネ」「モントーバンの戦士」」うずくまる浴女」の3点が所蔵されていて、電話してみたところ、館内に展示されているものは触れられないが、ブールデルの作品もふくめ庭にせっちされている彫刻十数点は自由に触って良いということでした。
というわけで、早速友人を誘って姫路に行きました。
JR姫路駅から、保存修理が終わって白くなった姫路城を見ながら、歩いて20分くらいで美術館に着きました。その途中の路上近くに、姫路城の大天主の上に飾られている鯱瓦の複製品が設置されていて、低い位置にあったのでほぼ全体を触ることができました。高さ2mくらい、幅3m近くありました。下に頭部(口は開いて歯が並び、くるっと巻いた髭?、鼻、目が続いている)があり、そこから半円形に反り返ったような形で背鰭が並び、一番上には尾が立っています。(シャチは獰猛な魚かと思っていましたが、鯱鉾の鯱は想像上の海獣で、頭は虎だそうです。)鯱鉾全体をこれだけ丁寧に触ったのは初めてでした。
以下、美術館の庭に置かれていた彫刻の紹介です。
●袋もつ鳥 (山本常一 1980年)
「袋もつ鳥」というのはペリカンのことでした。長さ・高さともに40cm弱くらいで、岩のようなものの上に、4本の足指をひろげてとまっています。それぞれの足指の間にはほとんど指先近くまで薄い水掻きがあるのが触ってはっきり分かります。くちばしは10cmくらい伸びていて(くちばしの先端は鉤形になっていた)、その下にくちばしにそって袋がぷくうっとふふらんでいます(この袋を使って、水中で網のように使って魚をとらえ、水をこしてから魚をのみ込むようです)。羽は閉じていますが、全体の形がとてもきれいです。
●夜の宴 (山本常一 1979年)
これは、木のようなものの上にとまっているフクロウでした。長さ40cm余、高さ40cm弱くらいです。顔から胴、羽までが一緒になって全体がころうっとした丸い感じになっています。顔は真右を向き、鉤形のくちばしは下に2cmくらい垂れるように下がり、目は窪んで、なにかぼうっとしているような感じがします。右足指は木の上をつかんでいますが、左足指4本は宙でかるく握るような形になっています。
山本常一(1912〜1994年。神戸市生まれ)は、自宅でたくさんいろいろな鳥を飼い、ニワトリやフクローなどをテーマとした多くの鳥の彫刻を残しているそうです。
●花束 (本郷新 1971年)
これは対になっている作品で、向い合って置かれています。ともに高さは80cmくらいで、女性が右手に花束を持って立っています。一方は右足を前に出して左足のかかとを上げ、他方は左足を前に出していて、互いに歩き出そうとしている感じです。ともに、膝近くまであるブーツを履いています。脚は細く、ころっと少しふくれた膝小僧がかわいいです。ともにマントのようなのを着ています。マントはシンプルな三角錐の形になっていて(後ろの上縁には小さなフードがついている)、一方は風が後ろから吹いているように前が広がり、他方は風に向っているように後ろが広がっています。単純な形ですが、風の流れを感じさせます。左手は、マントに隠れているのでしょう、表現されていません。顔は細長くて顎がとがり、若い女の子のように感じました。
台もふくめて全体が金色になっているそうです。なぜなのか不思議で、調べてみると、この作品は札幌冬期オリンピックの時に五輪橋に設置されたもので、とにかく目立つように、存在をアピールできるように、金色にしたようです。花束を持っている右手は爪先まで細かく表現されていますが、全体としては脚の円筒やマんトの三角錐など単純な形を組み合せたような造りです。シンプルな組合せによって、かえって作品の良さが際立っているように感じました。
●モントーバンの戦士 (ブールデル 1898〜1900)
この作品は、1m以上ある台の上に置かれていたので、実際に触れられたのは膝上くらいまででした。とにかく凹凸のはげしい曲面が連なっている感じです。膝下でも直径30cm近く、太腿だと直径40cm近くもあるほど太く、実際には有り得ないほど筋肉モリモリの感じです。左手は真横に大きく伸ばし(杖の先でそっと触れて確認できました)、右手は頭の上で剣を持っているようです。
ブールデルはロダンの弟子ということですが、私がこれまでに触ったことのあるロダンの作品では、例えば筋肉モリモリの表現でも実際に有り得るような姿、その意味でリアルであるのにたいし、このモントーバンの戦士の筋肉の表現はかなり違っているという印象を受けました。
●エーゲ海に捧ぐ (木内克 1972年)
女性の像ですが、高さが2m以上はあるようで、顔までは手が届きませんでした。全体的な輪郭の曲線がきれいに感じました。全体としては、前後に薄くして横に広げたような形になっていて、両腕もありません。腰の辺の両外側に髪の束の端が達しています。背中側を触ると、長い4本の髪の束の流れるような曲線、またそれぞれの髪の束の髪の毛のねじれのようなのがきれいでした。海に向ってのびやかに立ち、風も感じさせるような作品でした。なお、木内克(1892〜1977年)は、30歳くらいの時からブールデルの指導を受けたということです。
●姉妹 (桑原巨守 1980年)
立っている人(姉)と椅子?に座っている人(妹)の像です。妹は上を見上げ、姉は下を見て、互いに見合っているようです。妹は右手を握り、左手で姉の服の裾をつかんでいます。姉は髪を掻き揚げているようで、左手は髪の中にあり、右手は頭に当てています。妹と姉の間、座っている妹の腰の下あたりにバラの花があります。仲むつまじさ、慈しみのようなのを感じさせる作品です。
●髪 (山脇正邦 1980年)
これも、高さ2m以上あるようで、上までは届きませんでした。両脚を交差させて爪先で立っています。両腕を上げて、顔は左後ろを向き、豊かで密生した髪が大きく表現されています。
●地平線の午後 (峯田義郎 1980年)
高さ150cm弱くらいの小さめの像で、少年が座って遠くを見ているようです。全体にするうっとした手触りで、形もコンパクトにまとまっていて、きれいな感じがします。
●うずくまる浴女 (ブールデル 1906〜07年)
高さ1mくらいで、幅も1m近くあります。両脚を開くようにして、上半身を前にぎゅっと倒しています。横幅もあり大柄で、頬や首には横皺ないし皮膚のたるみのようなのもあり、豊満な女性を感じます。右手は右脚の下を通して回しています。左手は左腿の外側で大きなタオルのようなのをつかんでいます。そのタオルのようなものの中に、何か果物を思わせる、直径5cmくらいの丸いものがありました。また、腰の下は、岩肌あるいは流れる水滴を思わせるような凹凸があるのですが、その中に帆立貝のような貝の形をしたものがありました。(これらの果物や貝のようなのがどんな意味なのかは分かりませんでした。)
全体としては、凹凸の多い曲面ですが、表面はつるつるした手触りでした(「モントーバンの戦士」も同様)。
●海の鳥と少年 (淀井敏夫 1981年)
高さが2m以上あって、上の鳥にはほとんど触れませんでした。全体に細く薄く削ぎ落としたような感じです。人が上を向いて立っていて、それぞれの手の上には鳥が羽をひろげてとまっています(さらにその上にも鳥がいるようです)。
●水着の女 (伊東 傀 1981年)
これも2m少しあるようで、頭までは届きませんでした。手足や首が細長く、華奢な感じの女性です。右手は真っ直ぐ下に下げ、左手は肘を曲げて胸の前に立てています。どこが水着なのかと思って触っていたら、腰の辺りに薄い水着の跡のような線がありました。
●現象 (笠置季男 1966)
平板な面や丸みを帯びた曲面が多数組合さった立体です。全体としては、人が立っているような感じもしますが、どこがどこなのかはよく分かりません。上のほうには、丸い窪みのようなのがあり、目なのかな?と思ったりします。立体全体の触り心地はとてもよかったです。
作品は以上です。ブールデルの作品を触ってみるのが目的でしたが、結果としてはブールデルの作品は2点だけ(それもモントーバンの戦士は一部しか触ることはできなかった)でちょっと物足りなかったです。でも、これまで触ったことのなかった、本郷新や山本常一などの作品にも触れることができましたし、また鯱鉾にも触れることができました。ブールデルの作品にはもっと触ってみたいと思っています。
[補足]2018年1月6日、西宮市にある兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホールで開催された「河村泰子 ピアノ・リサイタル」に行った時に、同センターに設置されている、ブールデルの作品もふくめ、彫刻数点に触りましたので、以下に紹介します。
●「風のなかのベートーヴェン」(エミール・アントワーヌ・ブールデル 1904〜1908年ころ)
建物の中と外に1点ずつあった。高さ1m余、幅50cmくらい、奥行60cmくらい。台の上に置かれていたので頭の上までは届かなかった。両脚で岩をまたぐようにして座り、両腕を斜め下に伸ばして両手をそろえて岩のうえについている。上半身はやや前屈みで、顔は鼻が細く高く、口が小さく結ばれていてきびしそうな感じ。髪はいくつも巻いているようだ。そして風で服が後ろになびいている。全体の形は2点ともほぼ同じだが、建物外にあるほうは、巻いている風で髪が逆立ち、とくに服が後ろに大きくなびいていた。手触りも外にあったほうがざらついてごつごつした感じがして、タイトルに相応しいように思った。建物内に設置されているほうは、以前は兵庫県立美術館で展示されていたもので、調べてみると、これには私は2001年9月に触っていた。
●「天秘」(安田侃)
エントランスに設置されていて、だれでも自由に触っていた。高さ1mくらい、幅2mくらい、長さ3m余のずんぐりした形の巨大なブロンズの鋳造作品。表面はとてもつるつるしていて、触りよい。ゆるやかな曲面がまったく切れ目なく続いていて、端がなく曲面が永遠に続くのではとちょっと心配になる。順に触っていくと、自分が向いている方向が分からなくなるような感覚にとらわれた。回りの子どもたちが、ブロンズの表面を時々たたいたりして音を確かめていて、私も同じようにたたいてみて、中が空洞であることを確認する。
●「花のように 螺旋の気配」(植松奎二)
建物の正面の広場のような所に設置されていた。高さ7mとかで、下の60cm四方くらいの花崗岩の石の柱にしか触れなかったが、その上に、リン酸銅が螺旋をえがいて上に伸びて花のようにひろがっているとのこと。この大きな花の隣りには、5角形や6角形を何十も組合せたような、ほぼ球体に近い大きな多面体が置かれていて、これは種子だということ。全体としては、地球から生命が育ち、そして次の世代に続くというようなことを象徴しているのかも。この作品は、阪神大震災からの文化復興のシンボルとして作られたということです。
(2015年6月22日、2018年1月29日追加)