桑山先生の50年展

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 8月16日から21日まで、藤沢市民ギャラリー(ルミネ藤沢店6階)で、『藤沢ゆかりの展覧会 「緕R賀行彫刻展」 木霊と共に50年』が開催され、私は早速16日に行きました。
 午前11時半過ぎに会場に到着、土曜会の皆さんがガイドしてくれて、ほぼすべての彫刻作品約60点を鑑賞しました(他に素描作品などもありました)。また、午後1時から桑山先生のギャラリートーク(これまでのあゆみと作品解説)があり、これも聴講することができました。先生のお話は、「生真面目」と「ユーモア」が入り混じり、その中に誠実さと謙虚さがにじみ出てくるといったような感じで、会場はなごやかな感動につつまれていました。18歳で沢田政広先生の内弟子となりますが、なにか具体的に教えてもらったというよりも、彫刻家の生活そのものを間近で体感できたことがよかった、また20代後半には先生がヨーロッパへの独り旅をなにも言わずに許してくれたそうです。自身の作品については、このヨーロッパへの独り旅とともに故郷常滑の風景も影響している、また作品には「面倒くささ」(必要でないところはどんどん省略してゆく)と「さびしさ」が見て取れるのではないか、といったようなことをおっしゃっていました。先生の作品を触って鑑賞していると、だれにも目を向けられなくなったものたちに心を寄せて作品にしていて、そこにじんわりとさびしさ・哀愁といったようなものを感じます。
 以下に、当日いただいた点字の出品リストを参考に、各作品について書きます。半数近くは以前にも触れたことのある作品で、それについては以前に書いた文章も参照して書いています。(*を付した文は出品リストの解説文です。)なお、ごく簡単なメモと記憶で書いていますので、作品のタイトルと解説内容がもしかすると食い違っているものが一部あるかもしれません。申し訳ありません。また、解説文で左右が反対になっているものがあるかもしれません。(写真で確かめられないのが残念です。)
 
●秋去りて(1990年)
 幅2m近くある大きな作品。使われなくなった案山子が、お腹のあたりで折れてしまって、顔を斜め下に向けて倒れています。被っている蓑笠も破れかけています。
 *折れて捨てられた案山子によって過ぎた時間を表現。
 
●夏(1987年)
 これはブロンズの像です。浴衣姿の女の子です。腕を前で組んでいて、手は着物に隠れて省かれているようです(最初は人の各部分を丁寧に作っていたそうですが、次第に省ける所は省きたいと思ってこのような姿の像を作ったりしたとのことです)。
 *糊のきいた浴衣の線に魅せられて制作。
 
●夏(1988年)
 こちらは木彫で、きれいに着物を着ている娘さんです。
 *長女10歳の時の姿を成長の記録として残そうと思い制作。
 
●砂丘(1991年)
 手前に向ってゆるく傾斜した砂浜が広がり、その面をよく触ってみると、水の流れた跡のようなのも感じられます。向って左側に棒を連ねたような柵のようなのがあり、そこに烏が2羽とまっており、また右側の棒の上にも烏が1羽とまっています。右奥には女の子が膝をかかえてしゃがんでおり、こちらを見ています。
 *幼いころ見た故郷の砂浜の風景。
 
●砂丘(1991年)
  上の作品を180度回転させて、前と後ろを逆にしたようなもの。上が海の方から見ているのにたいし、こちらは浜の後ろから海の方を見ています。女の子は左手前にこれまた膝をかかえて右を向いて座っています。烏が数羽柵のようなのにとまり、棒にとまっている右端の1羽は女の子と見つめ合っているようです。
 *幼いころ見た故郷の砂浜の風景。
 
●窓−雨宿り−(1991年)
 幅・高さとも50cmほどの作品。窓が外向きに開いていて、その前に男女が仲よく立っています(男は左手を伸ばして女の左肩に手を置いている)。上には庇があって、雨宿りをしているようです。女の人は左手を前に出して、雨が止んだかどうか手で確かめている様子です。ほほえましい雰囲気が伝わってきます。
 雨宿りしている建物の壁を触ってみると、のみ跡なのでしょうか、まるで煉瓦か何かを積み上げて作った壁のような文様に感じます。また、男女が立っている前には、左から右へ、そして右から左へと、ゆるやかな下り道が続いています。どこかの落ち着いた町並が浮んでくるようです。
 *雨が降り出し、ほんの少しの雨宿り。
 
●窓−午後−(1991年)
 大きさは上とほぼ同じくらいです。窓が内側に開き、窓の前には、男女が中むつまじくソファーに座っています。男は左手を女の背中に回しています。2人はともに素足のようです。2人の前には、ゆるやかに弧を描いて、庭なのでしょうか?下の方に続いています。
 *ゆったりと流れる午後の時間を表現。
 
●野の風(1972年)
 高さ2m近くある大きな像。女の人が、前に乗り出すように立っています。右足を前に向け、左足は横向きで、お腹や胸は足よりも前に出ているようで、身体を反らすようにして立っています。
 *風に向かい立つ女性。
 
●風向(1982年)
 風に乗ってふわあっと浮かんでいるような女のイメージのようです。等身大の女の人が横になった状態で、スカートを着け、両膝は横に広げ、両足先をそろえていて、風の方向を示す針の形のようにも思えます。腰から膝あたりの下は空間になっていて、浮いているような感じがします。
 *風の形をテーマにした連作の1点。風向計の形から連想して。
 
●風−ひだまり−(1980年)
 長さ150cm弱の大きさです。女の子が上を向いて横たわっています。右足先の上に左足を乗せ、左足先をぴんと伸ばしています(親指はちょっと反り返っているようで、緊張も感じられます)。
 *ひだまりに吹く風を人の姿で表現。
 
 ●夏の日に(1983年)
ほぼ等身大の若い女の水着姿の像です。鑿痕があまりなくて、とくに肩先などはすべすべしています。脚の筋肉などのふくらみ具合などとてもリアルな感じで、一瞬ロダンなどのブロンズの作品を連想してしまいました。
 *すっきりと伸びた身体。夏の陽光を表現。
 
●わたし(1975年)
 女の人が、左肘をつき(立て肘と言うのでしょうか?)、右上を向いて、横たわっています。
 *面と稜を意識して三角形で構成。
 
●ぼく(1986年)
 腰掛けている男の子。
 *長男4歳の時の姿を写真ではなく彫刻で残そうと制作。
 
●5歳のぼく(1987年)
 立っている男の子(高さ1mくらい)。
 *幼少期から少年へ成長する身体の移ろいを制作したいと思った。
 
●風(1980年)
 女の人が、上半身をやや起こすように斜めに横たわっています。お腹から胸にかけてごくゆるやかに上向きの曲面になっていて、とてもきれいな形に思えます(でもこのような姿勢を取るのには強い筋肉の力が必要で、難しそう)。顔を隠すように右腕を額のあたりに乗せ、左手で右腕をつかんでいます。
 *風に舞う木の葉を表現。
 
●街人(1991年)
 腰掛けている女の子の姿です。像の表面は全体にざらざらした手触りになっています。左手を右腿に乗せ、右手をその上に重ねています。
 *ある日、街で見た女性の印象を形に……。
 
●独(1989年)
 倒れている案山子です。お腹のあたりで折れてしまって、頭から真っ逆さまに地面に倒れています。お腹のあたりには30cmくらいある大きな烏(ほぼ実物大なのでしょうか?)がとまっています。
 *収穫が終わり田んぼに役目を終えて忘れ去られた案山子によって過ぎた秋を表現。
 
●帆(1990年)
 腕を大きく広げて立っている案山子です。身に着けている蓑?が風をはらんで背のほうに広がっているようです。
*案山子の姿を風を受けたヨットの帆に見立てて。
 
●遠き夢跡(1993年)
 遺跡の風景です。幅1.5m、高さ1m、奥行1.4mほどもある大きな作品です。回りは柱や壁のようなのに囲まれていて、煉瓦?のような模様が細かく表されています(5cm4方くらいの大きさの板に細かく彫って、それを並べて張り付けているそうです)。遺跡のほぼ真ん中には女の子が座っています。
 *若いころ見た遺跡の素晴らしさに遠い歴史を思い制作。
 
●過去の街(2014年)
 遺跡の中に女の子が3人。2人は立ち、1人は膝をかかえるように座っています。
 *カッパドキアのような風景の中にとけ込んだ街をイメージして制作。
 
●閉ざされた風景(1993年)
 洞窟のようなものの中に、柵や棒の先にたくさん烏がとまっています。奥には人がいます。洞窟のようなものの外に、1羽だけ羽を広げている烏がいます。
 *風景を切り取ったらどうなるのだろうか……。風景をシャボン玉の内に入れたらと考えた。
 
●鳥の道(1997年)
 これも口が1mくらいはある大きな洞窟の中です。羽を広げて飛んでいる鳥が十数羽います。手前に人が立ち、そこからずうっと道が奥に向って真っすぐ伸び、先は穴になっています。
 *洞窟の中の遺跡はこのような情景かと想像し表現。
 
●夏の忘れ物(1995年)
 砂丘です。烏が1羽、砂浜の上に直接座っています。柵には大きな麦藁帽子が引っかかっています。
 *幼いころ遊んだ故郷常滑の砂浜の思い出。
 
●異国の街(2001年)
 幅1m弱、高さ2m弱もある大きな椅子に女の人が座っています。椅子の背は遺跡の壁のようになっていて、さらにその上(向こう)には森があります。
 (同名の作品が他もう2点あり、1つは上の作品の半分くらいの大きさ、もう1点はさらに小さい作品でした。)
 *ヨーロッパの旅の思い出の風景を椅子の形で表現。
 
●海物語(1998年)
 チョウチンアンコウをモデルにした作品だとのことです。なんといっても変わっているのは、頭の上から斜め上に伸びた長い棒状の突起です。長さは20cm以上あり、先は下にくるうっと曲がっていて先端は半球状にふくらんでいます。調べてみると、これは「誘引突起」と呼ばれるもので、捕食するさいにここから発光液を噴出して獲物の目を眩ませているらしいです。口は上向きで横に長く開いており、歯が並んでいます(とくに上歯が鋭い)。体にはあちこちぶつぶつした突起があります。体の下には直径5cmほどの平たい突起が付いていますが、これは、先生がこの魚が深海の底を動き回るためにはきっとこのようになっているのだろうと予想して付けたものだということです。
 *大きな口で獲物を待っているチョウチンアンコウがモデル。
 
●海の番人(2005年)
 全体にずんぐりした、ちょっと変った形の魚。顔は、口が上を向き、口の回りにはぶつぶつの突起があります。目もぎょろんと大きく、やや上向き。体はずんぐりとして、背鰭が立ち、その他の鰭も大きくひろがっている。全体はなんかこわそう、すごーいといった感じがします。
 *カサゴがモデル。グロテスクでもあり、ユーモラスでもある。
 
●花化粧(2007年)
 これはハナミノカサゴという、各鰭がとても大きな魚をモデルにしているとのこと。体は上の「海の番人」よりも小さいが、背鰭や胸鰭がいくつにも別れて大きくひろがっていて、とてもダイナミックな感じ。このダイナミックな鰭を触って、私はまるで鳥のように飛ぶこともできるかと思ったほど。鰭の開き方が花が開いたようにも見えるので「花化粧」というのかも?
 *水族館で見たミノカサゴの姿は優美でまるで化粧をしている女性のように見えた。
 
●昨日見た夢(1992年)
 1辺が60〜70cmくらい、高い所は70cmくらいもある大きな作品です。手前に女の子が向こうを向いて立ち、その前にざらざらした手触りの山のようなのがあります。これは瓦礫を表しているそうです(ざらざらした手触りは、木屑に接着剤を混ぜたものを付けて作っているとのことです。)瓦礫の向こうには煉瓦壁があり、古そうな扉や窓があります。女の子の右側には、奥に向って上り階段が伸びて向こうの空間に開いています。階段の右側も高い煉瓦壁になっていて、大きな窓があります。そして、向こうの煉瓦壁と右側の煉瓦壁の上には、大きく羽をひろげた大きな烏がおそらく10羽以上も、互いに羽を接し重なり合うようにこちら向きにとまっています。
 *遺跡を飛び交う烏の群に。
 
●森への道(2000年)
 上の作品よりやや小さめですが、印象は似た感じの作品です。手前に女の子がこちらを向いて立ち、かなり離れて向こうに大きな木があります。女の子の向って右側には急な道が奥に向って続いていて、道の両側は高い壁になっています。さらにその道の右側奥には森がひろがっています。
 *遠近法を使い遠くの森へと続く道を表現。
 
●窓(1994年)
 大きな四角い鉄枠の向こうに窓が3つほどあります。1つの窓には、小さな花瓶に入った大きな向日葵があります。
 *幼いころ見た隣りの家の窓の向日葵が心に浮かびその記憶をもとに制作。
 
●窓(1999年)
 大きな窓が上(向こう)に2つあり、下(手前)にはひさしのようなのがついた窓(あるいは入口)があります。下の窓(あるいは入口)には女の子が立っています。
 *それぞれの窓にはそれぞれの時がある。
 
●楽人−古代壺より−(1995年)
 ブロンズの、ちょっと変った作品です。全体は、壺を縦に半分に割ったような形です。壺の上縁にいくつも突起が並んでいて楽人を表しているらしいですが、私にはよく分かりません。中央部にも横に大きく裂け目があって中に手を入れることができます。蝋で型を取ったとかで、ブロンズでもこれ1点しか出来ないということです。
 *縄文時代の土器を意識して制作。
 
●道(1991年)
 手前に女の子が向こう向きに立ち、その前にステンレス板の道が続き、さらに急な階段に向っています。回りは高い煉瓦のような壁になっていますが、その壁は途中で大きく途切れていて、さらにずうっと遠くまで続いていることを強調しているようです。一番向こうは高い建物になっていて、入口や窓のような四角の穴がいくつかあります。
 *道にステンレスを使い木と金属のコントラストで風景を表現。
 
●道(2011年)
 (記憶がはっきりしません。)
 *窓から見た外の風景は過去に訪れたヨーロッパの風景。
 
●深海の怪
 長さ60〜70cmくらいはある細身の魚が斜め下を向いて真っすぐ伸びています。尾は小さいですが、背鰭などあちこちにたくさん鋭い刺があります。口は大きく開いて、とくに上顎が大きく広がって前のほうにぐうっと伸びています。両顎には鋭い歯が並んでいます。この鋭い歯や刺は、中心部分が鉄のような金属で、その回りが木になっています。そして、この中心の金属が釘先のように鋭くとがっているのです。この魚は、ラシオグナトゥス・サッコストマという、最近発見されたアンコウの仲間の深海魚だそうです。
 *深海には様々な奇怪な魚がいる。水深4000mに住む体長わずか7.5cmのラシオグナトゥス・サッコストマを制作。
 
●丘−風−(1994年)
 ブロンズの作品。高さ40cmくらいあったでしょうか、くねえっと曲がって先が細くなった曲面の立体の上に、10cm弱の平べったくなった人?が立っています。よく触ると、2人の人(男女?)がぴったりくっついて抱き合っているようです。
 *丘の上は強い風が吹くのか……。
 
●窓(2001年)
 大きな菱形の中に窓があり、その窓の中に女の子が立っています。女の子のスカートがふわあっと広がっています。
 *窓の外の風景はこのようだろうかと思いをめぐらして……。
 
●遠い日の夏祭(2002年)
 人形遣いが人形の肩に手を当てています。
 *幼い日に父と見た夏祭の人形芝居の記憶をたどり形にした。文楽人形シリーズを制作するきっかけとなった作品。
 
●たそがれて…(2003年)。
 高さ2m近くある大きな作品。正面に人形遣いの大きな顔、その左肩の上あたりに人形の小さな顔。人形遣いが左手のひらに人形を乗せるようにし、左肩で支えるようにしています。人形遣いの右手はまっすぐ下に伸びています。少し赤茶けたような色合いで、夕日をあびているように見えるようです。
 *祭のあとの一抹の寂しさを文楽人形により表現。2004年総理官邸に半年間設置された。
 
●幕間(2005年)
 文楽の娘人形が置かれた瞬間を捉えたような作品。どこを見るともなくまっすぐに向いた視線が印象的。着物の折り目などもよく表現されている。まるで生きているように見えるとか。
 *一幕を終えた安堵感と同時に次の幕開けの緊張感のある幕間を表現。
 
●拍手を聞きながら(2006年)
 人形の後ろの人形遣いが、黒子のように、頭巾を被って顔を隠しています。人形は人形遣いの膝に身体をあずけるように倒れかかっています。上演が終わって拍手を受けているところらしいです。
 *黒子の演者と人形が演じ終えた瞬間の緊張感と安堵感が混ざった様を表現。
 
●演者(2007年) (内閣総理大臣賞)
 前に人形遣い、その後ろに人形という変った配置になっています。人形遣いは目を瞑っていて、人形をどんな風に動かしたらと考えているのにたいして、後ろの人形がこんな風に動かせばいいんだよと教えてあげているところを表現してみたものだとのことです。
 *開幕直前の緊張の一瞬。張り詰めた空気の中で精神統一する演者。
 
●演者U(2008年)
 人形遣いの左膝に人形の顔があります。疲れたような姿です。
 *演じ終えた直後の緊張のうちに安堵と脱力を感じている演者。
 
●演者V(2009年)
 人形遣いが人形を横向きに抱きかかえています。人形の片手がだらりと下に下がり、顔も下向きです。
 *人形遣いと人形が一体となって演じ終えた一抹のさみしさを表現。
 
●演者W(2010年)
 人形遣いが人形を両手で支えているようにしています。人形遣いと人形が顔を見合わせ、なにか相談しているような感じです。
 *開演を前にして操る人と操られる人形が本当はどちらが操るのかを相談するように心を通わせている姿を表現。
 
●演者X(2011年)
 人形の着物など全体につるつるうっとした感じで、他の演者シリーズとは触り心地がかなり違います。真っすぐな姿勢の人形の首元辺に人形遣いの大きな右手と左手が上から真っすぐ伸びています。人形遣いが手だけで表現されています。
 *文楽を見ていると人形遣いの姿が消える。人形に命を与える手は神の手であろうか……。
 
●演者Y(2012年)
 全体の高さは180cmくらい。全体としては、人形が左に体を傾け右上を見ている先に人形遣いの大きな右手が上から伸びてきている姿です。人形遣いは手だけが表現されています。以下に少し詳しく説明します。
 いちばん下のほうは直径40〜50cmくらいの楠の自然の幹です。その途中から人形の衣装になってゆきます。足は衣装に隠れているのでしょうか、触っては分かりませんでした。両袖からは、小さな手が出ています。右腕は上に上がっていて、人形の小さな右手の所に人形遣いの大きくて分厚い右手があり、さらに上にその腕が伸びています。人形は帯を締めていて、後ろに回ってみると帯が何重にも折りたたまれています。体を左に傾けるようにして、左手は下に垂らし、首(かしら)を右斜後上方に向けています。首の根元には四角い胴串があります。首元を触ってみると、一番内側はふわあっとした感じの厚い着物(綿入れだそうです)で、その外側に薄手の着物が3枚重なっています。顔は、とてもかわいい女の子のようです。口、鼻、目、どれもとてもきれいと言うか素晴らしいです。そして、目は下瞼がしっかり開き目線は人形遣いの大きな手に向いているようです。
 *文楽人形が人形遣いの手によって生命を与えられたように動き出す時、それが神の手のように思われる。人形に生命を与える瞬間を思い描いて制作。
 
●演者Z(2013年)
 人形が背のほうを上にして、今にも落ちてしまいそうに下向きになっています。顔も下を向き(その顔はとてもきれいでかわいらしいです)、着物の袖からちょっと出た両手も下向きです。それを、上から伸びて来た人形遣いの大きな両手が人形の後ろの襟元辺をぎゅっと掴んでいます。役目を終えてすっかり疲れ切ってしまっている人形を、人形遣いがしっかりと上から支えているようです。(これも人形遣いは手だけで表現されている。)
 *人より人らしく演じられる文楽人形。人形に命を吹き込み、人の世界に導くのは神の手であろう。
 
●我家のソクラテス(2010年)
 実物大のラブラドール犬。右側を下にして横たわっている。前脚は左脚を上にして交差させて、顔は前を向いている。大きな耳が垂れている。2012年8月、桑山家の一員だったリタイア犬・アイリスが、突然亡くなったそうです。アイリスを何時までも覚えていたいと、制作したとのことです。
 *我が家にやって来た盲導犬リタイアのアイリスはソクラテスを思わせる風貌をしていた。
 
●風景 −海−(1992年) (西望賞)
 難破した船の残骸のようです。下には、何かは分かりませんが、大きな平べったい円いものがあります。甲板や舷側は破れてぼろぼろになっていますが、船底の船首から船尾へ向かう曲線がつるうっときれいに残っています。
 *工学的に作り出された船の底部の曲線の美しさと朽ちていくわびしさと。
 
●遠き日(2000年)
 高さ50cmほどの切り株の上に、20cmくらいもある大きな蝉の抜け殻が、10cm以上もある6本の足でしっかりとしがみついています。抜け殻の前のほうは縦に5cmくらいきれいに割れています。背からお尻あたりにかけての段々になった各節もきれいです。
 *抜け殻から出た蝉はどこに行ったのだろうか……。
 
●夏の朝に(1999年)
 幅40〜50cmほどの、厚い布ないしタオルのようなのをがさっと折り畳んだようなものの上に、10cmほどの大きさの蝉の抜け殻があります。
 *人の抜け殻のGパンと蝉の抜け殻によって、はかなさを表現。
 
●赤とんぼ −日本の歌より−(2013年)
 向って右側は、木の枝のようにゆるく曲がった棒の先が2つに別れ、その向こう側の端にとんぼがとまっています。とんぼは、眼、翅、尾と、本物そっくりの形・大きさです。向って左側には男の子が立っていて、とんぼを見上げているようです。
 *赤とんぼの連作をつくるきっかけとなった作品(個人所蔵)
 
●赤とんぼ(2014年)
 最初触った印象は、なんかうねうねしたものが横倒しに転がっている感じでよく分かりませんでした。全体は、花瓶に挿したひまわりが枯れてしまい、花瓶ごと倒れ、そのひまわりに赤とんぼがとまっているというものです。
 手前に、直径7cmくらい、高さ10cmほどの花瓶が倒れた状態であり、さらに花瓶の底の片側が割れてそこからひまわりの茎が出ています。花瓶からはひまわりの茎が2本斜めに40〜50cmほども伸びています。途中には枯れたような葉もあり、さらに先のほうはくねーっと湾曲してその先に枯れたひまわりの花があります。花の中央部はざらざらした実がたくさんあり、回りには枯れたような花びらや萼?が取り巻いています。一方のひまわりの花の所に、翅を広げた幅が10cmくらいのとんぼがとまっています。
 *赤とんぼの飛ぶ季節に思いをはせて……。
 
●赤とんぼ(2015年)
 幅1.5m余、高さ1.5m弱もある大きな作品。枯れかかった大きな向日葵に赤とんぼがとまっています。向日葵の根元からは、大きな角を持った山羊の頭蓋骨が伸びています。
 *生きている赤とんぼと生を終えた山羊と向日葵によって生と死を表現。
 
●赤とんぼ −陽だまり−(2015年)
 (記憶がはっきりしません。)
 *陽の光が気持ちよく空気が高く感じる季節、幼いころ遊んだ縁側の風景がなぜか懐かしい。
 
 以下2点は十二神将。
 *十二神将:薬師が苦行中にいろいろの悪魔たちから行を妨害されそれらから薬師を助け悪魔たちと戦った十二体の善神。
●額爾羅(あにら)大将(2015年)
 頭にヘルメットのような兜を被り、顔は辰のよう。左手に長い槍を持ち、右手には塔?のようなのを持っている。(女性のようかも)
 *辰の時刻または辰の年を守る神将
 
●因達羅(いんだら)大将(2015年)
 頭の髪がぐじゃぐじゃに立っています(炎?)。馬のような顔で、口が大きい。左手に3つに分かれた長い武器のようなのを持ち、右手は腰のあたりでぎゅっと握っています。
 *午の時刻または午の年を守る神将。
 
(2016年8月26日)