はじめに
隕石についてこのようなエッセイを書いてみようかと思ったのは、昨年末に兵庫県立大学西播磨天文台で行われたインクルーシブデザイン・ワークショップに参加して鉄隕石に触ったことがきっかけです。(そのインクルーシブデザインワークショップの内容については、「宇宙にふれる−−インクルーシブデザイン・ワークショップに参加して−−」 http://www5c.biglobe.ne.jp/~obara/colum/colum147.htmlに書きました。)
博物館や天文台を見学すると、しばしば隕石が展示されていて、触れられることもあります。私はこれまでにおそらく十数個以上の隕石に触りましたが、その大部分は鉄隕石で、今回西播磨天文台で触ったのも鉄隕石でした。私のメモをちょっと調べてみると、鉄隕石以外では、奥州宇宙遊学館で小さな石質隕石(そこには鉄隕石とテクタイトもありました)に触っています。このほかにも1,2個石質隕石に触ったような気はしますが、記録には残っていませんでした。実際に触れられるのは大部分鉄隕石のようですし、博物館によって展示内容はそれぞれ異なっているでしょうが、鉄隕石中心の展示になっている所が多いのではないでしょうか。
ちなみに、神奈川県立生命の星・地球博物館では、巨大な鉄隕石に触れることができ、また触ることはできませんでしたが、有名なマーチソン隕石やアエンデ隕石などの石質隕石、さらには石鉄隕石も展示されていました。なお、2019年4月に行った名古屋市科学館でも、鉄隕石(ギベオン隕石)、石鉄隕石(イミラック隕石:パラサイト)、石質隕石(アエンデ隕石:炭素質コンドライト)が展示されていましたが、触れられたのは鉄隕石だけでした。2020年1月1日に明石市立天文科学館に行きましたが、ここでは、ブルキナ・ファソに落下したコンドライト、オーストラリアのグレートサンディー砂漠に落下したエコンドライト、それにイミラック隕石(石鉄隕石)、オデッサ隕石とギベオン隕石(ともに鉄隕石)が展示されていて、それらすべてに触ることができました。明石のこの展示で初めて2種の石質隕石を触り比べ、コンドライトが磁石にくっつき、エコンドライトが磁石に反応しないことを確かめることができました。さらに、2020年2月11日には大阪市立科学館に行きました。触れられたのは鉄隕石2種(キャニオン・ディアブロ隕石とオデッサ隕石。ともに IABで粗粒オクタヘドライト)だけでしたが、その他におそらく20個近い隕石が展示されていました。コンドライトとしては、H5やL5、LL5等のもの、炭素質コンドライトのアエンデ隕石(cV3)やカルーンダ隕石(CK4)、エコンドライトとしては、ザガミ隕石(シャーゴッタイト。火星起源とされる)、ミルビリリ隕石とキャメルドンガ隕石(ともにユークライト。小惑星ベスタの地殻起源とされる)、石鉄隕石としてはハッキッタ隕石(パラサイト。ただし、風化がかなり進んでいて、金属鉄は酸化されてほとんどが磁赤鉄鉱や針鉄鉱になっているらしい)、鉄隕石としてはギベオン隕石(IVAで、細粒オクタヘドライト)、などです。隕石の展示としては、とても充実していました。2020年3月1日には神戸市立青少年科学館に行き、最大の鉄隕石として有名なホバ隕石(アタキサイト)に触れました。ここにはその他20個ほど小さな隕石が展示されていて、ザグ隕石(普通コンドライト、H3〜6)、ヴァカ・ムエルタ隕石(メソシデライト)、シホテアリン隕石(1947年にロシア・ウラジオストク近くに隕石雨となって落下、120ものクレーターもできたと言う。粗粒オクタヘドライト、IIAB)をはじめ、いろいろありました。
隕石全体の中では石質隕石が9割以上で、鉄隕石はわずか数%に過ぎないのに、どうして博物館などでは鉄隕石中心の展示になっているのでしょうか?これが最初の疑問でした。
また、鉄隕石を触っても、表面がちょっとざらついていてゆるやかに凹凸があるのを感じるくらいで(溶けた跡のような所やさびついているような所などがなんとなく感じとれるようなこともある)、重さを実感できること以外では、触って得られる情報はそんなに多くはありません。隕石にちょっと触るだけでなく、それをきっかけに、面白い宇宙の世界に広げて行けるような展示方法や話はないのだろうか?と思いました。
西播磨天文台では毎夜観望会もしているので、観望会で流れ星を見、鉄隕石を触り、「隕石は宇宙からの手紙」という視点で話を組み立てられるのではと考え、このエッセイを書いてみました。
*とはいっても、流れ星の多くは彗星に含まれる氷や塵がもとになっているのにたいして、隕石は主に小惑星が起源になっているので、これらを一緒くたに扱うことはできませんが。
*この文章を書くにあたって、とくに以下の資料が参考になりました。
「隕石: 原始太陽系の“タイムカプセル”」(『ニュートン』2016年6月号 basics of Science)
地球のささやき http://terra.sgu.ac.jp/earthessay/ の中の1_17 宇宙からの贈り物、1_18 石鉄隕石の起源、1_19 コンドライト、1_20 太陽のかけら、1_21 エイコンドライト、1_22 火星起源隕石(その1)、1_23 火星起源隕石(その2)、1_24 鉄隕石、1_25 プレソーラーグレイン、1_26 隕石の年代
隕石全般については、宇宙や隕石の画像や動画と最新ニュース http://www.kakazuastro.com/ がとても参考になりました。
隕石の分類などについては、
神戸隕石/隕石の分類 - 国立科学博物館 https://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/inseki/koube_inseki2.html、
隕石の話 http://www.nihongo.com/aaa/jewelry/j5inseki/meteorite.htm
また、各隕石の詳細については、隕石展示室 http://www.istone.org/meteo2.html が参考になりました。その他、随時Wikipediaや日本大百科全書などネット上の資料も参照しました。
1 隕石の分類と割合
隕石は、宇宙空間を飛んでいる物体が、大気圏を通って燃尽きずに地上まで到達した物です。(そのうち、1mm以下の物は宇宙塵と呼ばれていて、宇宙塵は地球上に年間数万トン以上も降り注いでいるらしいです。)
隕石は、大きく、主に珪酸塩鉱物から成る岩石質の石質隕石、珪酸塩鉱物と金属鉄(鉄-ニッケル合金)を半半くらいの割合で含む石鉄隕石、主に金属鉄(鉄-ニッケル合金)から成る鉄隕石に分けられます。そして石質隕石は、コンドリュール(chondrule)と呼ばれる大きさ数mm以下の小さな球粒を含むコンドライト(chondrite)と、コンドリュールを含まないエコンドライト(achondrite。a-は否定の意の接頭辞)に分かれます。
これら、コンドライト、エコンドライト、石鉄隕石、鉄隕石の4種の隕石は、どれくらいの割合で地球にやって来ているのでしょうか。
隕石の博物館 http://www.istone.org/meteorite.htmlに、1992年までに落下するのが観測されて回収された隕石の数(落下数)と、落下は観測されていないが落ちていたのが発見された隕石の数(発見数)について、次のようなデータがありました。(ただし、南極で多数発見されている隕石は含まれていない。)
表:隕石の種類と数
隕石の種類 落下数 発見数 合計数
石質隕石
コンドライト 822 1023 1845
エコンドライト 70 25 95
石鉄隕石 11 61 72
鉄隕石 49 689 738
合計 952 1798 2750
上の表から、まず落下数について各隕石の割合を出すと、コンドライトが86.3%、エコンドライトが7.4%、石鉄隕石が1.2%、鉄隕石が5.1%となります。地上に到達する隕石の割合は、この落下数の割合とほぼ同じと考えて良いので、コンドライトとエコンドライトを合わせた石質隕石が94%弱、石鉄隕石が1%強、鉄隕石が5%強ということになります*。圧倒的に石質隕石が多いということですね。また、石鉄隕石はかなり珍しいということです。
* 1970年代以降南極で多くの隕石が発見されるようになっていますが、南極で見つかる隕石では石鉄隕石や鉄隕石はさらに少ないです。古いデータですが、日本の国立極地研究所が1995年時点で所蔵している8994個の隕石中、石鉄隕石は11個(0.1%)、鉄隕石は25個(0.3%)しかありません(その他はコンドライト 8648(96.2)、炭素質コンドライト 126(1.4)、エコンドライト 184(2.0)。
隕石の発見より)。落下隕石の割合と南極で発見される隕石の割合の大きな違いについては、南極で発見される隕石の特異な集積メカニズムが関係しているように思われます。南極では隕石が氷の流れの中に取り込まれて運ばれ、主に山脈の麓の裸氷帯に集まったものを人が見つけているわけです。石鉄隕石や鉄隕石は石質隕石に比べて密度がかなり大きいので、氷の流れの底に沈みやすく、裸氷の表面にはなかなか露出しにくいのではないでしょうか。
次に、発見数について各隕石の割合をみてみると、コンドライトが56.9%、エコンドライトが1.4%、石鉄隕石が3.4%、鉄隕石が38.8%となります。落下数の割合と大きく異なっていますね。鉄隕石は落下数の割合の7倍強の4割近くに増え、石質隕石は6割弱に減っています(とくに、エコンドライトは落下数の割合の5分の1にも満たない1.4%に減っています)。
落下数の割合と発見数の割合のこのような大きな違いの理由としては、鉄隕石は石質隕石に比べて風化に耐えて長期間残っていやすいということが考えられます。石質隕石は長い間には風化して崩れてゆき、回りの石や砂に紛れて行ってしまうでしょう。とくにエコンドライトは、たとえ塊が残っていたとしても、見た目はふつうの火成岩とたいして変わらないと思いますので、専門家でないかぎり見分けるのは難しいでしょう。これにたいして、鉄隕石はある程度の大きさがあればだれでも用意に見分けられるでしょう。人類が初めて出会った鉄は鉄隕石かも知れないと言われていて、エジプトや中国の遺跡からは鉄隕石を使った鉄器や飾り?が見つかっていますし、イヌイットは鉄隕石を加工して刃物を作っていたらしいです(鉄隕石にはウィドマンシュテッテン・パターンという特有の模様が見られるので、製錬した鉄や自然鉄とは区別できる)。
1969年に日本の南極観測隊が昭和基地の南西300kmくらいにあるやまと山脈の麓で隕石を発見して以来、南極で多くの隕石が發見されるようになりました。日本だけでもすでに2万個近くを採集し、世界各国が集めた南極隕石を合計すると5万個くらいになります。また、サハラ砂漠でも数千個の隕石が発見されて、市場にもかなり出回り、とくに石質隕石は値段も安くなっているようです。こうして隕石は以前よりもずっと入手しやすくなっているようですが、石質隕石だと見た目ではふつうの石とたいして変わらないので、まずは鉄隕石が展示されることが多いのでしょう。
なお、日本はなにしろ面積が狭く、また雨が多くて風化が激しいので隕石が残りにくいですが、それでも国立科学博物館の日本の隕石リスト https://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/inseki/inseki_list.html によれば、2018年10月現在、日本国内で落下または発見が確認されている隕石は52個となっています。内訳は、コンドライト:42(落下数 38、発見数 4)、エコンドライト:0、石鉄隕石:1(落下数 1)、鉄隕石:9(落下数 3、発見数 6)となっています。この中には、落下記録があるものとしては世界最古と言われる「直方隕石」(861年(貞観3年)に現在の福岡県直方市の須賀神社の神域に落下。1979年に国立科学博物館の調査で、L6のコンドライトであることが判明)、世界的にも落下例の少ない石鉄隕石の「在所隕石」(1898年2月1日に高知県香美市の旧在所村に落下。カンラン石の結晶が鉄-ニッケル合金の中に多数混じっているパラサイトという石鉄隕石)があります。(その後さらに、2020年7月に落下した習志野隕石(H5)、1902年3月に落下後発見者の自宅に保管されていたものが2023年2月に国際隕石学会に登録された越谷隕石(L4)が追加されている。)
これまで述べてきた分類は、隕石がどんな物からできているかという視点によるものでしたが、隕石がどのような状態でできてきたかという視点による分類もあって、それによれば隕石は「始原的隕石」(primitive meteorites)と「分化した隕石(differentiated meteorites)の2種に大きく分けられています。
始原的隕石は、太陽系形成初期のころ(45.66〜45.67億年前くらい)の細かい塵のような物をほとんどそのまま集めたようなものです。上の分類のコンドライトがほぼこれに当たるものとされています。
これにたいして分化した隕石は、太陽系形成が始まって間もなく原始惑星が成長して行く間に、全体が一度溶けてしまって物理化学的な分別を受け分化して行った各部分からできてきた隕石です。上の分類のエコンドライト、石鉄隕石、鉄隕石がこれに当たります。そして、エコンドライトは原始惑星の岩石質の部分(マントルと表層部)、石鉄隕石はマントルと核の境界付近、鉄隕石は中心の核の部分に対応していると考えて良さそうです。
以下、それぞれの隕石種について、私なりに資料を参照しながら少し詳しく書いてみます。
2 コンドライト
すでに述べたように、コンドライトはコンドリュールと呼ばれる1mm前後の球粒を多く含んだ石質隕石です(ただし後で述べるように、コンドリュールが欠けているものや明瞭には見られないものもある)。コンドリュールはカンラン石や輝石などの珪酸塩鉱物からなっています。多数のコンドリュールの間には微小な鉱物や金属鉄などが詰まっていて、これはマトリックスと呼ばれます。コンドライトには金属鉄が2割以上も含まれているものも多くあり、そのようなコンドライトは磁石にくっつきます。(磁石にくっつくかどうかは、隕石とそうでないふつうの石とを区別するための簡単な目安になる。)なお、触った時の特徴として、しばしば溶融皮殻が触察できることがあります。溶融皮殻(fusion crust)は、大気との激しい摩擦で隕石の表面が溶け流れて表面を薄い膜のように覆ったもので、滑らかな曲面でさらさらしたような手触りです。
コンドライトがいつできたかについては、放射性核種を使っていろいろ詳しく調べられているようです。測定で一番古い値が出ているのは、後でも述べるアエンデ隕石中のCAIと呼ばれる白色包有物から得られた45億6720万年前(誤差は±60万年)です。これは太陽系最古の年代とされていて、このころ原始太陽系星雲が形成され始めたと思われます。そしてコンドライトの多くは(そして隕石の多くも)、これから数百万年の間にできていることが分かっています。
さて、コンドライトの中の小さなコンドリュールがどのようにしてできたかですが、塵のような小さな物がいったん溶けて(たぶん1500度くらいは必要)液体になり、それが表面張力で丸くなってすぐに冷えて固まったものだと考えられます。では、原始太陽系円盤中の塵がどのようにして溶けるくらいまで加熱されたのでしょうか。これについてはいろいろな説があるようですが、その1つとして、太陽のX線フレアなど激しい活動によって生じた衝撃波により円盤中のガスが急に加速されて、加速されない固体の塵との間に摩擦が生じて加熱されるという説があります。
コンドライトは、化学的にどんな環境でできたかによって、次の3種に分けられています。酸素の少ない還元的な環境でできたと考えられるエンスタタイトコンドライト(enstatite chondrite: e コンドライト)、酸素の多い環境でできたと考えられる炭素質コンドライト(carbonaceous chondrite: C コンドライト)、その中間の環境でできたと考えられる普通コンドライト(ordinary chondrite: O コンドライト)です。これら3種のコンドライトには原素としての鉄が20〜30%含まれているのですが、 E コンドライトではほとんどが単体としての鉄あるいは硫黄と結び付いて存しているのにたいし、 c コンドライトでは金属鉄はほとんど存せず酸化物あるいは珪酸塩として存在します。
またコンドライトは、熱や水によってどの程度影響を受けているか、変成・変質しているかによって1から7までの数字を付けてタイプ分けされています(これは、岩石学的タイプ petrologic type と呼ばれ、1967年にW.R. Van Schmus と J.A. Wood が提案したものだそうです)。タイプ3が基本の状態で、熱や水による影響を受けておらずコンドリュールが豊富です。 3から数字が減っていくと水の影響をより強く受け、タイプ2では一部が含水鉱物になってコンドリュールがまばらになり、タイプ1では水を多く含んで粘土のようになりコンドリュールは消失します(タイプ2と1は炭素質コンドライトだけに見られる)。3から数字が増えていくと熱による変成をより強く受け、タイプ4ではコンドリュールは明瞭ですが、タイプ5ではやや明瞭、タイプ6では不明瞭となり、タイプ7では熱によって溶けてしまいコンドリュールはなくなってしまいます(タイプ7では、事実上、始原的なエコンドライトに移行していると言ってもいいでしょう)。
化学的分類による3種のコンドライトの中では普通コンドライトが大部分(92%)を占めていますので、まず普通コンドライトについてみてみます。(炭素質コンドライトは5%、エンスタタイトコンドライトは2%と僅かです。また、落下隕石全体の中では、普通コンドライトが約80%ということになります。)
2.1 普通コンドライト
普通コンドライトは、主に金属鉄の割合によって次の3つに分けられています。金属鉄が多い H(high total iron。金属鉄 12〜21%くらい)、金属鉄が少ない L(low total iron。金属鉄 5〜10%くらい)、金属鉄も他の金属も少ないLL(low total iron, low metal。金属鉄 2〜3%くらい)です。これに上の岩石学的タイプの3から7の数字を付けて、例えばh5などと記されます。コンドライト全体の中でのこれら3種のコンドライトのおおよその割合は、H コンドライトが39%、L コンドライトが44%、LL コンドライトが9%くらいだそうです。
*上の H、L、LLという3区分のそれぞれに対応して、ブロンザイト(Bronzite)・コンドライト、ハイパーシン(Hypersthene)・コンドライト、アンフォテライト(Amphoterite)・コンドライトという分類もある。普通コンドライトはおもに鉄ニッケル合金とトロイライト(FeS)および鉄・マグネシウムケイ酸塩(橄欖石と輝石)から成っており、ブロンザイト・コンドライト(h コンドライト)、ハイパーシン・コンドライト(L コンドライト)、アンフォテライト・コンドライト(LL コンドライト)の順に、金属鉄の含有量が少くなっている(その分、酸化鉄の量が多くなっている)のに対し、ケイ酸塩中のマグネシウムに対する鉄の割合が多くなっている。
初めに紹介した直方隕石はL6でしたし、2013年2月15日にロシアのウラル地方のチェリャビンスク州にばらばらになって落下したチェリャビンスク隕石は、LL5の普通コンドライトでした。この隕石の元となった小天体(小惑星)は、直径20m弱、質量1万トン程度と見積もられ、その軌道は近日点が金星と地球軌道の間、遠日点が火星軌道の外側の小惑星帯にある楕円軌道で、もともとは小惑星帯にあった小惑星同士の衝突でべきた破片であったようです。秒速20km弱で大気圏に入り、高温のため大部分は蒸発してしまい、残った塊が上空20kmほどで爆発・分解し、衝撃波のために多くの建物に被害が出て、ガラスの破片などで千人以上の人が負傷したそうです。(隕石の落下の様子を複数の地点でカメラなどで撮影できれば、その軌道を詳しく求めることができ、これまでに調べられた軌道はいずれも小惑星帯と交わっているそうです。)
ジリン(Jilin: 吉林)隕石は、1976年3月8日、中国の吉林省吉林市近くに隕石雨となって落下した隕石です(大気に角度16度、速度17km/sで突入、高度17kmで爆発、138の大きい破片と3000程度の小さい破片に分裂し、東西72km、南北8kmの範囲に落下)。H5の普通コンドライトです。総回収量は4トン、もっとも大きい破片は1770kgもあり、これまでに見つかっている石質隕石では最大のものです。この隕石については、宇宙線照射年代*の測定により、母天体を離れてからの宇宙空間での足跡が明らかにされています。それによれば、まず約900万年前にジリン隕石を含む母天体が破壊され、ジリン隕石になる岩石部分は直径10m程度に破壊された小さい母天体内の深さ1m付近に存在しました。約850万年経過した後、小さい母天体が再度破壊され、約50万年間宇宙を漂った後地球に落下したということです。
*宇宙線照射年代:陽子やヘリウム原子核などの高エネルギーの宇宙線が宇宙空間を漂っている隕石の表面に当たると、隕石を構成している原子から「宇宙線生成核種」が生じる。元の核種と生成核種の量を比較することで、隕石が宇宙線に照射された時間を見積もることができる。石質隕石ではNe21がよく使われるようだ。
ザグ(Zag)隕石は、1998年にモロッコに落下した隕石(総回収量 175kg)で、H3-H6の普通コンドライトです。コンドリュールがはっきり見えるH3の部分(熱の影響を受けていない始原的な部分)に、コンドリュールの輪郭が明確には認められないh6の部分(熱による変成を受けた部分)が取り込まれたような、ちょっと角礫岩に似たような構造になっているそうです。このザグ隕石(および同じく1998年にアメリカのテキサス州に落下したモナハン隕石: H5)には、岩塩 NaCl が含まれていて、その岩塩には液体の水が包有物として含まれているそうです。この隕石は太陽系最初期のものなので、太陽系形成当初から液体の水があったということを示しています。
隕石そのものではありませんが、日本の探査機はやぶさ*が行った小惑星イトカワの探査および持ち帰ったサンプルの分析は、隕石についてもより確かな情報をもたらしました。
イトカワは、近日点が0.953AU、遠日点が1.695AUで、近日点が地球軌道の内側に入るアポロ群の地球近傍小惑星です。大きさは、535m×294m×209mで、細長い形をしており、長軸の3分の1ほどの所でくびれて大きく曲がっていて、ラッコの形に似ているとか。このくびれを境に密度が大きく異なっていて、大きく2つの破片が合わさってできたもののようです。また、イトカワの平均密度は1.90と推定されていますが、持ち帰ったサンプルの密度が3.4であることから、イトカワの内部の40%ほどは空隙で、大小の破片が衝突・再集積してできたラブルパイル(rubble pile)小惑星であることが明らかになりました。また、イトカワから持ち帰った微粒子の成分や組織は、LL4、LL5、LL6の普通コンドライトと同じで、このことから落下隕石の8割くらいを占める普通コンドライトの多くはイトカワのようなS型小惑星*由来であることが明らかにされました。さらに、イトカワのLL5やLL6の微粒子の存在から考えて、イトカワは、直径20kmほどの母天体が大きな衝突によって破壊され、母天体の中心付近で650〜800度くらいの熱変成を受けたLL5やLL6と、表面付近の熱変成が弱いLL4が再集積して形成されただろうということです。なお、三河内岳の分析によれば、小惑星イトカワとチェリャビンスク隕石はともに直径が20キロメートル以上あった同一の天体を起源としていたと考えられ、この母天体が破壊されて多くの破片ができて、その破片が集まったものがイトカワで、20メートルくらいの天体サイズで宇宙空間を漂っていて、ロシアに2013年に落下したのがチェリャビンスク隕石ということになる(
地球外試料を集める)。
*はやぶさ:2003年5月9日 打上げ、イオンエンジンにより航行。2005年9月12日 小惑星イトカワに到達、11月19日と25日にイトカワに軟着陸、その後イトカワを離れるが、燃料漏れをはじめ次々とトラブルが発生して制御不能になる。2007年3月 イオンエンジンの再始動に成功、4月イトカワの軌道を離れ地球へ向う。2010年6月13日 地球に帰還、オーストラリアの砂漠に着陸。11月、資料回収カプセルの中に回収されていた約1500個の微粒子がイトカワ由来のものであることが確認される。
*小惑星は、表面の色やスペクトル型、アルベド(反射能)によって、大きく、C型、S型、M型などに分けられている。C型小惑星は、アルベドが0.03くらいでとても暗く、炭素系の物質を主成分とする。水素やヘリウムなどの揮発性物質は含まないが、それらを除いて太陽とほとんど同じ化学組成で、炭素質コンドライトに対応している。小惑星全体の75%を占め、その軌道は小惑星帯の木星に近いほうに分布している。現在(2018年11月)はやぶさ2が探査中のリュウグウ(アポロ群の地球近傍小惑星。直径700mくらいのほぼ球形)は、このC型小惑星である。S型小惑星は、アルベドが0.1から0.22くらいで、石質ないし珪素質で、珪酸塩に鉄などの金属が混合した化学組成をしている。小惑星の約17%を占め、その軌道は小惑星帯の内側のほうに分布する。イトカワも含まれる地球近傍小惑星のほとんどはS型小惑星で、上述のように、はやぶさによる探査と持ち帰った資料の分析でそれが普通コンドライトであることが明らかになった。M型小惑星はアルベドが0.1から0.18くらいで、小惑星の数%がこれに当たる。鉄やニッケルの金属だけ、あるいは岩石分を少し含んでおり、太陽系が出来て間もない頃に衝突等によって引き剥がされた、原始惑星の金属核だろうと考えられている。鉄隕石(および石鉄隕石)に対応していると思われる。小惑星の型にはこのほかにもいろいろあって、例えばE型小惑星はアルベドが0.3くらいと明るく、エンスタタイトコンドライトやオーブライトに関係があるだろうと考えられている。また、D型小惑星は、アルベドが0.02以下ととても低く、赤っぽいスペクトルで、有機化合物の多いケイ酸塩、炭素、無水ケイ酸塩などを含むとされる。木星の軌道ないしそれより外側に分布し、太陽系のもっとも始原的な情報を保持しているのではと考えられている。
2.2 炭素質コンドライト
炭素質コンドライトは、原始太陽系円盤の酸素に富んだ領域で形成されたようで、鉄は、金属鉄としてはほとんど含まれず、Fe2+として珪酸塩(含水鉱物になっていることが多い)になり、また一部はFe3+となって酸化鉄になっています(この点で、次項で紹介するエンスタタイト・コンドライトとは反対の極にある)。大部分の炭素質コンドライトは熱による変成を受けておらず、岩石学的タイプでは1から3のものが多いです。熱による影響が少ないので、水や炭素や硫黄など揮発性の物質も含んでいることが多いです。
炭素質コンドライトは、初めに確認され代表とされる隕石の頭文字を取って、いくつかに分けられています。以下各グループについて紹介します。
●CIコンドライト
1938年にタンザニアに落下したイブナ隕石(Ivuna。 3個の小片で計705g)の頭文字を取って名づけられました。このグループの隕石としては、1864年にフランスに落下したオルゲイユ隕石(Orgueil。20個の小片で計10kg)、1911年にインドのラージャスタン州に落下したトンク隕石(Tonk。数個の破片で計7.7g)、1965年3月31日にカナダ・ブリティッシュコロンビア州で激しい光と大爆発音とともに落下が目撃されたレベルストーク隕石(Revelstoke。広範囲に落下したと思われるが、回収されたのはわずか2個の破片で計1g)など、南極隕石4個を含めてこれまでに(2020年5月現在)わずか9個しか見つかっていません。 9個全部を合せた重さも18kg弱です。量が少ないということだけでなく、CIコンドライトは太陽系のもっとも始原的な状態を反映しているとされていて、とても貴重です。
これらCIコンドライトは、いずれも岩石学的タイプ 1です。コンドリュールは認められず、水が多く含まれ(最大 20%くらい)、粘土のような含水鉱物ないし含水フィロ珪酸塩(薄いシートを重ねたような構造)になっていて、とても脆く、壊れやすいようです。鉄は、珪酸塩鉱物に含まれるほか、磁鉄鉱や磁硫鉄鉱としても含まれています。その化学組成をみると、水、炭素、硫黄などの揮発性の成分が隕石の中で最も多く(水 17〜20%、炭素 3.5%くらい、硫黄 6%くらい)、また揮発しにくい元素の組成は太陽大気の組成とよく一致するそうです(微量元素の化学組成については、太陽大気から求めるよりもCIコンドライトのほうが正確に分析できるので、太陽の精密な化学組成としてCIコンドライトの化学組成が使われているとか)。また、水とともに、一定量のPAH(polycyclic aromatic hydrocarbon: 多環芳香族炭化水素)やアミノ酸など有機物が含まれていることから、地球上での生命誕生と関連して注目されることもあります。
CIコンドライトは、形成されてから地球に届くまでの長期間、一度もコンドリュールができるほどに加熱されることなく、原始太陽系星雲の外延部の塵を水に取り込んで保持しているもののように思われます。研究者の中には、CIコンドライトの起源は、「汚れた雪玉」とも呼ばれる彗星と同じようなものだと指摘する人もいます。
●CMコンドライト
1889年にウクライナに落下したミゲイ隕石(Mighei。 1個で8kg)の頭文字を取って名づけられました(CM2)。このグループの隕石は、数百個見つかっていて、岩石学的タイプはほとんどが 2で、ごくまれに 1のものがあります。水の量は、CIコンドライトよりは少ないですが、10%以上含まれ、CIコンドライトと同じようなフィロ珪酸塩や磁鉄鉱の基質に、橄欖石からなるコンドリュールがまばらに見られるようです。また、CIコンドライト同様、多種の有機物も含まれています。
CMコンドライトとして有名なのは、1969年9月28日にオーストラリアのビクトリア州に隕石雨となって落下したマーチソン(Murchison)隕石です(これもCM2)。約100kgほど回収されたそうです。水を重量で16%も含水鉱物のかたちで含み、またアミノ酸などの有機化合物が初めて確認された隕石でもあります。グリシン、アラニン、グルタミン酸など生物体の蛋白質に不可欠なアミノ酸をはじめ、イソバリンやシュードロイシンなど地球上の生体には認められないアミノサンや、炭素数13〜23程度の炭化水素が多数見いだされているそうです。2019年末には、生物の遺伝情報を伝える RNAの骨格を作る糖分子リボースが、マーチソン隕石、および2001年にモロッコで発見された NWA801(多くの断片で計5kg。CR2)から見つかったというニュースもありました。初期の地球では今とは比較にならないほど隕石にさらされていたと思われますので、宇宙由来の水や各種の有機化合物がかなりもたらされていたと考えて良さそうです。
さらに、マーチソン隕石にはカルシウム Ca・アルミニウム Alに富む高温で安定な鉱物からなるインクルージョンが含まれていて、これらの中から太陽系の平均的な値と異なる同位体組成をもつ酸素 O・マグネシウム Mgなどが見いだされ、太陽系形成以前の超新星爆発などでできた物質(プレソーラーグレインと呼ばれる)についての情報をも読み取ることができるらしいです。2020年1月には、マーチソン隕石中のプレソーラー微粒子(炭化珪素)40個をネオンの同位体などを使ってどれくらい古いかを調べたところ、微粒子の6割が46〜49億年前のもの、 1割は55億年よりも古く、最古のものは75億年の時間が経過したものだと言う研究が発表されました。
●CVコンドライト
1910年にイタリアに落下したビガラノ(Vigarano)隕石(2個で計16kg。CV3)の頭文字から名付けられました。ほとんどのCVコンドライトの岩石学的タイプは 3で、タイプ 4とタイプ 2のものがごく少数あります。コンドリュールがはっきり見られ、またCAIと呼ばれる包有物を含んでいるのが特徴です。
CVコンドライトとして有名なのは、前にも少しふれたアエンデ(Allende)隕石です(CV3)。1969年2月8日にメキシコのチワワ州のアエンデ村付近の10×50kmほどの広範囲に数千個の隕石雨となって落下しました。総重量は5トンくらいで、その内3トンくらいが回収され、よく研究されているとともに、今でも1グラム千円くらいで販売もされているようです。 表面には、他の隕石同様、大気との衝突で生じる高熱による溶融皮殻(fusion crust)があり、内部には、暗い色のコンドリュール、白っぽい不定形のCAI(Ca-Al rich inclusion)と呼ばれる包有物、それらの間を埋める灰色のマトリックスなど、不均質な構造が見られます。
アエンデ隕石でとくに注目されるのは、この CAIです。CAIは、カルシウムとアルミニウムに富むという意味です。CAIを構成している主な鉱物は、スピネル(MgAl2O4)、ペロフスカイト(CaTiO3)、アノーサイト(CaSi2Al2O8)などの高温鉱物です。
原始太陽系星雲は、集積の過程でいったん加熱され、その後ゆっくり温度が下がっていくとともにいろいろな固体成分が析出してゆきますが、その際に最初に結晶して析出してきたのが、これらの高温鉱物を含む CAI の部分だと考えられています。そして、この CAI から太陽系最古の年代45.67億年前が測定されているというわけです。
また、CAI からは 5μmほどの炭化ケイ素(SiC。モアッサン石)が見つかっていて、これは超新星爆発の際に吹き飛ばされた粒子由来のものだそうです。太陽系形成以前の情報まで含まれているというわけです。
●COコンドライト
1868年7月11日にフランスのドゥーに落下したオーナンズ(Ornans)隕石(1個で6kg。CO3)の頭文字を取って名付けられました。 COコンドライトの岩石学的タイプは、すべて 3です。
COコンドライトは化学組成ではCVコンドライトとはっきりとしたつながりが認められますが、次のような違いがあるそうです。CVコンドライトのコンドリュールは大きくまばらであるのにたいし、COコンドライトのコンドリュールは小さくて基質の中に密に多数あること、COコンドライトにもCAIの包有物が含まれているが小さくて少ないこと、COコンドライトには金属鉄も多く見られることなどです。
●CKコンドライト
1930年11月25日にオーストラリアに落下したカルーンダ(Karoonda)隕石(総回収量 約42kg)の頭文字から名付けられました。CK4です。CKコンドライトの岩石学的タイプは 3〜6と幅がありますが、大部分はタイプ4です。
1999年9月26日、神戸市北区に落下した神戸隕石(1個、135g)は、日本で見つかっている52個の隕石中、唯一の炭素質コンドライトで、このCKたいぷ(CK4)に属しています。
●CRコンドライト
1824年1月15日にイタリアに落下したレナッゾ(Renazzo)隕石の頭文字から名づけられました(3個回収され、合計10kgほど。CR2)。CRコンドライトの岩石学的タイプは 2がほとんどです。
炭素質コンドライトでは酸化的な環境と水の影響で金属鉄は極めて少ないですが、CRコンドライトでは他の炭素質コンドライトに比べて金属鉄と硫化鉄が多く、10%ほども含まれているそうです。コンドリュールは比較的大きく、その表面が金属鉄あるいは硫化鉄に覆われていることもあるそうです。レナッゾ隕石や NWA801(CR2)などはほとんど熱による影響を受けていませんが、最近サハラ砂漠で発見された NWA2994や NWA3100をCR6に分類している資料もあります(NWA2994を未分類のコンドライト、NWA3100を始原的なエコンドライトとしている資料もある)。これらは、始原的物質が集まったというよりも、かなり大きな母天体由来なのかも知れません。
●CBコンドライト
1930年から計3回、オーストラリアの西オーストラリア州のベンカビンで回収されたベンカビン隕石(Bencubbinite)の頭文字から名付けられました。CB3です。総回収量は130kgくらいになるそうです。これはとても変った隕石で、炭素質コンドライトに分類してもいいの?と思うくらいです。cmサイズの金属鉄が大量に含まれ、コンドリュールはほとんど見られないそうです。鉄・ニッケル合金が50%くらい、頑火輝石と橄欖石が20%強、その他灰長石や単硫鉄鉱(トロイライト)、少量のクロム鉄鉱などが含まれ、微小なダイヤモンドも見つかっているそうです(このような説明からは、石鉄隕石の 1種にしてもいいのではと思ったりしますが、鉱物学的・化学的な特性が CRコンドライトと類似しているということで炭素質コンドライトに分類されたようです)。CBコンドライトは珍しくて、発見例はまだ10個にもなっていないようです。
その中で、1984年4月3日にナイジェリアに落下したガジュバ(Gujba)隕石(回収量 100kg。CB3)は、多数の大き目のコンドリュールの間に球形の大きな鉄・ニッケル合金がたくさん入っているそうです。原始惑星が金属核ができる程度まで成長した後、互いに激しく衝突して粉砕されて、金属核と他の部分の鉱物が混ぜこまれて形成されたのでは、などと想像してしまいます。
●CHコンドライト
これは、特定の隕石の頭文字から名付けられたものではありません。 Hは、 high metal(金属が多い)を意味し、金属鉄を15%くらいも含むグループです。このグループに属するものとして最初に発見されたのは、 ALH 85085(南極隕石)です。このグループは、岩石学的タイプでは、2または3です。化学的には、上のCRコンドライトやCBコンドライトと近いもので、コンドリュールは小さく、CAIもごく小さなものがまれに見られるくらいだそうです。
炭素質コンドライトには、このほかにも、上の分類のどれにも当てはまらないものがあります。その中でとくに注目されるのが、2000年1月18日にカナダ・ユーコン準州からブリティッシュコロンビア州にまたがるタギシュ湖付近に落下したタギシュ・レイク隕石です。(詳しくは、
エポックメイキングな隕石たち その9 タギシュ・レイク隕石〜D型小惑星由来の隕石参照。)高高度で火球が爆発し、多数の破片が凍結した広い湖面に散って落ち、合せて10kgほどが回収されました。その中でも、最初に回収された850gほどはとても保存状態が良いそうです。隕石片は、見た目は暗灰色から黒に近い色で、明るい色の小さな含有物も見られるそうです。特徴としては、密度が約1.6g/cm3で、どのコンドライトよりも小さく、角礫岩様の組織で空隙が多く、かなり脆いようです。タギシュ・レイク隕石は、炭素質コンドライトに分類され、岩石学的タイプは2(熱による変性は受けず水質変性を受けている)ですが、化学的には既存のどの分類にも当てはまらず、未分類とされています。反射スペクトルは、小惑星帯の外延部にあるD型惑星に似ており、太陽系のより始原的な状態を保持しているようです。隕石の年齢は約45.6億年と推定されており、他の天体と合体したりすることなく当初の物質からできていると思われます。さらに、タギシュ・レイク隕石中の炭素の一部は超新星爆発で生成される微小なダイヤモンドになっていて、太陽系の形成以前の物質も含まれているそうです。
2.3 エンスタタイトコンドライト
エンスタタイトコンドライトの「エンスタタイト」とは頑火輝石のことです(熱に強くて耐火材として使われるほどなので日本語では「頑火」と呼ばれ、英名の Enstatite もギリシャ語 enstates (対抗するの意)に由来しているそうです)。エンスタタイトコンドライトの主要な構成鉱物の輝石が頑火輝石(エンスタタイト)なので、このように名付けられました。頑火輝石はマグネシウムに富む斜方輝石で、化学組成は Mg2Si2O6です。ふつう斜方輝石は、 Mgが Fe2+ に置換した鉄珪輝石 Fe2Si2O6 と連続的に固溶体を成しますが、エンスタタイトコンドライトでは、酸素が少ないため鉄は珪酸塩にもなれず、ほぼ純粋なマグネシウム輝石になっているわけです。
エンスタタイトコンドライトには、このマグネシウム輝石と金属鉄(ニッケル・鉄合金)のほか、地球では珍しいトロイライト FeS(コンドライトや鉄隕石にはふつうに見られる)、地球上ではこれまで発見されていない oldhamite: CaS、osbornite: TiN、sinoite: Si2N2O、niningerite: MgS、perryite: (Ni,Fe)5(Si,P)2、djerfisherite: K6Na(Fe2+,Cu,Ni)25S26Cl、caswellsilverite: NaCrS2 というような、私のような者には化学式を見ても何だか分からないような珍しい鉱物が含まれているとのことです。鉄は Fe2+ で硫黄などと結び付いていますし、普通は酸素と結び付くことが多いマグネシウムやカルシウムやクロムも硫黄と結び付いています。これらの物質は、太陽系形成の初期に、酸素が極めて少なく硫黄が豊富な、ちょっと特殊な環境でできたと考えられます。
エンスタタイトコンドライトは、岩石学的タイプでは3から6(あるいは7)があり、金属鉄の多少によって、普通コンドライトの場合と同じように、金属鉄の多い EH と少ない EL に別れます。とは言っても、どちらにしても金属鉄は多くて、 EH は約29%、 EL は約22%くらいの金属鉄を含むそうです。
エンスタタイトコンドライトは全隕石の2%弱で数は少ないです。その中で有名なのが、1952年にカナダのアルバータ州エイビーに落下したエイビー隕石です。総回収量は100kg以上で、EH4型に分類されるそうです。なお、エイビー隕石には、上に挙げたエンスタタイトコンドライトに含まれている多くの珍しい鉱物が含まれています。
その他、ネットで調べてみると、2005年アルジェリアの砂漠地帯で発見されたNWA 2965(EL6-7に分類される。総回収量100Kg)や2007年モロッコで発見されたNWA 4945(EL6に分類される。総回収量は 3kg強)などが売りに出されていました。
* コンドライトとしては、以上の3種類のほかに、これらどれにも属さない K コンドライトと R コンドライトもごく少数ながらあります。K コンドライトは、カカンガリ(Kakangari)隕石(1890年、インドのタミルナドゥに落下、回収量 350g。 K3)が代表で、このタイプに属するとされるのはこれまでに数個しか見つかっていないようです。K コンドライトは、マトリックスや酸素同位体比では炭素質コンドライトと類似し、高度に還元された鉱物構成や金属鉄が多い(体積比で6〜10%)ということではエンスタタイト・コンドライトに似ており、また、含まれる珪酸塩や酸化物の元素組成は普通コンドライトによく似ているとのことです。いわばどっちつかずの性質を持っているということで新たに分類分けされたのでしょう。R コンドライトは、ルムルティ(Rumuruti)隕石(1934年、ケニアのリフトバレーに、火球を伴って1平方キロメートルくらいの範囲に数kgほどが落下。 R3.8〜6)が代表で、これも数個くらいしか確認されていないようです。 R コンドライトは、普通コンドライトと似た点が多いが、マトリックスが50%以上と多く、またより酸化的な環境で形成されたらしく、金属鉄が少なくて、鉄はほとんど酸化されるか硫化物の形で存するそうです。岐阜大学の
隕石図鑑のページには、R コンドライトとして、2000年にモロッコで発見された NWA753 が掲載されています。
3 エコンドライト
エコンドライト(achondrite)は、その名の通り、コンドリュール(球粒)を含まない石質隕石です。エコンドライトも、もともとはコンドライトと同じように太陽系形成初期の始原的物質が集まったものだとは考えられますが、その後一度全体が完全に溶けてしまってコンドリュールがなくなり、化学組成もすっかり組み直されてしまったものだと考えられます。地球の火成岩も、いったんマグマになって溶けてしまってから冷え固まったものですので、見た目だけでは地球の岩石と区別するのは難しいです。また、金属鉄をほとんど含んでいませんので、磁石にもくっつきません。エコンドライトは、落下隕石の中では7%余、発見隕石の中では1%余ですが、日本国内ではまだ確認されていません(日本は風化が激しいので、過去に落下したエコンドライトの発見はなかなか難しいと思います)。
エコンドライトには、組成や特徴から少なくとも10数種類がありますが、ここでは、それぞれのエコンドライトがどこからやってきたか、その推測されている起源から、小惑星由来、火星由来、月由来の3つに分けて紹介します。
3.1 小惑星由来のエコンドライト
まず、小惑星ベスタ由来であるとされている3種のエコンドライトがあります。ホワルダイト(Howardite)、ユークライト(Eucrite)、ダイオジェナイト(Diogenite)の3種で、それぞれの頭文字を取ってHEDグループと呼ばれています。これら3種の隕石は、連続的に変化する化学組成を持つこと、共通の酸素同位体比の組成の特徴を持つこと、またこれらの隕石の反射スペクトルが小惑星ベスタのそれと酷似していることなどから、小惑星ベスタ由来、あるいは少なくともベスタと関連があると考えられています。このHEDグループの隕石は、エコンドライトの3分の2ほど(隕石全体の5%くらい)を占め、かなりたくさん見つかっているようです。(HED隕石については、エポックメイキングな隕石たち(その3):Yamato-74159 ポリミクトユークライト https://www.wakusei.jp/book/pp/2014/2014-2/2014-2-130.pdf がとても興味深く読みました。)
ベスタは、太陽から2.2〜2.3AUの距離を3.63年で公転する、直径468〜530kmの小惑星です。1807年に4番目に発見された小惑星(最初に発見された小惑星は1801年のケレス)で、3番目に大きい小惑星です。ベスタのアルベド(反射能)が0.423 ととても明るく、肉眼でも見えることがあるらしいです。ベスタは内部が分化して層構造を持つ、とても珍しい小惑星です*。中心部に鉄とニッケルからなる核、その外側にカンラン石からなるマントル、表面は溶岩流に起因する玄武岩になっているそうです。そして、ダイオジェナイトはマントル(あるいは地殻の深部。ベスタの地殻とマントルの境界=モホロビチッチ不連続面は80km以上の深さにあるという)、ユークライとは地殻の表層に由来し、ホワルダイトは前2者のダイオジェナイトとユークライトを機械的に混ぜた角礫岩のような構造をしているとのことです。また、これらの隕石の放射性同位体比による年代測定では、その結晶化時期は、約44.3億年前から45.5億年前と推定されているそうです。ということは、ベスタは地球などと同様原始太陽系形成時に誕生し、45.5億年前には分化して層構造になり、その後1億年余の間は火成活動があったということになります。 *
*小惑星の直径が100km以上になると、主に短寿命の放射性核種の改変による熱によって中心部が溶け始めて、分化した層構造を持つようになると考えられる。太陽系形成当初はこのような層構造を持った小惑星がかなり多数あったと思われるが、その後小惑星同士の衝突によって金属核部分、マントル部分、表面の岩石部分などばらばらの破片になり、それぞれ別の小惑星になっていると考えられる。いっぽう、直径が数十km以下の小惑星はあまり分化が進まず、始原的な状態をある程度留めている(=コンドライトの状態)と考えられる。
ベスタについては、ハッブル宇宙望遠鏡やアメリカの小惑星探査機ドーン(2011年7月から翌年9月までベスタの周回軌道で観測)によって詳しく調べられ、詳細な地形図も作られています。ベスタの南極付近には、直径460kmもある巨大なクレーター・レアシルヴィア(中には高さ20km余もある中央丘がある)があり、南半球にはその他にも多くのクレーターがあるそうです。これらのクレーターは他の小天体との衝突でできたもので、その破片の多くがベスタと類似した軌道と反射スペクトルを持つ V型小惑星になっているようです。そして V型小惑星が互いに衝突したりして一部が地球近くの軌道に移り、その一部が地球にやってきてHEDグループの隕石になったのでしょう。
ユークライトとして有名なのは、1960年10月に西オーストラリアに隕石雨として落下が確認され、1970年に本体が回収されたミルビリリー隕石です。主な構成鉱物は斜長石と輝石で、地球の玄武岩によく似ているそうです。母天体=ベスタの地殻の表層に由来すると考えられています。地球上では、スコットランドの古第三紀と新第三紀の環状岩脈として産するものがユークライトのよい例とされるらしいです。
ダイオジェナイトとしては、1991年10月にアフリカ西部のブルキナファソに落下したビランガ隕石、1931年6月にチュニジアに落下したタタフィン隕石など、40個くらいが知られているそうです。主要な鉱物はマグネシウムに富む粗粒の斜方輝石で、少量の斜長石と橄欖石も含んでいるそうです。地下深くの高圧下で、ゆっくり冷えて結晶化していったものと考えられます。また、ダイオジェナイトの反射スペクトルは、ベスタの南極付近のレアシルビアクレーターの部分(小天体の衝突で深くえぐり取られた部分)の反射スペクトルと似ているそうです(ベスタの他の大部分の反射スペクトルはユークライトに似ている)。なお、ダイオジェナイトは、隕石が宇宙に由来すると初めて提唱した古代ギリシアの哲学者ディオゲネスに因んで命名されたということです。
ホワルダイトとしては、1942年4月にスーダンに落下したカポエタ隕石(回収量11kgくらい)、1999年にリビアで発見されたDar al Gani 779、2003年5月にモロッコとアルジェリアの境界付近で発見された NWA 1929、南極で発見された QUE 94200など、200個くらいが知られているそうです。カポエタ隕石の写真では、淡黄色や白色や灰色の角張った石ころが含まれている様子が分かるようです。そしてこの淡黄色の部分がダイオジェナイト起源、白色の部分がユークライト起源であるらしいです。このように、2種ないしそれ以上の岩石の破片が集まって形成された隕石をポリミクト(polymict)角礫岩と言います(1種だけの岩石破片が集まってできたものはモノミクト角礫岩と言う)。このようなポリミクト角礫岩は、他天体の衝突による強い衝撃で、小惑星(ベスタ)の地殻の異なった層の岩石が角礫化し混ぜ合わされたものだと考えられます。ホワルダイトの主要な構成鉱物は輝石と斜長石で、その化学組成もユークライトとダイオジェナイトの中間的な組成だということです。
小惑星起源かも知れないとされるエコンドライト(石質隕石)はこの他にもいろいろあるようですが、はっきりと特定の小惑星と石質隕石を1対1で対応させるのはなかなか難しいようです。隕石の中には、小惑星同士が何度も衝突を繰り返し、その度ごとにできた破片が集まって形成されたものも多いでしょうから、各隕石の素性まで明らかにするのは難事と言えます。そのようななかで、具体的に小惑星との関連が指摘されているエコンドライトをいくつか紹介します。
オーブライト(aubrite)は、先に紹介したエンスタタイトコンドライトと類似した特徴を持ち、e型小惑星、とくに登録番号 44の小惑星ニサに由来しているかも知れないということです。オーブライトは、1836年にフランスのニヨンに落下した Aubres という小さなエコンドライトに由来する隕石の 1分類だということです。オーブライトとしては、1932年にスーダンのホー・テミキ(Khor Temiki)に落下したホー・テミキ隕石のほか、南極では ALH-78113 などかなり見つかっているようです。
オーブライトは、ほとんどマグネシウム輝石 Mg2Si2O6(エンスタタイト)だけで構成されていて、エンスタタイトの大きな結晶の間を細粒化したエンスタタイトが埋め尽くした構造(この様に単一の鉱物種からなる角礫岩をモノミクト角れき岩と言う)になっており、鉄が少ないため色は白っぽいようです。エンスタタイトが結晶化しているということは火成作用を受けているということで、ある程度大きな小惑星起源だろうと推測されますし、またエンスタタイトの結晶には強い衝撃の痕跡があるということです(なかには、捕獲岩としてコンドライトを含むオーブライトもある)。オーブライトにはもともと鉄は少ないですが、その鉄は酸素と結び付いて珪酸塩にはならず、トロイライト FeS や金属鉄として少量存し、強い還元的な環境で形成されただろうことを示しています。さらに、エンスタタイトコンドライトに含まれていた oldhamite: CaS、osbornite: TiN、sinoite: Si2N2O、niningerite: MgS、perryite: (Ni,Fe)5(Si,P)2 なども含まれているそうです。このようにオーブライトとエンスタタイトコンドライトは構成鉱物種がとてもよく似ていて、ともに同じような環境で形成されただろうと思われます。オーブライトの反射スペクトルをいろいろな小惑星と比較すると、e型小惑星でもっとも大きな小惑星番号44のニサ Nysa(直径70kmくらい。ちょっと円錐のような形状をしていて、もしかすると大きな小惑星に小さな小惑星が衝突したような形かも、ということです)と似ているそうです(e型小惑星はアルベドが0.30以上でかなり明るい)。
ユレイライト(ureiliteは、主に粗粒の橄欖石とピジョン輝石の結晶からなり、見かけは地球のマントルの岩石であるカンラン岩に似ているそうです。ただし、結晶の間にはグラファイトやダイヤモンド*の形態で炭素が多く含まれ、また希ガスが多く含まれているのも特徴だそうです。ユレイライトとしては、1972年にアメリカ・ニューメキシコ州で発見されたケナ(Kenna)隕石(回収量10.9kg)、1997年にリビアで発見された Dar al Gani 319 (回収量740g)、2006年に北西アフリカで発見された NWA 4471(回収量881g)などがあります。
ユレイライトがどんな小惑星と関係するかは具体的には分かっていないようですが、地球に接近・衝突する可能性がある近地球型小惑星の発見・予測を行っているNASAを中心としたグループが、2008年10月6日に見つけて落下を予測し、同7日午前2時45分にアフリカのスーダン北部で大気圏に突入、同年末から翌年にかけてその破片が回収された隕石(総回収量4kg)が話題になりました。小惑星は、2008_TC3、その落下した隕石は、アルマハータ・シッタ(Almahata Sitta)隕石と呼ばれています。アルマハータ・シッタ隕石はユレイライトに分類されていますが、かなり特異な隕石のようです(詳しくは、
エポックメイキングな隕石たち(その5): Almahata Sitta隕石〜落ちてきた不均質 小惑星“2008 TC3”〜を参照)。アルマハータ・シッタ隕石の主要な隕石種はユレイライトですが、その他に、普通コンドライト、エンスタタイトコンドライト、さらには炭素質コンドライトまで含まれており、空隙が多く、これらの異なった隕石種が混ざったポリミクト角礫岩のようになっているようです。これら複数の隕石種は、もともとは別々の母天体で形成されたと考えられますので、衝突で破壊された各母天体の破片が再集積したものが、小惑星 2008_TC3でありアルマハータ・シッタ隕石であると考えられるようです。
*1888年に、ロシアの科学者が隕石では初めてユレイライトからダイヤモンドを見つけました。その隕石は、1886年9月4日にロシアのモルダビア地方(ウクライナとルーマニアの間)の Novo-Urei 近くに落下した隕石(重量 1.9kg)で、ユレイライトの名前はこの隕石に由来しています。ダイヤモンドはユレイライトだけでなく、コンドライトや鉄隕石からも発見されています。隕石中のダイヤモンドがどのようにしてできたかについては、触媒・溶媒作用、衝撃作用、気相成長(非平衡成長)が考えられるが、詳細はまだよく分からないとのことです。
アングライト(angrite)は、1869年にブラジルのアングラ・ドス・レイス(リオデジャネイロの西150km)に落下した隕石にちなんで命名されたもので、これまでに十数個しか発見されていない珍しい隕石だそうです(その中には南極で発見されたものもある)。主要な構成鉱物は普通輝石と斜長石で、その他に橄欖石やトロイライト FeS などを含み、見た目は地球の玄武岩に似ているようです。結晶化時期は約45.5億年前(45.56億年前となっている資料もある)で、太陽系最古の火成岩と言われています。アングライトの反射スペクトルをいろいろな小惑星と比べると、登録番号 3819のロビンソンや 289のネネッタと似ているそうです。また、水星起源(水星に小惑星が衝突した時に飛び出した破片)ではないかという説もあるようです。
ブラチナイト(brachinite)は、南オーストラリアのブラチナ隕石からなづけられました。ネットで調べてみると、nwa 595や NWA 4929などが出てきます。主に鉄を多く含む橄欖石から構成されていて、その他に斜長石やトロイライトなども含みます。層構造に分化した小惑星のマントル部分かも知れません。
ロードラナイト(lodranite)は、1868年にパキスタンのロードランに落下した隕石から名づけられました。ほぼ等量の橄欖石、輝石、金属鉄から構成され、トロイライトなどの硫化物も含みます。S型小惑星の深い部分に由来するかも知れないということです。
ウィノナイト(winonaite)は、1928年にアリゾナ州のウィノナで考古学者が発見した隕石(シナグア族の村の石棺の中から見つけた)から名づけられました。この隕石は風化作用で詳しいことは分からず当初はメソシデライト(石鉄隕石の1種)ではないかと考えられていましたが、その後エコンドライトに分類されています。主に、エンスタタイト、橄欖石、斜長石、金属鉄、トロイライトからなっているそうです。中心に金属核のある小惑星の深い部分由来のようです。
アカプルコアイト(Acapulcoite)は、1976年にメキシコのアカプルコに落下した隕石から名付けられました。NWA 2989など、50個ほどの隕石がこのグループに属するそうです。橄欖石、斜方輝石、斜長石、金属鉄、およびトロイライトなどで構成され、コンドリュールの痕跡のようなのが見られることもあるそうです。詳しいことはよく分かりませんでした。
*以上の内、ロードラナイト、ウィノナイト、アカプルコアイトなどは、構成鉱物がコンドライトと類似し、また溶融が部分的で、ときにはコンドリュールの痕跡らしきものが見られることがあるということで、始原的エコンドライト(primitive achondorite)として分類されていることもある。
3.2 火星由来のエコンドライト
エコンドライトの中には、火星が起源とされる隕石もあります。火星に大きないん石(小惑星)が衝突し、その強い衝突で火星の岩石が宇宙空間に飛び出し(火星からの脱出速度は5.02km/s)、それが回り回って地球に到達したと考えられるものです。火星由来の隕石については、
火星から来た隕石 - 平塚市博物館 や
火星隕石 、
エポックメイキングな隕石たち その4 Elephant Moraine A79001隕石なども参考にしました。
火星起源とされる隕石のほとんどはSNC隕石と呼ばれるグループに属しています。SNCは、1865年にインドのシャーガーティ町に落下したシャーゴッティー隕石(Shergottite. 回収量約5kg)、1911年にエジプトのナクラに落下したナクラ隕石(Nakhlite. 回収量約40kg)、1815年にフランスのシャシニー村に落下したシャシニー隕石(Chassignite. 回収量約4kg)の頭文字を合せた略称です。1970年ころから、その後に見つかった隕石も含めこれら3種に属する隕石は同じような特徴を持ち、同じ母天体を起源とするのではと考えられ、SNC隕石と呼ばれるようになりました。3種の隕石に共通の特徴とは、約1億8000万年〜13億年前という極めて若い結晶化年代を持つこと(ほとんどの隕石の年代は45億年前ころ)、わずかながらも水質変成の証拠を持つものがあること、磁鉄鉱をはじめとする3価の鉄イオンを含む鉱物が含まれていること、大きな重力のある環境でつくられたことを示唆する鉱物組織があることなどです。このような条件(とくに少なくとも13億年前までは火成活動があった)を満たす母天体としては、火星がもっとも有力な候補とされていました。1980年にアメリカの探査チームが南極で発見したEETA 79001(シャーゴッタイト。回収量約8kg)に含まれる希ガス等の同位体組成を計測した結果、1976年に火星に着陸して火星大気の成分を分析したバイキング探査機のデータと一致しました。これにより、SNCグループの隕石が火星起源であることが確認されました。
1970年代まではSNC隕石は10個くらいしか見つかっていませんでしたが、1980年代以降南極で次々に発見されて(2000年以降にはアフリカでも発見されている)、Wikipediaによれば、2016年までに172個の火星起源の隕石が発見されているそうです(その中でシャーゴッタイトに分類されるものが140個で大部分を占め、ナクライトが18個、シャシナイトはわずか3個だということです。残りの10個ほどは、sncグループに含まれない火星起源とされる隕石ということになります)。
1962年10月にアルジェリアのザガミに落下したザガミ隕石(Zagami。回収量 約18kg)は、玄武岩質のシャーゴッタイトです。主に、ピジョン輝石(カルシウムに乏しい単斜輝石の1種)と普通輝石およびマスケリナイト(maskelynite。ガラス化した斜長石)などで構成されています。マスケリナイトは、隕石衝突の際発生する強い衝撃波で非晶質化した斜長石組成のガラスで、同一組成の普通のガラスより高い密度と屈折率をもち、液体となって流れた模様や穴のないことから、普通のガラスと区別できるそうです。マスケリナイトは地球および月の衝突クレーターでも確認されており、隕石衝突による強い衝撃を物語るものです。また、マスケリナイト中に含まれる希ガス(ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン)の存在比や同位体比が、バイキングによる火星探査で得られた火星大気の分析結果とほぼ位置するそうです。
シャーゴッタイトには、上のザガミ隕石のような玄武岩質シャーゴッタイトのほかに、レールゾライト質シャーゴッタイトと呼ばれるものがあります。例えば1998年5月にリビアの砂漠で発見された Dar al Gani 476(重さ 2kg余)はレールゾライト質シャーゴッタイトで、カンラン石やクロム鉄鉱(chromite。Cr2FeO4)を微細な輝石や斜長石などが取り囲んだ構造になっているそうです(南極で発見されたYamato 000027、Yamato 000097などもレールゾライト質シャーゴッタイト)。そしてこのような構造は、ある程度以上の重力の下でマグマの中から沈積した結晶が集積して形成された集積岩の特徴を示しているということです。(レールゾライト(lherzolite)は橄欖岩の1種で、橄欖石40%以上で単斜輝石と斜方輝石の両方を含むもので、レールゾライト質シャーゴッタイトとは組成や構造がちょっと違うようです。なぜこのような名前になっているのかはよく分かりません。)
ナクライトやシャシナイトについては詳しくは分かりませんが、ナクライトはオージャイト(augite。カルシウムに富む単斜輝石)集積岩、シャシナイトは橄欖石集積岩だということです。
ザガミ隕石をはじめSNCグループの隕石について年代測定を行うと、Sm-Nd法(147Smがα崩壊で143Ndへ、半減期1060億年)では約13億年、Rb-Sr法(87Rbがβ崩壊で87Srへ、半減期488億年)では約1.5〜1.8億年、という異なった値が得られているそうです。測定法によってこのように年代が異なっていることについてどう解釈すれば良いのか私にはよくは分かりませんが、結論として、次のように解釈することもできるようです。まず、約13億年前の火星で激しい火山活動があり、その火成活動で後にSNC隕石となる岩石も形成されました。その後1.8〜1.5億年前ころにその岩石の近くに別の大きな隕石が衝突し、その強い衝撃でSNC隕石となる岩石が火星の外へ弾き飛ばされたということらしいです。なお、SNCグループの隕石の組成や構造を詳しく分析してみると、火星のあちこちからでなく特定の数箇所の火山周辺の岩石片に限られているようです。たぶん、1.5〜1.8億年前に何度か大きな隕石衝突があり、その度ごとに多数の岩石片が火星から飛び出したのでしょう。
SNCグループの隕石以外で火星起源の隕石として有名なものに、1984年12月にアメリカの調査隊が南極の Allan Hills と呼ばれる地で発見したALH84001(重さ 1.93kg)があります。ALH84001は、マグネシウムに富む斜方輝石の集積岩のようです。まず、この隕石で注目されることは、その結晶化時期として40億年前以上という、火星起源の隕石としてはとても古い値が得られていることです。NASAの研究によれば、ALH84001は今から約36億年前に火星で溶岩から生成された岩石であり、1300万年前から1600万年前に大きな隕石が火星に衝突した際に、破片として宇宙空間に飛散、そして1000万年以上にわたって宇宙空間を漂流した後、約1万3000年前に地球に落下したと推定されるということです。さらに、ALH84001からは、バクテリア様の生物痕跡らしきものが見つかり、一時期火星生命の痕跡かもと話題になりました(結論はまだ出ていないようです)。
3.3 月由来のエコンドライト
月は火星に比べて引力が小さく、脱出速度も2.38km/sと小さいため、火星起源の隕石があるなら、月由来の隕石が地球に到達している可能性は十分にあると考えられます*。1982年に南極で発見された Allan Hills 81005(重さ31g、斜長岩質のレゴリス角礫岩)は、アポロ計画で持ち帰られた月の石と比較することで、月起源であることが分かりました。その後の研究で、1979年11月に南極で発見されたYamato 791197(重さ 52g、斜長岩質のレゴリス角礫岩)も月起源であることが分かり、これまで発見された隕石の中でこのYamato 791197が最初の月起源の隕石だそうです。月起源と思われる隕石はその後も南極や北西アフリカを中心に次々と発見されていて、 ワシントン大学の地球・惑星科学部門の中の
月隕石のリストによれば、2017年7月現在、約140個の月隕石が掲載されています(その中には、 1個の隕石が地球の大気圏内でいくつかの断片に別れて落下したと思われるものもあり、そのような場合には複数の断片をまとめて 1個とカウントされています。複数個に別れた断片まで合わせると 300個近くになります。また、これらの月隕石の総重量は 200kg 弱になります)。
* 試算によれば、月に直径数キロ、場合によっては数百メートルのクレーターを残すくらいの隕石衝突で、月から物質が飛び出すそうです。なお、隕石の直径は、クレーターの直径の約1/10くらいだということです。
ここで月の概略について簡単に説明しておきます。月の赤道半径は約1737kmで、地球半径6378kmの約27%です(体積では地球のほぼ50分の1)。月の平均密度は3.34g/cm3で、地球の 5.52よりかなり小さく、それだけ鉄などの金属部分が少ないと考えられます(月の全質量は地球の81分の1)。月の公転周期と自転周期はともに約27.3日で等しく、そのためいつも月の同じ面が地球に向いており、地球から見ると月の裏側は見ることができません*1。人類が初めて月の裏側を見たのは、1959年10月、旧ソ連のルナ3号の写真撮影によってです。さらに、1960年代末から1970年代初めにかけて、アメリカのアポロ計画やソ連のルナ計画で月面から月の物質が持ち帰られ、詳しく研究されました(これらの月から持ち帰った資料の特徴については、
アポロは何を行ったか?の後半部にまとめられている)。ただし、これらの月資料は月の表側の赤道近くの一部の地域のものに限られています。これに比べて、月起源の隕石は、月の裏側も含めて*2、月面のあちこちからまんべんなく(現在までにたぶん100箇所くらいの地点から)届いていると思われます*3ので、月の全体の研究にはとても貴重な資料だと言えます。最近では、クレメンタインやかぐやなど月探査機によって、月の裏側も含め、詳細なデータが得られています。
*1 月の満ち欠けの周期(朔望月という)は約 29.5日ですが、これは、月が地球を公転する間地球も太陽の周りを公転しており、その分月は余計に公転しなければならないからです。そのだいたいの値は、27.3+27.3×1/12 です。朔望月は、太陽を基準とした月の公転周期と同じなので、正確な値は、360/(360/27.32-360/365.25)≒29.53日です。
*2 オマーンで見つかった Dhofar 489(斜長岩質の衝突溶融角礫岩で、地殻深部由来と思われるマグネシウムに富む橄欖石を含む)や南極で見つかった Yamato 86032(砕屑角礫岩)は、アルゴン−アルゴン法で得た年代が40億年以上前と古く、また、希土類原素やトリウムなどの微量原素の含有量が極めて少ないことから、月の裏側起源だと考えてよさそうです(
月隕石の化学組成からみた月裏側地殻の形成過程 、
月隕石研究による最新の月の描像など参照)。
*3 月への1回の隕石衝突によって、同じ地点から複数個の岩石が飛び出し、それが別々の隕石として地球で見つかることがある(例えば南極の別々の地点で見つかった Yamato 793169, Asuka 881757, MIL 05035, MET 01210 の4個の隕石は、宇宙線照射年代や化学・鉱物学的組成から、1回の隕石衝突で同じクレーターから飛び出したものだとされている)。そのため、月隕石の数よりも、その起源の月の地点は少なくなる。
月を見ると明暗の模様が見え、明るい部分は「高地」と呼ばれる部分、暗い部分は「海」と呼ばれる部分です。月の高地は比較的に高度が高く、大小無数のクレーターがあり、白っぽい斜長岩が多いです。月の海は、比較的平坦な地で、クレーターが少なく、黒っぽい玄武岩からできています。月の表側では、海が30%くらいだそうです。ところが、肉眼や望遠鏡では見えない月の裏側では、ほとんどが高地で、海は2%くらいしかないそうです。なお、月の裏側の南半球から南極にかけて、南極エイトケン盆地と呼ばれる直径2500km、深さ13kmもある、月最大の衝突盆地(クレーター)が広がっています(月の最低点もこの中にある)。この大クレーターの中では、直径200kmくらいはある大きな天体の衝突で上部地殻が剥ぎ取られて大きな溶岩の海ができ、斜方輝石など超苦鉄質の密度の大きい地殻ができているらしいです(また、南極エイトケン盆地だけでなく、月の表側の大きな衝突盆地(海)の周りには、上部マントルを形成していると思われる橄欖石が見出されています)。
月も分化した天体で、地殻、マントル、核からなっていることが分かっています(月の内部構造については、アポロが着陸時に月に設置した月震計による月の地震の観測である程度分かる)。中心に半径数百キロの液体の部分があり、その外側がマントル、表層の60kmくらいが地殻になっているようです。月の進化モデルとして、マグマオーシャン説があります。45億年以上前、地球とほぼ同時期に誕生した月は、表面から深さ500kmくらいまではマグマの海に覆われていたと考えられます。このマグマの海で最初に結晶化したのが鉄とマグネシウムの珪酸塩である橄欖石と輝石で、これらは密度が大きいために下部へ沈降してマントルを形成しました。その後、より密度の小さい斜長石などが結晶化して表層の平均60kmくらいの地殻になったようです*1。さらに、鉱物が晶出するさいに陽イオンとして取り込まれ難い不適合元素*2がマグマに農集していって、地殻とマントルの間に KREEP*3 の割合の多いマグマが形成され、それが固まったクリープ玄武岩が月の表側の嵐の大洋や雨の海などの周辺で見つかっています(これらの場所では大きな隕石衝突によって地殻深部からの衝撃溶融物も飛び散っていると考えられる)。
*1 理由はよく分かりませんが、月の表側と裏側で地殻の厚さやその組成が違うようです。月の表側の地殻は厚さ50kmくらいで、鉄に富む低カルシウム輝石を含む斜長岩(Ferroan anorthosite: FAN と呼ばれる)からなっているのにたいし、月の裏側では地殻は70kmくらいとより厚くなり、マグネシウムに富む橄欖石を含む斜長岩(magnesian anorthosite: MAN と呼ばれる)も見られるようです。またたぶん、核やマントルに比べて密度の小さい地殻が裏側のほうで厚くなっていることも一因だと思いますが、月の重心は月の中心よりも2km近く月の表側=地球の側にずれています。
*2 マグマの分別結晶作用の際に鉱物中の陽イオンの位置に入りにくい元素としては、イオン半径が大きい K, Rb, Cs, Sr, Ba, 希土類元素、Th, Uなど(LILE: large-ion lithophile elements と呼ばれる)と、イオン価が大きい Zr, Nb, Hf, Taなど(HFSE: high field strength elements と呼ばれる)がある(「岩石学辞典」による)。
*3 KREEP は、カリウム K、希土類元素 REE(rare earth elements)、リン P の頭文字からなる略称。月の海の一部の玄武岩や隕石衝突による溶融角礫岩の中には KREEP の割合が異常に高いものがあり、そのような KREEP質の岩には、希土類元素ばかりでなく、原子核崩壊によって熱源となるカリウムやウラン・トリウムの割合も高くなっているそうです。
月の誕生後 1〜2億年で、月の斜長岩質の表層地殻(現在「月の高地」として見られている部分)ができたと思われます。月の海の部分は、その後に繰り返された大きな隕石衝突でできたクレーターの底から薄い地殻を破って内部のマグマが大量に流れ出してできた玄武岩質の厚い溶岩原だと考えられています。地球の溶岩と比べると鉄の含量が高く、粘度が低くて、クレーターの底を埋めるように広く平らに広がっています。月の海の多くは40〜30億年前ころにできたようです。その後も火山活動は続きますが、月はやはり地球などに比べて小さな天体ですので内部は早く冷えていって、20億年くらい前ころには火山活動はほぼ終わったようです。月には大気や水がないので、その後の月の地形の変化はほとんど外からの隕石衝突によるものだけになりました。なお、月の表面は、月の誕生から現在まで繰り返されてきた隕石衝突によって砕かれ、飛び散り、一部は溶融したりしてできた、レゴリスと呼ばれる細粒に覆われていて、その厚さは数十センチから数十メートルにもなっているそうです(新しい地形ほどレゴリスの厚さは薄い)。
これまで述べてきた月の様子は、アポロなどによる月の石の回収、月探査機による詳しいデータの収集、月起源の隕石の分析などによって分かってきたものです。以下に、月の高地起源とされる隕石と月の海起源とされる隕石を1つずつ紹介します。
Dar al Gani 400は月の高地起源とされるもので、1998年3月にリビアの砂漠で発見され、重さは1425gと月隕石としてはかなり大きいものです。隕石の表面の一部は茶色で、大気中を落下中に表面が溶けてできた溶融被殻になっています。写真を観察すると、白色や灰色の角張った岩石の破片が含まれている構造をしていることが分かるそうです。破片の多くは斜長岩であるが、花崗岩に似た岩石や、衝突でできた溶融物やガラス玉も含まれており、複数の種類の岩石の欠片が集まってできたポリミクト角礫岩だということです。月の高地起源の隕石の多には、このような特徴が見られるそうです。
Northwest Africa 032は月の海の玄武岩で、1999年10月にモロッコの砂漠で発見され、回収量は約300gだそうです(月の海の玄武岩には、地球の玄武岩に比べて、ナトリウムやアルミニウム、水など揮発性の成分が少なく、また鉄やマグネシウムに富み、クロムやチタンが多く含まれることもあります)。この隕石には、橄欖石・輝石・チタン鉄鉱の結晶が含まれており、結晶の隙間を輝石と長石の微結晶が埋めているそうです。そして、脈のような模様に見えているものは、熱によって隕石の一部が溶けることによって生じたもので、また長石は強い衝撃を受けてできるガラス質になっていて、これらの痕跡から大きな隕石衝突による強い衝撃でできたものと考えられるということです。
4 石鉄隕石
石鉄隕石(stony-iron meteorite)は、珪酸塩鉱物と金属鉄(鉄-ニッケル合金)とがほぼ同じ割合の構成になっているという、ちょっと変わった隕石です。隕石全体の中では2%余で、かなり珍しいものです。
石鉄隕石を構成する金属鉄の密度は8くらいい、カンラン石・輝石・斜長石などの珪酸塩鉱物の密度は3前後で、これら密度が大きく異なる物が混ざり合っている構造は、ふつうの条件ではなかなか考えにくいことです(とくに地球のような重力の大きい天体では考えられない)。石鉄隕石がどのようにして出来るのかについては、2つの考え方があるようです。1つは、数百kmの大きさの、内部が分化した構造の小惑星において、金属核とマントルないし地殻の境界部分が溶融して金属核にマントルないし地殻の珪酸塩鉱物の結晶が混じったという考え。もう1つは、分化して金属核のある小惑星と他の小惑星が激しく衝突して、高温高圧下で金属核にマントルないし地殻の物質が混じり込んだという考えです。以下に述べるパラサイトは前者のようなでき方、メソシデライトは後者のようなでき方の可能性が高いと考えられます。
石鉄隕石は、含まれる珪酸塩鉱物の種類によって、パラサイトとメソシデライトに別れます。
4.1 パラサイト
パラサイト(Pallasite)は、鉄-ニッケル合金の基質の中にカンラン石の結晶が多数混ざり込んでいるものです。基質の鉄-ニッケル合金には、オクタヘドライトに特徴的なウィドマンシュテッテン・パターン(後で説明)が見られます。カンラン石は大きいものだと数mmから1cmくらいはある結晶で、パラサイトの表面を磨くと宝石とされるペリドットのように美しいそうです。私は2020年初めに明石立科学館でパラサイト(イミラック隕石)に初めて触りました。大きなゆで卵を半分に切ったような形で、つるつるの切断面をよく触るとツブツブのような模様のようなのがあり、見た目でも光が当たる方向で色や輝きも変わりとてもきれいだと言っていました。
パラサイトとしてよく知られているものとしては、まずイミラック隕石があります。1822年以降チリ北部のアタカマ砂漠のイミラック付近で多数見つかっていて、総回収量は1000kgくらいになっているようです。大きなカンラン石の結晶がたくさん入っていて、コレクターや博物館で人気のようです。その他、1951年にアルゼンチンのチュブ州エスケルで発見されたエスケル隕石(755kg)、1810年以降ベラルーシで発見されたブラヒン隕石(総回収量は1000kg余)、2000年に中国の新疆ウイグル自治区阜康(Fukang)で見つかった阜康隕石(1003kg)などが知られています。イミラック隕石などパラサイトには、激しい衝突の痕跡があまり認められていないようで、分化した小惑星の核とマントルの境界部分に起源があるのかも知れません。
パラサイトはこれまでに100個近く確認されており、石鉄隕石全体の3分の1くらいで少ないですが、その中で落下が実際に目撃されているのは世界で4例とごくまれです。その中の1例が日本の在所隕石です。1898年2月1日朝、高知県香美市の旧在所村に落下、330gの隕石が見つかります。当日午前5時10分頃、高知県のほぼ全土で轟音が聞かれ、愛媛県との県境に近い船戸村で火球が落下するのが目撃されたそうです。
パラサイトは、隕石の初期の研究史にとって重要です。パラサイト(Pallasite)という名前は、この種の石を1772年に初めて記載したパラス(Peter Simon Pallas: 1741〜1811年)にちなんで付けられたものです。パラスは、主にロシアで働き業績を残したドイツの博物学者です。ベルリンで生まれ、家庭教師から教育を受けて自然科学に興味をもち、ハレ大学、ゲッティンゲン大学で学び、19歳でライデン大学で博士号を取得します。1767年エカチェリーナ2世からサンクトペテルブルク科学アカデミーの教授として招かれ、1768年から74年まで、バイカル湖の東岸までのロシア各地を調査し、その記録を『ロシア帝国の諸地域の旅』として出版します。この調査で、パラスは1772年に、クラスノヤルスク(東シベリアのエニセイ川沿いの要地)の南の村に1749年に空から落ちてきたと現地の人たちが言っている変った石(パラスは gediegnen Eisen (堅い?鉄)と表記。今はクラスノヤルスク隕石と呼ばれ、約700kgもある)を記載し持ち帰ります。この石をドイツの物理学者エルンスト・クラドニ(Ernst Florens Friedrich Chladni: 1756〜1827年)が詳しく調べ、1794年にこの石が、地球上ではない、地球の外から落ちてきた物だと結論します。しかしこの考えは当時のドイツの科学会ではまったく認められず、おとぎ話のようにあつかわれます。10年ほどして、1803年4月にフランス・ノルマンディーのレーグルに落下した隕石雨をフランスの物理学者ジャン-バティスト・ビオ(Jean-Baptiste Biot: 1774〜1862年)が調べ、これが宇宙起源のものであると報告します。さらにイギリスの化学者エドワード・ハワード(Edward Charles Howard: 1774〜1816年)が隕石の化学組成を調べて、隕石には地球では見つからない鉄-ニッケル合金が含まれていることを明らかにします。こうして、隕石の地球外起源説が認められるようになります。
4.2 メソシデライト
メソシデライト(mesosiderite)は、鉄-ニッケル合金の基質に輝石や斜長石、カンラン石などの珪酸塩鉱物が不規則に混ざり込んだものです。パラサイトよりは多く見つかっていて、2014年現在208個が知られているそうです(その内、落下が目撃されているものは 7例)。
メソシデライト mesosiderite の meso は「中間」の意の接頭辞で、 siderite は鉄隕石を意味します。mesosiderite は「半分くらい鉄隕石」というような意味合いで、よく言い得ていると思います。なお、 siderite の sider は、ギリシア語では「鉄」、ラテン語では「星」を意味し、ite は石などいろいろなものに付く接尾辞です。
メソシデライトの中で有名で一番回収量も多いのは、1861年にチリのアタカマ砂漠で見つかったヴァカ・ムエルタ(Vaca Muerta)隕石です。鉱石を探していた人が見つけて、その石の中に金属のように光る部分があることから銀鉱石だと思ったそうですが、それが鉄ニッケル合金だということが分かって、隕石だということになったそうです。11km余×2km余の範囲から数百の断片が見つかり、総回収量は4000kgくらいにもなります。切断面を見ると、明るく光っている部分と暗い部分があり、明るく光って見える部分は鉄-ニッケル合金、その他の暗い部分はカンラン石・輝石・長石などの珪酸塩鉱物で、金属鉄と岩石が不規則に混ざった角礫岩のようになっているそうです。そして、金属部分と岩石部分には強い衝撃を受けた痕跡が残されているそうです。鉄-ニッケル合金の部分は、鉄隕石の化学的分類(後で述べる)では未分類になるそうです。また岩石部分は、鉱物構成、元素組成、酸素の同位体比組成など、多くの点でホワルダイト(3.1 「小惑星由来のエコンドライト」参照。小惑星ベスタないし類似の小惑星の地殻とマントルが混ざった隕石のグループ)に似ているとのことです。これら金属部分と岩石部分の産状から、小惑星ベスタないし類似の小惑星が、破壊された別の小惑星の核の金属部分と衝突し、破壊されて両者の破片が混合して形成された可能性が大きいと考えられています。
落下が目撃されたメソシデライトの例としては、1995年9月7日に中国内モンゴル自治区東ウジムチンに3つの隕石が落下、129kgの隕石が回収されました。1879年5月10日にはアメリカ合衆国アイオワ州エメット郡に、明るい火球が目撃された後、多くの隕石雨が落下、トータルで320kgの隕石が回収され、エスタービル(Estherville)隕石と呼ばれています。1935年3月12日にポーランドのウォヴィチ(Lowicz: ワルシャワの西75km)に50以上の隕石の破片が落下、計59kgが回収されています。
5 鉄隕石
鉄隕石は、大部分が鉄-ニッケル合金から成っていて、分化した小惑星の金属核が起源だと考えられています。太陽系初期において、ある程度大きくなって内部が分化した原始小惑星が、激しい衝突で表面の地殻やマントル部分が剥ぎくらいから30取られて金属核の部分が剥き出しになってしまったり、その後金属核が他の小天体と衝突してばらばらになったものだと思われます。
鉄隕石の可視光から近赤外域のスペクトルの特徴はM型小惑星のものと類似していて、鉄隕石はM型小惑星に対応していると考えられています。ちなみに、NASAは、プシケ(16 Psyche。直径約250km、密度約7g/cm3)というかなり大きなM型小惑星の探査を計画しています(2022年打ち上げ、2026年到達予定)。鉄隕石に含まれる微量原素などの詳しい分析から、少なくとも50以上の異なった母天体があるだろうと想定されているそうです。
他方、鉄隕石は、直接観測することの難しい地球の中心核(コア)についての重要な情報源となります。地球の平均密度は約5.5g/cm^3で、地殻の密度は約3g/cm^3弱なので、地球の中心部は高密度の金属のようなものだろうと考えられていました。鉄隕石が鉄-ニッケル合金を主とすることが分かり、地球をはじめ地球型惑星の核も鉄-ニッケル合金を主とするものだろうとされるようになりました。
5.1 人とのかかわり
鉄隕石は、初めにも述べたように、落下隕石では5%くらいと少ないですが、発見隕石では40%弱とかなり多いです。これは鉄隕石はずっと以前に落下した物も長期間残るからです。鉄隕石は数が多いだけでなく、大きな物、重い物が多く、質量では鉄隕石が隕石全体の質量の90%くらい(約500トン)になるそうです。そして、質量順で隕石を並べると、上位はすべて鉄隕石になります。約60トンの世界最大の鉄隕石であるホバ隕石をはじめ、10トンを越える鉄隕石が12個もあります。ホバ隕石のほか、31トンと20トンのケープヨーク隕石2個、31トンと29トンのカンポ・デル・シエロ隕石2個、28トンの新疆隕石、22トンのバクビリート隕石、16トンのンボシ隕石、15.5トンのウィラメット隕石、14.1トンのチュパデロス隕石、12.4トンのマンドラビラ隕石、10.1トンのモリト隕石です。(石質隕石は、大型のものは大気中で細かく分裂してしまって1個当たりの重量はどうしても小さくなる。石質隕石で最大と思われるものは、1976年3月中国吉林省に隕石雨となって落下したジリン隕石で、もっとも大きな破片は1.8トン近くもあった。)
自然系の博物館ではしばしば隕石が展示されていますが、とくに大きくてずっしりした鉄隕石は、直接触ってよい展示としていわばメダマの展示になっているようです。私も何十回も触りました。表面は、多くの人たちが触るからでしょう、かなりつるつるになっています。人があまり触らないだろう側面や下面を触ってみると、焼け焦げたように?ざらざらした部分もあります。鉄隕石を触って気が付くのは、表面にゆるやかに窪んだ曲面がいくつもあることです。調べてみると、これはレグマグリプト(regmaglypt: ギリシア語由来で、regma は裂けめ、 glypt は彫ることの意)、通称サムプリント(thumbprint: 親指で押したような跡)と呼ばれるものです。この窪みは、鉄隕石が大気中を落下中にトロイライト(FeS)など融点の低い鉱物が溶け出してしまってできる窪みのようです。
鉄隕石は、一見しただけでふつうの石と違った特別なものであることが分かり、また風化に強く長く安定しているので、有史以来人々から特別な物・材料とみなされていたようです。鉄の製錬技術がまだなかった紀元前2000〜3000年くらいのエジプトや中東の遺跡から鉄の飾り物や短剣などが見つかっていて、これらの鉄製品にはニッケルが多く含まれており、鉄隕石を加工したものと思われます。また、グリーンランドのイヌイットも、ケープヨーク隕石など鉄隕石からナイフなど道具を作っていたそうです。
日本では、1895年に農商務大臣榎本武揚が、刀工の岡吉国宗に制作を依頼して、白萩隕石(1890年と1892年に富山県で発見された鉄隕石。オクタヘドライト、IVA)で、長刀2振、短刀3振の、合計5振の刀を製作・鍛造させたそうです。鉄隕石から剣を鍛造した例は他にもあります。インド・ムガル帝国第4代皇帝ジャハーンギール(在位 1605〜1627年)は、鉄隕石からナイフと短剣を作らせたそうです。また、イギリスの博物学者サワビー(James Sowerby: 1757〜1822年。植物や鉱物・貝などの多くの手描き図譜を出している)は、1814年、南アフリカで1793年に見つかった喜望峰(Cape of Good Hope)隕石から切り出したスライス片を鍛造して刀剣に仕上げ、ナポレオン戦争でイギリスと協力したロシアのアレクサンドル1世(在位 1801〜25年)に献上しました(この刀剣を、駐露特命全権公使として1873年〜78年にロシアに駐在した榎本武揚が見て、鉄隕石を使った刀をつくろうと思ったようです)。このような刀剣は、実用性よりも、鉄隕石が秘めているかもしれない一種魔的な力が重視されたと思います。
さらに鉄隕石そのもの(あるいはもっとひろく「天から降ってきた石」として隕石そのもの)が、宗教的な意味合いを持つこともありました。1902年にアメリカ・オレゴン州のウィラメット谷で見つかったウィラメット隕石(中粒オクタヘドライト、IIIA。重さは15トンもあり、先のとがった釣鐘状の形をしているそうです)は、以前から地元の先住民族が神聖なものとみなしていたそうです。チベットでは、チンガー隕石(ロシアとモンゴルの国境付近にあった鉄隕石)を使って、たぶん11世紀ころ、「鉄の男」と呼ばれる仏像を彫っています。日本でも、隕石ないし天から降ってきたと言い伝えられる石が神社のご神体とされていることがあります(
「神社に伝わる隕石伝説〜愛媛県の「星」に関する地名〜」 )。
5.2 組成と分類
鉄隕石は、主に鉄-ニッケル合金からできています(ふつうは、95%以上)。鉄−ニッケル合金は、鉱物としては、ニッケルの少ないカマサイト(kamacite)と、ニッケルの豊富なテーナイト(taenite)から成っています(カマサイトとテーナイトの命名は、ドイツの化学者・地質学者・博物学者ライヘンバッハ(Karl Ludwig Freiherr von Reichenbach: 1788〜1869年)による)。この他にふつう含まれている鉱物としては、トロイライト(FeS)、シュライバーサイト((Fe,Ni,Co)3P)、コーヘナイト((Fe,Ni,Co)3C)などがあります。また、石墨(C)や、ときにはドーブレライト(daubreelite: FeCr2S4)、ローレンサイト(FeCl2)などが含まれることもあります。さらに、珪酸塩鉱物を含むこともあります(珪酸塩鉱物を多く含んだものが、石鉄隕石)。
5.2.1 構造的分類
鉄隕石の主成分である鉄-ニッケル合金は、ニッケルが約4〜7.5%のカマサイトと、ニッケルが約25〜60%のテーナイトという、2つの異なった鉱物結晶の様々な組合わせでできています。鉄隕石のニッケル含有量は、 8%くらいを中心に、 5%くらいから30%以上まで大きく変化し、それに応じて鉄-ニッケル合金のカマサイトとテーナイトの割合いが変わり、構造も変化することになります。とくに、鉄隕石のニッケル含有量が 6%くらいから13%くらいまでの時は、鉄隕石の表面を酸でエッチングして研磨すると、(カマサイトのほうが酸に弱いので)カマサイトの結晶とテーナイトの結晶の境界が様々な角度で交差する模様として見えてくるそうです(カマサイトの大きな結晶は数cmもある)。この模様は、発見者とされるウィドマンシュテッテン(Alois von Beckh Widmanstatten: 1753〜1849年、オーストリアの印刷業者・科学者)にちなんで、ウィドマンシュテッテン・パターンと呼ばれます。
*ウィドマンシュテッテンは、1808年に、フラスチナ隕石(Hrascina meteorite: 1751年にクロアチアに落下した中粒オクタヘドライト IIDの鉄隕石)のスライスした板を炎で過熱し、鉄合金の種類の違いで酸化により色や光沢が変化することで、このパターンを見つけた。しかし、それより以前の1804年に、フランスのG.トムソンが、クラスノヤルスク隕石(パラサイト)を錆をとろうと硝酸に浸してみたところ、このパターンを発見したという。
鉄隕石の分類法としては、従来、鉄-ニッケル合金の構造を反映するこのウィドマンシュテッテン・パターンの有無を主にして構造的分類がなされてきました。ウィドマンシュテッテン・パターンは、鉄に対するニッケルの割合に左右されます。ニッケルの含有量によって、大きく、ヘキサヘドライト、オクタヘドライト、アタキサイトに別れます。
ヘキサヘドライトは、ニッケル含有比が少なく(4.5〜6.5%)、主にカマサイトからなります。ヘキサヘドライト(hexahedrite)という名前ですが、このカマサイトの結晶が六面体(hexahedron)であることから名付けられました。ウィドマンシュテッテン・パターンは見られず、ふつう、切断面にはノイマン線という、幅の狭い細い平行線群が異なった角度でいくつも走っているのが見られます(結果として細かい鋸歯状の線群のように見え、ひび割れのようにも見えるらしい)。ノイマン線は、ドイツの物理学者・鉱物学者ノイマン(Franz Ernst Neumann: 1798〜1895年)が1848年に初めて報告したもので、α鉄(体心立方晶の鉄)が低温下(300℃以下)で機械的な打撃を受けた時に生じるものだとのことです。ヘキサヘドライトに見られるノイマン線が、実際にどのような打撃・衝撃によって生じたものなのかについては、ヘキサヘドライトの母天体が受けたであろう衝撃を反映しているかも知れないということです。
オクタヘドライトは、ニッケル含有比が6.5〜16%で、カマサイトとテーナイトの混合したものです。鉄隕石の中でもっとも多い種類です。ウィドマンシュテッテン・パターンが見られるのが特徴です。ウィドマンシュテッテン・パターンは、カマサイトの結晶とテーナイトの結晶の境界部が見えるようになったもので、それが八面体パターンのように見えることからオクタヘドライト(octahedrite)と名付けられました。また、カマサイトとテーナイトの境界部には、カマサイトとテーナイトの極小粒が混じり合ったプレッサイト(plessite: 語源はギリシア語の plythos で、 fill の意)が存することがよくあります。
ウィドマンシュテッテン・パターンの形成については、離溶現象(exsolution)の1つとして理解できます。高温高圧化で溶融した均質の鉄−ニッケルは、徐々に冷えて900℃くらいになると、ニッケル分の少ない鉄-ニッケルが分離・析出し結晶化し始めます。この過程は 350℃くらいまで続き、ニッケル分の多いテーナイトの中にニッケル分の少ないカマサイトの結晶が生成することになります。研究によれば、ウィドマンシュテッテン・パターンで表わされるようなテーナイト-カマサイトの構造は、100万年間に数℃冷却するというような極めて長期間にわたるとても緩やかな冷却によってしかつくられないということです。このようなことは地球上では、あるいは人工的には不可能なことで、これが鉄隕石が宇宙起源であることの1つの証左にもなっています。
オクタヘドライトは、ウィドマンシュテッテン・パターンに表われるカマサイトのバンドの幅により、次の6つに細分されています。このバンド幅にはニッケル含有量が関係し、ニッケル含有量が多いほどバンド幅が狭くなる傾向があります。
@最粗粒(coarsest) バンド幅 3.3mm以上、ニッケル含有量 5-9%
A粗粒(coarse) バンド幅 1.3〜3.3mm、ニッケル含有量 6.5-8.5%
B中粒(medium) バンド幅 0.5〜1.3mm、ニッケル含有量 7-13%
C細粒(fine) バンド幅 0.2〜0.5mm、ニッケル含有量 7.5-13%
D最細粒(finest) バンド幅 <0.2mm、ニッケル含有量 17-18%
Eプレスティック(plessitic) カマサイトが細く伸びてしまってバンドがなくなる(オクタヘドライトとアタキサイトの中間的な構造)、ニッケル含有量 9-18%
アタキサイトは、ニッケル比が16%以上で、主にテーナイトからなります。カマサイトも含まれていますが、それは極小の粒となってテーナイトと混合し、プレッサイトになっています。なんら規則的な構造は示さず、塊状と言ってよいようです。ウィドマンシュテッテン・パターンは見られません。鉄隕石の中ではもっとも少ない種類で、これまでに50個余しか確認されていません。ちなみに、アタキサイト(ataxite)はギリシア語由来で、 a は「無い」、 tax ← taxis は「配列・配置」の意で、無配列、無構造の意味になります。
5.2.2 化学的分類
現在は、上の構造的分類とともに、化学的分類が用いられるようになりました。化学的分類は、ニッケル含有量とともに、微量元素のガリウム(Ga)、ゲルマニウム(Ge)、イリジウム(Ir)の存在比も合わせてグループ分けしています(その他、アンチモン、砒素、コバルト、銅などの量も考慮される)。まず、 I から IV の4つに分け、それぞれが、IA、IB というように、さらに A、B、…に細分され、またその一部が、 IAB のように、まとめられるといった具合に分類が行われてきて、現在は 15ほどの化学的グループになっています。これら各グループの隕石は、同じ起源で、共通の親天体のものだと考えられています。しかし、このような分類分けのどれにも当てはまらない(ungrouped と呼ばれ、 ung と略記される)鉄隕石が 15%(100個余)くらいあり、これらは50個ほどの親天体と関連があるのではと考えられているそうです。
以下に、化学的分類とともに、それに対応する構造的分類、ニッケル、ガリウム、ゲルマニウム、イリジウムの割合いを示します。これは、
Iron meteorite - Wikipediaおよび
Chemical Classification of Iron Meteoritesを基本にし、その他「chemical classification of iron meteorites」などで検索して補足・修正して作成したものです。表中・最粗粒・粗粒・中粒・細粒、最細粒・プレシティックは、いずれもオクタヘドライトです。
化学的分類 構造的分類 Ni(%) Ga(ppm) Ge(ppm) Ir(ppm)
IAB 粗粒〜中粒 6.4-8.7 55-100 190-520 0.6-5.5
IC 粗粒 6.1-6.8 42-54 85-250 0.07-10
IIA ヘキサヘドライト 5.3-5.7 57-62 170-185 2-60
IIB 最粗粒 5.7-6.4 46-59 107-183 0.01-0.5
IIC プレシティック 9.3-11.5 37-39 88-114 4-11
IID 中粒〜細粒 9.8-11.3 70-83 82-98 3.5-18
IIE 粗粒〜中粒 7.5-9.7 21-28 60-75 1-8
IIF アタキサイト〜プレシティック
IIG ヘキサヘドライト〜最粗粒 4.3-5.1
IIIAB 中粒 7.1-10.5 16-23 27-47 0.01-19
IIICD アタキサイト〜細粒 10-23 1.5-27 1.4-70 0.02-0.55
IIIE 粗粒 8.2-9.0 17-19 3-37 0.05-6
IIIF 最粗粒〜粗粒 6.8-7.8 6.3-7.2 0.7-1.1 1.3-7.9
IVA 細粒 7.4-9.4 1.6-2.4 0.09-0.14 0.4-4
IVB アタキサイト 16-26 0.17-0.27 0.03-0.07 13-38
5.3 各グループの例
以下、各化学的グループについて、実際の例を紹介します。各グループに属する鉄隕石の個数は、
Chemical Classification of Iron Meteoritesや
Meteoritical Bulletin: Search the Database によります。
●IABグループ
構造的分類では、粗粒から中粒のオクタヘドライトに対応します。化学組成では、他のグループに比べてゲルマニウムの割合が多いです。このグループには、150個くらい(鉄隕石全体の約16%)が属し、カンポ・デル・シエロ隕石、キャニオン・ディアブロ隕石、オデッサ隕石など有名なものがあります(私もキャニオン・ディアブロ隕石とオデッサ隕石には触ったことがあります)。IABグループの隕石は、包有物としてトロイライト、グラファイト、コーヘナイトなどを含むことが多く、また様々の珪酸塩鉱物を含むこともあります。IABグループに含まれる珪酸塩鉱物と始原的エコンドライトのウィノナイトに含まれる珪酸塩鉱物は同じ親天体に由来し、IAB鉄隕石とウィノナイトは、ある分化した親天体が破壊されて、珪酸塩が溶けた金属核に混じってIAB鉄隕石となり、一部溶けた橄欖石などが未溶融の珪酸塩に混じり込んでウィノナイトになったとする研究もあります。
カンポ・デル・シエロ(Campo del Cielo)隕石: 粗粒オクタヘドライトから粒状ヘキサヘドライト(granular hexahedrite)。この隕石は、アルゼンチンのブエノスアイレスの北1000kmほどのチャコ州からサンチアゴ・デル・エステロ州にかけての地域で発見されたものです。その付近はスペイン語で Campo del Cielo 「天の原」と呼ばれ、「空から鉄の塊が降ってきた」という言い伝えが残っていたそうです。付近には少なくとも26以上のクレーターがあり(最大のものは直径100mくらい)、これまでに総計 100トン以上の鉄隕石が見つかっています。このクレーター群はおそらく4000〜5000年くらい前にできたもので、そのころ計800トンくらいの隕石雨があったのではと見積もられています。その中で最大のものは、2016年に地中から発見された "Gancedo"と呼ばれる30.8トンもあるもので、世界で3番目に大きな(重い)隕石です。さらに、1969年に発見された28.8トンの"el Chaco"、2005年に発見された15トンの "la Sorpresa"などがあります。この付近では今後も大きな鉄隕石が発見されるかも知れません。成分は平均して、鉄92.5%、ニッケル6.68%、コバルト0.43%、リン0.25%、ガリウム87ppm、ゲルマニウム407ppm、イリジウム3.6ppmとなっています。
キャニオン・ディアブロ(Canyon Diablo)隕石: 粗粒オクタヘドライト。この隕石は、1891年にアメリカ・アリゾナ州のバリンジャー・クレーター(直径 1200m。 5万年くらい前にできたと推定される)のすぐ近くで発見され、総回収量は30トンくらいです(付近の先住民は以前から知っていて、使用していたと言う)。成分は、鉄 91.6%、ニッケル 7.1%、コバルト 0.46%、リン 0.26%、炭素 1%、硫黄 1%、ガリウム 80ppm、ゲルマニウム 320ppm、イリジウム 1.9ppm。この隕石の中から、地球ではほとんど見つからず、隕石の激しい衝突時などにしかできないモアッサン石という鉱物(CSi 炭化珪素で、ダイヤモンド型の骨組の中に炭素と珪素が交互に並んだ構造)が初めて見つかったそうです。この隕石からは他にも、ロンズデール石(Lonsdaleite C。結晶系が六方晶系になったダイヤモンド)、ハクソン鉱(Haxonite (Fe,Ni)23C6)、クリノフ石(Krinovite NaMg2CrSi3O10)が初めて発見されているということです。なお、ロンズデール石は多くの場合ダイヤモンドと共存し、キャニオン・ディアブロ隕石からも数mmサイズのかなり大きなダイヤモンドが見つかっているそうです。これらダイヤモンドなどは、激しい衝突・衝撃による高温高圧でできたと考えられます。
オデッサ(Odessa)隕石: 粗粒ヘキサヘドライト。この隕石は、1922年にアメリカ・テキサス州のオデッサ近くのクレーター(オデッサ・クレーター: 直径 170mくらい、6万年前くらいにできたらしい)の周辺で見つかり、その後数千個回収されているようです(いちばん大きなのは140kgくらい)。実はすでに19世紀末に地元の牧場主がクレーターのような窪み(今は大部分砂で埋まっている)を見つけ、その周辺でいくつか鉄のような塊も拾っていて、1922年にそれが研究者によって鉄隕石と確認されたとのこと。化学成分は、ニッケル 7.35%、コバルト 0.48%、リン 0.25%、硫黄 0.5%、炭素 0.2%、ガリウム 75ppm、ゲルマニウム 285ppm、イリジウム 2ppm。
長良隕石: 日本では、2012年に岐阜県岐阜市長良で発見された「長良隕石」(6.5kgと9.7kgの2個)もIABの鉄隕石であることが分かっています。成分は、鉄約93%、ニッケル 6.1%、コバルト 0.6%、ガリウム 91.6ppm、ゲルマニウム 402ppm、イリジウム 4.25ppm、金 1.58ppmです(IABグループとしては、ニッケルの含有量が少ない)。研磨面にはウィドマンシュテッテン・パターンが見られず、粗粒オクタヘドライトではなくヘキサヘドライトの可能性があるとのことです。
珪酸塩鉱物を含んだ IAB グループの鉄隕石としては、1930年にアメリカ・ウェストバージニア州で見つかった Landes 隕石や、1987年にモロッコで見つかった Zagora 隕石などが知られています。
●ICグループ
このグループに属する隕石はわずか11個しか確認されておらず、珍しいグループのようです。IABグループによく似ていて、大部分は粗粒オクタヘドライトに属します。詳しいことはあまりよく分かりませんでした。ICグループに属するものには、ベンデゴ(Bendego)隕石、アリスペ(Arispe)隕石などがあります。
ベンデゴ隕石は、1784年にブラジルで発見されたもので、重さは5.3トンもあり、かなり大型のものです。不規則な形で、表面に、縦長の方向に円柱の穴がいくつもあるそうです。この穴は、隕石が大気を通加中に融点が低いトロイライトが溶けたためにできたもののようです。化学組成は、ニッケル 6.6%、コバルト 0.47%、リン 0.22%、および微量の硫黄と炭素。ベンデゴ隕石は、ブラジルで最大の隕石で、1888年からリオデジャネイロのブラジル国立博物館に展示されていました。2018年にその国立博物館が火災に見舞われ、数千の展示品が失われたようですが、この隕石には大きな被害はなかったということです。
アリスペ隕石は、1896年にメキシコで発見された隕石で、重さは700kg弱です。鉄 92.26%、ニッケル 7.04%だそうです。2020年3月1日に神戸市立青少年科学館行きました。小さな隕石が20個近く展示されており、その中にこのアリスペ隕石と思われる8gのサンプルがありました。
マウント・ドゥーリング(Mountain Dooling)隕石は、1909年に西オーストラリアで発見された隕石で、総回収量は700kg強です。ICグループの隕石はもともと珍しいわけですが、この隕石はかなり変った隕石のようです。粗粒オクタヘドライトで、数mmから1cm余の粒子を含んでいますが、大きな粒子にはノイマン線が見られ、また一部は再結晶化しているそうです。このノイマン線は強い衝撃によってできたものでしょう。ニッケル 6.22%、コバルト 0.46%、リン 0.27%、イリジウム 1.2ppm。
●IIABグループ
上の化学的分類の表では IIA と IIB に分けていましたが、最近はまとめて IIAB とすることが多いです。このグループには140個ほどの隕石が属し、かなり大きなグループです。構造的分類では、ヘキサヘドライト(IIA)あるいは最粗粒オクタヘドライト(IIB)です。ヘキサヘドライトとしては、ブラウナウ隕石や北チリ隕石、最粗粒オクタヘドライトとしては、マレー湖隕石やシホテ=アリン隕石などがあります。
ブラウナウ(Braunau)隕石は、1847年7月14日の早朝に、ボヘミア地方のブラウナウ付近に大きな爆発音とともに落下したもので、23.6kgと17.2kgの2個が見つかりました。鉄隕石の落下目撃としては世界で3番目で、この隕石は初期の鉄隕石の研究で重要な資料となり、ヘキサヘドライトに特徴的なノイマン線もこの隕石で初めて観察されました。化学組成は、ニッケル 5.39%、コバルト 0.44%、リン 0.24%、硫黄 0.08%、ガリウム 59ppm、ゲルマニウム 183ppm、イリジウム 12ppm。
北チリ(North Chilli)隕石は、1875年にチリ北部・太平洋岸のアントファガスタ(Antofagasta)地方で発見されたもので、8個回収され計300kgほどだそうです。ほとんどカマサイトだけでできていて、化学組成はサンプルによってばらつきはあるようですが、1つのサンプルでは、ニッケル 5.59%、ガリウム 58.9ppm、ゲルマニウム 177ppm、イリジウム 3.6ppmとなっています。
日本では、1904年4月7日に兵庫県篠山市に落下した岡野隕石が IIAの鉄隕石です。重量 4.74kg。『兵庫県災害誌』には「俄然空中に雷鳴の如き凄然たる音響を聞くと同時に、1個の大球西方より飛び来たり、瞬時にして巨砲を発したるが如き響きありて震とうす」と記録されているそうです(当時は日露戦争開戦直後で、凄まじい音が響いたため、ロシアの軍艦による砲弾が落ちてきたと思われたとか)
マレーコ(Lake Murray)隕石は、1933年にアメリカ・オクラホマ州中央部にあるマレー湖(23平方キロメートルほどの小さな湖)近くの農場で発見されました。回りを10cm以上の厚さの酸化鉄や頁岩によって被覆された状態で、中の鉄隕石は270kgほどだそうです。9千万年から1億1千万年くらい前に900kg以上の隕石が落下し、それが長期間酸化されて今のような状態になったらしいです。これまでに発見された隕石としては、もっとも古い時代にさかのぼるものの 1つです。化学組成は、ニッケル 6.3%、リン 0.5%、ガリウム 53.9ppm、ゲルマニウム 141ppm、イリジウム 0.02ppm。
シホテ=アリン(Sikhote-Alin)隕石は、1947年2月12日に、ロシアのウラジオストクの北東約440kmのシホテ=アリン山脈に落下したものです。午前10時半過ぎ、目もくらむような強い光と耳をつんざくような爆発音とともに、約2平方キロメートルの範囲に無数とも言える隕石の破片が落下したそうです。落下後も、数時間にわたって飛行機雲のような煙が見えたと言います(これはたぶん、大気中に飛散した微小な隕石物質の燃焼によるものでしょう)。120くらいのクレーターができ、最大のものは直径26m、深さ5mでした。小さな破片は多くの人々が拾って市場に出回り、総回収量ははっきりしませんが、数十トンでしょう。最大のものは、1745kgだそうです。目撃証言から、この隕石の元の小惑星の軌道が計算されていて、遠日点が小惑星帯にある長楕円軌道で、質量は100トン前後、地球に 14.5km/sで進入し、大気中で少しずつばらばらになりながら 5.6kmという低い高度で隕石本体が大爆発しました。隕石は、最粗粒オクタヘドライトで、ウィドマンシュテッテン・パターンに表われるバンド幅は 1cmくらいもあるそうです。多くの破片にはレグマグリプトという窪みもあります。化学組成は、ニッケル 5.9%、コバルト 0.42%、リン 0.46%、硫黄 0.28%、 ガリウム 52ppm、ゲルマニウム 161ppm、イリジウム 0.03ppm。鉱物としては、カマサイトが約90%で、その他テーナイトとプレッサイト、シュライバーサイト、ラーバイツ(Rhabites: 化学式は分からなかった)、トロイライト、クロマイト(FeCr2O4)が含まれています。
●IICグループ
このグループに属する鉄隕石は わずか10個足らずで、珍しいようです。プレシティック・オクタヘドライトで、カマサイトのバンド幅は0.2mm以下です。IICグループの特徴として、タリウムの含有量が高いことが知られており、IIC鉄隕石は小さな分化した小惑星の核でできたと考えられるとのことです。このグループの鉄隕石としては、1892年にオーストラリアで発見されたバリヌー(Ballinoo: 重量 42.2kg)や、1850年にアメリカで発見されたソルト・リバー(Salt River: 重量 3.6kg)などがありますが、詳しいことは分かりません。
●IIDグループ
このグループに属するのも 20個足らずです。中粒から細粒のオクタヘドライトです。このグループの鉄隕石にはしばしばシュライバーサイト (Fe,Ni,Co)3P が豊富に含まれています。また、ガリウムとゲルマニウムの割合が高く、このことは、この鉄隕石がより大きな小惑星の核で形成されたことを示唆しているとのことです。
このグループの隕石で有名なのは、エルボーゲン(Elbogen)隕石です。この隕石は、1400年にボヘミアのエルボーゲンに落下したらしいです(重量は107kg)。しかし、当時は天から石が降ってくるなどとはふつうには考えられず、その地方の酷薄な領主を神が罰して稲妻で鉄に変えたというような話になりました。そして、この鉄塊は砕こうとして砕けず、炉に投じても溶かすことが出来なかったので、領主の復活を恐れた人々は石に鎖を巻き、土牢の中に閉じ込めていたとか。ようやく18世紀になって自然の鉄とされるようになり、1808年にウィドマンシュテッテンはこの鉄隕石の板を、エッチングではなく、ブンゼンバーナーの炎で過熱して、後にウィドマンシュテッテン・パターンと呼ばれるようになる構造を見つけます。また、1811年にはノイマンがこの鉄塊の小片を分析して、それが隕石であることが分かりました。中粒オクタヘドライトで、化学組成は、ニッケル 10.25%、コバルト 0.64%、リン 0.3%、ガリウム 74.5ppm、ゲルマニウム 87ppm、イリジウム 14ppmです。
その他、1923年にメキシコ北西部のソノラ州のカーゴ近くで見つかったカーゴ(Carbo)隕石も IIDグループの鉄隕石です。重量は 450kgで、化学組成は、ニッケル 10.15%、コバルト 0.62%、リン 0.5%、ガリウム 70ppm、ゲルマニウム 87ppm、イリジウム 13ppmです。
●IIEグループ
このグループに属するのも 20個足らずです。粗粒から中粒のオクタヘドライトです。このIIEグループの鉄隕石の特徴は、そのほとんどが、鉄に富む珪酸塩鉱物の包有物をたくさん含んでいることです(それは、しばしば大きな結晶になっていて宝石のように見えるらしい)。このような珪酸塩鉱物を含んでいることから、IIE鉄隕石の起源としては、分化した小惑星の核ではなく、激しい衝突による部分的な溶融で金属鉄に珪酸塩鉱物が混じり込んだのかも知れません。また、IIE鉄隕石の珪酸塩鉱物の酸素同位体組成は Hコンドライトのそれとよく類似していて、IIE鉄隕石と Hコンドライトは同じ母天体(1つの候補としては、6番目の小惑星ヘーベ(Hebe: 直径185km)が上げられている)に由来するのではと考えられています。
IIE鉄隕石としては、ミレス(Miles)が有名です。1992年にオーストラリアのクウィーンズランド州で見つかったもので、重量は265kgです。輝石や斜長石など珪酸塩鉱物が見えていて、かなり美しいようです。その他、珪酸塩鉱物を含むIIE鉄隕石としては、1972年にオーストラリアで見つかった重量93kgのワトソン(Watson)隕石などがあります。
●IIFグループ
このグループは最近設けられたようで、これに属するのはわずか6個だけです。プレスティック・オクタヘドライトとアタキサイトになります。ニッケルが多く含まれ、また、ガリウム、ゲルマニウム、コバルト、銅の割合が高く、分化した小惑星の核で形成されたことが示唆されます。 IIFの鉄隕石の酸素同位体組成は、 Eagle Station というパラサイト(1880年にアメリカ・ケンタッキー州で発見されたパラサイトの1種で、それが含む橄欖石は鉄とカルシウムに富むという)の酸素同位体組成と類似していて、両者には共通の親天体があるだろうと考えられ、またその酸素同位体組成の一部は COコンドライトやCVコンドライトのそれとも類似しており、その共通の母天体は小惑星体の外延部にあるものだろうと示唆されるということです。
このグループに属する鉄隕石としては、アメリカで1965年に見つかった Del Rio(重量 3.6kg)、同じくアメリカで1938年に見つかった Monahans (1938)(重量 27.9kg)、ロシア南西部のアストラハン地方に1933年に落下した Repeev Khutor(重量7kg)があります。
●IIG Group
このグループも最近提案されたもので、このグループに属するのは6個だけです。構造的分類ではほとんどヘキサヘドライトですが、ごく一部に最粗粒オクタヘドライトの構造が表われるものがあるようです。元素組成はIIAB鉄隕石に似ていますが、ニッケル含有量がかなり少ないこと、リン化鉄であるシュライバーサイトが非常に多いこと、硫黄が少ないことが特徴だそうです。これらのことから、IIG鉄隕石は、おそらくIIAB鉄隕石の母天体とは異なった、分化した小惑星の核の外側の部分で形成されたものではないかと考えられるそうです。
IIGグループの隕石でとくに興味を引くのは、トンビグビ川(Tombigbee River)隕石です。この隕石は、アメリカ・アラバマ州のチョクトー郡からサムター郡にかけての 16kmの線上の地域で、1859年から1885年に約0.8kgから12kgの鉄隕石の断片 6個(総重量は約43kg)が見つかったものです。これらの6個の断片は、ニッケル含有量が少なく(4〜5%くらい)、カマサイトのマトリックスに多くのシュライバーサイトが入っているということでは同質ですが、その他の鉱物組成には違いがあって、シュライバーサイトの中にトロイライトが埋込まれているものや、一部にはテーナイトやプレッサイトが含まれ(ニッケルが多く、リンが少ない)ウィドマンシュテッテン・パターンが見られるものもあります。詳しいことは分かりませんが、宇宙空間での衝撃による加熱とゆっくりした冷却など風化作用も影響したのかも知れません。その他、IIGグループの隕石としては、1955年に南アフリカで見つかった Bellsbank (重量38kg、 Ni 4.5%)、2000年にチリのアタカマ砂漠で見つかった Guanaco(重量 13.1kg。 Ni 4.8%)などがあります。
●IIIABグループ
このグループには 300個くらい(全体の30%弱)の鉄隕石が属し、鉄隕石中最大のグループです。構造的には粗粒から中粒のオクタヘドライトで、鉱物としてはよくトロイライトやグラファイトの大きな塊を含みますが、珪酸塩鉱物はほとんど含まれていません。サブグループとして、IIIA と IIIB がありますが、両者は構造的にも元素組成でも連続していて、ともに同じ母天体が起源だと考えられています。分化した小惑星が激しい大規模な衝突で破壊されて、そのコアの多くの断片がこのIIIAB鉄隕石になったようです(その時の衝撃で、石鉄隕石のパラサイトも形成されたかも知れない)。このグループには、ケープ・ヨーク隕石やウィラメット隕石など、有名な大型の鉄隕石も含まれています。以下、3つのIIIAB鉄隕石について紹介します。
ウィラメット(Willamette)隕石は、1902年にアメリカ・オレゴン州のウィラメット谷で見つかった隕石です。中粒オクタヘドライトで、IIIAです。重さは15.5トンもあり、形がちょっと変わっており、先がややとがった釣鐘状の形をしていて、表面には深い窪みもあるようです(この窪みは、隕石落下時の大気中でのトロイライトの溶融とともに、落下後長年にわたって雨がトロイライトと反応してできる硫酸によって鉄が浸食されたためだと思われる)。この鉄隕石は以前から地元の先住民には知られていて、彼らは神聖なものとみなしていたそうです。オクタヘドライトにもかかわらず、ウィドマンシュテッテン・パターンは少ししか認められず、それは親天体が顕著な熱衝撃を受けた結果だと考えられるそうです。発見地の近くには衝突クレーターは見られず、氷期にカナダに落下した隕石が、氷河によって、また最終氷期後の急激な温暖化による大洪水などで、13000年くらい前に現地まで運ばれたのだろうということです。元素組成は、鉄約91%、ニッケル 7.62%、ガリウム 18.6ppm、ゲルマニウム 37.3ppm、イリジウム 4.7ppmとなっています(コバルトとリンの割合はよく分からなかった)。
ケープ・ヨーク(Cape York)隕石は、地元・グリーンランドのイヌイットの人々にはむかしから知られていたもので、その鉄を削り取ってナイフなどの道具に使用していたそうです。この隕石が広く知られるようになったのは、北極探検で有名なピアリー(Robert Edwin Peary: 1856〜1920年)が、1894年にグリーンランドのヨーク岬を訪れた時に、イヌイットのガイドの案内で 3個の鉄隕石を確認し、探検の費用を捻出しようと、1897年にそれらの隕石を捕鯨船に載せてニューヨークに運び、アメリカ自然史博物館に展示されるようになってからです。この3個の鉄隕石は、イヌイットの伝承では、悪霊トルナルスク(Tornarsuk)が空から放り投げたイヌイットの女性(重さ 3トン)、その飼い犬(重さ 400kg)、テント(重さ 31トン。世界で3番目に重い隕石)と言われていて、「女性」は刃物用に削られていてかなり小さくなっていたそうです。その後も、1963年に 20トンの隕石(これはイヌイットの伝承では「人 Man」と呼ばれていたものらしい。今はコペンハーゲン地質博物館に展示されているそうです)が発見されるなど、これまでに計 8個、総重量 60トン近くのケープ・ヨーク隕石が見つかっています。
2018年には、グリーンランドのハイアワサ(Hiawatha)氷河の下に直径31kmもの巨大な衝突クレーターが見つかったというニュースがありました。もしそれが隕石衝突によるものだとすれば、その隕石は直径 1km以上、100億トンほどの巨大隕石で、位置的にそのごく一部がケープ・ヨーク隕石だと推定されます(このような巨大隕石の落下は地球規模の寒冷化の原因となる)。
ケープ・ヨーク隕石は、中粒オクタヘドライトで、ウィドマンシュテッテン・パターンがとてもきれいに表われるそうです。原素組成は、ニッケル 7.58%、ガリウム 19.2ppm、ゲルマニウム 36.0ppm、イリジウム 5.0ppmとなっています。
チュパデロス(Chupaderos)隕石は、1852年に、メキシコのチワワ州のヒメネス(Jimenez)で見つかった 3個の鉄隕石です。それぞれ、14.1トン、6.7トン、3.4トン(計 24.3トン)で、初めの2つは240メートルしか離れていない場所で見つかり、Adargasと呼ばれる 3.4トンのものは、そこから40km離れた場所で発見されました。中粒オクタヘドライトですが、プレッサイトが体積の50%も占めているそうです。シュライバーサイトやトロイライトも含まれ、15〜40mmくらいのトロイライトの大きな塊も見られるようです。チワワ州では、この他にも、1600年ころにスペイン人が発見した10.1トンのモリト(Morito)隕石や、1867年に発見された1.5トンのカサスグランデス(Casas Grandes)隕石など大型の鉄隕石が見つかっています。これらの隕石は、いずれも IIIABに属する中粒オクタヘドライトで、おそらく同一の隕石が落下時に分裂して広い範囲に落ちたものと思われます。
なお、日本の隕石では、1910年ころ山形県天童市貫津で発見された天童隕石(重さ10.1kg)が、IIIAの鉄隕石です。
●IIICDグループ
このグループには60個ほどの隕石が属しています。構造的には、大部分が細粒から最細粒のオクタヘドライトです(ごく一部はアタキサイト)。いくつかのIIICD鉄隕石は、IAB鉄隕石と同様に、包有物として珪酸塩鉱物を含み、また一部の微量元素の組成も両者の鉄隕石は類似しています(そのため、同じ鉄隕石の分類が資料によってIIICDとなっていたりIABとなっていたりする)。このことから、IIICD鉄隕石もIAB鉄隕石も、部分的に分化した小惑星が共通の起になっていると考えられるだろうということです。IIICD鉄隕石の際立った特徴としては、鉄の炭化物であるハクソン鉱 (Fe,Ni)23C6 を含むことなどがあります。以下、いくつか例を紹介します。
モラスコ(Morasko)隕石は、第一次世界大戦が勃発して間もなく、1914年11月12日に、ポーランドのポズナンの北16kmのモラスコで、ドイツ軍が塹壕を彫っている時に見つかった鉄隕石です。深さ50cmの所から重さ78kgもある金属塊が見つかり、分析の結果鉄隕石であることが分かりました。この付近には 7つのクレーター(最大のものは、直径100m、深さ11m)があり、その後も次々と鉄隕石が見つかり、これまでに1500kg以上が回収されているようです。(1976年には、クレーターを含む55ヘクタールの地域が「モラスコ隕石自然保護区 Morasko meteorite nature reserve」になっている)。このクレーターは少なくとも5000年以上前にできたもので、それを作った隕石は小惑星帯が起源で、地球大気に突入、約200トンが地上近くで爆発したと考えられるそうです。モラスコ隕石の元素組成は、鉄約92%、ニッケル 6.56%、ガリウム 98.9ppm、ゲルマニウム 496ppm、イリジウム 1.0ppm で、少量ですが珪酸塩(輝石)も入っているそうです。モラスコ隕石は、資料によりIIICDあるいはIABに分類されていますが、少なくとも元素組成ではIABになりそうです。
南丹隕石は、1516年に、中国 広西壮族自治区 南丹に落下したという記録が残っている隕石です(明時代のこの地方の古文書の中に、「1516年6月、星の一群が北西の方角より蛇や竜のように波打ちながら降ってきた。」という記載があるとか)。そのまま放置されていましたが、1950年代後半の大躍進政策に伴う製鋼運動(各農家の庭に炉が造られたと言う)の中で、製鉄原料としてこの隕石も集められたものの、ニッケルが多く含まれているために融点が高く、製鉄にはまったくいたりませんでした。分析の結果、1958年にこれが鉄隕石であることが分かりました。全部で10トン近く集められ、2トン近くある最大の断片が国立科学博物館に展示され、また蒲郡市生命の海科学館にも855kgの断片が展示されています。表面は鉄さびに薄くおおわれていますが、蒲郡の標本ではよく観察するとウィドマンシュテッテン・パターンが見えるそうです。南丹隕石のニッケルの割合は6.96%で、この数値だけからすれば IABということになりそうです。
マンドラビラ(Mundrabilla)隕石は、西オーストラリア州から南オーストラリア州にかけて広がるナバーボア平原(Nullarbor Plain。語源は、null: no + arbor: tree = no tree。約1200平方キロメートル。この地域は隕石探しには良い土地のようで、多くの隕石が見つかっている)で発見された一群の鉄隕石です。まず、1911年に小さな破片2個が発見され、その後も、1918年、1962年、1965年に小さな破片、そして1966年4月には、12.4トンと5.4トンの大きな断片が発見されました。さらにその後も1988年に3.5トンのものや、小さな破片が多数見つかり、総回収量は24トンくらいだそうです。中粒オクタヘドライトで、ウィドマンシュテッテン・パターンもよく見られるようです。この隕石はかなり変っているようです。鉄-ニッケル合金鉄-ニッケル合金(ニッケル 7.8%、コバルト .48%)は65〜75%くらいと少なく、トロイライトが大量に(最大 35%くらい)含まれています。そして、リボン状や塊状のトロイライトの中には、包有物として、シュライバーサイト、グラファイト、珪酸塩鉱物(主に橄欖石、輝石、カリウムに富む斜長石)が含まれているとのことです。分類としては、資料によって IIICDや IABとなっていたり、 ungrouped(どのグループにも属さない)あるいは anomalous(異常種)となっていたりします。
IIICDの隕石としてはこの他に、1991年にナミビアで見つかった Maltahohe(約22kg。中粒オクタヘドライトで、組成は、ニッケル 10.7%、イリジウム 0.24ppm、ガリウム 26ppm、砒素 19ppm)、1887年にアメリカ・テキサス州で見つかった carlton(約82kg。細粒オクタヘドライトで、ニッケル 13%以上。この隕石から、1993年にクラドニ石(Chladniite: 化学式 Na3CaMg11(PO4)9)という特殊なリン酸塩鉱物が発見されている)などがあります。
●IIIEグループ
このグループに属するのは 10数個で、小さなグループです。元素組成は IIIABグループとよく似ていますが、IIIEは構造的には粗粒オクタヘドライトで、カマサイトのバンドが太く短いそうです。また、炭化鉄のハクソン鉱を含んでいるのもIIIEグループの特徴だそうです。
IIIEグループで有名なのが、新疆隕石です。新疆隕石は、1898年に中国・新疆ウイグル自治区青河県銀牛溝で発見された隕石です。重さが28トンもあり、世界で5番目の質量を持つ隕石です。新疆隕石のあった場所はシルクロードに当たり、日にあたった新疆隕石が鉄隕石独特の金属光沢を発していたため、かつてはシルクロードの銀牛と呼ばれたとか。元素組成は、ニッケル 9.78%、コバルト 0.515%、銅 109ppm、ガリウム 16.9ppm、砒素 14.4ppm、イリジウム 0.228ppm、金 1.810ppm となっています(金の含有量が多い)。新疆隕石は実は、数百kmの広範囲に散在して見つかっているアルタイ(Aletai)隕石と呼ばれる隕石群の中の 1つ(英語の資料では、Armanty meteorite と表記される)で、アルタイ隕石は、 Armanty: 28トン、 Akebulake: 18トン、Wuxilike: 5トンなど、総質量は少なくとも 50トンを越えているようです。
日本では、田上(たなかみ)隕石が IIIEグループの鉄隕石だそうです。1885年に、滋賀県の田上山の山中で、鉱物仲買人の上野滝蔵によって発見されたとされる隕石で、重さは174kg、日本最大の鉄隕石です。切断面にはウィドマンシュテッテン・パターンが見られるそうです。
●IIIFグループ
このグループに属するのはわずか9個で、小さなグループです。中粒から最粗粒のオクタヘドライトです。元素組成では、コバルト、リン、ゲルマニウムが少なく、鉱物では、包有物としてシュライバーサイトのようなリン化物やトロイライトが含まれることもめったにありません。これらのことから、IIIF鉄隕石の形成は、小さな、分化した小惑星の核で行われたと考えられるそうです。
IIIFに属する隕石としては、1952年にアメリカ・オレゴン州で発見された Klamath Falls(重さ17kg)、1856年にアメリカ・ケンタッキー州で発見された Nelson County(重さ 73kg。ニッケル 7%、最粗粒オクタヘドライトで、大部分がカマサイト)、1888年にアメリカ・ミズーリ州で発見された St. Genevieve(重さ 244kg。粗粒オクタヘドライトで、鉄 91.5%、ニッケル 7.9%、コバルト 0.29%、リン 0.20%)などがあります。
●IVAグループ
このグループには 80個ほどの鉄隕石が属し、ほとんどが細粒オクタヘドライトです。元素組成では、ゲルマニウムとガリウムの割合が極端に少ないのがこのグループの特徴です。一部のIVA鉄隕石にはトロイライトやグラファイトがまばらに含まれていますが、珪酸塩の包有物が含まれていることはほとんどありません。これらのことから、IVA鉄隕石は、小さな、分化した小惑星の形成直後に、大規模な衝撃でその小惑星が破壊されてしまった時の核に由来すると考えられるだろうということです。
IVA鉄隕石としては、ギベオン(Gibeon)隕石が有名です(私も、明石市立天文科学館と名古屋市科学館で触ったことがある)。1836年にイギリスのJ. E. アレクサンダーがナミビアのグレートフィッシュ川の近辺でいくつかサンプルを採集してロンドンに送り、ジョン・ハーシェル(1792〜1871年。有名なイギリスの天文学者で、数年にわたってケープタウンで南天の天体観測もしている)によりそれが隕石であることが確認されました。実際には現地のナマ(Nama)の人たちには以前から知られていて、この隕石を使って道具や槍などをつくっていたそうです。4億5000万年前に落下したと推定され、大気中で爆発し、数千の破片が数百kmにおよぶやや細長い広い地域に落ちました。今までに少なくとも26トン以上が回収され、各地の博物館でも見られるようですし、また表面には細かい網目状のウィドマンシュテッテン・パターンがきれいに表われることもあって、市場にも出回っているようです。細粒オクタヘドライトで、元素組成は、鉄 91.8%、ニッケル 7.7%、コバルト 0.5%、リン 0.04%、ガリウム 1.97ppm、ゲルマニウム 0.111ppm、イリジウム 2.4ppmとなっています。
日本では、1890年に富山県中新川郡上市町で発見された白萩隕石(2個で、重さ 33.6kg)が、IVA鉄隕石です。前にも述べたように、この隕石の1個を榎本武揚が買い上げ、その一部を使っていわゆる「流星刀」がつくられました。
珪酸塩を多量に含むIVA鉄隕石は anomalous (異常種)に分類され、シュタインバッハ(Steinbach)隕石など、6個がこのサブグループに属します。シュタインバッハ隕石は、1724年にドイツのカール・マルクス・シュタットで発見されました(重さは 98kg)。この隕石では、珪酸塩が鉄-ニッケル金属とほぼ同質量(体積比では珪酸塩が70%)も含まれており、鉄-ニッケルの基質に、マグネシウムの割合が異なる数種の輝石とトリジマイト(tridymite: 二酸化珪素 SiO2 の多形の 1つで、870〜1470℃で安定な高温結晶形)の混合物が入り込んでいます。このため、長い間石鉄隕石と見られていましたが、この隕石の鉄-ニッケル金属の組成が IVA鉄隕石の組成と同じなので、珪酸塩包有物を含むIVA鉄隕石として分類されるようになりました。これらIVA鉄隕石の異常種の起源については、石鉄隕石のパラサイトの形成と同じような環境が考えられるかも知れません。
●IVBグループ
このグループには、17個の鉄隕石が属し、すべてアタキサイトです。ニッケルが豊富に含まれ、大部分が微小なカマサイトとテーナイトの連晶であるプレッサイトで、包有物はあまり含まれず、珪酸塩は皆無です。微量元素のガリウムやゲルマニウムも少なく、このことからIVB鉄隕石は小さな、分化した小惑星の核で形成されたものだろうと示唆されます。
IVBグループで有名なのが、世界最大の隕石・ホバ(Hoba)隕石です(私は神戸市青少年科学館で、50cm余の大きさで377kgあるというホバ隕石の断片に触りました)。ホバ隕石は、1920年に、ナミビアのグルートフォンテイン近くのホバで牛を使って耕作していた時に鋤が地中に埋まっていた鉄塊に当たったことで発見されました。当初は 66トンくらいあったらしいですが、浸食や、研究用に切り出されたり乱暴に壊されて持ち出されたりして、今は 60トンくらいになっているそうです。今も現地で保存されていて、見学できます。大きさは、2.95×2.84mの長方形で、高さが122-75cmの、平たい形です。8万年前くらいに落下しただろうと考えられ、地球大気に低速度で進入し、平たい形のために滑りながらバウンドするように地上に達したため、大きな損傷もなく、衝突クレーターも残さなかったと思われます。鉄 82.4%、ニッケル 16.4%(その他はコバルトなど)で、ニッケルの割合が高く、アタキサイトです。
1793年に、南アフリカのグレートフィッシュ川近くのオランダのケープ植民地の平原で発見されたという喜望峰(Cape of Good Hope)も、IVBの鉄隕石です。元素組成は、ニッケル 16.32%、コバルト 0.84%、リン 0.12%、ガリウム 0.20ppm、ゲルマニウム 0.06ppm、イリジウム 36ppmとなっています。18世紀後半、この地域に入植した農夫が平原に転がっていた鉄塊を切り出しては鋤や鍬をつくっていたそうです。1793年に農夫はこの鉄塊を売り払い、近くの海岸からケープタウンに運ばれました。その時には135kgあったそうです。この鉄塊は少なくとも 3つ以上に切り分けられ、その 1つ 5.5kgがイギリスに渡り、前にも書いたように、それをサワビーが入手して、刃物に鍛造しロシア皇帝アレクサンドル 1世に献上することになります。
●どのグループにも属さない鉄隕石
上の化学的分類のどのグループにも属さない(Ungrouped)鉄隕石が、百数十個(鉄隕石全体の 15%くらい)あります。いくつか紹介します。
ムボジ(Mbozi または Mbosi)隕石は、1930年にタンザニアの南部ムベアの近くで発見されたという隕石で、重さは16トンもあります。現地に住んでいる人たちには知られてはいましたが、この隕石についてとくに言い伝えなどはなく、現地に人々が住むようになった1000年以上前には落下していたと思われます。長さ3m、高さ 1mくらいの大きさで、今も現地で見学できるそうです。金属鉄の中に小さな珪酸塩の包有物がたくさん入っているようです。金属鉄にはウィドマンシュテッテン・パターンが見られ、中粒オクタヘドライトです。化学組成は、ニッケル 8.74%、リン 0.15%、炭素 0.12%、ガリウム 2.5ppm、ゲルマニウム 26.9ppm、イリジウム 6.5 ppmとなっています(コバルトと硫黄が欠如している。また、ガリウムに対するゲルマニウムの割合が極めて高く、10倍を越えている)。金属鉄中の珪酸塩包有物は薄片状で、中心が石英で、その回りを一部輝石や斜長石で不透明になったガラス質が取り巻いているそうです。
バクビリート(Bacubirito)隕石は、1863年にメキシコ北西部のシナロアで発見された隕石です。重さ 20トン以上、長さは4.2mもあり、長さでは世界最大の隕石です。化学組成は、鉄 88.94%、ニッケル 6.98%、コバルト 0.21%、硫黄 0.005%、リン 0.154% で、微量の石英(二酸化珪素)が含まれているそうです。
チンガー(chinga)隕石は、1913年にロシアのトゥヴァ共和国(モンゴルと国境を接する南シベリアの共和国)のチンガ川の近くで金採掘者が発見したもので、これまでに210kgくらいが回収されているそうです。ニッケルの割合が高く、アタキサイトです。 1万年から2万年くらい前に、氷河の上に落下したのだろうということです(そのため衝突クレーターはできなかったかも)。以前は IVBグループに分類されていましたが、今はどのグループにも属さない ungrouped になっています。化学組成は、鉄 82.8%、ニッケル 16.58%、コバルト 0.55%、リン 0.05%、ガリウム 0.18ppm、ゲルマニウム 0.08ppm、イリジウム 3.6ppm となっています。化学組成だけからは、イリジウムの値以外は IVBグループの範囲におさまっていて、なぜ IVB から ungrouped に分類され直されたのか、私にはよく分かりません。この隕石には、ちょっとした逸話があります。1938年にチベットにドイツが遠征隊を派遣、その時にニッケルに富むアタキサイトでできた仏像を持ち帰ったらしいです(仏像は高さ24cm、重さ 10kgくらい)。この像の組成を調べた研究者によれば、この仏像は紀元1000年ころにチンガー隕石を使って作られたものだということです。
(以下続く)
(2017年3月1日、5月4日、7月12日、8月4日、2018年11月13日、2020年2月12日、5月27日更新)