10月14日、「第三回 心で観る彫刻展 桒山賀行 作品とともに ― 目で見る、手で触れる、心で観る ―」に行きました。主催は、特定非営利活動法人静岡県補助犬支援センター、会場は、静岡市役所 静岡庁舎本館1階 静岡市民ギャラリー第1展示室です。
11時半ころ静岡駅着、駅員にバス乗り場を教えてもらい、5分ほどバスに乗って市役所前で下車、近くにいた人に会場まで案内してもらいました。
まず1時間余作品を観賞し、その後午後1時から30分ほど補助犬のお話、その後桑山先生のギャラリートークが1時間弱ありました。ギャラリートーク後も、回りの人たちと話しながら、心に残った作品をもう一度触ったり、まだ触っていなかった作品をみたりしました。出展作品は27点だとのこと、全部ではないと思いますが、私が触った作品を以下に紹介します。
●誕生仏
高さ30cmくらい。右手を上げて人差指と中指を上に伸ばして天を指し、左手を下げて人差指と中指を下に伸ばして地を指しています。シンプルで、すっとした感じがしました。
●仏手
幅30cm弱、高さ40cmくらい。両手をふわあっと広げた中に、仏様が立っています。仏様は、蓮華座に立ち、合掌し、細い紐のようなのがふわあっと楕円形に垂れ、後ろには円い光背があります(観音様でしょうか)。解説には、「すべては手によって作られる。人の手には仏がいると思う」というようなことが書いてありました。
●閉ざされた風景
幅1m余、高さ1m弱、奥行70cmくらいの洞窟のようなのがあります(洞窟の上の面には数箇所破れたような穴が空いている)。その洞窟の中の両側に、柵や棒があり、その先に、向って左側に3羽、右側に1羽烏がとまっています。洞窟の外にも、左側にも羽を広げた烏が1羽います。洞窟の奥には、女の子が膝をかかえるようにして座っています(髪は左右両側で結んでいるようです)。
解説には、「風景を切り取ったらどうなるのだろうか……。風景をシャボン玉の内に入れたらと考えた。」と書いてあります。(破れた洞窟のようなのはシャボン玉だったのですね。)
●まど
幅・高さとも20cm余くらいの小さな作品。手前に、ブロンズで、椅子にのびやかに体を伸ばすように腰かけた男の子がいます。その後ろの上のほうに、両開きの窓が内側に開いています。(この作品のブロンズ部分は、詳しいことは分かりませんが、蝋じかびねり?とかいう方法で作ったとか。椅子や男の子がとても薄く作られていました。)
●岡:なにを思う
幅10cm余、高さ15cmほど、奥行20cmくらいの小さな作品。こんもりと盛り上がった岡の上の奥のほうに大きな木があり、その下に1人女の子?が座っているようです。女の子は高さ2cmくらいととても小さくて触ってはよく分かりませんが、手を重ねるようにしているようです。
●春のおとずれ
高さ30cm余。高さ10cmほどの竹筒のようなものに水仙がいけてあります。葉が3枚、花が3個あります。葉がうねえっとした曲線になり、また花はやや下向きで、花弁も微妙にうねっていて、とてもリアルで、やわらかな感じがします。
●少女:椅子
高さ50cmほど。鉄の椅子に、ワンピース姿の少女が腰かけています。胸の前で両手のひらを広げて重ねるようにし、その上に鳩が向こう向きにとまっています。
●少女:鳩
上の少女が立ち上がった姿のようで、高さは70cmくらいだったように思います。少女はやや右に体を傾け、左肩に鳩がとまっています(鳩の口は少女の顔のほうを向いてなんか仲睦まじい感じ)。顔はやや左向きで、目を大きく見開き遠くを見ているようです。少女の胸やお腹、脇腹や腰などが微妙にふくらんでいたりうねっていたりして、なにか色っぽい感じがしました。
●鍾馗(しょうき)
高さ40cmくらい。えぐれたような岩に立っています。左手のひらをぎゅっと反らして前に向け、右手には刀を斜め上に向けて持っています。顔にはなんだかぶつぶつしたようなのがたくさんあって(ひげのようなものでしょうか?)目は大きく開いているようです。頭にはかぶとのようなものなのか角ののようなものなのか、斜め上に突起がありました。私は鍾馗については具体的になにも知らなかったので、下に大辞泉より引用します。
鍾馗:中国で、疫病神を追い払い、魔を除くという神。目が大きく、あごひげが濃く、緑色の衣装に黒い冠、長い靴をはき、剣を抜いて疫病神をつかむ姿にかたどられる。玄宗皇帝の夢に現れ、皇帝の病気を治したという進士鍾馗の伝説に基づく。日本では、その像を端午の節句ののぼりに描き、また五月人形に作る。
●蓮花仏
高さ20数?cm。解説によれば、蓮の花がぱっと割れて開いた時に、中に仏様が座っているかも。
8弁の蓮の花が開き、そのくぼみの真ん中の蓮華座に座して、右手に宝珠を持ち、左手は手のひらを開いて上向きに立ててかるく前に出しています。頭の後ろには後輪があったように思います。
●正観音
高さ40cmほど。左手に水差しのようなのを持ち、右手は手のひらを立てて前に出しかるく開いています。頭の後ろには円い光背があります。とてもきれいでした。
●不動明王
座像と立像の2点がありました。座像は高さ30cmくらい、立像は50cmくらいはあったように思います(立像のほうが明王の体が少し大きかった)。座像は、中央を滝が流れ落ちる岩座に座した姿です。(那智の滝などのように、高さ100m以上もある滝の上にどっしりと座している不動明王を連想したりして、すごい!と思いました。)座像・立像ともに、右手に剣、左手に羂索を持ち、髪の毛は逆立ち、頭の左側から肩にかけて編んだような髪が垂れています。頭の後ろにはやや斜めになった炎のような光背があります。右目は大きく見開き、左上顎の牙が下唇を、右下顎の牙が上唇をかんでいます(このあたりの記憶は正確でないかもしれません)。
●あかとんぼ:十五夜を過ぎたころ
とても大きな作品です。縁側のような床の上の正面に和服姿の等身大の男の人が立っています。着物をきちっと着込んで、胸の前で腕を組み、手は着物の中に隠れているようです。顔はだいぶ年取った感じです。向って右側には花瓶があり、そこから1m余のすすきの葉や穂が数本風に吹かれているように斜めに伸びています。すすきの穂はぶちぶちと種のようなものまで表現されていてとてもリアルです。すすきの穂の先にはあかとんぼがとまっています。背景、縁側の後ろのほうには、たくさんの四角に区切られた格子垣のようなものがあります。この作品は、先生が小さいころ父と縁側で満月を見た時の印象をあらわしたものだとか。秋を感じさせる作品です。(これは、ごく最近の作品だと思います。)
●あかとんぼ
これもとても大きな作品です。向って左側の床の上に山羊の大きな頭蓋骨があります(本物を3倍に拡大して制作したとか)。直径10cmくらいの、目が入る穴、50~60cmくらい前に伸びる太い角、なかなか迫力があります。その右側には、高さ2m近くもある、枯れかけたひまわりが立っています。太い茎から、いくつも大きくて分厚い少し丸まったような葉が垂れ、また、直径20cmはある大きな枯れかかった花も垂れています。ひまわりの根元辺には、あかとんぼが羽を広げています。これらの背景には、四角く区切られた格子垣のようなものがあります。生きているあかとんぼ、枯れているひまわり、死んでいる山羊、これらによって生から死、あるいは死から生への移り変わりを表しているようです。(これは、3年くらいの作品だと思います。一度ちょっと触ったことがありました。)
●あかとんぼ:ひだまり
この作品は、桑山家で現在も暮らしているリタイア犬ルーシー(ラブラドール)を作品にしたものです。床の上に大きな直径60~70cmくらいの座布団のようなのがあり、その上にルーシーがくるうっと丸まって寝ています。円い座布団のくぼみにルーシーがすっぽり入って安心な形です。ルーシーの向って右側には、花瓶に入ったひまわりがあり、その上にあかとんぼがとまっています。この作品の背景にも格子垣のようなものがあります。(ルーシーに2日ほどモデルになってもらったそうです。2日めは、1日めと反対に寝てしまったので、いったん立ってもらって1日めと同じ向きに寝てもらったとか。まず粘土で粗々の形を作り、それを見ながら木に形を映していったとか。)
●帆
高さ170cmくらい。ちょっと左に倒れかかった案山子が、平たい笠をかぶり、腕を大きく広げて、着物(蓑?)に風をはらんで立っている姿です。着物の前がはだけるように広がっています。解説では、「案山子の姿を風を受けたヨットの帆に見立てて」となっています。
以下、折紙をテーマにした作品が9点ありました。線・折りの強さと、面のきれいさがよく現われています。
「スワンの恋」 羽を広げた大きな白鳥と羽を閉じた小さな白鳥が、直角に配置されくちばしが接するくらいになっている。2羽の白鳥が恋を語っている?
「森のりすさん」 2ひきのりすが何を話しているのか?
「熊さんのあくび」 両手を広げ、口を大きく開けている。
「かぶと」 折紙のかぶとそっくりなので、これは私にもよく分かる。
「雲上の月見」 直径40cmくらいの大きな輪(月)の中央に水平に雲があり、その上に5ひきのうさぎがいろいろな姿勢で乗っています。
「十五夜お月さん」 丸い満月の中央にうさぎさんがいます。
「鶴と亀」 大きな鶴が上、小さな亀がその斜め下に配されている。(亀の折紙に初めて触った!)
「風見鶏」 片方が少し広がった水平の棒(風見)と矮鶏。
「雛祭り」 屏風の前に、向って右に男雛、左に女雛。男雛は手を胸の中に入れ胸をぐっと出しており、また頭が三角にとがっている。女雛は胸の所で手を交差するようにしている。男雛と女雛の後ろの屏風には天女が描かれているとか。
展示作品をざっと触り終えた後、補助犬のお話を聞きました。静岡県には現在、盲導犬が47頭、聴導犬が3頭、介助犬が3頭活躍中だとのことです。この数字は、人口比でみると、全国でもトップクラスだとのこと。静岡県では毎年8頭分の補助犬のための費用を出していて、希望者はそんなに待たなくても補助犬を使用できるそうです(他の自治体では、年に2頭分くらいがふつうで、しばしば数年も待たなければならないそうです)。よく言われることですが、盲導犬には、食べ物をやらない、見つめない、触らない、といった注意事項があり、その後、会場からガイド役を募って、盲導犬使用者の案内の仕方が実演されました。声による案内と、手引による案内の2つの方法で、会場を一周していました。ガイドの方が「右に曲がって」とか「止まって」などと言うと、使用者がそれを英語で犬に伝えてうまく歩いているようでした。
その後に、桑山先生のギャラリートーク。とても心に残るお話でした。先生は18歳で澤田政廣(1894~1988年)に弟子入りし、12年半内弟子だったとのことです。その間、具体的にとくに教えてもらったという記憶はあまりないが、澤田先生の彫刻家としての生活に朝から晩まで密着し体感できたことがいちばん良かったということです。澤田先生の師匠は山本瑞雲(1867~1941年)、その山本瑞雲の師匠は高村光雲(1852~1934年)で、このように以前は彫刻家は徒弟で育てられていたとのこと。弟子のころは、生活のことは何も考えず、ただただ彫刻をしていた。しかし、今はそのような徒弟は難しくなっている。
司会者や会場からもいろいろと質問があり、それにもこたえていました。1992年くらいから数えてみるともう50回近く触って観る彫刻展をしているが、思った以上にはこのような展覧会はひろがっていないと、ちょっと残念そうでした。今は子どもが触る体験が少なくなっているので、子どもに触る方法を教えられたらいい。触ってもらうと、次第に作品が変化してきれいになってくる(古い仏像なども同じで、私たちはできたばかりの鮮やかなものではなく、経年変化しておちついた感じの作品を見ている)。
先生のお話で一番心に残っているのは、できたばかりの作品は物体である、それを多くの人が見たり触ったりすることで作品になっていく、ということです。私の作品?も、少しでもそのようなものになることができればと思いました。
(2017年10月17日)