民博の「太陽の塔からみんぱくへ― 70年万博収集資料」展見学

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 5月27日、民博のMMPの案内で、開館40周年記念特別展「太陽の塔からみんぱくへ― 70年万博収集資料」を見学しました。
 私事ですが、1970年3月末に青森から大阪に出て来て、言葉をはじめちょっと異文化ショックのような体験がいろいろありました。阪急梅田駅に設置されているムービングウォークに乗ってびっくりしたり、次々にやって来る電車に驚いたり。ちょうどその時に大阪万博が始まっていて、たぶん2回か3回は行きました。「人類の進歩と調和」がテーマで、学生運動や次々と露見する公害問題などありましたが、なにか明るい未来を感じたような印象があります。電気自動車に乗ったり、いろいろなことができる電話に触ったり、たしかスイス館にも行ったような気がします。ただ残念ながら具体的なことはあまり覚えていません。シンボルの太陽の塔についても当時はどんなものなのかまったく知らず、だいぶ後になって模型でその形を確かめたくらいです。今回の特別展では、少しは当時の雰囲気が味わえるかもと思って行ってみました。
 この特別展で展示されているものは、1968年から69年にかけて、日本万国博覧会世界民族資料調査収集団(Expo '70 Ethnological Mission: EEM)が、世界の47の国や地域から、仮面や神像を中心に集めた2500点余の民族資料の中の650点だとのことです。(EEMは、テーマ館の太陽の塔の内部に展示するために、テーマ展示の総合プロデューサーだった岡本太郎(1911-96年)らが、30歳前後の若手研究者らを日本をふくめ世界各地に派遣、仮面や神像を中心に民族資料を収集するミッションで、その収集資料は1977年に開館した国立民族学博物館の貴重なコレクションとなり、現在も数十点は常設で展示されているようです。)
 展示会場の特別展示館1階には、EEMが収集した、日本、韓国と台湾、東南アジア、インドと中近東、東アフリカ、西アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカ、北アメリカ、オセアニアの仮面や像、生活用具が展示されるとともに、それぞれの地域の当時の状況や、収集に当たった人たちからの通信文も展示されているそうです。触れられるものはありませんが、MMPの方が各地域の展示物から1、2点を選んで言葉で説明してくれます。
 日本では当時農村が急激に変貌していて、稲作に関連する資料が集中的に集められたそうです。その中で、岡山県新見市哲西町の綱之牛王(つなのごおう)神社で行われている蛇型(じゃがた)祭で用いられる蛇型について説明してもらいました。長さ8mくらいの、稲藁で作った蛇が壁面にうねうねと展示されているようです。胴は直径30cm以上あり、数本の太い縄をより合わせているようです(太い注連縄のようなものかも)。顔は直径80?cmほど、目は赤くて直径3cmくらい、白と赤の2枚の舌(二枚舌?)が出ているとか。ちょっとユーモラスな感じもします。鎌倉時代から行われている祭で、毎年12月に前年に奉納した蛇型と取り替えて、鳥居脇の棒杭に掛けてまつり、新年の五穀豊穣・家内安全を願うそうです。
 韓国と台湾は、当時は、それぞれ独裁的な体制下にありました。韓国の展示では、巫女の仮面がありました。巫女と言っても遊女で、それも両班や僧侶をだまして堕落させ、その子供を産んで捨ててしまうような、鬼のようなもので、真っ白な顔で口を結び、表情はあまりないとか。台湾の展示では、布袋劇(プータイシー)という人形劇の人形がありました。高さ50cmほどの操り人形で、頭や手足は木製、衣などその他は袋状の布でできていて、手足などについた10本くらいの糸を操作して動かす操り人形だそうです。
 東南アジアはそのころはベトナム戦争の真っ最中、ベトナムにはなにかの都合で研究者が行けなくなって、代わりに記者が派遣されたそうです。その通信文がとても面白いということで、展示されているそうです。インドネシアのガルーダが展示されていました。ビシュヌを乗せて飛ぶ神鳥で、胴体は人間、頭や長い嘴や羽は鳥です。インドネシアの国章です。(ガルーダは、仏教では守護神「迦楼羅天」。)
 インドの展示でもたくさんの仮面がありましたが、ネパールのラケという悪霊の仮面はちょっと変わっていました。銅板に螺鈿細工をした仮面で、塗料は像わずに材料そのもので色も表されているそうです。口などには赤い珊瑚、髪の毛はヤクの毛、目は何が使われているのかは分かりませんが金色だそうです。
 東アフリカでは、資料収集の手がかりがなくて苦労したそうです。結局当時タンザニアに入っていた京大の霊長類研究所の人たちの協力を得たとか。ここの展示では、マコンデ彫刻が素晴らしいようです。マコンデ族は、タンザニアとモザンビークの国境付近のマコンデ高原で暮らしてきた人たち(祖母系社会だとか)で、古くから黒檀を使って彫刻をしていたそうです。最近はタンザニアの首都ダルエスサラーム付近に木彫作家が移り住んで彫刻制作の村を形成しているようです。長さ20〜80cmくらいの丸太に多くの人たち(一族)を彫ったもの(ウジャマー様式と言うらしい)、いろいろな姿の精霊や人物、動物など、具象から抽象まで様々で、MMPの方はどれもすごい、すばらしいと言っていました。組体操のピラミッドのように、下から4人、3人、2人と積み重なったような人たち、ムンクの作品を思わせるもの、太阪の塔そっくりの姿のもの、逆立ちした者の上にさらに人が乗っているとか、様々なようです。
 西アフリカの展示では、長太鼓?(ふつうウッドドラムと言われているものかも知れない)がありました。木製で、長さ1.5m、太さ30cmくらいで、下は開き、上に皮が張られています。通信用にも使われ、またグリオと呼ばれる、系譜などの伝統をいろいろな楽器を使って伝える音楽専門の人も使っているとか。
 ヨーロッパとくに当時まだソ連圏内にあった東欧諸国の資料収集では、共通語としてエスペラントが役立ったとのことです(日本の盲人たちも以前はエスペラントによって海外、とくにヨーロッパの人たちと交流していた)。ルーマニアの農村部の村でクリスマスから新年にかけて行われる年越祭で使われる布製の仮面が4点展示されていました。森の動物をも思わせるような怖そうな形相で、秋田県の男鹿半島に伝わる「なまはげ」とも似ているとか。この布製の仮面を被って、悪霊を追い払って新年の農耕神を迎えるために、太鼓などをたたきながらにぎやかに村々を練り歩くそうです。
 北米の資料収集では、当時すでに直接先住民の資料を得ることは難しくなっていて、アメリカの博物館の収蔵品と、例えばアイヌのかんじき等と交換して集めることもあったそうです。セリ族の木彫や籠、ホピ族のカチーナ神像、スー族の衣服などが展示されていました。セリ族は、メキシコ北西部ソノラ州の太平洋岸の荒れ地に居住していて、20世紀半ばまでは漁労を中心とする採集狩猟民だったが、1960年代から木彫や籠を観光用に作るようになったそうです。展示されている木彫や籠は、その初期の素朴な作品だということです。クジラとウミガメの木彫が展示されていて、とくにウミガメは仕上げが細かい所まで丁寧で光沢もあるそうです。なお、セリ族には「昔海から大ウミガメが現れて、セリ族に自分の住処を譲った」という神話が伝わっているとのことです。
 オセアニアの展示では、バヌアツ(太平洋南西部、メラネシアのソロモン諸島南東に南北に連なるニューヘブリデス諸島が、1980年にバヌアツとして独立)の祖先像について説明してもらいました。高さ80cmくらい。何かの草本類に土か粘土のようなのを張り付けたような感じで、脆そうに見えるとか。両手を斜め上に伸ばし、首から下にまっすぐ胴体が伸び、頭には飾りを乗せた顔が少し上を向いています。耳には白い豚の牙だが使われています。当時「太陽の塔」を制作中の岡本太郎は、この祖先像の写真を見て、「太平洋では昔から岡本太郎のまねをしていたんだな」と言ったそうです。
 
 特別展示館2階には、太陽の塔の内部に展示されていた仮面と彫像数百点が展示されています。これらにはどれも触れることはできませんが、触察コーナーが設けられていて、仮面と彫像5点に触ることができました(ただし、これらは万博のためにEEMが収集した資料ではなく、その後に民博が集めたものだとのことです)。
 ブータンのツェチュという仏教の祭で、アツァラという道化役が着ける仮面がありました。鼻が大きく耳も広くて、見た目は翁の面のようにも見えるとか。全体は黒っぽい(赤ら顔?)ですが、髭や眉毛は白だそうです。
 マレーシアのオラン・アスリと呼ばれる先住の人たちの木彫の人物像が2点ありました。ひとつは、高さ35cmくらい、しゃがんだ姿勢で、手を伸ばして膝に当てています。口が前にすっと出ていて、私はちょっと犬の顔みたいと思いました。もうひとつは、高さ30cm余、直径5cmくらいで、上半分くらいは円錐形になっています。細長い脚を膝の所で折り曲げていて、その上はすぐ顔になっています(顔は円錐形)。そして顔の両側に肘の所で折り曲げた両腕があります。顔の部分が全体の半分以上、20cm弱もあって、印象に残る作品でした。
 カメルーンのバムンの人たちの真鍮製の像が2点ありました。これらは脱蝋法という手法で造られたものだそうです(蜂の巣から採った蝋で出来上がりの作品と同じ型をつくり、この蝋型を粘土で覆います。この粘土の型に1箇所穴を開けておいて、そこから溶けた真鍮を流し込み、冷えたら粘土型を壊して、中のもとの蝋型と同じ形の真鍮の像を取り出します)。ひとつは、長さ30cmくらいはある重い顔の面です。目を大きく見開き、口も大きく開け、あごひげを示す3cmくらいの長さの突起が放射状に並んでいます。頭には、曲がったくちばしの鳥が向かい合っているような飾りがあります。この顔の面は、頭の上にある輪に紐を通して、ペンダントのように胸に下げるもので、本来は王が着けたものだということです。もうひとつは、30cm余の男性像で、探究ひろばで触ったことのあるミムという女性像(右手で杖を持ち、左手で頭の上の壺を支えている)とセットになっているものだそうです。この男性像も、右手で長い杖を持ち、左手でタバコ用のパイプを持っています(パイプのねもとのあたりの曲がった部分を肩に当てている)。
 触察コーナーのすぐ近くには、「EEMフォーラム『未来へ集まる、未来へ送る』」というコーナーがあって、楕円形の紙の上に、来場者が各自心に浮かぶ仮面を描きまたメッセージを書いて、それらが展示されていました(私が行った時は7千枚くらいあると言っていました)。点を連ねて顔の輪郭を書き、また点字でメッセージを書くこともできます。
 
 短い時間に、1970年ころを思い出しながら、世界各地の文化にちょっとずつふれたという感じのツアーでした。私は、当時の時代の雰囲気と、あれから50年近くも経った今を往復しながら、説明を聞いていました。
 
(2018年6月21日)