7月14日、三重県伊勢市にあるマコンデ美術館に行きました。阪急京都線と地下鉄を使って日本橋へ、そこから近鉄特急で鳥羽へ。鳥羽からはタクシーで美術館へ行き、帰りは鳥羽までバスを利用しました。酷暑のなか、往復7時間くらいの行程で疲れましたが、多くの木彫作品に触れられてとてもよかったです。
マコンデ美術館は、タンザニア(アフリカ大陸のインド洋岸)とその南のモザンビークの国境付近のマコンデ高原で暮らすマコンデの人たちのアート作品を展示する私設の美術館です。館長の水野恒男さんが、今から50年ほど前に偶然マコンデの彫刻と出会い、魅せられて収集を始め、1991年に現在地に美術館を開館したということです。美術館には、マコンデの人たちの黒檀を使った木彫作品をはじめ、ティンガティンガと呼ばれる、6色のペンキを使って色鮮やかに描いた絵画、さらには精霊などの仮面も展示されています。絵画と仮面には触れられませんが、木彫については、一部の触れられないマークのある作品を除き、大部分の作品に触れることができます。また、マコンデ以外のあふりかやパプアニューギニアの人たちの民俗資料も展示されていて、これらも多くは触れることができます。
マコンデの人たちの作品もふくめアフリカのアート作品は、20世紀初め、ピカソなどが主導した新しい美術様式・キュビズムに大きな影響を与えたと言います。マコンデの人たちは、以前から信仰や儀礼・呪術のために木彫を製作していて、各村には有能な彫師がいたようです。ちなみに、マコンデの神話では、「むかしむかし、荒れ果てた土地に、ひとりの男が寂しそうに住んでいました。ある日、この男は黒檀の塊を拾ってきて、ナイフを使って人物像を彫りました。すると、翌朝、その像は女になっていました。やがて男はその女と結婚しました。 二人はマコンデという名の高原に移り住み、赤ちゃんが生まれました。その赤ちゃんがすくすくと育ち、最初のマコンデ族となった」ということらしいです(
マコンデ彫刻 まっ黒な妖怪たちより)。
とくに1960年代以降、マコンデの人たちの木彫をはじめとする多彩で創造力あふれる表現が注目されるようになり、現在はタンザニアの首都ダルエスサラームにマコンデの作家たちが集まって、主に観光用に次々と新しい作品がつくられています。また、マコンデの作品の影響もあってでしょう(あるいは相補的に影響し合っているのかもしれませんが)、マコンデ以外のタンザニアやケニアの人たちも多くの木彫作品をつくっていて、出回っているようです。ただし、黒檀は成長がとても遅いため今は入手が難しくなってきていて、出回っている物の中には、他の木を使って靴墨などで表面を黒くしている物もあるようです。
美術館の入口の両脇には、高さ1.5mくらいの、人々が何十人も組体操のように積み重なった像(ウジャマと呼ばれる)がありました。入口を入って受付をすませ、館内に入ると、作品のタイトルも解説もない多くの木彫が並んでいます。早速一部の作品に触ってみました。
長い手足でづながった人たち:高さ1mくらい。抽象的な造形で、顔やお腹らしきものがぽこんぽこんとした丸で表現され、そこから長い手足が伸びて、4、5段くらい積み重なって多くの人たちが表わされている。中は空洞になっている。表面は全体につるつるで手触りがよく、フォルムもとても気に入った。これもウジャマの1つだろう。
逆さになった人:高さ30cm余。一番上が足の裏で、逆さになっているが、首を大きく上にひねって、長い顔が上向きになっている。こんな姿勢はとてもできそうにない。
2人の子どもを抱えている女:両乳房に2人の子どもが口をつけて吸い、乳房は垂れ下がっている。右手で頭に乗せた花(つぼみ)をおさえ、左手は右側の子どもの足あたりをおさえている。左側の子どもは女の太ももあたりに足をかけてしがみついているような感じ。女の足下には牙のある動物がいる。
次は、作品のタイトルや解説のあったものです。これらは、館長の水野さんが、その第一印象で適宜付けたもののようです。
「ドボン」:この作品名は、館長さんが第一印象で「ドボン」と感じて付けたとか。大きな顔、2つの円い胸、それに片手と片足という、なんともふしぎなもの(男性シンボルらしきものも?)。なんとも形容しがたい。ジョン・フンディ作(1991年2月に撮った彼の写真があり、その2週間後?に急死したとか)
「魚と2人の妖精」:前に小さな妖精、後ろに大きな妖精、そして大きな妖精の頭の上に魚(魚には手が届かなかった)。顔は丸っぽい。手も足も先が細長く2つに別れていた(このように手足の先が2つに別れているのは、精霊?などの像によく見られた)。クレメンティ・マティ作
「刺青した妊婦と娘」:作品解説には「表皮の白い部分を残して、気品のある婦人と出生を祈る娘を彫り分ける」とある。婦人の顔には、細かい網目を縫い付けたようなきれいな刺青の盛り上がりが10本以上も走っている(マコンデは男女とも刺青をしていたようだ)。また耳輪も下がっている。大きなお腹をしていて、臍が下を向いていた。婦人の手前に、娘が両膝とお尻をついて座り、右を向いた顔の横で両手を合わせて祈っている(娘のお腹もけっこう大きくて、私はこの娘も妊娠しているかもと思ったほど)。トーマス・バレンチノ作
「生命の母の像 水袋(生命の泉)の体」:作品解説には「頭に水瓶を乗せた母を、蛇の男が守っている」とある。下の部分(胴体)は、すうっと上が細くなった高さ30cmほどの水袋。その上に母の顔、その下に縦に胸が2つ離れてある。上の方の胸の辺に、布の袋に包み込んだ赤ちゃん(片方の足が布袋から飛び出している)。水袋の右側に男の顔。その顔から蛇の胴体が上え、そして下へとくねって伸び、また顔から下に手も伸び、手の先は2つに別れている。なんとも神話的だなあという印象を持った。ダスタニ・シモニ作
「うすを持つ女」:作品解説には「眠る子供を右脇に背負い、うすを持って片足で立つ女が彫られている。この ユニークなポーズは素材の形から創造された。」とある。左足だけで立ち、右足の足裏を左手に持った杖に当てて右膝を外側に広げ、右の太腿と右手でうすを支えている。なんともアクロバチックな姿勢に感じる。左肩から布を垂らして赤ちゃんをくるんで右脇に抱えるようにしている。赤ちゃんはすやすや眠っているようだ。
「荷物を持った収穫のウジャマ」:作品解説には「大小60人の人物が、俵や南京袋に入れた穀物やバナナを持っている」とある。高さ2m近くあり、展示台の上にあったので上まで届かず、椅子を用意してもらって触った(それでも一番上までは届かなかった)。1人1人の顔が丹念にきれいに彫ってあり、表情などもそれぞれ異なっているようだ。私が椅子に上がって触った一番上近くの顔は10cmくらいあり、その他の顔は5cm前後。多くの人たちが、手にいろいろな収穫物の入った袋(その中には縄で編んだようなものもあった)を持っている。作品全体のやや下のほうでは、体格の大きな人が腰を直角に曲げて下から大きな荷物を持ち上げようとしていた。
*ウジャマ:丸太に多くの人たち(一族)を透かし彫りしたもの。なお「ウジャマ」はスワヒリ語で「友愛」を意味し、タンザニアでは独立後間もなく社会主義政策の下「ウジャマ」という共同体的な村を全国にくまなく組織し、多くの人々を組み込んで行った。
「争う男」:奥の人と手前の人が向かい合い、奥の人が上から手前の人をおさえつけようとしている。奥の人は顔が大きく、口から長い歯が5本突き出している。右手(右足?)で手前の人の頭を押えている。下の人は右手に斧のような武器を持ってかまえているが、顔をぎゅっとしかめ、口は真ん中で閉じ両側が開いている。奥の人のたくましさ・強さを表しているようだ。
「死者の証言」:作品解説には、円鑿、ちょうな、やすりを使って作ったとある。下に顔のようなのが2つ、その上に土偶っぽくお腹のふくれた人。上の人の大きなお腹にはぽこぽこと多数の丸い窪みがきれいに彫られている。目が深く窪んでいる。向って右側に、上向きに3角にとがった柱のようなのがあり、その全面にちょうなで横に削り落としたような跡が多数ぎざぎざと平行に並んでいる。(「死者の証言」というタイトルの意味は分からない。)
「頭に手をおく長い顔の男」:全体で高さ30cm余、そのうち顔が20cm余もある。また顎も10cm余もあって長く、口を大きく「ああ」と言うように開けている。両手を頭に押し当てて押さえるようにして、顎を出して上を向いている。
「マサイ族の若い母」:右膝を地につけ、左膝をやや曲げて立っている。耳輪だけでなく、上腕・前腕にも輪をたくさんつけている。左胸に赤ちゃんを抱き、左手を赤ちゃんの右手にそえている。右肘に手の付いた袋のようなのを下げている。
以下は「マコンデ彫刻に見る飢餓と病気」というコーナーにあったものです。実際に骸骨を見てつくったのではと思われるほどリアルな感じの作品が多かったです。中には、まるで骨格標本を触っているような印象のものもありました。「病める男」や「餓えたシェタニ」(シェタニとは、妖精・精霊のこと)など、いくつかの作品は、たぶん触ると壊れそうなほど繊細なのでしょう、触ることはできませんでした。
「病む骸骨」:肋骨があらわに前に飛び出していて、その下、お腹の部分は大きくえぐれていて、ほとんど腰椎の部分だけになっている。病んで最後には食べられなくなって、骨と皮だけになった人を連想した。
「痔お痛める骸骨」:右手に薬壺を持ち、左手を後ろに回してお尻に薬を塗っている。
「虫歯を治す男」:男の人が女の人に覆いかぶさるようにして、片手を女の口の端に入れて開き、もう一方の手に持った器具のようなものを反対側の口の端にある歯に当てている。
「浣腸する医者」:医者が、逆立ちするような姿勢の患者の両足を持って支え、患者のお尻にロートのようなのを入れている。
「祈る男」:高さ25cmほど。作品解説には「骸骨のようにやせた盲の男が、手を合わせて我々に救いをもとめている」とある。歯が剥き出しになっていて、目の所は窪み目がなくなっている。骸骨なのに合掌している姿が印象的。
「杖を持った老人」:高さ60cmくらい。右手に杖を持ち、また背に負ったひょうたん?をつなぎ止める紐のようなものも一緒に持っている。左手で上衣を押え、左脚を踏み出している。きれいな顔をしていて、目はうっすら開いているようだ。静かに歩み続ける姿に、なにか最期の静謐さを感じた。
マコンデの人たちは部族の伝統的な信仰とともに、キリスト教の影響もかなり受けているようです。キリスト教関連のコーナーもありました。
「キリスト誕生」:1.5m弱くらいの丸太の片側を彫っている。真ん中にキリストが仰向けになっていて、(キリストの回りには藁のような感じのものがしかれていて馬小屋を表わしているようだ)、キリストを取り囲んで10人くらいの人たちが立って見守っている。向って左側には、なにかの動物らしきものと、天使がいる。回りの人たちもキリストも、頭の部分はざらざらした感じで、ちぢれた髪が表わされているようだ。
「羽のあるマリア」:手を合わせている。衣がきれい。背の両側に羽がある。
動物をテーマにした作品もたくさんありました。時間がなかったので、触ったのは次の1点だけです。
「ワニとたわむれる男」:長さ2m余のワニ(尾はくねーっと曲がって折り返している)の背の上に、男の人が尾のほうを頭にして仰向けになっている。男は右手で、ワニの大きく開いた口の上顎と下顎の間に掛けられた綱をしっかりと握っている。ワニの頭のほうにはムカデのようなもの、尾のほうには亀が乗っており、またワニの体のあちこちに10個くらいカタツムリ?のような巻き貝がくっついている(このカタツムリ?たち、角のようなのがどれも4本ありました)。
他にも、館長が最初に購入したという記念的作品「チョースケ」(無精ひげを生やした長い顔がどこかとぼけてユーモラスなので、いかりや長介に因んで愛称したとか)や、「両足でアクロバチックに水桶を持つ男」などにも触りましたが、これらの作品は触っても私にはなにがなんだかよく分かりませんでした。中には、なにがなんだか分からないことにはかわりありませんが、曲面や形がきれいでムーアの作品を連想してしまったような作品もありました。マコンデの人たちの創造力には驚くばかりです。
(2018年7月20日)