兵庫県立美術館の「触りがいのある犬」

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 9月1日、兵庫県立美術館で開催中の「美術の中のかたち―手で見る造形 触りがいのある犬―中ハシ克シゲ」関連で行われた、アーティスト・トーク+対談「触覚が生み出す作品とは」に、講師の1人として参加しました。
 兵庫県立美術館では毎年「美術の中のかたち」展が行われていて、今年はその29回目、中ハシ克シゲさんが視覚をまったく使わずに手だけで愛犬の塑像を粘土でつくるという、挑戦的な(あるいは原点に立ち返るような)企画でした。チラシには企画展の趣旨として、「彫刻における触覚的なものとは何かという根本的問題を改めて考えます。常にユーモアを漂わせつつ彫刻の本質に斬り込む作風で知られ、近年は粘土による塑造制作に力を注ぐ中ハシが、日々触れあっている愛犬をモチーフに、視覚を遮断し、触覚だけで造形することを試みます。とあります。
 中ハシ先生は、1955年香川県生まれ、現在は京都市立芸術大学で彫刻の先生をしておられます。東京造形大学で佐藤忠良に教えを受け、当初は具象的なブロンズ彫刻が中心でしたが、その後いろいろな制作方法や展示方法で現代的な作品を発表、そして近年は、自身の原点である塑造に立ちかえり、粘土による実験的な制作を続けているとのことです。
 私は、中ハシ先生の作品については、3ヶ月ほど前に兵庫県公館の庭に展示されている「Dog Nights」に触れたことがあるだけでした(兵庫県公館の彫刻たち)。この「触りがいのある犬」を企画した学芸員のEさんからは、9月1日のトーク&対談までは事前に触らないでほしい、トーク&対談の直前に触って新鮮な印象で望んでほしいと言われていて、ようやく当日午後1時くらいから30分ほどかけて5点の犬たちに触れることができました。
 展示会場に入ると、ウェットティッシュで手を拭き、作品についての資料ももらって、早速点字ブロックの導線に沿って進み、5点の犬に順に触れてゆきました。いずれも、材質は油粘土で、表面を樹脂でコーティングしたものです。
 最初に触ったのは、「ゴロゴロ犬」。胴の長い犬がごろんと横たわっています(体の長さは70〜80cmくらい)。片側の足は宙を向いています。脱力しているためでしょうか、なんか体が平べったいような感じ。頭はほとんど上を向いています。で、しっぽはどこだろうとうろうろ探してみますが、見つけられません。中ハシ先生のサンという愛犬は、コーギーという種類だとのこと。私はコーギーに触れたのは初めてでした。イギリス・ウェールズ地方の牧羊犬で、胴が長く足は短い種のようです。しっぽは、多くの場合、生後間もなく切っているとのこと(そのほうがかわいく見えるのでしょうか?よくは分かりません)。私は犬にはしっぽがあるものとばかり思っていたので、ちょっとびっくりです。(ちなみに、私がよく触れているのは、自宅に居る15歳のパピヨン。足は細く長くて、体はほっそりしています。毛も長く垂れ、尾も長いです。とくに我が家のパピヨン、なにしろ体重は2.1キロしかなく、かわいそうなくらい痩せています。)
 次は「抱きつき犬」。犬が立ち上がっていて、両前足を前に出して、ちょうど環になるように足先を合せています(耳は長く垂れている)。下のほうを触ってみると、心棒が数本出ていてその棒で床に固定され、犬の身体は宙に浮いた状態です(実際は、こんな風に抱きつかれると下のほうまで触ることができず、表現できなかったということらしい)。私は最初タイトルを読まずにこのポーズを触り、いったいこれは何なのだろうと思いました。そして、「抱きつき犬」というタイトルを読んで、ああなるほどと納得。お世話になっている桑山先生のお宅にうかがった時、突然腿にしびれのような感覚が!びっくりして触ってみると、あっ犬が、犬が前足で腿をくるむようにしてぎゅっとしがみついています。その時のポーズと同じだったことに気付きます。(私は見えないので)何の前触れもない体験でびっくりしましたが、ほんと親しみの表現なのですね。
 この抱きつき犬は、現在の愛犬のサンではなく、小さいころ飼っていたコロという犬で、出品作家のコメントに「私の足を羽交い絞めしたコロ。8歳の私の犬の思い出です。今回、その前足を作った時、どんなにコロが私を愛していたかに、ようやく気付きました」とあります。数十年前の記憶をもとに手だけで作品を作っていて、腿に抱き着いてきた時のあの体感までが呼び起され、愛犬との思い出がまざまざとよみがえったのでしょう。
 次は「お座り犬」。行儀よく座り、右足でお手をしています。大きな耳は立っていて、内側に窪んだ曲面になっています。(我が家のパピヨンは、ほとんどしつけられていなくて、お手なんかできません。今も老犬ですが、ご飯の時はワンワンと吠え飛び跳ねています。)
 続いて「添い寝犬」。作品の上には毛布がかけられていて、その上から触ってみます(中ハシ先生はしばしば愛犬と一緒に寝るとか)。これまでの作品と違って、全体の長さが1m以上もあり、いやに長い!前のほうは、犬がべたっとうつ伏せになっていて、鼻の下には、ぺろっと出した舌がよく分かります。胸の辺はごろごろ・ごつごつしたような感じ。そして、後ろのほうには、反対向きに何かがうつ伏せになっている。一瞬、添い寝しているはずの先生の上半身と思いきや、反対向きの頭のほうを触ってみると、ぜんぜん人間の顔ではなく、つるうっとした犬の頭のよう。これっていったいどういうことなのと思って、先生に尋ねると、布団の中で犬があちこち動いているからとのこと、なるほどと納得。もっと犬の頭の数を増やしてもいいのかもと思ったりしました。
 最後は「お出かけ犬」。横座りした姿勢で前半身をぎゅっと左に曲げてしっかり前を向いています。鼻が10cm以上前に長く伸び、また目も飛び出しています。耳は、小さく丸まっています。これから出発だあ、行くぞう、という感じがよく表わされているように思います。中ハシ先生は、アトリエまで軽トラックで通っていて、その時サンは助手席に乗っているそうです。右手はハンドルなので、左手でサンに触れており、制作ではその左手だけで作ったとか。すごいです!
 これら5点の全身の像のほかに、頭部だけの像2種がありました。ともに長さ十数cmほどのほぼ同じ大きさのもので、ともに視覚も使って作ったものだとのこと。1つは現在のサンの頭部で、樹脂に置き換えたものだそうです。ほぼ左右対称で、表面はつるつるした手触りで、箆のようなので切り取った面が組み合わさったように感じられる部分もあります。両耳が3角で、すっと立っています。もう1つは、幼いころのサンで、触覚的な印象も思い出しながら作ったのでしょう、全体的に丸みを帯びた感じで、表面にぽこぽことしたような凹凸があります。両耳の縁が丸みを帯びて、耳たぶの内側が少し窪んだ曲面になっていて、音を聴くのに便利そうな感じがしました。それぞれ特徴があって、面白かったです。
 
 アーティスト・トーク+対談「触覚が生み出す作品とは」は、Eさんの進行で、午後3時から5時くらいまで。会場に入ると思ったより参加者が多いようで、ちょっとびっくり、そしてちょっと緊張しました。(参加者は70人余だったということです。)
 初めに、中ハシ先生より、この展覧会の企画者であるEさんから、「彫刻における触覚的なものとは何か」というテーマを与えられてから、今展示されている「触りがいのある犬」にたどりつくまでの過程について報告がありました。
 最初は、兵庫県美の館蔵品の中から適当なものを選んで、臨模(ある作品を、その表現の骨子をつかみとって模写・模刻すること)してみることから始めたそうです。選ばれたのは、柳原義達の「長寿の鳩」。(この作品は、常設の彫刻の所に展示されていた。長さ40cmくらい、くちばしをぎゅっと左に曲げ、羽をこれから広げて飛び立とうとするような姿で、羽がとてもガタガタゴツゴツした触感。また左羽の後ろのほうには空隙がある。)「長寿の鳩」を美術館でよく観察し、自分のアトリエで作品の特徴をとらえて臨模します(その特徴の1つは、鳩の首から背・尾にかけてのS状カーブ。なお、中橋先生は、普段から写真や実物を見ないで、記憶だけで制作しているそうです)。さらに、臨模したさいの手の感触を生かして、アイマスクをして触覚だけで、途中経過も布を被せて見ないようにして制作します。この触覚だけで作った鳩(触覚鳩と言っていました)は、しかし、とても作品と呼べるものにはならなかったとのこと!(あの鳩のとくに羽などは、視覚的にはとても力強くよく見えるが、触った印象は実際の羽とはぜんぜん違うものだったことなどが影響していると思う。)
 それでどうするか、身近にいる鶏をしてみようかと思っても、鶏はとても触らせてくれない。そこで、愛犬のサンに至ります。これが大正解!中ハシ先生はいつもサンと一緒のようで、ふつうに触っています。そのように定めると、わずか 2ヶ月くらいで5点もの触りがいのある犬が誕成!やはりプロの作家さんはすごいなあと思いました。
 
 この後休憩が設けられ、その時に私の木彫作品を参加者の皆さんに見たり触ったりしてもらいました。「観る手」「考える手」「タカハシホタテ」「めぐりめぐる」の4点です。
 
 休憩後、私も前に出て対談が始まりました。
 まず、中ハシ先生が、途中経過も見ることなしに、また道具も使わずに手だけ、触覚だけで作品を生み出すという体験から、触覚だけの作品制作について次のようなことが言えるとまとめてくださいました。(一部私がうまく理解できていないこともあるでしょうし、またよく覚えていなくて書き切れないこともあります。)
・等寸である:手で触ったそのままの印象を再現しているので、原物を手で触った時の大きさと同じ大きさになる。
・起点がある:初めに起点を作り、それ以降の部分は、起点に戻ってそれとのつながりで作ってゆく (目が起点になったそうです)
・時間的:視覚はそのままで同時的・空間的だが、触覚では一瞬一瞬の印象をつなげていかないと形にならない
・触覚作品は1人だけのためでもよい:美術館の制度上、作品は大勢の人たちに鑑賞してもらわなくてはならない。今回の場合、油粘土で作ったそのままを触ってほしかったが、多くの人が触ってもだいじょうぶなように樹脂でコーティングした。また、作者の触覚印象はそれ自体極めて個的なものなので、それに共感できるのは限られていて、1人にでも分かってもらえれば、作品としては良いのでは(この部分は、私なりの解釈鴨)。
 
 その後会場からも適宜質問があったりして、かなり盛り上がりました。以下、当日の私の発言について、少し補足しながら書いてみます。
 私は、基本的には、頭の中にあるイメージ(イメージは初めはぼんやりしたものですが、作品にするためにできるだけはっきりした形のものにしている)を、材料の木の塊から彫り取っていって、形として表現しています。見えない人たちに触って分かりやすい作品にしようとか、触覚印象を中心に制作しようとはあまり考えていません(もちろん作品全体の触感や部分部分の触った時の印象も少しは気にはしています)。私がどんな風にイメージしているのか、よく尋ねられますが、頭の中に立体的なものがかなりしっかりした形で浮かんできます。もちろん色はなく、ふつうは、なにかの物体が宙に浮いているような感じです。(その気になれば、頭の中で後からそれなりに色や明暗を付けることはできます。)私は、頭の中でイメージすることは、見える見えないとかに関係なく、人間ならだれでも持っている基本的能力の 1つだと思っています。(私の場合、中学の数学で、3次元空間の位置を 3つの数字の組み合せで表現できることを知り、 3つの数字の組合せで頭の中で空間の位置を想像してみるなどの練習をした。)
 中ハシ先生が触覚だけの作品制作体験から挙げておられる特徴のうち、等寸であることと、起点があることについては、私の意見は異なります。しかしそれは、Eさんが指摘してくださったように、粘土作品は無い所から加えて行って作品を仕上げていくのにたいし、木彫は木の塊から彫り取って行って作品にしていくという、いわば反対方向の製作方法の違いが大きく影響しています。
 私は、全体の形は頭の中にあって、それを拡大・縮小することはそんなに難しいことではありません。実際に作業できる木の大きさは限られますし、あまり細かい所までは彫れませんので、自分でできそうな大きさに変えて作っています。また、初めから全体の形が頭の中にありますので、まずおおまかな外形を木の塊に刻し、だんだんと各部分、より細かい所に進んで行くので、とくに起点というようなのは設けていません。(もちろん、ある特定の部分を大切な点だと決めて制作することはあります。)
 会場からは、これから美術館や博物館でとくにどんな物について見てみたいか、触ってみたいかという質問がありました。
 彫刻についてはこの兵庫県美でも常設で数点触ることができるし、他の美術館でもしばしば触ることはできます。陶器や工芸作品は、彫刻よりは少ないですが、たまに触れられる機会はあります。一番難しいのは絵画です。絵画はたとえ触ることができたとしても、ほとんどなにも分かりません。絵を見えない人もそれなりに鑑賞するにはいろいろな工夫が必要です。これまでは、立体コピーなど触図にする、言葉で説明するといった方法が行われてきましたが、そのほかにも例えば次のような方法が考えられます。
・絵とともに、その絵の表わしているあるいは伝えたいような雰囲気を持っている、彫刻や工芸作品など触れられる作品を並置する。
・絵の情景を再現するようなジオラマないし簡易な模型を用意する:例えば静物画では、描かれている机や花瓶や花や果物などを配置し、どの方向から見てどんな風に絵になっているかを説明する。また部屋の様子などは、簡易な紙模型で作っても良い。
・絵の中でポイントになっているモチーフ・アイテムなどを実物で示し触れられるようにする:例えば日本画では着物の文様とか、簪、扇などを用意しても良い。
・版画の刷り体験:版木は丁寧に触れば少し分かる。また強く刷れば、わずかに輪郭が分かることもある。(もちろん、刷り体験で版画とはどういうものなのかも分かる。)
・絵を描いてみる:私のように初めから見えない者は、ほとんど絵を描いたこともないし、その方法も知らない。筆と絵具で実際にごく簡単な絵描く体験も、絵を理解するのに役立つ。(厚塗りすれば、自分の描いた絵が触って少し分かる。また、カラー粘土も良いかもしれない。)
 その他、言葉で説明する時に、絵の中の人物のポーズをしてみるとか、絵の中の配置を説明する時に、見えない人の手を取って指し示すとかも役立つことがあります。実際には、それぞれの絵について、どんな鑑賞法が有効なのか、どんな鑑賞法を組み合せるとより役立つか、考えてもらえればと思います。
 私は絵を一度も見たことがないからかもしれませんが、絵にはずうっとあこがれ続けています。
 
 今回の中ハシ先生の触りがいのある犬たち、そして先生とのトーク+対談、とても刺激的で楽しい企画でした。企画してくださったEさん、そして会場にお越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
 
(2018年9月7日)
 
*彫刻も鑑賞
 常設の彫刻室にも行って、Eさんの案内で、ブロンズの彫刻数点にも触れました。以下、今回新たに触れた作品を中心に紹介します。
 
●柳原義達「道標・鳩(長寿の鳩)」 1981年
 長さ40cmくらい(これまでに触ったことのある「道標」シリーズでは、小さいほうだと思った)。長さ5cm弱のくちばしをぎゅっと左に曲げ、羽をこれから広げて飛び立とうとするような姿。羽は、他の道標シリーズと同様、とてもガタガタゴツゴツした触感。また左羽の後ろのほうには三角に切り取ったような空隙がある。学芸員のEさんに教えてもらって気付いたのですが、上面の首から背・尾にかけて軽く手のひらでなぞってみると、ウネウネーとS字状にカーブしていることが分かります。このようなS字状のカーブは、見た目には鳥の動きを感じさせる効果があるのだろうと思いました。
 
●佐藤忠良「若い女」 1961年
 高さ150cm余の、全体に少女のような感じの全身像。私は初めこの像の肩付近に触れて、その鎖骨辺りの曲面がとても忠実な表現だと感じた。顔はやや小さめでちょっとかわいい感じ、でも、額に垂れている前髪が、細い箆で鋭く深く切り取ったような数本のV字の線になっていたことに驚く。この表現は、触った感じはとてもインパクトがあった。また、背の肩甲骨付近がぽこうっと膨らんでいて、これは、胸の乳房の膨らみとちょうど対をなすような配置になっていて、面白い表現。身体全体のポーズは、右足をやや引いて両足先を開き、脚はやや前のめりにし、背をぎゅっと反らしてバランスを取るという難しそうな姿だった。
 
●アルベルト・ジャコメッティ「石碑T」 1958年
 高さ150cm弱、幅6、7cmくらいの四角い柱の上に、縦20cm余、横20cmくらいの、十字形の土偶を思わせるような物が載っています。単純なトーテムポールのような感じもしました。長い四角柱もふくめて、向こうに映る長い影も作品の一部になっているとか。
 
●マリノ・マリーニ「少女」 1938年
 マリノ・マリーニ(1901〜1980年)は、イタリアの彫刻家で、この作品は初期の作品だとのこと。高さは150cm余、触った第一印象は、全体にとにかくボリューム感があって、これが「少女」なの?という感じ。髪は短く、頭の上部は平べったくて、ちょっと少女っぽいかも。大きなお腹が前に、大きなお尻が後ろに付きで、太い腿には数箇所ざらざらした筋肉の盛り上がりのようなのもくっついています。どっしりとした女性、原始的な母性というのでしょうか、かなりインパクトのある女性像です。ところで、マリーニという名前、どこかで聞いたことがあると思って調べてみたら、以前に旭川市彫刻美術館で藤川叢三の小さめの女の子の立像を触ったことがあって、その藤川さんがイタリアに留学した時にマリーニから影響を受けたということでした。
 
 その他、ロダンの「オルフェウス」、ムーアの「母子像」、レームブルックの「女性のトルソ」、ミロの「人物」、レスピオの「アッシア」にも触りました。とくにミロの「人物」は、肩?辺りと腰?辺りからスカートのように広がった曲面は、あらためて良いなあと感じました。
 
(2018年9月18日)